ドリーム小説
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榴醒伝説 =9=
どれくらいの時間が経過したのか、はふいに目が覚める。
まだ包まれたままの腕に安堵し、そっとその腕に手をのせた。
「桓タイ」
「起きたか」
すぐに返ってきた返事に、眠っていない事を知る。
「桓タイ…ありがとう。それから、ごめんなさい」
喉はさほど異常を訴えず、少し掠れはするものの、通常に話す事に支障はないようだった。
「謝らなくてもいい」
「でも…」
「いい。それより、何か食べれるか?」
気遣うような優しい声。
いつもの桓タイだと思い、は体を起こす。
「少しなら」
そうか、と言って、桓タイも体を起こした。
「何か持って来るから、少しだけ離れるぞ」
そう言って臥室を後にする桓タイを、の目だけが追う。
締められた首は、中のほうが疼くようではあったが、さほど気にならない。
少しと言ったのは、精神的なところに所以する。
ややして戻ってきた桓タイは、湯菜を載せて戻ってきた。
小卓にそれを置いき、ふと何かに気付いたように笑う。
「どうしたの?」
「いや…」
二十年程前にも、こんな事があったな、と桓タイは心中で呟く。
椅子を引き寄せ、小卓に向かい合わせてを座らせる。
湯菜に手をつけたは、半分ほどを食べて限界を訴えた。
精神的な衝撃がまだ続いていたのだった。
匙を置いた所で、再び桓タイに運ばれて横になる。
「もう、大丈夫よ」
「駄目だ。今日は寝ていろ」
そう言って、の傍に腰を下ろす。
それからは、沈黙が続いた。
何から聞いていいのか判らず、は様子を伺っていた。
怒っているのだろうか?
何故桓タイが謝ったのだろう?
どうしてあまり顔を見せてくれないのか…。
やはり、怒りからだろうか?
「芳は…どうだったの?やはり、まだ寒い?」
迷った挙句に出た言葉が、それだった。
背を向けたまま、桓タイはそれに答える。
「いや。良い季節になったと、冢宰が。風は柔らかで、夜になると、の言ったように満月だった。朧月を眺めながら、恵侯とお話をさせて頂いた」
は懐かしむように話す桓タイを見上げながら、静かに耳を傾けていた。
恵州侯に持っていた親書。
国主に宛てたそれを、一州候である自分は受け取れぬとつき返され、親書は冢宰に渡ったのだと言う。
その後、恵州侯と対話をしていくと、王を弑逆した事に対し、深い罪を感じていたのだと言う。
その自分が国主の座に着くなど、出来ようもないと、そう言われたのだと桓タイは、に話して聞かせる。
「話をしていると、麦州に居た頃の事を、思い出したな…浩瀚様がそれだけはしないと言ったそれを…が恐ろしい事を、口にしてはいけないと怒った事を…恵候を見ていて、それが何故だったのか、ようやく分かったように思う」
罪を罪だと判っていなかったのだと、桓タイは笑って言った。
それを判っていてなお、敬愛する王を討ち取る道を選んだ恵州候の苦悩を思い出し、桓タイは笑みを消した。
芳は薄い月明かりを頼りに、新王登極までを生き抜かねばならない。
そう言って桓タイは思いを馳せる。
「恵候は国主の座におつきになった。芳を強く支えて下さるのだと思う。だが、芳が空位である事に変わりはない」
空位の荒廃ぶりはも知っているが、芳は慶と違って気候に恵まれていない。
その国を支えると言うのだから、それは大変な事なのだろうとは思う。
が慶に流れついた時、慶はまさに空位の時代だった。
山野に入れば、容易に妖魔と遭遇する。
桓タイに救われ、麦州に仕えて数年後、新王が立った。
予王が登極して喜んだのも束の間、僅かな年数で再び傾き始めた国。
雨が異常に降り続けたり、日照りが続いたり、疫病が蔓延したり…。
妖魔など、もはや当たり前のように遭遇した。
芳もそうなって行くのだろうか。
