ドリーム小説
Welcome to Adobe GoLive 5
襦裙と木刀 =1= 「将軍!覚悟!!」
突然背後から叫ばれ、振り返る間もなく空を斬る音がする。
振り返りざまに受け止めた男は、ぎりぎり音を立てる木刀と、渾身の力を持ってそれを握る女の顔を見た。
「脇が甘い」
頭上で噛み合う木刀を力で返す事はせずに、力の支点をずらして避ける。
支点がずらされた剣は滑るように落ち、女は大きな音と供に地に倒れこんだ。
「痛たた…」
起き上がった女は深い溜息をついて、将軍を見上げる。
「懲りないなあ、も」
周りにいた顔見知りが笑いながら言う。
「旅帥…。懲りませんよ。絶対に一本取ってみせますから!」
旅帥に言い切って、解けてきた髪を束ねなおす。
一つ括りにしていた髪は、さきほどの衝撃で緩んでいた。
「でも、このままじゃあ無理そうだがなぁ。一本取れそうな、気配も見えないようだが?」
「ぐっ…」
押し黙ったは、すんなりとかわした将軍を恨めしげに見る。
「将軍と互角に立ち会うのも大変だというのに、一本取るなんて無理な話に決まっているだろう?いくら大僕だったとは言え、成笙様は元々からが将軍であらせられたのだからな。新参のお前が敵うはずないだろうに」
が夏官になったばかりの頃、成笙はまだ王の近辺を固める大僕であった。
常に王の傍に仕え、信も篤いとの評判を聞いてはいたが、王師に入りたてのにとっては、まったくもって知らぬ存在であった。
ゆえに面識もなかったのだが…三年も経った頃だったか、成笙が将軍になったのは。
「だからこうして不意打ちしてるんじゃないですか」
胸を張って言うを、やや呆れ気味に見ていた旅帥は将軍に目を向ける。
「構わない。不意打ちでもいいと言ったのは俺だからな」
珍しい笑い顔を向けて言う将軍にも、呆れ顔を見せた旅帥。
それに気がつかず、は成笙を見上げながら言った。
「どうしたら勝てると思います?」
男としては小柄だが、の力ではまったく歯が立たない。
かと言って不意打ちも効かない。
さすがは将軍だけあって、これまでのの成績は全敗だった。
「本人に聞くか?」
言われたはさらりと受け流し、続けて問いかける。
「やっぱり力の差ですか?」
「俺が今、力で返したか?」
「いえ…えっと…じゃあ?」
「柔よく剛を制すだな」
「柔よく剛を制す?」
「なんだ。五年も王師に居たのに知らんのか?基本だ」
「は、はい…。えっと…今のを例にとってみると、どうゆう事でしょう?」
「力任せに振り下ろされた刀身の力点は、交わった所にあるだろう?」
は思い出すように宙を見て、はいと答える。
「その時、の力点も同じ所にある。つまり重点だな。その重点を力の加減を変えずに移動させてやると支点がずれ、均衡が崩れる。崩れた力はそれを発したものへと返り、己の使った力の勢いを伴って、倒れたという訳だ」
「と言うことは、将軍は力を使わずにいた、という事ですか?」
「皆無ではない。のかける負荷の分、均衡を保つのに必要な力は使う。だがこれは力が互角、あるいはそれ以上の力を持っている人間が出来ることだな。自分よりも強い力に対し、それをどうやって利用するか。それが要点となる」
「どうやって利用するか…?」
悩み始めたを見ながら、成笙は木刀を振りかざす。
それに気がついたは、慌てて構えを取って衝撃に備えた。
いつもよりゆっくりと振り下ろされた木刀を受け止めたは、じりじりと負荷がかかっているのを感じていた。
これを如何せよと言うのだろうか。
「この状態では、力が互角に働いているだろう?」
まったく顔色を変えずに言う成笙に対し、は頷くのが精一杯だった。
「支点が分かるか?先ほどの自分と比較して、違う所を探してみろ」
目だけを動かして、成笙の姿勢を見る。
木刀の交わりは同じだが、姿勢が若干違う。
さきほどのは、全体重を木刀の交わる一点に向けていた。
だが、今の成笙はどうだろうか。
体の重点は地に向かっている。
腕の力だけで、これだけの負荷をに与えていたのだ。
歯を噛み締めていないと、その力に耐えられない。
このまま木刀に重点が移動してくれば、容易く力負けしてしまう。
の目線を確認して分かったのか、成笙は理解したものとして先を続ける。
「この重点が木刀の交わる一点に移動すれば、の敗北は決定する。それをなんとか回避する方法を考えればいい」
にそう言った直後、成笙の腕に力が篭る。
負荷が大きくなり、の体は押されて沈む。
焦りながらも懸命に考えてみる。
やがて成笙の重点が木刀に注ぎ始められているのが、にも分かった。
なんとか当初の体勢のまま耐えているが、このままでは時間の問題だった。
今やの支点は木刀に無く、重点は地に注がれている。
足を踏ん張って、なんとか堪えているといった所だった。
ふと、の脳裏に邪な考えが走る。
