ドリーム小説
Welcome to Adobe GoLive 5
榴醒伝説 =1=
和州の乱から数日が経過した朝、は三名の人物を送り出した所だった。
まだ暗い朝の寒気の中、身を竦めるようにして館第に入ったは、大きな息を吐く。
「さま、朝餉の用意が整っております。どうぞ召し上がって下さい」
「ありがとう。瀞織はもう食べたの?まだなら一緒に…」
「とんでもございません。私などが相伴にあずかるなど」
「もう、まだそんな事を言うのね。いいわ、一人寂しく食べますとも」
少しいじけた風を見せて言っただったが、ふと顔を上げて瀞織(じょうか)を見た。
「後で、皆を集めてもらえるかしら。もちろん全員が起き出して、朝餉が終わってからでいいわ」
「はい。かしこまりました。あの、全員でしょうか?」
「ええ、男女問わずよ」
瀞織は再度了承の意を伝え、その場を退がった。
それを見ながら、は朝餉の席に着く。
食べながら、南の方角を見る。
だが、そこには白い壁が立ちふさがっており、何も見えなかった。
それでも、はじっと壁を見つめていた。
壁のはるか先にある、首都へと思いを馳せる。
浩瀚、柴望、桓タイの三名は、首都堯天へと向かっている。
人道に篤いと目されている、麦州候を排除しようと画策した人間が、まだ宮中に残っているだろう。
冢宰、和州候、禁軍将軍へと任じられる為、金波宮へと向かった三者。
州司徒であったも、太宰の任を授かる予定なので、来いと言われたのだが、それに同行するのは辞退した。
あまりにも突然と麦州の者が多くなるし、後日、冢宰に任命された浩瀚から、改めて任じられたほうが良いと判断しての事だった。
それに、にはまだ仕事が残っている。
それを仕上げない事には、ここを引き払う事も出来ない。
早朝の朝餉を終えたは、瀞織に見つからないように注意し、厨房に行って食べ終わった物を片付けた。
自室に戻り、荷物の整理を始める。
日が昇り、明るくなって、館第の目覚める音を聞く。
外には冷風が吹きつけているが、柔らかな日差しからくる印象は、穏やかな朝だった。
やがてざわざわと音がしだし、瀞織の足音を確認したは、呼ばれる前に自室を出る。瀞織に連れられて、召集された者達が待ち受けている正房(おもや)へと移動する。
何事かと問いたげな面々を見ながら、は微笑を浮かべた。
「浩瀚様、柴望様、青辛の三名が、今朝、こちらを発ちました。内、浩瀚様と青辛は金波宮へ、柴望様は和州城へと上がります。それに伴って、こちらを引き払う事になりました」
いずれ訪れるだろうと予測されていた離散は、それでも多少の動揺を伴って、うなる音を上げていた。
「私も金波宮へと上がります。そこで、皆様に一つ、提案がございます」
提案、と口々に呟く声が響いている。
「浩瀚様や柴望様と相談して決めた事なのですが…」
そう言っては一人一人の顔を、確認するように見て行った。
優しげな表情から打って変わって、上に立つ者の威厳を取り戻していた。
「大きく二つの組に分かれる事が出来ましょう。まず一つ目に、麦州師から護衛のために此方に来た者、前へ」
言われた者達は、多少不安げに前に出る。
「私から言い渡す事はありません。あなた方を束ねるのは、私ではありませんから。青からの指示をお待ちなさい」
その場が一瞬のうちにざわっとなったが、それを止めるためには声を張った。
「次に、今から名を上げる者、前へ」
そう言って、は一人一人の名を呼んだ。
呼ばれた者は総勢二十余名。
「帰る家があるのにも関わらず、よくここまで助けてくれました。感謝します。慶は復興に向けて、確実に歩いて行くでしょう。夫や両親の元に、心置きなくお帰りなさい。もし、家を捨てたいと言うのなら、ここに留まっても構いませんが、どうなさいますか?」
二十名の中からは何の返答もなく、その顔に郷里への想いが浮かんでいるのを見つける。
「偶然にも、皆麦州ですね。まだ名を呼んでいない者の中からも、数名麦州に戻るはずですから、一緒に旅立ちなさい。そして、必ず無事に帰還すると、約束して下さいますね?」
二十余名は一声になり、返答をした。
それに満足して、は残った者を振り返る。
「残りの者は、それぞれ、麦州、和州、金波宮へと来て頂きます。もちろん不満があるならお聞きします」
そう言って、はまた名を連ねる。
「あなた方は麦州にて、州城での登用が決りました。もし、嫌でなければ、の話ですが」
名を上げられた者は、全て麦州の出身で、その中でも取り分け麦州に愛着を持った者ばかりだった。
不満が上がるはずもなく、は次の数名を呼ぶ。
「あなた方は、和州城でのお勤めです」
これには、多少の不満が上がった。
「和州候は柴望様に変わります。他州で大変な思いをされる柴望様を、助けていただきたいのです」
そう言われた者は、瞬く間に不満を消した。
そして最後に残った数名には、金波宮だと告げた。
に添って来た者達ばかりなので、これに対し不満が上がるはずもなく、その中に含まれる瀞織も、嬉しそうな顔をしていた。
「ですが、金波宮はまだ、予王の時代の官吏が多数残っております。危険な事もあるかもしれません。それでも構いませんか?」
口々に構わないと言う声が投げかけられる。