それを思うと寒々しい気がした。
夜になっているのだろうか。
昼間に見せていた春の陽気はその身を潜め、まだ冷たい冷気が肌の温度を下げている。
それとも、この寒い感じは、自分の心だろうか。
芳を思っての感情なのか…それとも、ずっと続いている、この場の空気のせいだろうか。
未だ横顔しか見せない桓タイを、はぼんやりと眺めていた。
すでに思考は過ぎ行く物に変化し、何も考えられない。
お互いが口を開かずに、再び沈黙が続く。
「あの頃…よくこうやってに話をしたな」
桓タイはふと顔を上げ、先程の思考を口にする。
は食事前、桓タイが何に笑ったのかがようやく判った。
「そうね。知らない事ばかりで、どの話も不思議な気がしたのを覚えているわ」
そう言われた桓タイは寂しげに笑んで、そうだな、と返す。
「横たわったに、世界の事、国の事を色々話した。なんとか傍に置いておきたくて、昇仙を勧めた。いつでも、守ってやれる所にいたかった…」
桓タイはそう言って口を閉ざす。
「また、守ってもらったわ」
その言葉に、桓タイの体がぴくりと反応する。
「それは、違う…」
否定の声に、は驚いて桓タイを見た。
「何処にも寄らずに、祥瓊と供に帰ってくればよかったんだ…麦州になど寄らず…そうすれば、あんな目に合わせずにすんだ」
その時、何故桓タイが目を合わせなかったのか、は理解した。
激しい後悔に苛まれていたのだ。
自分が危害を加えかのように、激しい後悔に身を焼いている。
堅く握られた手が、それを訴えていた。
「桓タイ…」
は桓タイを呼ぶが、やはり振り向いてはもらえない。
相変わらず、背だけがを見ている。
は這うように移動し、桓タイの背に頭を預ける。
しかし桓タイの体はを避けようと、立ち上がろうとする。
それを何とか押し留め、は背後から抱きしめた。
そして、まだ掠れる声で桓タイに語りかける。
「妖魔に襲われそうになった事を思えば、命に関わるような事じゃなかったわ。それに、桓タイの残していった痣のお陰で、何もされずに済んだのだと思うの。もし、あのままあの男の口が、体についていたらと思うと…」
桓タイはの手から自らの手を解き、振り返ってを見た。
やっと向けられた顔に微笑んで、は静かに言った。
「桓タイを好きだと言って断ったら、逆上されてしまったけど…桓タイ以外に触れられるのは耐えられないと思ったの。騙されてついて行ったのは私。勝手に危険な所に飛び込んでしまったのは私。だから、私が謝らなきゃいけないの…桓タイは助けてくれた。あのまま首を絞められて、気でも失っていたら、何をされたのか、判らないもの」
「違う…違うんだ」
桓タイはそう言ってを引き寄せた。
体にを抱きとめ、その髪に顔を埋める。
「祥瓊から聞いて、すぐに向かった。詳しい事情は判らないが、切羽詰ったような男に呼ばれて行ったと聞いた。それで、すぐに斉の官邸に向かった。前から目をつけていたんだ。先王の時代に、私腹を肥やした一人だと判っていた。その斉が、を狙っているのも知っていた。知っていてなお、さほど大事には至らないだろうと思っていた。だが、それが悔しんじゃない」
桓タイはを抱きしめながら、さらに続ける。
「斉が悪いのは判っている。判っているのに、俺は…組み敷かれていたを…責めたくなった。一番怖いのはだったのに、怒りでそれを気遣う余裕もなかった…あの場で犯して、俺の全てを刻みつけて、斉に見せ付けてやりたくなった…今も…」
「桓タイ…」
「軽蔑されるような事を言っているのは判っている。それに、を怖がらせたくはない。だが…」
言って唇を噛み締める。
桓タイは自分でもどうしていいのか判らなかった。
後悔はしている。
あんな目にあわせてしまった事を、激しく後悔している。
斉の存在を警戒しながら、ふらりと麦州へと寄った自分が口惜しい。
にもかかわらず、何故あんな危険な場所へと行ったのだと、言いたくなる自分がいる。
