ドリーム小説
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懐所舎利 =1= 「ふう…」
大きく溜め息を着き、英清君利達は喧騒の漂う隆洽の街を眺めていた。
近く、巧が荒れている。
王はまだ健在のはずだが、それももう僅かな時間しか残されていない。
何しろ麒麟が崩御したのだから。
塙麟失道から、崩御までは早かった。
塙麟崩御の報は、巧国を揺るがせ、民は一斉に国外を目指す。
隣国である奏は、その煽りを受けていた。
新王登極間もない波乱の国、慶に逃げようとする民は少ない。
少々遠くても、民は奏を目指すだろう。
奏は浮民の救済施設として、保翠院がある。
その大翠として公主文姫が長に納まっているが、それだけではどうにも賄えきれなくなっていた。
何しろ今まで慶から逃げてきた荒民も、まだ国内には数多く残っているし、さらに隣国からともなれば、その数は尋常ではなくなる。
今はまだそれほどでもないが、時間と供に加速度的に膨れ上がるだろう。
自分の仕事に加えて、荒民問題の為、昼夜を問わず書面に囲まれ、目も回るような忙しさの中、本当に目が回って倒れたのだった。
「少し養生なさいませ」
そう言ったのは、宗麟昭彰だった。
「今の内に休んでおおき。お前の分はやっておくから」
これは母である、王后明嬉からの言葉。
「利広のようにとは言わないが、たまには遊んできたらどうだ?」
宗王からの言葉に引き続き、
「そうよ、保翠院の大翠はあたしですからね。兄様は少し街に下りて、遊ぶぐらいが丁度いいわ」
文姫はそう言っただけではなく、本当に利達を後宮から締め出した。
唖然とするのも束の間、利達は諦めて隆洽に降りて来たのだった。
荒民の様子を見に、高岫山まで行ってみようかとも思ったが、騎獣を伴ってきていないのもあり、なんとなく街をぶらぶら歩いていた。
「この舎館、まだあったのか…」
ふと一軒の舎館に目を留めた利達は、その前で足を止めた。
街に下りるのは久し振りだったが、この舎館は覚えていた。
昔、家族で営んでいた舎館に、とてもよく似ていたからだ。
初めてその舎館を目にしたのは、いかほど前の事であったのか。
遠く記憶を手繰る。
「あの、何かご用ですか?」
突然声を掛けられた利達は、自分の事だと気付かずに、辺りを見回した。
左後ろに佇んで、自分をみつめる女性と目が合い、それで初めて自分が問われたのだと気がついた。
この舎館の者だろうか?
手には蔬菜の入った、竹篭を抱えている。
「私、ここの娘です。お泊りですか?」
「あ、いや。昔、似たような舎館にいたものだから、懐かしいなと思って…」
「お客さんじゃないのね」
少しがっかりしたような様子に、慌てた利達は急いで言った。
「い、いや。飯堂をお借りしようかと。丁度お腹も減った事だし」
女性はぱっと明るい表情になり、
「こちらへどうぞ!」
そう言って片手で竹篭を支え、もう片方の腕を利達に伸ばした。
飯堂に通されて、その一角に座らされた利達は、中を見渡してもう一度思った。
やはり、似ている。
もう随分と薄くなってしまった、遠い記憶。
「お待たせしました」
炒め物を皿一杯に持って、先ほどの女性が利達の元へとやってくる。
「うちは量の多さが売りなのよ」
そう言って片目を閉じる。
「確かに、すごい量だな」
実を言うと倒れてから、粥のような物しか口にしていなかった利達は、その量に再び目眩を感じた。
「残してもかまわないわ」
そう言われて、仕方なく食べ始める。
味はまあまあだったが、いかんせん量が多い。
しかし、女性は奥に引っ込まずに、じっと利達が食べるのを見守っている。
残すわけにもいかず、利達はなんとか完食した。
吐き気を覚えて、あわてて立ち上がり、もう無理だとばかりに外に向かう。
