ドリーム小説
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楓効薬 =前編=
「おーい。文張!まだかー?」
大学寮の一室で、焦(あせ)る鼠の半獣がいた。
慌てて袍をはおり、人型になる。
弓矢を背負い、飛び出すようにして表へ出た。
「おっそーい!」
まだ肩で息をする人型の楽俊に向かって、鳴賢は笑いながら言った。
謝ろうと見上げた楽俊の目に、二頭の馬が鼻息も荒く佇む。
「ほら、早く乗れよ」
「あ、うん…」
鳴賢に促されて、馬上の人となる。
「おわっ!とと…」
「まだ慣れないのか?早く慣れろよ」
ゆっくりと手綱を握り、馬を進める。
二人と2頭は街を横切り、林のあるほうへと向かっていた。
林の木を利用して、弓射の練習をするつもりだった。
「人型には慣れたか?」
「うーん。まぁ。少しはな」
「そっか」
にかっと笑い、鳴賢は馬を進める。
速足になった鳴賢に追いつこうと、楽俊も運歩を早める。
「まだまだ騎座が浅いぞ!」
追いついた瞬間にそう言われ、高くなっていた重心を下へと移動する。
「そうそう、その調子」
鳴賢に言われるままにしているつもりでも、なぜが上手くいかない。
ついには姿勢を崩し、投げ出された楽俊は、大きな尻餅をつきながら落馬した。
「い、いてぇ〜」
半分涙目になりながら、尻を摩って立ち上がる。
「ぶ、文張!早く馬!!」
叫ぶ鳴賢の指差す先に、独りでに悠々と歩き出す馬がいた。
大学からの借り物である馬を逃がすわけにはいかないと、楽俊は慌てて走りより、手綱を掴もうと手を伸ばす。
それを不快に思ったのか、馬は大きく嘶(いなな)き、駈足になった。
ざっ、と草を切り、横倒しになった古い木を飛び越える。
「きゃっ!」
草の下から小さな悲鳴が聞こえ、次の瞬間馬は、運歩を緩めた。
踵を返し、飛び越えた古木まで戻ってくる。
それを楽俊と鳴賢は不思議に思いながら、ゆっくりと距離を縮めていった。
駆け出したりすると、また馬が驚くと思ったからだ。
ゆっくり近付いていくと、古木の下から長い髪が立ち上がり、馬と向き合うようにしていた。
それは白色の衣を纏った、美しい女性だった。
その女性はゆっくりと馬の顔に片手をあて、目を覗きこんでいる。
「そう、驚いたのね」
横にまわり、毛並みを撫でている。
「あ、あの…」
楽俊は恐る恐る声を掛ける。
女性は手綱を取り、振り向いた。
「あなたの馬?」
にっこりと微笑みながら、手綱を渡す。
「え、いや。あ…はい。大学からの借り物で…。申し訳ねえ、怪我は…」
手綱を受け取りながら、楽俊は女性に見とれて言った。
「大丈夫よ。少し驚いたけど、飛び越えてくれたから。それに、この子も反省して戻ってきてくれたから」
手に持った小さな籠に、茸(きのこ)が入っている所を見てとり、彼女が何をしていたのかを知った。
「あなた、大学生?」
二人を見ながら、女性はそう問うた。
「そうです!」
馬上から鳴賢の緊張したような声がする。
振り向くと、少し赤い顔をしていた。
「お二人とも、若いのね。そんな歳で大学に入れるなんて、とても頭がいいのね」
「いや…そんな事は」
かりこりと耳の下を掻きながら、楽俊は答えた。
「それよりも、さっき馬と話していなかったか?」
「ええ。綺麗な目をしているなと思って。きっと何かに驚いたのよ。急に駆け寄ったりしなかった?」
楽俊は宙を睨みながら、自分の行動を思い返した。
「駆け寄った…す、すまねえ」
女性はくすくすと笑い、いいのよ、と言った。
「俺は鳴賢。こっちは文張。名を聞いてもいいですか?」
鳴賢が馬から飛び降り、女性に問うた。
「私はよ。ご覧の通り、茸を取っていたの」
茸に目をやった楽俊は、その異様な色に疑問を覚えた。
よくよく見てみると、食用では決してない。
むしろ、毒性のあるものまであった。
「それ…食べるのか?その青いの、食べたらお腹壊すぞ」
籠の中を指差しながら、楽俊は心配そうな声を上げた。
するとは驚いたように楽俊を見つめた。
見つめられた楽俊は少し赤面したが、見つめ返す事によって答えを促した。
「これはね、乾燥させて粉にすると龍茸菰(りゅうどくこ)と言う薬になるのよ。こっちは壮翫慈(そうがんじ)になるの。それに…」
次々に説明していくを、鳴賢はぽかんと口をあけて見ていた。
殆ど何を言っているのか、理解できないでいたからだ。
「は、瘍医なのか?」
楽俊は説明を終えたに聞いた。
「いいえ。瘍医ではないけれど、薬を売っているわ。ちゃんと知識のある人でないと、使えない薬が多いから、一般の人には売らないけれど」
鳴賢はやっと理解したように、大きく頷いた。
