ドリーム小説




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麹塵の袍


=21=



宮城に戻ってきた王が、宰輔の許を訪ねて来たのはその日の夜だった。

まだあまり動くことが出来ないでいたは、宰輔の自室に留まっていた。

「しゅ、主上…」

慌てて起き上がるを制して、景王陽子は笑う。

「そのままでいい。体に障るだろうから」

陽子はそう言ったが、はそれでも起き上がろうとする。

「い、いえ…ここにおりますのは…台輔は知らぬ事で…あの…」

「?景麒にここにいると聞いて来たのだが」

「あ…」

今、予王の残像が過ぎったのだ。

違うと分かっているのに、景麒の側にいることを咎められるのだと瞬時に思った。

ようやく、起き上がろうとするの動きが止まった。

「ああ、そうか。うん、大丈夫だ」

すべてを理解したのか、景王陽子はそう言って笑った。

「色々と大変だったと聞いたが、体調の方は?」

「はい、なんとか。しかし私はもっと早く台輔にお知らせするべきでした…」

「こうして無事戻って来ることが出来たのだから、気にしなくてもいい。で、少し話をさせてもらいたんだが、大丈夫だろうか。もちろん、このままでもいい」

「はい」

王、直々に話があるのだと言う。

どのような内容だろうか。

牀(しんだい)の側にある椅子に座り静かに言う陽子。

「実は官吏の移動についてなんだが…」

王は麦州侯を冢宰に据えると言い、幾人か決まっている者の役職を言う。

「麦州の方ばかりですが、乱に何か関係がございましたか」

「やはりそう思うか。まあ、なくもないが…そうだな、偏っているように見られる可能性も大きいな」

「主上が信用できる方々なのでしたら、他の者の意見は聞かずとも良いかと」

「うん。だけど、誤解させたくはない。予王の任じた官吏だからと言って、小さくなられても困るから。そこで大宗伯。一時的になどではなく、このままその位置に留まってくれないかな」

軽く目を見開いたは、すぐに目を伏せ、首を横に振った。

「主上、私に大宗伯の器はございません。どうか、大卜にお戻し願えませんか」

「大卜に?大宗伯は辛い?あ、今回の事が尾を引いているのか」

「いいえ。大卜としての債務に誇りを持っているのです。それに私は梧桐宮が好きなのです」

「そうか、ではどちらかというと、早く大宗伯を返上したい?」

「大変失礼な事ではありますが、その通りでございます。私には荷が重すぎました。静かな梧桐宮に戻りたいと、毎日思っておりましたので」

「そうか、それでは仕方がないな。まあ、内宮も整理をするつもりだから、大卜の選出が省けただけでも良いか」

ふっと軽い溜息を吐いた陽子は、にこりと笑ってを見た。

「あの、主上。差し出がましいことではありますが…」

「なんだ?」

「元大宗伯ではいけませんでしょうか?あの方は、信じるに値する方だと思います。前王の時代より大宗伯として任についておられますし」

「そうか…なるほど。元大宗伯とも、ちゃんと向き合って話をするべきだったな」

「それは、何事においても必要な事ではありますが…時にとても難しい事でもあります。ですが今の主上のように、向き合う意思さえあれば、良い形が生まれるものだと信じております」