だが無理が祟ったのか、視界がぐらぐらと回転を始める。
やがて大きな音と供に、利達の体は飯堂の床に伸びた。
気がつくと衾褥の中だった。
ぼんやりと天井を見上げていた利達は、食べすぎで倒れたのを思い出し、慌てて起き上がった。
「うっ…」
またしても目が回り、臥牀に倒れ込む。
目眩の他、腹の辺りもきりきり痛む。
「あ、気がついたのね。驚いたわ、倒れるんだもの」
起きた気配に気がついたのか、少し怒った様子で、さきほどの女性が入ってきた。
「お前の店の飯には、何か毒でも入っているのかーって、怒って一人帰っちゃったじゃないの」
それで怒っているのだと判り、利達は謝ろうとして、もう一度起き上がった。
「寝てなきゃ駄目じゃないの!」
ばしっと怒られて、起きるのを諦めた利達は臥牀の上から謝った。
「申し訳ない」
「いいのよ。でも、無理して食べたのは許せないわね。お詫びにきちんと治して帰ってちょうだい。治るまではここから出さないんだから」
にこっと笑って言う女性を、利達は呆気にとられて見ていた。
「私、って言うの。あなたは?」
「わたしは、利達」
「利達さんね。で、どうして倒れたの?やっぱり、うちの…」
「いや、ちょっと働き過ぎのようだ」
「まあ、それは大変。適度に働いて、適度に遊ばなければいけないわ。それとも利達さんは、奏の人じゃないの?」
「え…いや。生まれも育ちも奏だが…」
「あまり奏国民っぽくないわね」
「そう、だろうか?」
「ええ。私の分析によると奏の人って、もっとのんびりしてるわよ。適度に働き、適度に遊ぶ。南国だからかしら?」
真面目に語るの顔を見上げて、利達は思わず目が点になった。
「あら?どうしたの?」
「あ、いや…よく観察しているなと思って」
「そう?ありがとう。これでもね、少学まで行ってるのよ」
自慢げに胸を張り、そう言うに、利達は問いかける。
「大学へは、行かなかったのか?」
「ええ。うちは大学へ行けるほどお金がなかったの。だから、少学を出てすぐに家業を手伝っているって訳。国から貰った田圃も、すぐに売ってしまったわ。そのお金で少し改装をしたから、今もまだあるのよ」
は少しも悲しそうな表情をせずに語ったが、聞いている利達は思わず同情をした。
何故そんなにお金がなかったのだろう。
不思議に思った利達は、それをに聞いた。
「ああ、父の性格なのよ。この舎館はね、荒民や浮民にも利用出来るように格安なの。母もそんな父を尊敬しているしね。泊まる人はそんなにいないけど、飯堂はお陰さまで大繁盛よ」
利達は感心してを見上げた。
「勉強も好きだったけど、あの時は両親に負担をかけるのが嫌だったの。だから嫌いなふりして帰ってきちゃった。だって人を雇う余裕もなかったんだもの。娘ならただで働けるでしょう?」
「今も、まだ苦しいのか?」
「ううん。今はもう平気よ。改装してからは、少しは奏の人も来てくれる様になったから。概観を変えると浮民が入りにくいからそのままだけど、中を綺麗にしたら、一度来てくれた人が宣伝してくれるようになったの。この三年で、随分人が増えたわ。今では人を雇っても大丈夫なくらいよ」
そう言っては溜め息をつき、遠くを見ながら言った。
「だからかしら。最近は頻繁に大学へ行けって言うの。実はばれていたのね…」
「大学へ行くのは嫌なのか?それとご両親が心配?」
「う〜ん…。もう心配でもないけど、嘘がばれていたってのがね。何か他の理由で出て行くのならいいのだけど…文官でも目指してみようかしら」
「ああ、それはいいかもしれないな。なら大丈夫だろう」
冗談で言ったのに、あまりにもあっさりと返された上、肯定されては驚いて利達を見た。
「本当にそう思う?」
「そう思う」
にこりと笑いは利達に言った。
「ありがとう。考えてみるわ」
