ドリーム小説
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金の太陽 銀の月 〜銀月編〜 =17= その日の夜中、利広はの使っていた房室にいた。
露台に出て欄干に座り、静かな雲海を眺める。
その手には月の連珠が揺れていた。
捨てようと思ったその連珠は、結局捨てることが出来なかった。
月の光を受けて、連珠は青銀に光る。
無くなったものを思うと、それがいかに大きかったのかを、利広に教えていくようだった。
月に向かって、利広は一人呟く。
「この世の誰よりも、幸せになって欲しい。わたしはそう願ったんだよ。今は消えてしまった君に…。伝えたかったのは、ただそれだけ…だけど、それを面と向かって言う勇気はなかった」
それでも、彼女の幸せを思えば仕方がないのだと、言い聞かせなければならなかった。
寂しい笑みが漏れる。
「莫迦な事をしたかなあ…」
月に向かってそう言った利広に、答える声があった。
「本当にね」
驚いた利広は、弾かれたように振り向く。
そこには月の光に照らされた、の姿があった。
「まさか…いや、でも…」
驚いたまま、利広は欄干から降り立った。
「蝕があったと、報告を受けた?」
はそう言うと、利広の前に進む。
欄干に手を掛けて、その隣に並んだ。
「蝕が起これば、どこかで罪もない人が死ぬかも知れない。里も沈む事だってある。虚海を渡っている時、それを教えてくれたのは、昭彰の使令だった。たった一人の為に、麒麟にそれをさせたら…自責の念で死んでしまうのではないかと思ったの」
「だが…」
何かを言いかけた利広に、は微笑みを向けた。
「だから、手紙を頼んだの」
「手紙…?」
「ええ…蓬莱に行ってもらったの。昭彰一人で。麒麟だけが渡るなら、蝕は起きないと聞いたから。そこでポストを見つけて、手紙を投函してもらったわ。少し分かりにくかったみたいで、時間がかかってしまったけどね」
寝静まった宮城に戻ってきた直後、昭彰の自室に籠もって筆を走らせた。
書き終えた物を持って、昭彰は蓬莱へと向かったのだった。
「何に入れたって?」
「そうね…蓬莱には、街の至る所に赤い箱があるの。そこに手紙を書いて入れると、表に記載された場所まで運んでくれるのよ」
はそう言うと、利広に腕を廻して続けた。
「母に手紙を送ったの。私は元気でやっています。私を優しく包む月の許で、幸せに生きていますって…そう書いたの」
「の幸せは…」
利広の言を、の手が制す。
「虚海に向かう前、お姉さまに言われたわ…。本当の幸せを考えなさい。何が一番大切なのかを…って。そしてこれが私の出した答えなの。私の幸せは、母といることではないわ…利広は私にとっての月だもの。そして、利広にとっての私も、暗闇を照らす月なんでしょう?それなら、離れてはいけないわ」
「…わたしの許に戻ってきた?」
「いけなかった…?」
利広はを強く抱きしめて言う。
「いけない事なんてない…だけど、あんなに辛そうにしていた…それを見ていられないほどに、寂しい面持ちをしていた」
「母が辛い思いをしていると、知ったから…でも、生きているなら、それでいいと思ったの。私はとても恵まれていた…母に無事を知らせる事ができたもの、それで充分よ。それに…」
は一度切って利広を見上げ、月に照らされながら続きを言った。
「帰ってしまえば、二度と利広に会えない。そうしたら、今の倍以上辛くなるもの。二度と会えないなんて…耐えられないと思ったの」
「だけど、蓬莱には…」
は利広の腕の中から逃れ、欄干に手をかけて月を眺める。
「親子はいずれ離れるもの。蓬莱では、それが当たり前なの。寿命だったり、結婚だったり、理由は様々だけど…」
利広に顔を向けて続ける。
「利広がいるなら、私は幸せになることが出来る。それなら、母の願いは叶うでしょう?」
そして利広から目を反らし、月を見上げる。
にこりと笑んたその顔には、再び月華が降り注ぐ。
「月を見るたびに、私はきっと利広を思い出す。そして月を見るのが辛くなるのよ…赤海を綺麗だと思わなくなったように…。蓬莱に赤海はないわ。でも、月は同じように存在する。実際に同じ物かどうかは知らないけれど、同じ顔で私に語りかけるの…、元気でいるだろうかって…それを考えると…とても辛い。それに、私はまだ利広に言っていない事があるの」
欄干に置かれていた手は放れ、利広の頬に移動して止まった。
「利広…。好きよ。この世の何よりも、誰よりも愛しているの」
「…」
頬に置かれた手は、利広の手に包まれる。
