ドリーム小説
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=2= 翌日、夕暉に客があった。
誰だろうと出てみると、そこには虎嘯と鈴が立っている。
「よお!元気にしてるか?」
虎嘯は夕暉を確認すると、手を挙げて明朗な声で言う。
「兄さんこそ、元気?鈴も久し振り。上はどう?少しは落ち着いた?」
夕暉がそう問うと、二人は顔を見合した。
「官吏の移動がまだ落ち着かないの。それに人が少なくて…結構大変よ」
溜め息混じりに言う鈴に、虎嘯は大きく頷いていた。
「それなら、抜け出してきて良かったの?」
夕暉がそう言うと、二人はすかさず言った。
「陽子が様子を見て来いって。あれは追い出されたに近いわよね」
そうだな、と苦笑する虎嘯に、夕暉は言った。
「ぼくの方は大丈夫だよ。なんとかついていってるし」
「なんか足りねえ物はないか?」
「うん。大丈夫」
笑って言う夕暉に安堵したのか、虎嘯は大きく息を吐いた。
「今日はね、美味しそうなお饅頭があったから、持って来たのよ」
虎嘯を振り返って、鈴が言う。
「そう、ここに…ここ…あれ?」
「やだ、虎嘯!どこに置いてきたのよ!」
いけねえ、と踵を返し、慌てて駆け出す虎嘯を、呆れ顔が二つ見ていた。
「あいかわらずだなあ」
そう言って溜め息をつく夕暉に、鈴はくすくす笑いながら同調した。
ふと何か、目に留めたように、夕暉の腕が上がった。
「!」
呼ばれた者は顔を上げて、夕暉を確認したのか、手を挙げて合図をした。
手招きされて、が夕暉のもとへ行くと、黒髪の少女がそこには立っていた。
より、少しだけ年上のように見える。
夕暉は鈴に向き直って、を紹介する。
紹介されたは、何が何だか判らずに頭を下げる。
「さんね。あたしは鈴って言います。もう少し待ってくれたら、美味しいお饅頭が届くわよ」
そう言って笑った鈴につられて、夕暉も笑っていた。
「はね、とても成績が良いんだ。大学へもいけると思うから、きっと数年後には金波宮に上がると思うよ」
「へえー。凄いわね。楽しみにしてるわ」
そう言った鈴の言に、はふと気がつく。
「鈴さんは、現在金波宮に?」
「ええ。下働きのような物だけど。とてもやり甲斐のある仕事よ」
そう言って鈴は夕暉とを見た。
だから紹介されたのだ、と理解した。
「楽しみだわ。二人が来るのを待ってるからね」
鈴がそう言った時に、虎嘯が戻ってきた。
「すまん、すまん。ほら」
そう言って鈴に袋を渡す。
「虎嘯、あたしに渡してどうするのよ。はい夕暉、お土産。みんなで食べよう?」
「うん、そうだね」
座れるところを探している夕暉に、は袖を引いて振り向かせた。
「院子の木陰に、石案があったわよ。椅子もあったわ」
そこへ向かう間、は三者から一歩引いてついていく。
僅かな疎外感がそうさせていたのだった。
石案にたどり着き、腰を下ろした時には、その疎外感は強まっていた。夕暉の知り合いに囲まれているのだから、当たり前だとは思うのだが、そう思った所で拭えるものでもなかった。
「ほら」
大人しくしているに、虎嘯と呼ばれた男が饅頭を手渡す。
「ありがとうございます」
「おう。おとなしい子だな。夕暉の学友だって?」
「はい」
夕暉はそんなの様子を見て、思わず口を挟んだ。
「はとても頭がいいんだよ」
そうか、と言って虎嘯は感心したような眼差しを向けた。
「弟に色々教えてやってくれ」
そう言われたは、そこで初めて気がついた。
「夕暉のお兄さまですか?」
頷く虎嘯に、はこの人が、という視線を投げた。
この人が、殊恩党の頭目。
体躯からは、さぞかし強いのだろうと想像できた。
すると鈴も殊恩党の一員だったのだろうか。
夕暉は殊恩党から数名が、金波宮に上がったと言っていた。
「夕暉はどうだ?その、学友の目から見て」
「とても優秀な学生だと思います。色々教える所か、こちらが考えさせられる事もしばしばです」
そうが言うと、虎嘯は嬉しそうに笑った。
自慢の弟なんだ、とでも言いたげなその表情に、は微笑ましく思う。
その後四人は談笑を楽しんだ。
それは空が茜色に染まるまで続いた。
その日の夜、は寝付けないでいた。
昼間の余韻が残っている、とは思っていたが、実際は違う。
鈴と夕暉が肩を並べる姿ばかりが浮かぶ。
ひょっとして鈴は、昨日夕暉の言っていた人物のことではないだろうか?
