ドリーム小説
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それから数年後、泰王は崩御した。
華美秀麗を好んだ王を持った戴は、静かに傾きを見せていた。
しかし驍宗の働きによって、よく踏みとどまっている。
今まで育てた麾下を、国の至る所に送り込み、傾きを最小に抑えていた。それが驕王の倒れる前から用意されていた事を、身近で見ていたは知っている。
そして、それを実行していく驍宗の器に、感服していたのだった。
その頃になると、は下働きではなく、官邸を切り盛りするようにまでなっていた。驍宗はの好きにやらせたし、よく気に止めて話をしているのを見ては、文句を言う者もいなかった。
「お戻りですか」
は戻ってきた驍宗の元に駆け寄る。
「藍州へ行って来た」
「え…」
が国府に来てから、驍宗の口から藍州を語るのは、これが初めてだった。
「噂では、州宰が良い感じだな。とても思慮の深い方だそうだ。新王がたったおりには、一度朝にお招きするように進言しようと思う」
そう言って驍宗は間を置いた。
「―――藍州も随分と酷吏が減った。どうだ、一度行ってみないか」
銘県へ、と言って、驍宗はを見た。
生まれ育った、懐かしの故郷。だが、酷く辛い記憶の詰まったその場所。もう何年も見ていない。
「無理にとは言わぬ」
驍宗の気遣いに、は顔を上げて笑うように務めた。
「いいえ。連れて行って下さいまし」
笑えていたかどうか、には判らなかったが、それでも神経を総動員して、笑顔を作ろうと試みた。
の心の傷が、まだ癒されていない事を、驍宗は知っていたのだ。
彙襄に蹂躙されそうになった自分。
殺された両親の最後の顔。
話にだけ聞いた序学の者達。
悔やんでもどうしようもなく、失ったものは戻らない。銘県に行った所で、何も変わらないかもしれないが、行かなくとも変化は訪れない。
驍宗はそれを知っていたのだろう。
は心中で深く感謝した。 翌日、二人は計都に乗って、藍州銘県に向かった。
は違う騎獣で行くと言ったのだが、計都に着いて来れる騎獣がいないと言われれば、従うしかなかった。
半日をかけて、藍州は銘県にたどり着く。
「あ…ここは…」
そこはがかつていた里だった。
だがあまりに違う。
驍宗と供に途を歩くは、辺りを見回していた。
前よりも立派になった家々。
序学も綺麗になっていた。
これは一体どうゆう事かと思ったが、すぐに思い当たった。
「ひょっとして、驍宗さまが…」
驍宗は見上げて問いたげな顔を笑んで返し、違うと言った。
「ここには玉泉がある。上質の瑪瑙が産出されるので、自然と裕福になったのだろう」
は初めて驍宗と出会った、あの玉泉を思い浮かべた。
逃げ惑っていたので、正確な場所は覚えていない。
あの時驍宗は、瑪瑙を取りに玉泉に立ち寄っていた。偶然見つけた場所ではあったが、その質の良さに、奥まで進んで調べていたと言う。
恐らく、それを里の者に教えたのだろう。
空位の戴にしては、ここはとても恵まれている。
里の寒々しい面影はなく、の記憶を呼び起こす物も少なかった。
「その玉泉へ…連れて行って頂く事は出来ますか?」
決意を込めた瞳を見て、驍宗はただ頷いた。
はようやく向き合おうとしているのだ。
自分の心の傷と。
そして驍宗はこの時をずっと待っていた。もっと早くにとは思っていたが、時間がかかることも充分理解していた。里が復興し、焼き払われた最後の形跡が消えたのを確認し、ようやく切り出したのだった。
驍宗に連れられて、は閑散とした林に入っていった。
雪に覆われた木々の合間に、どこか懐かしい物を覚える。 玉泉が近い。
そう思って歩いくことしばし、二人は玉泉にたどり着く。
そこは里と違って、何も変わっていないように見えた。
は鮮明に思い出していた。
彙襄に襲われている自分の残像が、すぐ先に見える。
体が震えだすのを感じ、耐える為にぎゅっと手を握った。
目を見開いたまま、耐えようと必死になっていた。
ふと肩に温かい物を感じ、は弾かれたように横を見た。
驍宗の腕が、の肩に廻されていた。
その瞬間、残像が変わった。
衣を剥ぎ取られたを助け出した、皮甲に覆われた足。