何かを考え込んでいた楽俊は、に問いかける。
「ひょっとして、龍茸菰はお腹の調子を整えるのに使う?」
「その通りよ。よくご存知ね」
驚いた表情のに向かって、楽俊はまた少し赤くなった。
「いや…なにかの本で読んだのを、少しだけ思い出した」
「へえ。ねえ、それって、専門書じゃない?普通の本には載ってないわよ」
その会話に、鳴賢が割って入る。
「大学の本か?こいつってすごい量の本読むんだ。呆れるくらい」
楽俊を親指で指した鳴賢は、を見ながら言った。
「いや、そんなにすごい量というほど…」
「読んでいるだろ?」
意地悪く笑う鳴賢と、照れている様子の楽俊を見ながら、は微笑んで言った。
「お二人とも、とても仲が良いのね。なんだか羨ましいわ」
「そう、かな?」
ふいに言われた言葉に、鳴賢はを見た。
「それに将来とても有望ですもの。きっと大学の人気者でしょうね」
眩しいまでの笑顔でそう言われた二人は、少し苦い顔で互いを見た。
正丁(せいじん)前に入学した鳴賢と、首席で入学した若い半獣。
目障りだと思っている学生も、少なくはない。
老師の中にも、半獣を良く思っていない人物がいる。
その中で人気者など、程遠い話だった。
「あ、ごめんなさい…。そう思ったものだから。だって、お二人供とても綺麗な目をしているのですもの」
「き、綺麗な…」
鳴賢が呟き、楽俊も習うように言った。
「あ、男性に綺麗だなんて、失礼ですよね。ごめんなさい」
慌てて言ったに、鳴賢までも慌てて構わないと言った。
「なんだか足止めをしてしまってますね。ごめんなさい。練習を続けて下さいな」
そう言っては関弓の方面へと歩きだした。
それをぼんやり見送りながら、二人はしばらく突っ立っていた。
「綺麗な人だったよな…」
夢見心地のような顔で鳴賢が言い、楽俊も頷いた。
「はっ!こんなことしてる場合じゃねえぞ!言われた通り、さ!練習、練習!」
鳴賢に追いたてられるようにして騎乗し、その日遅くまで馬の練習に明け暮れた。 後日、楽俊は鼠の姿のまま関弓の西方面へと来ていた。
先日の練習で出来た、落馬の傷に塗る薬を買いに来ていたのだった。
よく効く薬があるとの噂を頼りに、西の方角へ足を向けていたのだった。
「よく効く…かあ」
ふいにの顔が浮かんだが、一般には売らないと言っていたのを思い出し、少しがっかりしたような気がした。 どかん! 「な、なんだ!?」
何かが破裂したような音に、小さな体が飛び上がった。
辺りを見回すと、煙の昇っている一軒を見つけた。
楽俊は慌てて踵を返し、その民居に向かった。
その民居からは誰も出てくる気配はない。
それどころか、近隣からも誰も出てこない。
様子が変だと思った楽俊だったが、中の様子が心配になって民居に入っていく。
「何があったんだ?大丈夫か?」
煙のたちこめる中、ずんずんと進む。
黄色い煙に目がちくちくと痛んだが、なんとか目をしばたせて見張る。
やがて人影が見えて、その人物が倒れている事に気がついた。
「大丈夫か!?おい。しっかりしろ」
前足で、頬をぺちぺち叩く。
「う…ん」
煙の中で目が開いたのが見えたが、顔が判別できない程の濃厚な色をした煙だった。
「はっ!大変!!」
女性の声がして、楽俊の手元から起き上がるのがうっすら見える。
ばたばたと走り、ばたん、ばたん、と音がする。
やがて開かれた框窓から、煙が逃げ出すのが見え、中がはっきりしてきた。
「けほっ、けほっ!あ、あなたが助け、てくれたのね。けほっ。ありがとう」
目に染みた煙と、喉を攻撃する刺激に抗いながら、姿を現したのは、先日林で出会った人物だった。
「!」
ピンっと髭と尻尾が逆立ち、楽俊は驚いてを見た。
「あら?私をご存知?」
そう言われて、楽俊は慌てた。
なぜが半獣だと言う事を、悟られたくないと思った。
「あ、いや。その、噂を…」
「噂?変な実験をしているとか?」
は笑いながら言った。
「へ?変な実験?」
「そう。今も実験中だったの。でも失敗しちゃったわ」
そう言って何かを書き付けているを、楽俊は見つめていた。
「伴楓助(はんふうじょ)と胡麻は混ぜると危険、っと」
「伴楓助と胡麻?それは奇抜な実験だなあ」
はそう言った楽俊を見て、不思議そうに言った。
「伴楓助をご存知?」
「ああ。おいら、その伴楓助の傷薬を買いに来たんだ。ちょっと怪我しちまって」
そう言って腕を指すが、毛並みに覆われて傷が見えない。
「伴楓助の傷薬と言うと、楓効薬(ふうこうやく)ね。あなた瘍医?」
「え、いや。おいらはただの…半獣だ」
大学生だと言いかけて、半獣だと言ってしまった。
「成分を知っている人なんて、なかなかいないわよ」
そう言って訝しんだだったが、すくっと立ち上がって、飾棚へと向かった。
