ドリーム小説




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襦裙と木刀


=3=



後日、約束を果たすべく、成笙は路門に向かっていた。

官衣を着るわけにも行かず、簡素な袍に身を包んで歩いていると、路門が見えてくる。

はまだ来ていないようだった。

門から少し離れた位置で、壁に背を預けて待つことにした成笙は、一人の女官が歩いて来るのに気がつく。

ふと目をやった先に、浅葱色の襦裙が見える。

「では参りましょうか」

女官はそう言って成笙の前で立ち止まる。

成笙は驚いて目を見開き、その女官を見ていた。

それはまぎれもなくだった。

だが、印象がまったく違う。

髪は丁寧に結い上げられ、唇にはうっすらと紅がさされている。

襦裙の裾をたおやかに靡かせ、清楚な感じに身を包んでいた。

「将軍?」

「あ…すまない。それで?何をすればいいのだ?」

「関弓に降りたいんです」

「降りて何を?」

「街を散策して、お茶を飲んで、買い物をして、とか。他愛もない事です。嫌ですか?」

「嫌も何も、約束したのだからな」

「いくら約束でも、嫌がる事を強要するような事は、したくないんですけど…」

「嫌ではない。が、そんな事でいいのか?」

「はい」

ぱあっと微笑んだは、成笙の手を取って門を潜る。

下山しながら、成笙は握られた手をそのままに、若干の動揺を必死に隠していた。

まったく読めないその心理に、どう対処してよいのやら、皆目検討がつかない。

やがて五つの門を潜り終えた二人は、広がる関弓の街に居た。

随分と活気が戻ったと思いながら、成笙は辺りを見回していた。

「将軍、あっちに行きましょう」

ぐいぐい引っ張られた成笙は、足をそちらに向けながらに言う。

「将軍と呼ぶのは少し拙くないか?街に紛れたいのなら…」

「じゃあ、成笙さま。あっちに新しい店が出たんですよ」

「よく来るのか?」

「さほどは。今日の為に調べていましたからね」

「調べていた?」

「ええ、楽しみましょうね」

にこりと笑った顔に、成笙は心音が跳ねるのを聞いた。

今まで女として意識した事はなかったと言うのに。

普段は着ない襦裙のせいだろうか。

それとも、一本取るためにつかれた嘘のせいだろうか。

いずれにしろ、何やら悔しい感じは残る。

見事にやられたような、そんな感じが拭えない。

戸惑う成笙の手を引きながら、ずんずんと街を歩く

時折店に入っては、簪や織物を見て堪能している。

その姿は武人らしくなかったが、成笙は何とはなしに、それもいいと感じていた。

「何だ?気に入ったのか?」

綾を織り込んだ絹を手に持っていたは、はにかんだ様に言う。

「あ…いえ。ただ、綺麗だなと思って」

「そうか」

成笙は短く返すと、店主に歩み寄って耳打ちした。

それに気づかぬの周りは、いつの間にか店員が取り囲んでいた。

「あ、ごめんなさい」

慌てて絹から手を離すの体を、店員たちは計るように触っている。

何事だろうかと思っている内にそれは終わり、は変な店だと思いながら、成笙の待つ場所へと戻って行った。

「ちょっと隣を覗いてみないか?」

「隣はさっき行ったでしょう?」

首を傾げて言うに、成笙はただ無言で微笑み、その手を引き始めた。

隣の店に移動した成笙は、先ほどが眺めていた簪を手にとって見ている。

細工をよく見ようとしているのだろうか、かなり顔を近付けて眺めていた。

「その簪がどうかしましたか?」

「これは、綺麗な細工だな」

「そうですね、とても素晴らしい物だと思います」

「では…」

成笙は簪を手にして奥へと消える。

ややして、小さな紙袋を手に戻ってくる。

「待たせたな」

「いっこうに。買ったんですか?」

それにも答えず、再び手を引く成笙。

そのまま街をぶらぶらと歩いて、適当に時間を潰していた成笙は、思い出したように紙袋を開けた。

きらりと反射したそれを眺めていた成笙は、に向き直ってその頭上に手を伸ばす。

僅かな感触を伴って、結われた髪に簪がささる。

「これは…」

「やはり似合うな」

「ひょっとして、私に買ってくれたんですか?」

「簪は嫌いか?」

「い、いえ…でも…似合いませんから」

「今、似合うと言っただろう?」

「本当にそう思います?」

