ドリーム小説
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真珠と白梅 =1=
「今日から典章殿に住まうからね。宜しく頼むよ」
言い渡された家族は、ただぽかんと口を開けたまま、王后明嬉の嬉しそうな顔を眺めていた。
紹介された当の本人は、目のやり場に困っている様子を見せている。
それは夕餉の時間だった。
放浪癖のある次男坊、利広の帰宅から三日後の事であった。
それぞれが腹を満たした頃、明嬉は果物の皮を剥きながら、一家の様子を伺っている。
利広は文姫に旅の様子を聞かせていた。
先新は昭彰と荒民の話をし、それを耳に入れながら、書面を作る長男。
いつもの風景。平和で幸せに満たされた日常。
三百年もの間、この奏という国を支えてきた、誇らしい家族。
穏やかな空気が流れ、微笑ましく感じる。
しかし、そこにはつけいる隙がないように思う。
どう切り出したものかと考えている内に、自然と手は作業をやめていた。
「お母さん、どうかされましたか?」
利達の声に、はっとなって顔を上げると、すでに全員が明嬉に注目していた。
―――今しかない。
そう思った明嬉は、ゆっくりと立ち上がり、笑みを湛えて言った。
「ちょっと待ってておくれよ。すぐに戻ってくるから」
それだけ言うと隣室に消えていく。
しかし、すぐに人影を伴って戻ってきた。
満面の笑みを浮かべ、後ろに控えた人物を見やる。
控えていたのは、利広と同じような年恰好の女性だった。
「、遠慮しないでこちらへおいで」
手招きしながら、と呼ばれた女を引き寄せる。
「この人は、。あたしの老師だ」
老師?と反復する複数の声。
「今日から典章殿に住まうからね。宜しく頼むよ」
そう言った明嬉は、やっと紹介できた事に安心している様だった。
だが当の本人、そして紹介された家族は、どう対処していいのか判らない。
「何の老師?」
やっと口を開いたのは、文姫だった。
「色々さね」
そっけない返事に、利広が問う。
「それじゃ判らないよ。色々って具体的に何なんですか?」
「そうだね。料理、裁縫、剣舞、奏弓。どれを習おうか」
「どれって…お母さん、剣舞を習うつもりですか?」
呆れ顔の利達が問う。
「剣舞は考えちゃいないけどね。何だったら、文姫。お前が習うかい?」
「え!剣舞を?」
言われた文姫は慌てて首を振った。
「め、明嬉さま…」
消え入りそうな声に、明嬉は振り返り、微笑んで言った。
「なに、心配しなくていいよ」
「ですが…」
申し訳なさそうに俯くを気遣ってか、先刻から一言も発していなかった、宗王が口を開いた。
「母さんが連れて来たのなら、身元もしっかりした方なのだろう。わたしは構わないが、みんなは反対なのかね?」
「まさか!ただ理由が知りたいだけ」
慌てて言う文姫に、先新は微笑んで明嬉を見た。
「そうだね。料理はやっぱり利広のせいだよ。どの国でも食せない、旨いものを覚えさせておけば、這ってでも帰ってくるだろうさ」
「それじゃまるで、犬みたいだなあ」
苦笑しながら笑う次男坊に、明嬉は睨みを聞かせながら続けた。
「賄いに雇ってもよかったんだけど、話をしてみると、とても博学なんだよ。それで、もう少し聞いてみたいと思ってさ」
そう言った明嬉に、宗麟昭彰からも質問が飛ぶ。
「変わったお名前をしてらっしゃいますね」
「ああ、この子は海客なんだ。だけど、氾王にお仕えしてらしたんだよ」
「氾王に…」
利広の声に、明嬉はただ頷く。
一同は何も言えなくなった。
二ヶ月ほど前、氾王崩御の知らせがあった。
まだ記憶に新しいと言うのに、当の王朝にいた人物を目前にして、何を言えというのだろうか。
「私が…」
窺うようにして見ていたは、その沈黙を受け、静かに切り出した。
「氾王にお仕えしていたのは、もう三百年も昔の事です。以降は各地を放浪しておりました」
「え!三百年?じゃあ、現在はどちらかの籍に?」
文姫の質問に、は、はい、と言う。
「氾王にお仕えする前は斎王にお仕えし、卿の位を賜っておりました。才国での戸籍が、そのままになっているのだと思うのですが、正確な所は判りません」
「さあさ、質問はそのぐらいでいいだろう?さっそく今から一つ習うんだから」
が言い終わると、明嬉はそう言ってを引き連れ、急いでその場を後にした。
二人が消えた方角を見ながら、一同の口はやはり開いたままだった。
「三百年前と言うと…」
しばらくして、呟くように言ったのは利広だった。
「斎王だと言ったのだな」
利達も同意して顔を見合す。
それを見ていた先新が口を挟む。
「隠している訳ではないだろうが、辛い事なのかもしれないし、あまり詮索しないほうがいいだろう」
昭彰もそれに頷く。
「ねえ、どうゆう事?」
氾王や斎王や、と文姫は混乱気味に聞いていたので、兄達が何を了解しあっているのか、判らなかった。
「いずれにしても…」
判らない変わりに、文姫は立ち上がって言った。
「私も母様と一緒に習ってこようっと!」
そう言ってぱたぱたと走っていく。
「私も行ってみようかな…」
利広が立とうとして、利達は睨みを聞かせる。
「こら」
「冗談だよ」
睨まれた利広は足に入れた力を抜いて、再び腰を落とした。
「斎王か…」
立ち上がる代わりにそう呟き、兄を見た。
「遵帝の事だろうな。それなら彼女はわたし達よりずっと長生きだな」
「確かに…母さんの慌てぶりから見て、まず間違いないだろうね。卿って事は六官の次官かな?」
恐らく、と利達は頷く。
「では、何故範に向かわれたのでしょうか?もし様が斎王にお仕えしていたのなら、その後、範に向かうと言う事は考えられないのですけど…それに、いなくなった者の籍を、そのままにしておくでしょうか?」
昭彰の言った疑問を、先新が受け止める。
「いずれにしても、母さんが連れてきたのだから、滅多なお人ではないのだろう。我々に出来る事は、明日の朝餉を楽しみに待つ事ぐらいだな」
宗王のその言で、団欒の場は解散となった。
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