後ろに出された、布を持った褐色の手と白銀の髪。
強張っていた体が嘘のように、力が抜けていくのを感じた。
触れた指先からそれが伝わったのか、待っていたかのように引き寄せられる。
は少し戸惑ったが、されるがままに身を寄せた。
両腕で包まれ、痛みが和らいでいく。
「にとっては、酷な事を言うかも知れぬが、聞いてくれるだろうか」
驍宗はを抱く腕を、ぐっと内側に引く。
何事だろうかと思ったが、は大人しく頷いた。
「わたしは彙襄の気持ちが判らないでもない。手に入れたい物を、手に入れようとしてそれが叶わぬ時。力にものをいわせてでも、欲するものがある時…果たして同じ事をしないと言えようか、と思う事がある」
は少し身動ぎして、驍宗の顔を見上げた。
「わたしを、軽蔑するだろうか」
「いいえ。…ですが…仰りたいことが、よく判りません…」
驍宗は苦笑して、の目を見た。
また、あの目だと思った。
獣を狩る目。
それに捕われた自分。
もし、驍宗に彙襄と同じように狩られたら、やはり嫌悪感を覚えるのだろうか。
「を手に入れたい、と言う話だ」
は少し驚いたが、すぐに返した。
「もう、手に入れているではありませんか。私は驍宗さまの元にお仕えしております」
「そういう事ではない」
間近に迫った瞳を、双方ともが窺い見ていた。
「彙襄のように、その心も体も手に入れてしまいたくなる。がそれを、望む望まないを全て無視して、口付けてしまいたい衝動がある。心に抱いた傷を、再び開くような事を言っているのは、判っているのだが…」 驍宗はの瞳を覗き込んだ。
「恐らく…初めて目が合った時から、ずっとそれを望んでいたように思う。彙襄のように振舞いたい訳ではないが、それと何ら変わりない…」
そこまで言うと、驍宗はふいに瞳を逸らした。
「驍宗さま」
は上を見たまま呼ぶが、それに対して驍宗は正面を見据えたまま動かない。
「驍宗さま!」
少し強く呼ばれて、驍宗はを見る。
「この体は、彙襄から救ってくれた方に差し上げます。心は、銘県を救ってくれた方に…それから、私の気持ちを、お慕いする方に差し上げたいのです」
「慕う御仁がいたのか…」
「はい…。私なんかよりも、ずっと身分の高い方です。その方と初めて目が合った時、狩る者の目だと思いました。ならば、私はその方に捕われたいと」
はそう言って、瞳を逸らし、少し下を向いた。
「驍宗さまは、彙襄とは違います。狩りたいと思っていても、それをしない。思った事をするのと、思っていてもしないのとは、大きな違いがあるのを、ご存知ですか?そこあるのは、優しさだと、私は思うのですが」
はもう一度身動ぎして、胸元に縮まっていた腕を伸ばした。
解放した方が良いと判じたのか、驍宗の腕が解ける。
しかし、今度はが驍宗の背に腕をまわす。
「驍宗さまのお傍に居られるだけで良かった。ただ見つめているだけでもよかったのに、官邸では一番近くに置いていただいた。私は、これ以上の幸せはないと思っておりました。でも、まだあったのですね」
驍宗の背に、廻した腕に力を込めた。
それに答えるように、の背が包まれる。
「」
いつになく優しい声色と、包み込む温かい腕と。
は驍宗を振り仰いだ。
真紅の瞳に吸い寄せられる。
口づけた二人の上空を、小さな結晶が舞い降りる。
互いが互いを抱きしめ、傷が癒えるまでの長かった年月を振り返る。
ふと、はある感覚を思い出した。
垂州の舎館で、驍宗に飲まされた薬。
朦朧とした意識の中で感じた、やわらかい感触。
唇が離れた直後、は驍宗に問うた。
「こうやって、薬を飲ませていただいていたのですね…」
今更ながらに赤面するを、驍宗は愛しそうに眺めていた。
優しく顎を引き上げ、もう一度口付ける。
冷たく吹く風も、何も感じないかのように、何度も繰りかえされる。
戴の冬はまだ明けないが、の心は雪解けた。
その歓喜の声をそっとしまって、は驍宗の顔を見つめた。
「身も心も、私が持ちえる物のすべては、驍宗さまの物です」
「ならば、わたしの心も同じ所にある」
引き寄せられるように唇を寄せた二人の影を、降り出した雪が静かに包んだ。
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