なんとも不謹慎なその発想に、打ち消そうと試みるが、あまり考えているような時間もない。あれこれ迷っていると、さらに負荷が大きくなり、は思い切る間もなくそれを実行していた。
腕の力を一気に抜いて力の支点をずらせた。
単純に抜かれた力はそのままの体に向かい、当然のことながら成笙の体が傾く。
ぎゅっと目を閉じて、押し潰される覚悟を決めた。
背が下に到達する直前、がくんと衝撃が上から来て、の体は止まった。
もちろん押し潰されてもいない。
「理解できたようだな」
そろりと目を開けると、笑った褐色の顔が飛び込んでくる。
背には柔らかい手の感触があり、支えられている事に気がついた。
いつもより近いその顔に、の頬がうっすらと染まる。
「今のように」
そう言って成笙はの体を起こし、説明をつけた。
「相手の力を利用すればいい。力の支点をもう少し外に向け、体を反転させて回避する。相手の力の大きさは問題じゃない。それを回避する対処方法を身につけていればいい」
「は、はい」
なんとか返事だけをして、は衣の乱れを直すふりをして顔を逸らせた。
「不意打ちにしてもあんなに殺気を漲(みなぎ)らせていたのでは、気配がばれてしまうだろう。無の心境で体の動きに身を任せる事が先決だな」
「さ、殺気なんて…」
「ん?」
「い、いえ。ご指導ありがとうございました!」
落ちた木刀を掴んで、逃げるようにしてその場を去っていくを、成笙は頷きながら見ていた。
「逃げてしまいましたよ」
傍観していた旅帥が成笙の許へと歩み寄り、の消えた方角を見て言った。
「またその内、不意打ちに戻ってくるだろう」
「でも何故です?」
「何故とは?」
「一本取るなどと…私達でも難しい事を、新参のには無理でしょう。筋は良いとは思いますが、まだこれから学ばねばならぬ事のほうが多いでしょうし、当分一本は無理だと思われるのですが」
「だからこそ不意打ちを許している」
「その不意打ちですが…あまり褒められた行為ではないでしょうに。それを新参に教えると言うのですか?」
「では聞くが、妖魔が礼をとってから攻撃してくるか?人間よりも力が弱いと思うか?相手がいつも人間とは限らんだろう」
「それは…確かにその通りでございます。出すぎた事を申しました」
「いや」
そう言って口を閉ざした成笙を、旅帥はただ見つめていたが、しばらくして再度問いかける。
「それにしても、何故そのような事になったのですか?」
何故一本取るなどと言う話になったのか、禁軍に経緯を知る者はいなかった。
気がつけばいつの間にか、が一本取ろうと奔走していたのだ。
「まあ、一種の賭け事だな。何か欲しい物があるのだとか」
「欲しいもの、ですか?」
「それをくれと言うのだが…一本取らねば何かは言えないのだそうだ」
それに付き合っているのだと言う将軍に、旅帥は酔狂なと呟きかけて、慌ててそれを呑み込んだ。
「殺気などではないのに…」
は成笙の目が届かない所まできて、ようやくそう呟いていた。
「柔よく剛を制すか…。相手の力を利用して…?」
ぶつぶつ言いながら、は夏官府に向かっていた。
「お、じゃねーか!」
呼びかけられた声に立ち止まったは、その人物に目を向ける。
「台輔…何故こんな所に?」
王師としては今年で五年目を迎えた。
元は首都州師であった。
靖州師中軍に於いて両司馬に昇格した頃、同じ中軍の師帥と折り合いが合わずにいた。どうしようかと悩んでいた所を、偶然にも成笙に拾われて禁軍の左軍に移動となった。
その頃まだ成笙は大僕であったが、前王に投獄されるまで将軍を勤めていた左軍の中には、いまだ成笙を慕う者が多数残っており、の移動は本人にとっては意外にも簡単に行われた。
一連の事情を州候として気に留めていたのか、移動を言い渡されたのは宰輔からだった。移動した後も気なっていたらしく、よく声をかけられる。
「ま、深く追求すんな。それよりも一本取れたか?」
六太は様々な場所に突如現れる。
それは王も同じなのだが、は宰輔と遭遇する事のほうが多かった。
声をかけてくれるから、そのように感じていただけかもしれないが。
「いえ…台輔までご存知なのですか?」
「有名だからな」
にっと笑って言う宰輔に、は不思議そうな眼差しを向けた。
「有名なのですか?」
「そりゃあな。一年も続けていれば、おのずと噂ぐらい入ってくるだろう?それにしても飽きないのな。一年もの間、一本も取れないで嫌になったりしねえの?」
六太がそう言うと、目に見えて落胆した様子を見せたは、大きなため息を吐き出した。
「気にしている事をはっきりと仰るのですね…」
「あ、いや。そんな意味じゃなくってさ。褒めてるんだよ!」
がっくりと落ちた肩を慌てて叩き、気遣うように言う。
「褒められたように聞こえませんでしたが…」
「そ、そうか?えっと…その…そうだ!不意をつくといいと思うぞ。ま、なんだ。頑張れ!」
誤魔化すように笑って、そそくさと行ってしまう六太を見ながら、再び大きな息を吐いた。
|