ドリーム小説
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駮弾琴 =2= その日、朱衡が自宅に戻ると、驚くべき光景があった。
が華瑟と向かい合って話をしていたのだった。
「朱衡さま、お邪魔しております。華…いえ、まだお名前がないのでしたね。彼女とお話をさせて頂きました。少し様子が心配でしたもので」
内心驚きながらも、変わらぬ表情を向けて言う。
「…。体の方は大丈夫なのですか?まだ、療養していなければ」
「徐々に体を動かす事が必要なのです。それに…付き添いもおりましたし」
「付き添い?」
「え…ええ。先程お帰りになられましたが」
その表情で分かったのか、朱衡は溜息を落とす。
「急にお姿が見えなくなったと思えば…まさかこんな所にいたとは」
「も、申し訳ありません」
恥じ入ったように謝るのを見ながら、のせいではないと言い椅子に座った。
「朱衡…さま?」
朱衡が椅子に座った直後、華瑟からそのような言が漏れた。
と朱衡が注目すると、華瑟はにこにこと笑って繰り返す。
「朱衡さま、朱衡さま…」
初めて知った言葉のように、何度も繰り返す彼女を、二人は不思議に思いながら見つめる。
「わたしの名前を知らなかったのですか?」
何度も首を縦に振る華瑟を見ながら、はくすりと笑う。
「それは不便でしたね。彼女の名も、早く決まるといいのですが」
「がいい」
「え?」
「っていうのがいい。音がいい」
さすがに朱衡の顔にも変化が訪れた。
「音がいいって…」
「音、響き。それがいい」
という言葉の持つ響きが気に入ったと言いたいのだろうか。
「私なんかの名でよろしいのですか?」
驚いたままのがそう問いかける。
「うん、綺麗な音。好き!」
「でいいと言うのなら、お好きなように使って下さいませ」
そう言うと、は立ち上がる。
「そろそろ戻りませんと。心配させてしまいますから」
「送りましょう」
「今お戻りになったばかりです、お気遣いには及びません」
「体の方は」
「日々良くなっておりますし、後宮に戻るだけですから」
にこりと微笑むは、華瑟を見て朱衡を見る。
「それでは、お邪魔致しました」
入り口までを見送って、朱衡が戻ってくると、華瑟…いや、が茶器を手に待っていた。
どうやら入れ方を教わったようだ。
「朱衡さま、お茶飲む?」
「では、いただきましょうか」
「おいしい入れ方」
茶器をゆっくり廻しながら、は茶杯にそっと注ぐ。
良い香りが鼻腔をくすぐっている。
すっと口に含むと、味も丁度良い感じであった。
「大変おいしいですね」
そう言うと、嬉しそうに笑う。
「朱衡さまが飲むお茶は、毎日が入れる!」
「ありがとうございます、」
名を呼ぶと、素直に笑う。
よほど気に入ったのだろう。
しかし本当によかったのだろうかと呟く心が有ることも否定できない。
あまりにも複雑な呪であったため、解決したとなかなか信じることが出来ないでいたのだ。
華瑟だったの中に華明の意思が残っており、それが何か言わせているのではないかと、そのような危惧が存在した。
確認する術がないだけに、不安要素が残る気がしてならない。
その後、華瑟だったは数ヶ月を過ごした。
当初の不安はいつの間にか姿を消し、官邸に戻ると居るのが当たり前の存在になっている。
そして、は朱衡に言ったのだった。
「朱衡さま、今日は帰ってきますか?」
「もちろん帰って参りますが…何かございましたか?」
「帰ってから言います!」
「では、大人しく待っているのですよ」
「はい。ちゃんとお勉強して待ってます!」
「大変よろしい」
つい先日だったか、偶然にも小司徒のと会う機会があった。
そこで華明の楽器の一部を、海に流して弔ったと言う話を聞いた。
これで本当に終わったのだと、感慨深く言ったのを聞き、幾分か安堵していた。
その日、朱衡が帰宅すると、が楽器を手に待ちかまえていた。
楽器とはもちろん、駮弾琴である。
「朱衡さま、駮弾琴を聞いてほしくって、ずっと朝から練習して待ってたんです。あ!お勉強はもちろんちゃんとしましたよ!」
慌てて付け加えたに、朱衡は微笑んで答えた。
「朝言っていたのはこれですか。では、聞かせて頂きましょう」
「はい!」
嬉しそうに微笑んだは、ちょこんと礼をして椅子に座り楽器を構えた。
すっと息を吸うと、弦に視線を合わせて息を止める。
よく見ると駮の撥を持っていない。
素手のようである。
指が弦を弾く。
繊細な音が広がりを見せ、繊弱な音色が現れた。
「この曲は…」
聞いたことがあった。
過去にたった一度だけ聞いた事があるその曲。
その場にいた者、全員の動きを止めた音と酷似している。
庭院の南東の隅。
音の正体がまだ、駮弾琴だとは知らずにいたあの頃。
以外の者が、初めて呪に触れた瞬間であった。
もちろん、目前で駮弾琴を奏でているではない。
その触れた呪の時、耳に残った旋律がある。
今、聞いている旋律と同じだ。
まるで再び呪が戻ってきたように、固まって動けないでいた。
その音色が完全に止まってしまうまで。
「…ま。朱衡さま!」
呼ばれてようやく気が付いた。
目前で心配そうな瞳が揺れている。
「も、もしかして、あんまり下手なんで驚いてしまったんですか?難しい顔をしてましたけど…」
「…い、いや」
体が溶解するように感じた。
ようやく動き出した腕が、微かにしっとりしている。
「朱衡さま…?」
心配そうな瞳のまま、楽器を置いたは朱衡に歩み寄る。
近寄って顔を覗き込んだを見て、朱衡は急激に込み上げるものを感じ、思わず抱きしめてしまった。
もし、華明がまだ宿っているのなら、最悪の場合…
この手を離さねばならない。
成長を見守ることも、出来なくなってしまう。
王に対して安全でない者を、決して放置しておけないのだから。
だがそれと同時に、腕の力を緩める事が出来なかった。
「朱衡さま?どうしたの?悲しいの?」
見透かしたように言うに、朱衡はようやく腕の力を弱める。
「いいえ。とても綺麗な曲ですね。誰から習ったのですか?」
「作ったの。頭の中に浮かんできた響きを繋げていったらこうなったんです」
偶然であってくれたならと思ったのだが、それは早くも崩れ去ってしまった。
華明の意思が残っていると、考えることを止められない。
ましてや奏でる駮弾琴に、なんらかの力があるとなると…。
「そうですか。頑張りましたね」
「はい!」
無邪気に笑われてしまえば、もうそれ以上何も言うことは出来なかった。
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