ゆっくりと頷かれた顔を認めて、は嬉しい気持ちに包まれたが、同時に気恥ずかしいような気持ちも生まれていた。

上機嫌で歩く襦裙の女を、成笙は微笑ましく見守っている。

やがて黄昏が降り始める頃になると、歩きつかれたのか、の歩調はその速度を弱めていた。

それには気がつかずに歩いている、の前方から声がかかる。

、こっちだ」

ふと気がつくと、いつの間にか成笙は前にいた。

ずっと後方にいるのだと思っていたのだが、成笙は前方に立ち、が追いつくのを待っている。

追いつくとそっと手が握られ、は引かれるままに歩いた。

やがて、一度入った店に着く。

が絹を見ていた店だった。

「お待ちしておりました。同じ絹で作った物でございます。きっとお似合いですよ」

にこりと笑った店主は、に目を向けていた。

何を言われているのか理解できなかったは、先ほど見ていた絹と同じ色の襦裙を手渡される。

「さ、こちらへどうぞ」

奥に連れて行かれて、それを着るように言われる。

「え…でもこれって売り物でしょう?」

「先ほどお連れ様がお買い上げに。ささ、どうぞ」

それだけを言い残して消えてしまった店主。

は戸惑いながらも袖を通す。

さらりとした心地よい感触が身を包む。

着終わった頃になると、店主は戻ってきてを見て頷いた。

「とても良くお似合いですよ」

「そ、そうですか?」

綾の織物は酷く滑稽に見えはしないだろうか。

色鮮やかなものなど、着る機会もないにとっては慣れない色合いだった。

半ば恐ろしい思いを抱えながら、成笙の許へと戻って行く。

しかし反応を見るのが怖くて、その表情を伺う事が出来ないでいた。

結局顔を見られないままに店を後にし、は顔を俯かせて歩いていた。

「そろそろ戻るか?」

そう言われて、はっと顔を上げる。

「やっと顔を上げたな。気に入らなかったか?」

は慌てて首を振って言った。

「とても嬉しいです。ありがとうございます。でも…私にはもったいない…しとやかな女なら似合ったのだと思うのですが…」

少し寂しそうに言うに対し、成笙はそんな事はないと断言した。

「だって…いつも木刀を振り回しているのにですよ?」

は禁軍にいるのが嫌か?」

「そんな訳、ないじゃないですか」

「では軍に所属する自分は嫌いか?」

「嫌いじゃないですけど…」

「しとやかになりたいのか?」

「それも、何やら違うような…」

どう言って説明すれば良いのか、は考えあぐねていた。

すると成笙がぽつりと漏らす。

「綾の絹もに負けてしまって、色褪せて見えるほどだな」

「え?」

驚いて見上げた先に、成笙の顔はなかった。

瞬時に後ろを向いたのだろう。

背だけがを見つめている。

「それは、どうゆう意味ですか?」

「綾の絹よりも、は綺麗だと」

一度そこで言を切った成笙は、振り返ってを見る。

軽く開かれた瞳に、動揺がはっきりと読み取れた。

それを確認してか、にやりと笑った成笙。

はからかわれた事に気がついたが、頬に黄昏を映しながら言った。

「酷い冗談です」

「そうか?」

「そうですよ。酷いです、とっても」

「何しろ好きだと言って一本取られたのだからな。これくらいの報復は覚悟しての事だろう?」

では、仕返しと言う訳だったのだ。

わざわざ簪と襦裙を買ってまでして、報復するほど悔しかったのだろうか…。

いや、それよりも…

「本当に、酷い…」

うっかりとそれに嵌って、喜びそうになった自分がこの上なく恨めしい。

?」

呼ばれても顔を上げることなど、今のには不可能な事だった。

往来の真っ只中に立ち止まってしまった二人は、押し黙ったまま時が過ぎて行くのを感じていた。

やがて黄昏はその姿を潜め、街は夜の灯火を揺らせていた。

ふいに手に感触を感じた

引かれるままに歩き出したが、相変わらず顔は伏せたままだった。

しばらくして、成笙の声が響く。

「言っておくが、俺は冗談を言う趣味はないからな」

それから、と言い置いてさらに声を発する成笙。

「丸一日という約束だったな。まだ時間はあるが、どうしたい?」

俯いたままのは、それに小さく答えた。

「ご迷惑をおかけしました。もう、ここでいいです」

「欲しい物は手に入ったか?」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。私は成笙さまの時間を下さいと言いました。だから、もう充分です」