傍に居て、見ていないと安心できない。
それは鈴という人を表しているように思えた。
少し頼りなげな雰囲気を持つ彼女は、夕暉から見れば守ってあげたいと思うのかもしれない。
それに比べて自分は、守ってもらうような性格ではない。
はぁ、と零れた溜め息にも気がつかず、ただ暗い天井を見上げていた。
これではいけないと、瞳を閉じてじっとする。
「…」
頭を空にしようと心がけてみる。
「…」
二人の幻影を追い払う。
「…。駄目!」
はそう言って飛び起きた。
とても眠れない。
「きっと、暑さのせいよ」
そう言って外へ出た。
昼間とは違い、比較的涼しい夜の院子にでる。
歩いていると、生暖かい風が耳元を掠めて、過ぎていった。
少しぞくっとしたが、気のせいだと思い、再び歩き出す。
「疲れているのかしら…」
そう呟いていると、今度は微かに何かが聞こえる。
悪寒が走って、は左右を見た。
しかしそこにはただ、暗闇ばかりが広がっている。
は空を仰いだ。
「月が出ていないわ…」
五歩先は暗闇だった。
恐怖心にかられ、戻ろうかと思い始めた。
「」
ふいに呼び止められる声がして、は肩をすくめた。
こんな時間に人が出歩くはずはない。
ふと、過去に聞いた話が頭を過ぎる。
昔、この少学に優秀な若者がいた。
その若者は学頭の推薦を受け、大学へ入るために選挙を受けた。
しかし、その選挙に落ちた若者は、気落ちして、自ら命を絶った。
少学の学生達は、一度や二度落ちたぐらいで、とその若者に同情しなかった。
その話を夜中の寮でしていた時、数名が背後に立つ血まみれの学生を見たと言う。
だけど、まさか…。
はそう言い聞かせようとしていた。
恐怖で硬直した体を動かそうとするが、は突っ立ったまま、首一つ動かせない。
すると肩に手が置かれた。
「きゃ…」
叫ぼうとしたのを、慌てて塞ぐ手があった。
「ぼくだよ、」
半泣きで見上げたそこに、夕暉の顔があった。
「あ…」
硬直の解けたは、脱力感からその場に座り込む。
「どうしたの?こんな時間に」
そう言った夕暉に、は睨みながら言った。
「夕暉こそ、どうしてこんな時間にいるのよ」
「がこちらに来るのが見えたから」
そう言われてはほう、と息を吐いた。
「びっくりした…よかった、夕暉で」
「ん?すると、何だと思っていたの?」
「何って…」
は立ち上がってから、誤魔化すように言った。
「何でもないわ」
すると夕暉はからかう様な笑みを見せ、の正面に回った。
「血まみれの若者だと思った?」
言い当てられて、は一歩後退した。
その様子に夕暉は笑う。
「は意外と怖がりなんだね」
「こわ、怖くなんて、ないわよ!」
「そう?泣きそうな顔してたのに?」
そこまで観察していたのか、とは悔しい思いで夕暉を見た。
「そんな日も、あるのよ」
そう言うと、夕暉はあっさりと頷いた。
「それで、こんな時間にどうしたの?」
舞い戻ってきた質問に対して、は答えに窮していた。
「眠れなかったとか?」
それも当たっていたので、は仕方なく頷いた。
「何か悩み事?」
それに対しては沈黙を守った。
どう答えていいのか、判らなかったからだ。
胸を射す様な痛みを、昼間にも感じた。
だけど、それは体のどこにも異常を訴えなかったし、ある条件が揃った時だけだった。
条件とは、夕暉だった。
だけど、ずっとじゃない。
時折、それを感じる。
そして感じる時には、ある特定の感情を抱いている事までは、気がついた。
だけど、それがどういった物なのか、には理解出来ないでいた。
どのような会話がなされて、そこに至るのか、考えても思い出せない。
今日の昼間には終始痛んだし、その時の会話といえば、どこを取っても格別ではない。
それを説明出来るほど、自分自身で理解していなかったのだ。
答えられずに、ただぎゅっと胸元を握り締める。
「?顔が青いよ?熱でもあるんじゃ…」
そう言われて、は慌てて首を振った。
「大丈夫。なんともないわ」
「なんともって…胸が苦しいの?」
は握った胸元に視線を動かし、しばらく逡巡したが、ややして頷いた。
「でも、大丈夫。すぐに治るから。きっと驚いたからだと思うわ」
「鼓動が早い?」
「情けない事に、少しだけね」
いつもの調子に少し戻ったのを感じて、は安心した。
「ごめん、そんなに驚くとは思ってなかったんだ」