「瀞織」
名を呼ばれて、はい、と前へ出た瀞織は、少し緊張した面持ちだった。
「瀞織達には冢宰の官邸で務めて頂きたいのです。浩瀚様の身の回りを、信頼出来る方にお任せしたいのです」
感極まったのか、瀞織は涙ぐんでお任せ下さいと言った。
「まだ、どんな所に危険が潜んでいるのか、判らないと言った所だと思います。主上のお世話をお任せしたいのですが、それにはまず、金波宮の事を知らねばなりません。もちろん宮城ですから、礼儀なども学んでいかなければならないでしょう。それでも、構いませんか?」
「頑張ります!」
こちらも一声に答え、は頷いて、頼みますと頭を下げる。
それを見て、慌てた者にお止めくださいと言われ、はやっと頭を上げた。
「最後に、これについて不満がある者。不満とまでは行かなくとも、不安を抱える者はおりますか?」
そう問いかけると、おずおずと手が上がる。
その手は州師の一人が挙げたものだった。
「どうぞ。不安ですか?」
「いえ、あの…。実は…」
言いにくそうにしているその者を、は不思議そうに見やる。
「実は、俺…その…」
あっ、と小さく声がして、瀞織の耳打ちが入る。
「あの者は、賄いの者と最近、将来を誓いあったとかで…」
まあ、とは声を上げて、はっと口を噤んだ。
ややして、はその者に声をかける。
「希望を聞いておいても良いでしょうか?麦州に帰りたいのですか?」
「は…あの…でも」
「もう、はっきり言いなさいよ!」
冢宰の官邸を任せた者の中から、じれったそうな声が上がる。
「あんたが何も言わないなら、あたし知らないから!」
「だ、だって、お前。もし、将軍が麦州に戻れって言ったら、お前とは離れてしまうんだぞ」
「ふんっ!距離なんて、愛し合っていれば関係ないじゃないの!どうしても会いたかったら、頑張って王師に入れば!?」
その痴話喧嘩に、しばし唖然となっていただったが、忍び笑いが漏れている事に気がつき、二人を止めに入った。
「もし、彼が麦州に戻るとなり、離れたくなければ、貴女も戻ってもいいのですよ?」
そう言われた女は、慌てて首を振った。
「様のお役に立てないなら、あたしは麦州になど戻りたくありません!」
「ありがとう。では、彼が王師に居れば問題ないのね?」
「そ、それはそうですが…」
「駄目よ、変な遠慮をしていては。折角の好機ですもの。利用しなくてはね」
そう言って方目を閉じて、は女に言った。
「青に言っておきますから。彼はきっと、王師で頑張ってくれるでしょう」
「あ、ありがとうございます!」
二つの声が、重なるようにして礼を言った。
「礼などよいのです。王師もまだまだ人が足りないはず。元々軍にいた者なら重宝されるでしょう。大変ですが、頑張って下さいね」
それから二〜三の移動を含め、その場は離散した。
それぞれが、荷物も纏めるために散っていく。
その日の夜、戻ってきたのは桓タイだけだった。
麾下の者を召集し、それぞれに希望を聞く。
殆どの者が、王師へと入る事を決意した。
旅帥であった者でも、両司馬や伍長等になると聞かされたが、それでも王師ともなればそのようなものだろうと、誰からも不満は漏れなかった。
二人になると、桓タイはに説明をする。
「まだ軍の中には侠客などが半数を占める。それを一から教育していくには、それぞれに散っていかなければならない。大変だろうが、頑張ってもらわなければ」
そう言って、力なく笑う。
「どうしたの?」
「思った以上に大変そうだ。官邸を貰っても、戻る時間があるのかどうか…かなり怪しい」
深く溜め息をつく桓タイに、は笑って手を取った。
「浩瀚様の官邸には、信頼出来る方々にお任せできそうだわ。将軍の官邸にも、数名向かってもらうのだし、留守はしっかりと、守ってくれるわ」
「太宰の官邸には?」
「私の所にはいらないの。以前から居る人を覚えなきゃいけないし」
「そうか…の得意なやり方だな。だが…天官はなかなか大変と見たぞ。一に天官、二に夏官と言っても過言ではない。海客だと言うのは、やはり言わない方がいいだろうな」
「ええ、覚えておくわ。私ね、少しぐらい逢えなくても我慢するわ。だから、慶のために…主上のために、頑張りましょう」
そう言われて、桓タイは溜め息をつく。
「…本当に、お前って…」
「?」
「寂しがってもいいんだぞ?我慢強いと言うか…何と言うか」
「あら、だって桓タイは近くにいるんでしょう?それなら、ちっとも寂しくないわ。州城の時のように、避けられる訳でもないし、乱の時のように遠くもない。榴醒の珠飾りもあるのだし…」
はそう言って、首から下げた珠飾りを持ち上げる。
きらりと瞬いたそれを、桓タイは目を細めて見た。
「でもね、一番頑張りそうなって桓タイだと思うの」
そう言っては、桓タイの体に腕を絡ませる。
「絶対に無理して、一日中詰所にいそう…あんまり、無理をしないでね?」
自分の事は棚にあげて、と桓タイは思ったが、見上げられたに何も言えるはずもなく、大人しく頷くに留まった。
頭を撫でてやると、頬を染めて下を向く。
それがなお、かわいく思えて堪らない。
「。俺以外に、そんな顔見せるなよ?」
そう言って、口付ける。
真っ赤になったは、何も言えずにただ頷いた。
|