「こんなものでいいのか?本当は欲しいものが他にあったんじゃないのか?」

言われたは少し目を開いて足元を見ていた。

何が欲しいのかを隠して、一緒に街に来たのだと思ったのだろうか。

遠慮と取られたのか。

だから色々買ってくれたのだろうか。

「本当に欲しいものは…」

は言いかけた声を呑み込んで、語尾を弱めていった。

とても言える様な心境ではない。

惨めだと思う。

慣れない襦裙に、そぐわない簪。

着飾る事など滅多にないのだから、見慣れないのは当然だが、こんなにも惨めな気分になるのだとは思ってもいなかった。

軽口に敏感な反応を見せ、些細な仕草が苦しくなる。

こんな筈ではなかった…。

もっと楽しい一日になる予定であったと言うのに。

。一年も頑張って来て、本当に欲しいものを言わないのか?」

「ちょっと、卑怯だったかなって…思いますので」

「関係ないと言っただろう?」

「…」

?」

「言えません…」

こんな心境では。

成笙が好きなのだとは、とても言えない。

もっと襦裙が似合う容姿を持っていれば。

あるいはもっと素直であれば、言えたかもしれないが。

「言いたくないか…襦裙でも簪でもないのは分かっていたが…」

気遣わせた事を感じ取り、は慌てて言う。

「嬉しかったんですよ、とても。でも…やっぱり私には似合わない」

「似合うと言っただろう?自分が見慣れないからといって、人の目までもが同じだとは限らないだろう。いつもの自然な感じも健康的で良いが、襦裙姿のもとても良い。だから…」

成笙はに目を向ける。

相変わらず俯いたままのは、無言になった成笙を気にしている。

だがそれは気配だけで、視線は足先に集中しているようだった。

「顔を上げないか」

はそのまま首を横に振った。

悪気はなくとも、もう一度笑われたり、からかわれたりすれば、もう泣いてしまうかもしれない。

そう思うと顔を上げようなどと、まったくもって無理な話だった。

「俺に言われても嬉しくないか…」

ふっと吐かれたため息は、の前髪を掠めて闇に解ける。

嬉しくないはずがない。

それが真実、成笙の思っている事ならば。

冗談や偽りではなく、本心であるのなら、これ以上の喜びはないだろう。

「お気遣いなく…私は武人ですから、襦裙や簪が似合わなくても気にしてません。将…成笙さまに一本取れたのですから、それを糧に精進するのみです」

「気遣っている訳ではないんだが…似合うと思ったから簪を贈ったのだし、襦裙ももっと着て欲しいと思った。だから是非を問わずに無理に渡したのだが…気にいらないのなら、返してくれても構わないぞ」

「気にいらないなんて!」

勢いよく顔を上げてはそう叫んだ。

「やっと顔を見せたな」

はっと気がついたは、慌てて顔を伏せようとした。

だが何かに引っかかって、顔を下に向けることが出来ない。

確認するまでもなく、それを阻止していたのは成笙の手だったが、頬に黄昏を呼び戻したは、どうしていいのか分からないまま固まっている。

ただ、うろうろと目だけが動いていた。

「ひ、人が…」

「誰もいない」

その言でようやく辺りの様子に気がつく。

明かりは何処にもなく、喧騒もない。

行きかう人もいない事にようやく気がついた。

少し開けた閑地のような場所にいたのだった。

「本当に欲しいものを言ってみろ。何のために一年も頑張って来たんだ?」

「何故それほどまでにお聞きになるんです?成笙さまのお時間を下さいと、そう言ったではないですか…」

「では、本当にそれが欲しいものだと言うんだな?」

確認するその顔には、何処にもふざけた様子がない。

もちろんからかうようでも、軽蔑している様子もない。

真実が知りたいのだと、瞳が訴えている。

闇夜に溶け込みそうになっている成笙を見ながら、は小さく、しかし確実に頷いた。

「それは何故かと聞くのは…酷な事だろうか?」

「はい…」

すっと成笙の手が離れて、の顔は解放された。

「許せよ」

成笙はそう呟いて、の背後に向かう。

は俯いていくと同時に感じていた。

一つの区切りがついたと。

淡く抱いていた恋もこれで終わった。

一年間追い続けた人物は、その思いを受け取り、その上で返されたのだと思った。

でも、今日は思い出をくれた。

それは駆け引きで勝ち取ったものではあったが、元より承知の事だったのだから後悔はしまい。

だが、今だけは泣いても許されるだろうか?

あっけなく幕を閉じた恋を、弔って泣く事ぐらいは許されるだろうか?