「うん。そうかもしれない」

そう言うと、王は立ち上がってに言った。

「では春官の一部は元に戻るようにしよう。大宗伯と大卜は数ヶ月前と代わらぬ方向で進める」

「ありがとうございます」




























寝ころんだまま、まだ痺れの残る手先を見つめながら、はこの数年を思い起こしていた。

初めて金波宮に来てから、予王が登極するまでの歳月よりも、予王が登極してから、今日までの歳月を。

まさに様々な事があった。

考えてみると、生きているのが不思議に思える。

一度は死にかけている。

奇蹟の出会いによって、その命は救われたのだが…。



ふと顔を横向けると、景麒の姿があった。

何時の間に入ってきたのか、まったく気配に気付かなかったは、少し目を開いて驚いた。

「手がまだ?」

「あ…いいえ。もう、大丈夫です」

はそう言うと起きあがり言った。

「早く治さねばなりませんね。いつまでもここにいては、台輔に迷惑がかかってしまいます」

「…。何故そのような事を申されるのか」

見上げた景麒の瞳の中。

そこに現れたものによって、は軽く頬を染めた。

「台輔…」

伸ばしたの手を、景麒がそっと包んだ。

包まれたままの手を引き寄せ、頬に当てると安らかな感情が訪れる。

「台輔…」

再び口をついて出た声。

その直後、柔らかい感触が唇に触れた。




























「大卜!よくご無事で」

梧桐宮に戻ってきたを迎えたのは、馴染みの顔であった。

元大卜であった鶏人も、今回の移動では梧桐宮に留まったようだ。

「梧桐宮から出されてしまってはどうしようかと、とても心配しておりました」

情けなさそうに笑った鶏人の顔が、妙に懐かしく感じた。

「大卜も大宗伯を断ったと聞いたのですが、それは本当ですか?」

「ええ。私に大宗伯などの、重い任は無理でした」

「そんな。大卜なら大丈夫でしょうに」

「いいえ、自分の事はよく分かっているつもりです。それに、私はこの麹塵の袍が気に入っておりますから」

「まあ、それは確かに認めますが。わたしもやはり同じように思っておりますから」

誇らしげな顔で言う鶏人を、は微笑んで見た。
























官吏の移動が一通り終わって、新しい王朝が進み出したある日。

今日も静かに梧桐宮の時は流れていた。

ひっそりとして、まるで存在しなかのようにも見える。

そこへ慌ただしい足音が侵入してきた。

赤い髪がの目前を通り過ぎていく。

「主上?」

「あ、大卜。ちょっと匿ってくれ」

「かくま…」

何も問い返せないまま、王の姿は宮の一郭に消えた。

「どうかされたのかしら?」

一人首を傾げる大卜の許へ、新たに訪ねて来る者があった。

「主上はどちらに行かれた」

「台輔…」

を通り越して、陽子の消えた方向を見て言う景麒。

「匿ってほしいと申されておりましたが…どうかなさいましたか?」

「…」

「まあ、喧嘩なさったのですか?」

がそう言うと、景麒は横を向いて瞳を逸らせる。

「こんな時、大卜に読まれるのはあまり嬉しくない。喧嘩など大層なものではなく、ただ意見がぶつかっただけで…」

憮然とした表情で言う景麒に、は軽く笑って言った。

「では、後で戻るよう伝言致しますので、台輔は内殿にてお待ち下さいませ」

「…」

しばらく沈黙を守った景麒は、諦めたように踵を返した。

景麒が消えてしばらく、陽子が物陰から顔を出して言う。

「ありがとう。助かった」

「いいえ。でも主上、なるべくお早めにお戻り下さいませ。台輔が言い過ぎた…いえ、言い足りなかった事を気にしておられます」

「そうか、うん。落ち着いたらすぐに戻る」

「では、気が落ち着くまで霊鳥をご覧になりますか?生き物は気を落ち着かせてくれますから」

「そうだな…。いや、いい。随分いい気分転換になったから、すぐに戻ろう」

「さようでございますか」

にこりと微笑むと、頷きが返ってきた。

そのまま王は梧桐宮を後にし、は宮の入り口まで送って戻る。

一人戻ってくると、ふと過去の事を思い出した。





予王もこうやってよく逃げてきた。

匿ってくれと言った事も一度ではない。

その度に王を庇って、台輔の前に立ちはだかる勇気は相当なものだったのだ。

しかし、予王の時とは明らかに違う。

現在の王には悲壮感がない。

子童の癇癪よりもかわいいものだ。

心配する必要もなかろう。

































その日の夕刻、景麒が梧桐宮を訪ねてきた。

「台輔。どうかされましたか」

「少し時間が空いたので。今は忙しい時間でしょうか」

「いいえ。夕陽でも見に出ましょうか」

「そうですね」

雲海の西に消えゆく夕陽を見ながら、露台に立った二人。

静かな波音が、耳に心地よかった。

弧を描いた岸壁に、白い波が踊っている。

「王と麒麟は契約致します」

景色にとけ込みそうだったの耳に、景麒の静かな声が響いた。

何を言い出すのだろうかと、顔を景麒に向けて続きを聞く。

「側を離れないと誓約するのです。王が天命を失えば病にかかります。そんな条理の許に生きているのです」

「はい…」

景麒はに顔を向けて続きを言った。

「それでも、大卜は側に居てくれますか」

「え…?」

「国のために生まれ、王のために死ぬ運命の者が言うことではありませんが」

まっすぐ見つめてくる景麒の瞳の中には、を真に思う気持ちが表れている。

「台輔…」

そう呟いた後の言葉が出てこない。

しばらく沈黙が続く。

は顔を逸らして雲海に目を向けた。

陽はすでに僅かな光を残すだけである。

「私は金波宮に来てすぐに、白雉の末声を聞きました。次に、長い年月を待って一声を聞いたのです」

消えゆく太陽に向かってそう言った

言い終わった時、陽は線に代わっていた。

登用されたその年、前々王の崩御があった。

どれほど一声を望んだ事か。

まだ赤みの残る空を見ながら、は続ける。

「次に私が末声を聞く事はないでしょう。何故なら、その時私はすでにこの世にいないからです」

…?」

青い闇が世界を覆い始めた。

景麒はの横顔を食い入るように見つめている。

答えるように振り向いたは、景麒の瞳に向かって言った。

「台輔と命運を供にいたします。いかな事があろうとも、お側を離れませぬ」



青い闇は紺に変わり、漆黒へと姿を変えてゆく。

しかしすぐに、無数の煌めきが現れるはずだ。

景麒がに歩み寄る。

もまた、景麒に歩み寄る。

まだ青い世界の中で抱き合う二人に、最初に現れた星が瞬きを見せた。








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ここまでのご拝読、ありがとうございました。

麒麟がお相手だと言うことで、最初は躊躇しておりましたが…

人間って麻痺する生き物ですね。。。

途中から「まあ、いいかあ♪」なんて思いながら書いてしまいました。

これで皆様の中のイメージが壊れていなければいいのですが…☆

                                       美耶子