ドリーム小説
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初恋 =1= うっそうと生い茂る緑は夏の香りを含み、同時にむせるような熱気を含んでいた。
ここは世界の東。
慶東国首都州、瑛州の少学であった。
その少学の院子に、二つの影。
影の正体は、まだ成熟しきっていない、少年少女。
少女の名を、と言う。
に対峙するように立っているのは、夕暉と言う少年だった。
学頭の覚えもよく、明晰な印象を与える。
同じ年頃の人間が少ないと言うのもあって、二人は自然と一緒に居る事が多く、よくこうやって話をする。
政の話であったり、土地の話であったり、他国の話であったり、様々だが、お互い博識であったため、会話が尽きる事はなかった。
は元々瑛州の育ちだったが、夕暉は和州から来たと言った。
先頃、和州では乱があったのではないか、と問えば、そうだと簡素な返事が返ってくる。
伝わり聞く乱の話をしている内に、どんどん違う方へと会話は進んでいたが、それが夕暉の差し金だとは気付かないであった。
「それでね、兄様ったら、私が寮に入るのに大反対だったの。ここから通えばいいって、とても大きな声で怒っていたわ。まったく…」
呆れた息を吐いたに、夕暉は聞いた。
「家はこの近く?」
「近くはないわね。馬で半日。騎獣ならさほどでもないけど」
「それじゃあ、寮でなくちゃ無理じゃないか。よほど大事にされていたんだね」
「大事にと言うより…兄様は官吏になって欲しくないのだと思うわ」
少学を出れば、殆どの者が官吏になる。
なら有能な官吏になるだろうに、反対するのはやはり国情が安定しないからだろうか。
そう思ったが、夕暉は聞いてみる。
「反対する理由は何?」
「女がすくないから」
言って肩をすくめたに夕暉は、ああ、と頷く。
「でもね。そんな事関係ないの。私は慶東国のために、何かしたいの。税の管理、酷吏の取り締まり、民への配慮を出来るような者が、この国には、まだ幾人もいないわ」
「は県正にでもなりたいの?」
「いいえ。もっと上よ。大学まで行って、金波宮に上がりたいの。そこから各地へ目を向けれるように」
夕暉は半ば呆れ顔でそれを聞いていた。
そんなに先の事まで考えている、に驚いたのだ。
「刺史なんて良いわね。位は県正と同じだけど、郷長や県正を見張れるもの。できれば、定期的に移動して、各地を観察したいわ」
夕暉は感嘆して言った。
「がもう少し早く生まれていれば、和州に乱が起きる事はなかったのかもしれないね」
それを受けたは、少し怪訝そうな顔をした。
「それは私を莫迦にしているの?」
予想外の反応に、夕暉は少し焦って言った。
「え…いや。そんな事はないけど」
「前王の時代に官吏でいたなら、私は慶に居ないわよ。それに、刺史なんて役に立つのかしら?道を踏み外さないのなら、きっと生きてはいないわ」
自分が前王の事など、念頭になかったのを自覚した夕暉は、知らず苦笑していた。
なまじ現王を知っていただけに、忘れていたのだ。
確かに、数ヶ月前なら、夕暉も同じように考えただろう。
そうか、と言って夕暉はを見た。
「は新王を信用しているんだね」
「ええ、そうよ」
「女王なのに?」
新王が立って、まだ年数のたたないこの国では、女王に対する不安が消えていない。
耳に入るだけでも、相当な数だった。
「女王かどうかは関係ないわ。発布された法令を見れば、どのような人物か伺いしれるでしょう?王は差別をしないお方よ。それに、禁軍の将軍に半獣を起用されたでしょう。初勅で伏礼を廃したのだって、そうゆう事なんじゃないの?」
夕暉はただ頷いた。
「だけど、まだまだ国の端々にまでは目が届かない。王の代わりに、目となる者が必要だと思うの。それならただ出世したいだけの者より、私のような義侠心溢れる者に託したほうが良いと思わない?」
そう言って笑ったに、夕暉は先程とは違う意味で、呆れた顔を向ける。
「すごい自信だね」
「あら。自信じゃないわ。真実よ」
あっさりと返されて、苦笑を禁じえない。
「夕暉だってそうでしょう?」
突然言われて、夕暉は笑みを引いた。
「和州からわざわざ来ているけど…この前言ってじゃない。上庠を途中で辞めてしまったって。でも、今は少学に居るじゃない。それってやっぱり官吏になりたいって事でしょう?だけど夕暉のその思いは、他の人とちょっと違う。ただ官吏になりたいって感じじゃないのよね」
「上庠を辞めたのは、和州があんな状態だったからだよ。官吏になっても知れていた。昇紘の犬になるのは御免だったからね」
「昇紘って乱の起きた…」