申し訳なさそうに謝る夕暉に、は慌てて言った。
「夕暉が悪い訳じゃないの。ただ、ちょっと前に生暖かい風が通り過ぎたから…」
「それじゃ、やっぱり怖かったんだね」
確認するように言われ、はやっと気がついた。
夕暉の罠だったのだ。
「悔しい…」
「素直に怖いって言えばいいのに」
「…怖かった」
悔しさから、ぼそりと言う。
「大変よろしい」
夕暉はに近付いて、頭を軽く叩いた。
「夕暉は、怖くないの?」
の頭に手を置いたまま、夕暉は答えた。
「目に見えない物を怖がっても仕方がない」
「じゃあ、怖い物はないの?」
「怖いものならたくさんあるよ」
例えば?と問えば、夕暉はの頭から手を下ろし、真剣に言った。
「人の心を失った人間。道理の通らない相手」
言われては気がつく。
夕暉は乱のさなかにいたのだと言う事を、失念していた。
人の心を持たない郷長のもとで、生き抜いて来たのだった。
小さく後悔が生まれる。
「ごめんなさい…」
俯いて、謝れずにはおれなかった。
すると、微かに笑う気配がした。
「は聡くていけない。深く考えないでいいんだよ」
そう言われて、は夕暉を見た。
乱の事を言ったのだと、夕暉は気がついたようだった。
それは成功したからよかったものの、もしもの時には、ここで話す事もなかっただろう。
「あ…」
また、あの感じ。
胸が痛い。
ぎゅっと手を当てる。
痛みが、消えない。
「?」
窺うように問われ、は夕暉を見た。
「夕暉…胸が痛い。夕暉と居ると、とても楽しいのに、たまに苦しい」
自分ではどうにも理解出来なくて、は夕暉に答えを求めた。
教えて欲しい。
そう訴える瞳を、夕暉は正面から受け止めていた。
「、手を」
は言われるまま手を胸元から離し、夕暉のほうへ伸ばした。
それを夕暉は両手で包みこんだ。
すっと痛みが引く。
「あ…治った…」
にこっと夕暉は微笑み、説明しようかと問うてくる。
もちろん説明が欲しい。
「じゃあまず、昨日の会話の中で、最初に思い出す事を教えて」
はすぐに浮かんだ会話を口にした。
「ずっと傍に居て見てないと、安心できない人が居るって話」
うん、と夕暉は頷いた。
「思った通りだね。それを、はどんな人だと思った?」
「鈴さんのような人?」
「うん、そうだろうと思った。その事を考えると、今日は眠れなかった。だから院子に出てきた。違う?」
は夕暉に包まれた手を見ながら、自分に問いかけた。
「そう、みたい」
ふわり、と手が解放された。
夕暉を見ると、さっきよりもずっと近距離にいた。
どくん、と脈打つ。
「解答と結果、どっちが先に欲しい?」
「え?解答と結果?」
「そう」
訳もわからず、とりあえず解答と答えた。
「解答は、はぼくが好き、ってこと。鈴にやきもち焼いたんだよ」
時折抱く特定の感情がやきもちだった事は、を驚かせた。
「私は、夕暉が好き?」
問われた当の本人は苦笑していた。
「違う?」
逆に聞き返されて、は下を向く。
「はぼくが好き。胸が痛いのは、その結果を悲観するから」
じっと地面を見つめて、しばし考える。
「好き…みたい」
そう言うと、また軽く頭を叩かれる感触がした。
「はとても聡い。だけど、これが判らないんじゃ、お兄さんが反対するのも、ちょっと判るな」
「兄様が?どうゆう事?」
顔を上げたは、また近くなった夕暉を見た。
しかし今度は留まらずに、そのまま抱きしめられる。
「ぼくのような人間に、浚われてしまうからね」
そう言って、くすりと笑う。
「夕暉…よく、判らないわ」
「じゃあ、結果。ぼくもが好きだって事」
は軽くなった感情を感じ、夕暉に身を寄せた。
「ああ、それから誤解がないように言っておくけど、目が離せないのは兄さん。の所と逆だと思ってくれていいよ」
そう言ってまた笑う。
「また、夕暉に色々教えて貰っちゃったわね。でも、嬉しい」
「素直なはかわいいからね」
全部は教えないでおこう、と夕暉は心の中で呟いた。
あえてすぐ兄だと言わずに、含ませた言い方をした事。
鈴が訊ねてきたので、の気持ちを擽るような行動をとった事。
(だって、それくらいしなければ、このお嬢さんはきっと気がつかない。博識なくせに、鈍いんだから…とてもかわいい)
一人笑う夕暉を、夜の闇が見ていた。
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