騙されて、連れて行かれたのは判っていても、責めたくなる。
斉の触れた所を全部、自分の色に変えてしまいたかった。
「こうやって触れていると、壊れるまで抱きしめたくなる。あの男のように、力ずくでを自分の物にしたくなる…」
こんなにも愛していたのかと、桓タイは改めて思った。
「桓タイになら…何をされてもいいわ。壊されてもいい」
「そんな事、出来るはずないだろう」
「ほら」
そう言って、は笑った。
「そう思っていても桓タイはしないのよ。私を責めないし、怒りもしない。気遣いは優しさだわ。思われているのが、とても判る。―――――でも、あまり気遣われると、少し辛い。だって、体を気遣ってか…口付けもしてくれない」
桓タイは驚いて顔を挙げ、を見た。
「私の愛しい人は、私を救ってくれたけど、口付けてはくれないの?」
「今は、駄目だ。…押さえが効かなくなる」
「押さえなくてもいいわ。桓タイを私に刻み込んで欲しいの」
「…駄目だ」
「もう大丈夫よ…ただ少し怖かっただけ。桓タイに触れていないと…怖いの。思い出しそうで…」
「触れても…いいのか?」
「駄目な訳ないじゃない…離れないでって言ったでしょう?私ね、何度か言ったと思うけど、今までで四度も死を覚悟したのよ。どんな心境で覚悟したのか、解る?」
「いや…」
「もう駄目だ、って思うの。だから覚悟なの。それって、逃げられないって諦めているのよね。もちろん、助けが来る事なんて考えていないし、頭の中は真っ白なの。ただ、なんとなく死ぬんだって事しかなくて、やだなって思うの。でも…」
は一度切って、桓タイを見た。
「今日は一度だって覚悟していないわ。諦めもしなかった。意識が少し薄れてきて、その時…榴醒石が目に映って、私は助けてって心の中で叫んでいたの。何度も桓タイの名を呼んで、助けてって…。そしたら、本当に助けてくれた」
は桓タイに手を伸ばし、両手で頬を包み込んだ。
そっと近付いて、額を合わせる。
「だから、ありがとう。それから、他の人に体を触らせて、ごめんなさい」
両頬に添えられたの手を上から包んで、桓タイは顔から引き離した。
「どこに…触れられたんだ」
怒気を押さえ込みながら、桓タイは務めて冷静に聞いた。
「腕と、肩…首筋に顔が近付いてきたけど、痣を見つけて顔は仰け反って離れたわ…変わりに手で首を締められた。後は…覚えていないわ…」
が言い終わった直後、桓タイは掴んでいた手を引き寄せ、に口付ける。
箍が外れ、激しく打ち付けるかのように、唇を襲った。
掴んだ手を離し、襟に手をかける。
容易く肌蹴た肩に唇を這わせ、腕にも口づけた。
最後に首筋に口付けた桓タイは、荒々しい自分の行為を省みて、その動きを止めた。
「すまない…」
から目を逸らし、体を解放する。
「手を…離さないで。触れていて欲しいの」
恐怖に顔が歪んでいるだろうと思っていた桓タイは、その言葉に驚いてを見る。
しかしの表情に、恐怖の色はまったくなく、ただ求めるように桓タイを見つめていた。
「そんな事を言うと…本当に止まらなくなる」
「止めないで。このまま、桓タイで染めて」
「…」
伸ばされたの手を、そっと掴む。
その心中にはもう、渦巻いた荒風は吹いていなかった。
優しく手を引いて、再び自分の中に閉じ込めると、先ほどとは違う感情が湧きあがる。燃えるようなその感情を、桓タイはなんとか押し留めていた。
後悔でも嫉妬でもないその炎は、後悔や嫉妬を持ってしても消せない程の勢いで逆巻き、桓タイを飲み込もうとしていた。
存在と言う名のその炎は、桓タイの身を焼く。
「」
頬に手を添えた桓タイは、ゆっくりとに口付ける。
焼き尽くされないように、充分と注意しながら。
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