ドリーム小説
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麹塵の袍 =19= 「ねえ、仙になれば呪を使うことが出来るって知ってる?」
「呪?諷詠、それはどんなもの?」
「さあ?そこまでは分からないけど、きっと凄い事よ!」
「凄い事?」
「そうよ。ねえ、何か一つだけ好きな呪を覚えられるとしたら、何を望む?」
「え?う〜ん…例えば何が出来るの?」
「何でもよ!好きなことを考えてみて」
「そうね…じゃあ、私はいつでも好きな所へ行きたいな。意識だけでもいいから。そうすれば真冬に暖かい国の景色を見に行ってみたい。南の国では冬でも花が咲いているんでしょう?」
「そうらしいわね。そっか、それも面白そうね」
「諷詠はどんな事がしたいの?」
「そうね。その力を使って仙になりたいわ」
「…?仙だから力が使えるんでしょう?仙になる必要はないんじゃないの??」
「え?あ、そっか!」
「もう、諷詠ったら」
笑い声が響いている。
明るい過去の映像の中で。
しかし徐々に暗い幕で覆われていくようだった。
急激に浮上していく意識を感じ、は重い瞼を開けた。
「ここは…」
真っ暗で何も見えない。
体を起こすと、軋むように全身が痛んだ。
固い床に寝かされていた為か、それとも意識を失った後に更なる衝撃があったのか。
「諷詠…」
夢を語り合ったあの頃。
仙籍にあることが、これほど苦しみを伴うものだと、どうして知り得ただろうか。
白雉は末声を鳴き、新王には恨まれ、今またこうして暗闇の中にいる。
こんな時、いつも思うのだった。
自分は何も出来ないと。
何の力も持っていない。
仙になったと言うのに、誰の役にも立っていない。
「禁軍は…宮城を出てしまったのかしら」
もし、あの時こっそりと抜けだし、誰かに警告する事が出来たなら…。
王は拓峰に居るのだろうか。
無事で…いるのだろうか。
せめて、禁軍が動く事を台輔に知らせる事が出来たら…。
は祈るように瞳を閉じた。
思惑とは裏腹に、意識はそのまま抜け落ちるようにして消えた。
「…伯…宗伯…。大宗伯!」
呼ばれた声に起こされて、ぱちりと開かれた瞳。
何やら白いものが闇の中に蠢いている。
辺りは薬草のような匂いで充満していた。
「な…何…?」
「使令の芥瑚でございます。台輔の命でここにおります」
「台輔…?何故台輔がここをご存じなのですか?」
言いながら体を起こそうとするが、体が痺(しび)れて上手くいかない。
「存じ上げてはおりません。ただ探すように言われてここに辿り着きました。すぐに出して差し上げ…」
芥瑚がそう言った直後、かたりと音が響いた。
白い体は闇に溶けるようにして消え、は慌てて地に伏せる。
音は続いて鳴り、扉が開くような音がした。
見回りに来たのだろうか。
足音が近付いてきたが、立ち止まるようなこともなくすぐに去っていった。
芥瑚との話し声がそれを誘ったのだろうか。
音が消えると再び芥瑚が姿を現し、の手を引いて立ち上がった。
どこから持って来たのか、扉を鍵で開き先に進む。
金茶の縞を見失わぬよう歩き続け、時には白い腕…いや、翼に動きを制され、ようやく見覚えのある所まで辿り着いた。
「大宗伯!」
それまで歩くのが精一杯だった。
呼ばれた懐かしい声は、力を抜くには充分だった。
安堵が波のように押し寄せ、その場で脱落するように崩れ始める体。
芥瑚がそれに気が付きそっと支えた。
「台輔…」
それだけを口に出すと、ついに意識は抜け落ちてしまった。
ただ暗いばかりの所から一変して、白い世界が広がっている。
深い紫紺の空。
青い罌粟の花が舞う。
空はどこまでも続き、果てのない世界を瞳に映しだしていた。
その瞳が実は閉じていることにも気付かず、はその景色に見とれていた。
青い罌粟は円形に生え、その中心は長細く空いている。
辺りを見回しながら、花の舞い散る罌粟苑を抜けると、紫花地丁(しかじちょう)の生息する場所へと抜けた。
その中心で紫花地丁(しかじちょう)を摘んでいる見覚えのある人物。
「諷詠…」
「あら、。助かったようね」
「助かった?」
「あら、まだなの?」
「あ、いいえ。もう大丈夫。だけど、どうしてその事を知っているの?」
「どうしてって、から聞いたのよ?」
は少し笑って諷詠に言った。
「何だか変な夢ね。少し現実的で不思議だわ」
そう言うと、諷詠が首を傾げて言う。