棚から木箱を取り出し、中から小さな壷を出す。
「ねえ、そのままじゃ何処に怪我しているか判らないわ。人型になってくれない」
「え!?いや、その、いいよ。あるなら売って欲しい」
慌てて言ったが、は微笑みながら言った。
「助けてくれたお礼よ。でも、ちょっと汚れを落としてくるわね。あ、そうだ。そこに袍子があるから、それを来て待っていてね」
そう言っては奥に消えていく。
どうしようかと迷っていたが、覚悟を決めてそれを着た。
しばらく待っていると、白い衣に着替えたがやってきて、人型になった楽俊を見て微笑んだ。
「やっぱり文張だったのね」
「判って…いたんだ…」
「なんとなくだけどね。雰囲気が似てるなって思ったの。楓効薬は傷だけじゃなく、打身にも効くのよ。あの後何回も落馬したんでしょ」
意地の悪い質問だと思ったが、事実だったので小さく頷く。
「くすっ。じゃあ、腕を出して」
言われたままに、大人しく腕を出す。
「あら…けっこう酷い傷ね。ねえ、乗る馬にちゃんと話かけているの?」
「え?馬に?」
「そうよ。馬はね、とっても繊細なの。頭もいいのよ。だから優しく接する人には、ちゃんと答えてくれるの」
「へえ…騎獣みたいだな」
「そうね。私は、能力が違うだけで、同じだと思っているわ。あら、こっちもすごい打ち身ね」
「いて!…覚えておく」
「うん。あなたならきっと大丈夫よ。あぁ!」
そう言っては大声をだして、楽俊を驚かせた。
「ど、どうし…」
「脱いで」
「へ?」
あまりの事に、目が点になった楽俊は、をまじまじと見つめた。
「あ、何か勘違いしてるでしょう?せ・な・か!背中見せて」
はっとなって慌てて背を向け、上を脱いだ。
「ああ、やっぱり」
つっと指がなぞる様に楽俊の背を這う。
一瞬ぞくっとしたが、直後それは激痛に変わる。
「いっ!!!」
「背中一面に打撲…ねえ、一体どんな落ち方したの?これは酷いわね」
冷たい薬品が塗られる感触がして、楽俊は痛みが和らいでいくのを感じた。
「ひょっとして、この辺りでよく効く薬を売っているのって、ここ?」
「ううん。三軒先よ。でも、私の薬だけどね」
「ああ、なるほど」
「そこに行くつもりだったのね。でもよかったわ。文張が来てくれて」
「近所の人は留守なのか?」
「ううん。みんなちょっとした騒音には慣れっこになっちゃって、さっきの音ぐらいじゃ誰も来ないのよ」
そんなに頻繁に…と言いそうになったのを、楽俊は慌てて引っ込めた。
「はい。終わったわよ。今日は一日人型でいてね。何箇所か布を貼ってあるから」
そう言われて、衣を整えた楽俊は、の方に向き直った。
「ありがとう。助かったよ。痛みも引いてきたし、本当によく効く薬なんだな」
感心したように言う楽俊に、は嬉しそうな微笑を向けた。
「研究の賜物です」
そう言って笑うに、楽俊も微笑んで返した。
「あ、そうだ。おいら、楽俊ってんだ」
「楽俊?文張は字?」
「いや、別字。姓名は張清だから」
「文章の文?」
「そうみたいだ」
「へえ。やっぱり楽俊はすごいのね」
「すごいことなんか、何もねえさ。まだまだ知らない事もたくさんあるし、勉強しないといけない事もたくさんある。それに、弓や馬も…まだまだ苦手だ」
少し情けないような声で言う楽俊を、は笑って見た。
「楽俊って、人間でも鼠でも変わらないわね。あ、当たり前か」
「そうか?よく驚かれるけどな」
「初めだけでしょ?だって子童かと思ったもの。鼠だと小さいから」
「よく言われる…」
「ちょっと卑怯だわ。羨ましい」
卑怯?羨ましい?
それに驚いて楽俊はを見た。
「あ…あのね。気を悪くしないでね。だって、鼠の楽俊って、とてもかわいいんだもん。でも人になると、その…とても、かっこいいと思って…」
面と向かって褒められると、これはもう照れるしかない。
赤くなるのを止められる薬があるのなら、今すぐにでも売って欲しいと思う楽俊だった。
「ご、ごめんね。かわいいだなんて言って。林では綺麗だなんて…」
「い、いや…」
お互い俯いて、しん、となった。
気恥ずかしくて、何を言っていいのか判らない。
これは気まずい、と思った楽俊は、おもむろに立ち上がり、に言った。
「そ、それじゃあ、ありがとう。そろそろ寮に戻らないと…」
そう言って出口に向かって歩き出す。
しかし、出る直前に足を止め、に向き直った。
「その…こそ、とても綺麗だ。眩しくて、直視できないくれえ綺麗だと思った。でも研究に失敗して、慌てたはちょっとかわいかった」
そう言って逃げるようにその場を去った。
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