は利達の額にそっと口づけて、房室を後にした。
そして残された利達は唖然としていた。
「今のは…」
額に手を当てて、先ほどの口付けを思い出す。
やがて遡るように、が房室に入ってきた辺りまで思い出すと、唐突に笑いがこみ上げてきた。
「わたしが怒られるなど…子童の時以来だ」
いつもは弟を嗜めたり、叱り付けたりしている利達は、この様子を絶対に利広には見られたくないな、と思った。 翌日、目が覚めた利達は起き上がって、大きく伸びをした。
目眩は軽く起ったが、体力も戻ってきたようだ。
「あら、おはよう。起き上がって大丈夫なの?」
粥を持って現れたに、利達は微笑んで返した。
「お陰さまで」
「でも、まだあんまり顔色がよくないわ。今日一日休んでいて欲しいけど、お家は大丈夫なの?」
「あ、ああ。恐らくは…」
はそれに微笑み、粥を置いた。
「妻君が心配してらっしゃるのなら、馬を出しましょうか?」
「妻君?」
違ったのか、と言っては微笑んだ。
「そうかな、と思っただけ。気にしないで」
そう言って粥を指差す。
利達はそれを頂き、丁寧に礼を言った。
「とにかく、まだ寝てなきゃ駄目よ。昨日よりは元気そうだけど、まだ目眩があるんじゃない?」
利達は軽く頷いた。
「お代は心配しなくていいから、しっかり治しなさいよ」
そう言って出て行くを、利達は見送って思った。
こんな事をしていれば、お金もなくなる訳だ。
何とか出来ないものだろうかと思いながら、その日の午前を利達は考え込んですごした。
午後になって、再び粥と、少量の炒め物を持ってやってきたに、利達は一つ提案をした。
「もし、この舎館を国に預けるとしたら、ご両親は怒るだろうか?」
は言われた事が理解出来ずに、首を傾げて問い返した。
「どうゆうこと?」
「荒民のための施設として、ここを解放し、必要な経費は国庫から賄う。それから給金も国が支払う。と言うことなんだが…」
は理解したと頷き、少し考える。
「それが実現すれば、父も母も喜ぶとは思うけど…無理な話ね。奏にはすでに、保翠院があるし、それを国に奏上できるほどのつてもないわ。それに、国がそんな都合のいい事を認めてくれるかしら?」
利達は微笑んで言った。
「つてはともかく、国にとってはいい案だと思ったんだが。近く、荒民が増えてくる。保翠院だけではとても賄いきれなくなる。とすると、民間に協力を仰ぐ事が出来れば、国としては助かる」
は感心したように頷いて、利達の顔を眺めた。
「利達は詳しいのね。国府の役人か何か?ひょっとして、文官?」
それに対し、利達は迷ったが、文官だと答えた。
「すごいお人だったのね。道理で詳しいはずだわ」
「つてを言うのなら、わたしが国府に進言しよう」
「ありがとう。でも、私の分析を覆すなんて、ちょっとがっかりだわ」
肩を竦めて見せて、は笑顔を浮かべた。
「分析?」
「そう、男前は頭が良くない。利達は美男だから、頭のいい文官なら私の分析は外れた事になるわ。あ、ちなみに美人は性格が良くないの」
「じゃあ、は性格が良くない?」
へっ、と気抜けしたような声を上げて、は利達を見た。
「私は美人じゃないから、性格くらい良くないと、誰も好いてくれないわ」
それを受けて利達は真面目に言った。
「はとても綺麗だと思うのだが」
一気に頬を染めたは、利達を見て慌てて言った。
「そ、そんな事、言われた事ないわ」
「本当に?周りの男は見る目がないな」
微笑んで言う利達にますます赤くなる顔を、これ以上見せられないとばかりには立ち上がり、慌てて言った。
「もう!からかわないで!!」
そう言って房室を出て行くを、利達は面白そうに見送った。
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