気使わせるのを嫌うのなら、泣くべきではない。

心の根底ではそう思っているのに、涙は表面上に現れた意思を尊重して、独りでに溢れていた。

なんとか声を押し殺そうと、が唇を噛んだその瞬間。

強く後ろから抱きすくめられる。

背後に気配はあったのに、それが動いたのにはまるで気がつかなかった。

それが自失しているせいなのか、成笙の将軍たる所以(ゆえん)なのかは判断出来ないが、あまりの行動に涙は止まっていた。

「誤解であるのなら、許せよ。都合の良い様に解釈したからな」

締め付けられるような感触に、は何と形容して良いのか分からなかった。

しかし戸惑うを無視して、ますます成笙の腕に力が篭められる。

褐色の肌と、綾を織り込んだ絹だけが目に映り、ただ包まれるだけのの心中にも、綾が織り込まれていく。

「綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)だな。武人にしておくのが勿体無い」

跳ねる心音を押さえ込んで、はそろりと問う。

「それは…武人には向かないと言う事ですか?」

「いや。そうではないが…。着飾ったは閉じ込めたくなる。こうして腕の中に、いつまでも」

押さえ込もうとしても、もはや心音は大きく鳴り響き、その体までをも揺さぶっている。

気づかれまいかと心配する余裕すら、今のにはなかった。

「将軍…」

「一本取られた時…好きだと言ったのが、その為だけだと思った時には少し憤慨したが、そうではないのだな?そう…誤解したのだが?」

「誤解じゃない…。少しでも気に留めてもらいたくて、勝負を挑んで行ったんですから。あの時の言葉に、嘘なんてないんです。本当は今日、言うつもりだったんですけど…他に何も思いつかなかったから。だって、将軍の気配だけで、私の心は揺れるんですから…気配を消すことなんて、無理なんです。無理なら正面からぶつかるしかないのに、正面から向かって敵うわけないし、苦肉の策でした…でも、作戦に便乗しなければ言えなかったと思います」

。今まで気がついてやれなくてすまない」

「そんな。どうして謝るんですか?」

「俺も同じ気持ちでいたからだ。一本取られるまで、自分の感情にすら気がついていなかったんだからな」

「それは…本当に?本当の事を言っています?冗談ではなくて?」

「冗談は言わんと、先ほど教えたように思うが?」

は抱きしめられている成笙の腕をぎゅっと掴んで、その言葉を噛みしめた。

胸中は相変わらず大騒ぎだったが、もう、それもどうでもいいように思えた。

後ろから顎を引き上げられ、口付けが落とされると、それは飛んで弾けてしまいそうになる。

「俺の完敗だな」

ぽつりと呟かれた言に、の顔が上がる。

すっと腕が解かれて、体が少し前へと出るが、それはすぐに引き寄せられて、再び成笙の腕の中に帰ってくる。

先ほどと違うのは体の向きだけだった。

正面に成笙の顔がある。

は気恥ずかしく思いながらも、その顔を見上げていた。

「どうゆう意味ですか?」

何に対して完敗なのだろうか。

煩いほど胸が騒いでいるのは、自分のほうなのにと、は思って聞いた。

「今日のような格好で来られると…どうにも太刀打ち出来ない。俺は自分が女に対して、物を贈るような人間だとは思ってなかったんだが…」

困ったように言って、成笙はの頭を軽くたたく。

「あの…本当に変じゃないですか?見慣れないと思いませんか?」

「見慣れてはいないが、似合っていると思う…その…目が奪われるとは、この事なんだろうな」

そっとの手を取って、自分の胸に引き寄せる。

掌から伝わる成笙の鼓動は、と同じような速度で鳴っていた。

「早い…将軍が?まさか…」

小さく言ったのだが、近距離であった成笙に聞こえないはずがない。

それを誤魔化すように、再び顎が持ち上げられる。

解けてしまいそうな口付けを受け、は体を成笙に預けた。

お互いの鼓動が早鐘を打っていたが、それと同時に深い幸福感が押し寄せていた。

「夢みたい…。でも、夢でもいい。今日が終わるまで、将軍の時間は私のものですもんね」

「そうだな」

軽く笑った表情を見せ、成笙はの手を引いて、関弓山へと向かって歩き出す。

帰ってしまっても一緒にいてくれるのだろうかと、まだ危惧するは何も知らなかった。

今日が終わるまでは絶対に離さないと誓った、成笙の心の内など。

街の明かりを背に、二つの影は国府へと消えて行った。








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続けてupしてみました。

でも他が止まっていますね☆

いかがでしたでしょうか?

                       美耶子