「私はずっと利広に与えられてばっかり…黒海から助けられて、暗闇から助けてくれた。その上、大きな愛情を貰っていたのに、一度もそれに答えていないの。恥ずかしくて…答えることが出来なかったのだけど…でも、このまま離れてしまったら、二度と答えることが出来ない。利広を好きだって、まだ言っていないのに、蓬莱に戻る事なんて出来ない…」
利広と向き合うの瞳には、銀の光が宿っていた。
はらはらと舞い落ちる様(さま)は、銀の月が流す涙。
その涙の意味は…。
「辛かった…利広と離れてしまうと思うと…本当に辛かった。二度とこちらに戻って来ることが出来ないなんて…赤海も、白海も、雲海さえも見ることが出来ない。もう、赤海は恐くないの…白海だって…美しいと思えるはずなの…。私はこの世界を否定し続けていたのかもしれない。蓬莱や崑崙の物に固執して、そこに居場所を求めていたの。でも、私の居場所は利広が作ってくれていた…いつでも優しく迎えてくれて、その光で照らしてくれる。私が消えてしまわないように…」
「…その涙は…」
「利広に会えて、嬉しいの…私を包むその手を、とても求めていた…」
堪えきれなくなった利広は、を再び引き寄せる。
息も止まりそうなほどきつく抱きしめて、何度も口付けを落としていく。
だが、何度口付けても足りない。
の芳香が利広を包み、利広の薫りがを包む。
互いが何よりも大切なのだと、それが引き立てるようにして教えていく。
「ねえ、利広…私が何故利広を月だといったのか、知っている?」
「何故って…太陽では消えてしまうから?」
「そうね…それもあるけれど…太陽は見ることが出来ないでしょう?照らしてはくれるけど、それを眺めて美しいと褒め称える事が出来ない。でも、月はこんなにもはっきりと瞳に映す事が出来る。真っ直ぐ見ても、目が痛くならないの。だから言えるの、美しいって…それと同じよ。利広はとても素敵」
利広は突然言われた事にも動揺せず、の肩を包み込んで言った。
「わたしにとっての月もだから、いつでも思っているよ。時には翳って姿を消してしまうけど、その姿をいつも瞳に映したいと思っている。とても愛しい月を、この腕に抱けるのだから、それが可能などだと信じてね」
「利広…」
交わされた口付けは甘いものだった。
「…白海を見に行こう」
「え?」
腕の中にを閉じこめたまま、利広はそう言って顔を上げる。
「今すぐ」
そう言うと体を離し、の手を取って歩き出した。
「で、でも…こんな夜中に…?」
「夜中でないと、意味がないんだよ」
は引かれるままに宮城を歩いていった。
数刻の後、二人は赤海を抜けて白海の上にいた。
目前には、いつかの風景が映し出される。
銀に縁取られた世界が一面に広がっており、赫然たる月光は、やはり心を奪っていく。
「綺麗…初めてこの景色を見たとき以上に綺麗。これだけ綺麗な物は、きっと、蓬莱にも崑崙にも存在しないわ…」
そう呟いたは、利広を振り返る。
「きっと、愛しい人と眺めるからなのね…。もちろん、蓬莱に白海があるわけではないわ。でも、利広がいるからずっと輝いて見えるのだと思うの」
「わたしも、この景色は綺麗で好きだよ。何度も見に来てしまうほどに。でも、と見ている時が、一番に綺麗だと思うよ」
それを受けたは、そっと背を利広に預ける。
とくん、と鳴った鼓動を背に感じ、小さく微笑んだ。
「幸せって、今…とても強く思ったわ」
「偶然かな?わたしもそう感じた」
利広はそう言って片腕を前に廻す。
目前に現れた利広の手の中に、連珠が輝いているのをは見つけ、あ、と小さく呟く。
「これを捨てずにいて、よかった。どうして返したのか、理由を聞かせてもらってもいいかい?」
「私の意地悪なの…」
は俯いて小さく言った。
「え?」
聞き返した利広に、顔を上げては言う。
「だって…気持ちを確認したかったのに…最後の最後まで利広は私の前に現れなかった。怒っているのか、愛想が尽きたのか…とても辛いのか…あの時の私には分からなかったの。でも、伝言を聞いてくれた?」
「月の石はいらない。すでに月を手にいれた…」
「そう…月がこうして私を包んでくれているもの」
見上げた空には銀の月。
凪いだ風に雲は動かず、月の洗う景色は瞬きを見せる。
銀の月は互いを照らし、白海をいつまでも輝かす。
太陽に教えられた幸せを、はしっかりと噛みしめる。
銀の月の中で、煌めく海を見ながら。
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