ドリーム小説
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麹塵の袍 =20= 気が付くと、は再び青い罌粟の中心にいた。
いつかのように横たわり、空を見上げている。
違うことと言えば、覗き込む金色がないということ。
そっと体を起こして辺りを見回す。
変わらず、青い花が空を舞っていた。
「蓬山…何故…?」
立ち上がると、心の向くまま歩き出す。
罌粟が消え、駒草を通り越して、ついには芙蓉の咲く所へ出た。
一人の女仙が洗濯物を乾かしている。
「諷詠…?」
振り返った諷詠は手を止めてを見た。
「あら。また来てしまったのね」
「気が付くと罌粟の中に…」
「癖になったのかしら?」
「癖?」
「ええ、意識を飛ばすの…小さい頃からの願いだったものね。長く罌粟に包まれて眠っていたから、きっと無意識の内に来てしまうのね」
「あ…それでここに。…でも、いけないわね。蓬山へ軽々しく来てしまうなど…」
「まあね。意識だけとは言え、あまり奨励される事ではないわ。ただしが現れる時って、絶対にわたしが一人の時なのよね」
「そうだったの…気を付けるわ。すぐに目を覚まして、自分に言い聞かせるわ。でないと私は…また諷詠に助けを求めてしまう」
「…また、苦しんでいるのね」
「いいえ。何も苦しんでなどいないのよ」
にこりと笑ったは、気付かれぬように瞳を細めた。
諷詠に自分がどのように見えているのか分からないが、これで少しは分かりにくいだろう。
「戻るわ…またね、諷詠」
そのまま意識を金波宮に向ける。
罌粟も芙蓉も瞬く間に消えた。
ずしりと重くなった感覚に瞳を開く。
何やら外が騒がしい。
「台輔、台輔!」
扉を叩く音が聞こえているが、景麒はこの場にいない。
「太宰の命でございます。すぐにここをお開け下さい!!」
身を起こして辺りを見回す。
先程から変わった様子はない。
扉も窓もぴっちりと閉められており、朝か夜かも分からないほどである。
牀(しんだい)から降りて足を踏み出せば、ぐらりと揺れる視界。
それを押しとどめるようにして手を掲げ、扉の前まで進んだ。
牀の上で聞いた声は、扉の向こうから聞こえたように思ったのだが、今こうして扉の前に立つとその声はまだ遠い。
不思議に思いながらも、房室の中心に戻ってみる。
「台輔!台輔!!中から扉を開けて頂かないと、我々には開くことが出来ないのです!緊急に奏上したい事がございます!!」
やはり扉の前でなっているようだ。
だがその内容から、扉には呪がかけられているのだと気が付いた。
を気遣ってくれたのだろう。
「台輔、どうかお返事だけでも!」
台輔は不在だが、それを教えてやるには危険が伴うかもしれない。
は扉にかけられた呪について詳しくない。
どんな事で呪が解けてしまうのか、予想も出来なかった。
畢竟、何も声を発することなく、は牀へと戻った。
どれほど眠っていたのかすでに分からない。
だが、何かの強い気に引かれるようにして意識が目覚める。
空いた瞳の先に金の光が見えた。
「台輔…」
瞳に安堵が現れたのは、二人同時だった。
「いかがでしたか…?」
「酷い死臭が立ちこめていた。だが、主上のご指示で禁軍は引き上げた。太宰も時期捕らえられる」
「よかった…あ、ああ、台輔。先程その太宰の使いがこちらへ参っておりました。ただ…先程と申しましても、私が一度眠りにつく前のことですが」
「大宗伯を追ってきたようだ。まだ女官がうろうろしている」
「私は…よほど核心に触れてしまったのですね」
「だが、心配ない。すぐに靖共は捕らえられるだろう。主上も近い内にお戻りになる」
耳を澄ませば、台輔を呼んでいた声は、大宗伯に変わっている。
ここに居ると知っての事だったのだ。
迂闊に開けなくてよかったと、大きな溜息が零れた。
すると、景麒の指がすっと額をかきあげた。
暖かい指が心地よい。
「台輔…」
そっと、額に口付けが落ちる。
「今しばらく休まれよ。時期、騒ぎも落ち着こう」
「は、はい…」
瞳を閉じると、高鳴る胸の音が聞こえた。
ざわざわと寄せる波のような音にも似ている。
波は打ち寄せ、静かな世界を作る。
すべてを洗い流す海。
静かな鼓動。
清らかな水。
せせらぎで見つけたのは?
青い世界。
青い罌粟の花畑。
そこで見つけたのは?
いつも助けてくれるのは…。
「私は…王でもないのに…」
横たわったまま、一筋だけ涙が流れた。
ぼそぼそと話す声に意識が覚醒される。
何の音だろうかと身を捩り、瞳を薄く開けた。
灯りが房室の中に溢れているのが分かる。
「お戻りになられたか」
音を立てて体を起こした。
牀から飛び出すようにして降り、視界の歪みに膝をついてしまった。
「大宗伯」
すっと歩み寄って手を差し伸べたのは、間違いなく景麒だった。
辺りを見回してみるが、誰もその場にはいなかった。
「お戻りになったと…今…」
「まるで今にも泣いてしまいそうな顔をしている」
出されている手を取って立ち上がると、椅子まで引かれていく。
そのまま腰を下ろしたは、対面に座る景麒を黙って見つめていた。
「靖共は捕らえられ、先程主上はお戻りになられた。もう、何も心配する必要はない」
の聞きたかった事を、完結に教えた景麒。
「お戻りに…すべて解決したのですね。…台輔、ありがとうございます」
くすりと笑ったような音に、景麒を見つめる。
確かに笑っている。
「大宗伯は…礼を言ってばかりですね」
「そ…そうでしょうか…ですが…台輔はいつも私を助けて下さいます。何も出来ない私を…」
はまだ何かを言いかけていたが、景麒が被さるようにして口を開く。
「礼を言いたいのはわたしのほうだと言うのに」
「…え?」
「いつも…わたしを諭してくれるのは大宗…いや、だ。迷いもすべてによって断ち切られる」
「わ…私は何も…何も役に立っていないのです。いつも助けられてばかりで…台輔の…お邪魔をしてばかりで…」
驚きと喜びで涙が溢れ出す。
あるいはいつも感じていた、申し訳ないと言う思いなのかも知れない。
「大切な人を守りたいというのは、悪いことではないと思う」
「私には…それほどの価値などありませぬ。台輔を思うことさえ、罪だと言うのに…」
「何故罪なのですか。先の王がそう言ったから…」
「いいえ…。台輔は主上と命運を供にするべく、この世に生を受けたのです。それを…私が横から出てきて…」
「何を申されるのか…いつも迷いを払ってくれると言うのに」
「私が…台輔の迷いを払うことなど出来ましょうか…。台輔が自らのお心で決められていることですわ」
「そこにという存在が必要だと言うのを、どうすれば分かって頂けるのです」
はっきりと言われた声に、は涙と同時に、動きをも止めた。
その後何も言うことが出来ず、ただ景麒の相貌を眺めていた。
朝の清涼な空気が頬を撫で、通り過ぎて行ったがそれでも動くことは出来なかった。
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