「そう。和州止水郷の郷長だった」
「と言うことは…」
は少し考え込み、そして顔を上げて夕暉を見た。
「夕暉は止水郷の出身?それなら、乱を見ているのね…。ひょっとして、殊恩党だった?」
ぎょっとしてを見ると、真剣な顔つきで答えを待っていた。
「誤魔化せそうに、ないな…」
少し困った顔で夕暉は頭を掻いた。
「殊恩党の頭目は、ぼくの兄さんだったんだ」
溜め息混じりに言う夕暉を、今度はがぎょっとして見つめた。
「それって…中枢にいたって事よね」
「そうなるね。その中に、少し身分の高い人がいてね。兄さんがその人に頼んでくれたんだよ。だからぼくがここにいるって訳」
「そうだったの…夕暉のお兄さまは、戦略にも詳しいのね」
「ああ、それはどうだろう…人を纏めるのは上手いと思うけどね。戦略的な所には比較的疎いんじゃないかな」
「じゃあ、他に考える人がいたの?」
「いや…特には」
そう言って押し黙った夕暉を、は直視していた。
それではの聞いた戦法は、ひょっとして夕暉が考えたのだろうか。
この明晰な少年なら、それも納得できようものだったが、そうなると夕暉はとんでもない人物と言う事になる。
あれだけ大きな乱の中枢に居て、それを指示していたとあっては、一介の軍吏顔負けだ。
それがどれ程すごい事なのか、少学にまで進んで判らぬ者などいまい。
「夕暉は、すごい人だったのね」
「すごくなんかないよ。兄さんがみんなを引っ張って行ったんだし、みんなはよくそれに着いて行ってし。ぼくが凄い訳じゃない」
「あら、そういう言い方はかわいくないわ」
「かわいく…って…」
「褒めてるんだから、素直に喜んでよ」
夕暉は少し赤面した。
「それは…、ありがとう」
「大変よろしい」
満足気に言った顔を、夕暉は微笑ましく思う。
「も凄いと思うよ」
夕暉がそう言うと、は片方の眉を上げて問い返した。
「あら、それは何処を見て思ったの?」
「うん。考え方や先を見通す力かな。それに義侠心溢れる所」
「くすっ。見る目があるじゃない」
は余裕を見せて夕暉に返したが、率直に褒められた夕暉が、何故赤面したのかが、少しだけ判った気がした。
「ぼくの場合は義侠心じゃないな。殊恩党の中から数名、金波宮上がっているんだ。だから、みんなの手伝いをしたいだけ。それに心配な人がいるからね。目を離すと、とても心配な人が」
遠くに見える堯天山を見ながら、夕暉はそう呟く。
「それはどんな人なの?」
そうだね、と言って夕暉は顔を下げた。
「見てると、はらはらするような人」
は頭を傾げた。
それだけでは判らない。
「ずっと傍に居て見てないと、安心できない」
女の子だろうか?
その時、は初めて想像した。
夕暉の隣に、自分ではない者が居るという事を。夕暉が少学に来てからというもの、殆ど一緒に居たので、自分以外と肩を並べる人物が居るなどと、今までは考えつかなかった。
そして想像してみて、は射すような痛みを覚える。
(あれ?)
疑問に思い、痛みの元を探す。
その痛みの元は胸だった。
しかし、どうした事かと思っているうちに、痛みはすっかりなくなり、平常に戻っていた。
(気のせいだったのかしら?)
「――。!」
はっとして正面を見ると、夕暉が自分の名を呼んでいる事に気がついた。
「どうしたの?急にぼんやりとしちゃって」
「え?ええ…ぼんやりしてた?」
「うん」
慌てて取り繕うように言う。
「な、何でもないわ」
「そう?だったらいいんだけど…」
「さ、最近ちょっと寝不足だからかもしれないわ」
焦っていたので、するりと嘘が出る。
「どうして寝不足なの?」
「その、勉強について行くのが必死で…」
夕暉はじっとの顔を窺っていた。
「意外」
ぽつりと言われては、そう?と聞いた。
「って、余裕でついて行ってるように見えたから」
「そんな事はないわ」
そんな事はないけれど、寝不足になるほど勉強している訳でもなかった。
「だけど、無理をして体を壊さないようにね」
「う、うん。ありがとう」
何故だか顔が火照るような気がしてきた。
嘘をついたからだろうか、必死に誤魔化しているからだろうか。
「じゃ、じゃあ、今日は早めに戻って、明日の復習をするわね!」
そう言って、は逃げるようにその場を去る。
「ちょ、ちょっと!」
呼んだが、すでに聞こえていない。
「明日は休みなのに…それに翌日の事なら復習じゃなくて、予習じゃないのかな?ああ、今日の復習の間違いかな?」
そう一人呟いて、の消えた方角を心配そうに見ていた。
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