「夢?…ああ、は夢だと思っているのね。貴女が自らの力で私に助けを求めてきたの。小さく蹲った姿で、暗い所に閉じこめられていると言って」
「私が…?」
「ええ。だから朱雀を飛ばしたわ。慶の台輔に向けて」
「それで…助けられたのね」
諷詠の頷きに、は不思議な表情のまま頷く。
その表情につられたのか。
諷詠も不思議そうな顔で問う。
「ねえ、何故閉じこめられていたの?金波宮にいるのでしょう?」
「あ…そ、そうだわ…」
急激に思い出された事によって、は表情を変えた。
一刻も早く告げねばいけない事があったと言うのに、何故今まで忘れていたのだろうか。
諷詠の許から翻る体。
紫花地丁苑を抜けると罌粟が現れる。
罌粟苑を走って駆け抜けるの視界の端。
金の髪が現れ、緩やかな風に揺れていた。
「台輔…?」
そこでようやく、ぱちりと目が開いた。
牀の横に景麒が立ち、の様子を窺っていた。
美しい夢の世界から一変して、現実が重く肩にのしかかる。
「台輔!禁軍が!!」
叫んだ反動で目が回った。
ぐらりと後ろへ倒れそうになった体を、景麒の腕が支える。
そして静かな声が降り注ぐ。
「知っている」
再び牀に身を沈めたは、首を動かして景麒を探した。
体はまだ痺れている。
「知って…?」
「たった今、主上から招集があった」
「招集…とは…?」
「主上は拓峰におられる。現在禁軍に包囲されているようだ」
景麒が言ったことを理解できたのは、しばらく経ってからだった。
「王が…自らの軍に包囲されるなど…常軌を逸しております」
景麒はそれに頷いたが、動く気配を見せない。
いつ発つのだろうかとの瞳が疑問を浮かべる。
ふいと景麒の瞳が反らされた。
「台輔、太宰を捕らえて下さいませ。禁軍を差し向けたのは太宰でございます。私を暗闇に閉じこめたのも太宰なのです」
「主上に出来ぬ事がわたしに出来ようはずもない」
「主上に出来ぬ事など…慶にありましょうか?勅命を持ってすれば、可能でございましょう」
「あの方はまだ官に萎縮なされている。それに今は宮城にいない」
今は戦場と化した拓峰に王はいる。
禁軍に囲まれているのだから、一刻も早くそこから連れ出さなければならない。
自らの軍に王が討たれてしまうなど、笑い話にもならない。
「招集があったのは何時のことでございますか?たった今と仰っておりませんでしたか?」
景麒の頷きを見て、は再び体を起こす。
「それでは台輔…こんな所にいてはいけません。すぐに…」
ふと、向けられた景麒の視線。
それによって一瞬、言を繋ぐことが出来なかった。
その瞳が、を心配している。
瞬時に読みとる事が出来るほど、はっきりと現れているのだ。
どこに囚われていたのか、どれほど姿を消していたのか、未だ知らないでいる。
だがにとって、そんな事は大きな問題ではない。
「台輔!どうか主上のお側に」
厳しい顔が真っ直ぐ景麒に向かった。
「しかし…」
「国には王が必要なのです。例えそれがどのような人物であろうと…天啓をうけて登極した正統な王ならば、天意が去るその瞬間まで玉座におらねばなりません。台輔はそれを全力でお守りするべく、存在しているのではないのですか?こんな所で、ちっぽけな命を心配している時ではございません」
家は何者かに襲撃され、その後国外追放の命が出た。
それでもは生きていたのだ。
だが王が崩御して、国はますます荒れていった。
その間に増えた妖魔は、の命を奪おうとした。
今ここで王が亡くなれば、と同じ目に遭う民が急増するだろう。
里も街も関係なく、妖魔が現れる。
のように、運良く助かる例は少ないはずだ。
「台輔…お願いです。私は大丈夫ですから、すぐに主上の許へ。こうしている間にも、禁軍が動くやもしれませぬ。包囲した先に王がいる事など知らず、攻撃を開始すれば…幾多の命が消えることでしょう」
その言によって、ようやく景麒の心が動いた。
「それで良いのです。私の為になど、時間も使令も使ってはなりませぬ。私も台輔も…ただ一途に、国のためにあるのですから」
景麒はの瞳をじっと見つめてしばし、やがて大きく頷きながら言った。
「何人たりとも、この房室に入らぬよう命じておこう。わたしが戻るまで、ここから動かないと誓って頂けるだろうか」
「誓います、台輔」
「では、わたしも主上と供に戻ることを誓おう」
そう言うと、景麒は踵を返してその場を離れる。
同時に、の保っていた意識も次第に薄れてきた。
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