翌日、は陽子の許へと向かっていた。「ああ、肩が凝る…」ごきっと鈍い音を立てて、陽子は首を回している最中だった。「しゅ、主上…凄い音ですわね…」「あ…」知らぬ間に入って来て、それを観察していたに、陽子は頬を染めていた。「洋服とは違いますものね」そう言うに、陽子はまったくだと言って腕を組む。「大体こちらの服は重いんだ。刺繍やら飾りやらで。頭も首も何かつけようものなら、もう大変な事になる。なにしろ石を削った物が多から…」「あら。着飾るのはお嫌いですか?」「そうゆう事ではないが…」「国の威信などは関係なく、お好きな格好をなされば良いとは思いますが…さすがにそうは参りませんものね。私も慣れるのに時間がかかりましたから、強くは言えないのですが…」「へえ、でもそうだったんだ?」「それはそうですわ。主上よりは年長ですが、私も洋服でしたからね」「ああ、そうか。何なんだか懐かしいな」陽子は彼方を見つめるかのような瞳を、窓に向けて言った。虚海の果てにあると言われている故国。もまた、同じく窓を見つめる。「ええ…本当に。ですが後一年もすれば、私はこちらに来て二十年になります。そうすれば蓬莱よりも、長くこちらにいる事になりますわ」「そうか、私も後一年程で二十歳になる。蓬莱にいたなら、成人式にでも行ったのだろうな」「そうですか、お生まれになっ…」ふとの口が止まる。陽子も何かに気がついたように、息を呑んだ。「ひょっとして…がここに流れた時の蝕は、私を運んだ蝕?」「時期は一致いたしますね…ですが…」はそう言ったきり、口を閉ざしてしまった。陽子もまた、何も言えない。様々な思いが、お互いの脳裏を駆け巡っている。やがて口を開いたのは、陽子だった。「…すまない」ぽつりと呟かれて、は目を見開く。「何故主上が謝るのです?」「その…入れ替わってしまったようなので…私が流れなければ、は蝕に会わずに済んだのかもしれな…」「主上」語調を強く言われ、陽子は口を閉ざした。「それを言うのなら、逆もまたしかり。私がこちらに来なければ、主上はこちらで成長しておりました。読み書きに苦労なさる事もなく、登極に骨を折る必要もなかったでしょう。ですが、それは言っても詮無いこと…蝕は自然の物です。天の摂理ですらない、予測不可能な事です。それを、ご自分のせいになさってはいけません」「それは…そうだが…」「それに、もし主上が蝕を起こして、私をこちらに連れて来たのだとすれば…私は主上にお礼を申し上げなければ」「礼?」「はい。桓タイと巡り逢わせてくれました。私は桓タイと出逢うことが出来て幸せです。蓬莱に戻る事など、考えられません」「そうか…」「それに…、すでにあちらに私の居場所はございません。私は麦州城に居場所を持ち、今は金波宮が私の居院(すまい)です。ここが、私の居場所なのです。主上がおられて、台輔がおられる。浩瀚様や桓タイがいて、みんながいる。これ以上に帰りたい所など…今の私にはございませんわ」「そうか。ありがとう」「何を仰います。私のほうこそ、ありがとうございます。今の慶には、主上のようなお方が必要なのですから。長生きして下さいませ」「はい、心がけます」「くすっ、大変よろしい」笑いあって後、は用件を思い出した。「主上。榴醒伝説についてご存知ですか?」「ああ、祥瓊から聞いた。朱旌の雑劇だと言っていたが、桓タイとの事なんだって?」「…そのようですわね。それが、慶の冬官が仕組んだ事と言うのは?」陽子は軽く笑って、知っていると言う。「何度か相談を受けていたからな」「さようでございましたか。昨日大司空がお見えになって協力の礼をと、こちらを持って参ったのです」差し出された青の榴醒石を陽子に見せ、お納め下さいと言う。「え、でもこれはが…」「私には桓タイからもらった物がありますから、これで充分なのです」そう言っては、昨日大司空から受けた説明を陽子にもする。「百年以上?それは、気の遠くなる話だな」「ええ。ですから主上に持っていてもらいたいのです」「?」「砂子長じて巌(いわお)となる、と言うでしょう?この石は成長します。蒼穹から石榴へと。巌になる訳ではありませんが、これが石榴に染まる頃、慶も赤子の色に染まっている事でしょう。国は豊かになって、民は潤う。だから、主上にはこの石と供に、この百年を乗り切って頂きたいのです。これは、その証ですわ」「そうか…ありがとう」 は太宰府へと赴き、政務に取り掛かる。すでに夕刻を回ろうかとしていた。窓から差し込む夕陽は王宮を赤銅色に縁取り、遠く見える雲海の波を金に彩っている。緩やかな漣が揺れる金の波を映し、瞬いていた。しかし、この穏やかに流れる景色とは裏腹に、民の暮らしはまだ荒波に揉まれているのだろう。そんな事を考えていると、扉が開かれる音が耳に飛び込んで来る。「」「桓タイ。もう終ったの?」「ああ。一緒に帰れるか?」「ええ。少し待っていてくれる?」「もちろん」そう言って桓タイは窓際に移動して、外を眺めていた。は急いで手元の書面を片付けて仕事を終えた。書卓の上を整理して、桓タイの横に行く。波を見つめる桓タイの横に並び、同じように波を見つめていた。そして、誰に言うともないような声で呟いた。「まだ…三年なのよね」桓タイは外に目を向けたまま、そっとを引き寄せて答えた。「そうだな」赤楽三年、秋。金波宮はその名を反映するかの如く、夕陽を受けて金に輝いている。「ここが、私の居場所なのね」肩に置かれた桓タイの手に、自らの手を重ねて言った。赤楽百年を目指して、ゆっくりと進んで行けばいい。「桓タイと供に、この国を支えて行けたら…私は幸せよ。まずは百年を乗り切らなくてはね」「そうだな。石は、もうお渡ししたのか?」「ええ。主上には何としても乗り切っていただかないとね」「ああ」夕陽を頬に受けながら、二人の人影は寄り添っていく。これからも問題は幾多にも現れるのだろう。今でも山積しているのだから。しかし、思い浮かべると多くの顔が浮かんでくる。だからきっと、大丈夫だろうとは思う。みんなで歩いていけば良い。金の未来に向けて。
完
流されて何も知らなかった彼女が、
官吏として成長していくような姿を書いてみたくなったのです。
(それが再現出来ているかは触れないで…)
ですので、余り甘くないお話だったかもしれません。
友情や同志愛に近いので☆そんな榴醒でした!
最後までお付き合い頂いて、ありがとうございました。
美耶子