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麹塵の袍 =18= 翌日。
波乱含みの朝議が開かれた。
御名御璽が記された書面には、和州止水郷郷長の更迭を行う勅命であった。
しかし、それを糾弾する官が大多数を占めた。
「和州止水郷長を更迭する理由が分かりかねる。何か確かな証拠があっての事でありましょうか」
「更迭となると、次の郷長が必要となる。適任がおりましょうか」
そう言った意見が反対派の主な主張であった。
勅命であると言っても、王はこの場にいない。
ゆえに御名御璽ですら、大きな意味を持たなかった。
賛成派も理由なくして更迭せよと言い出した、この場にはいない王に不信感を抱いているようだ。
にしても、何故ここに来て止水郷長なのか分からなかった。
しかし景麒の不調を考えると、王の身の回りで何か良くないことが起こっているだと言う事は想像出来る。
ここで更迭が叶わないというのが、今後どのような悲劇を招くのだろうか。
そう思うと、もう黙っている事など出来なかった。
「王の命は絶対でございます。郷長に非があるにしろないにしろ、我々に反対する事は出来ぬはずです」
一瞬、その場の誰もがに注目した。
こんな官吏がいたのだろうかと、言いたげな瞳も中には含まれている。
「しかし、人道を外れた更迭でないと言いきれようか?もし王が人道を外れていくのなら、それを止めるのは我々の役目」
重々しくそう言ったのは、元冢宰である天官長だった。
しかし、はそれでも口を閉ざさなかった。
「女の国外追放が言い渡された時、誰か反対いたしましたか?あれもまた、勅令であったのですよ」
太宰靖共はやや狼狽えた様子を見せたが、すぐに気を取り直して言う。
「だからこそ、今また同じ失敗を繰り返してはならないのでは?先王のように、失策を推奨する訳にはいかんだろう」
それには賛同の声が幾多もあがり、さすがにこれ以上は口を開くことが出来なかった。
が口を閉ざすと、それ以上は何も言う者がおらず、朝議はすぐに散会となった。
密かに囁かれる声が各所で起こったが、それが表面化する事はなかった。
景麒は朝議が終わると、すぐに瑛州府へと向かった。
瑛州師に働きかける為だった。
朝議で更迭が上手く行かない事は主も想像していた。
ゆえに次の対策として、瑛州師を動かす事になっていた。
しかし、将軍が揃って出陣を渋る。
あれこれと理由をつけては退出していった。
亀裂はこんな所にもあったのかと、思わず大きな溜息が落ちた。
もちろん、それを拾う者は誰もいないのだが…
その頃は西宮にいた。
朝議で発言した事がまだ尾を引いている。
決して良心に悖ることを言った訳ではない。
だが、視線が刺さると言う事が、あれほど痛いものだとは知らなかった。
本音を言えば、発言した直後から逃げ出した衝動に駆られていた。
先の王があの場から逃げたくなった気持ちが、今になって痛いほど分かる。
西宮へ来たのは、一番慣れ親しんでいる場所だったからだ。
元大卜として宰輔に出入りを許された。
霊鳥をただ眺めているだけでも、その心が落ち着いていくのだった。
その日の夜、は宰輔の許へと向かっていた。
景麒は緊張した面持ちを崩しておらず、それがの緊張をも誘った。
「台輔…お顔色がすぐれませんが、いかがなさいました?」
「出せるだけは全て出した」
意味不明の言が呟かれる。
訝しげな視線を送るに、景麒は崩れぬ表情で言う。
「主上に使令を」
「主上に使令…?出せるだけ…って…」
分からないなりにも呟いていると、揺らめく幻影のように起きている事が見えたような気がした。
は目を見開いて、確認するかのように問いかける。
「台輔、主上は今…使令の力を必要としていると言うことでしょうか?何処におられるのです?」
「近い内に、梧桐宮にも知らせが参ろう」
梧桐宮に来る知らせが、良い知らせだとは思えない口調だった。
その知らせが、二声宮からでないことを拙に願うは、末声を聞いた官吏の宿命だろうか。
知らせがあると景麒が言ってから、四日が過ぎていった。
未だ何も知らせはない。
しかしは西宮に足繁く通っていた。
もちろん、今は心を落ち着ける為ではない。
ただ不安を抱えたまま、外宮で待機する事が出来なかったのだ。
それぞれの苦悩をのせて、夜が明けようとしていた。
その日未明、宮城に知らせが舞い込んだ。
は一番に呼び出され、代わりを勤める大卜に助言を求められた。
しかし、仮の大宗伯にそれらを判断できるはずもなく、やむなく他の六官長を外宮に集め、宰輔を呼びに官をやった。
青鳥を手に持ったは段上に宰輔が現れるのを待って、その内容を告げた。
和州、拓峰に民の反乱有り。
数日前から小さな諍いが起きていたようだが、今回は規模の大きさから確実に反乱だと認識された。
その知らせを説明している間に、一連の大筋が見えたような気がした。
王は雁になどいない。話し終える頃には、そのような確信を持っていた。
もちろん、王が拓峰にいるのではないかなど、口が裂けても言えるはずがない。
その身に危険が迫っている事は、景麒が使令を送っている事から容易に想像出来たが、まさか乱の渦中にいようとは。
使令がいたとて心配である。
使令がどれほどの力になるのか。
大軍に囲まれた時、王は助かるのだろうか。
そのような事を考えながら報告を終えたは、それから一切口を閉ざした。
様々な切り口から意見が飛び交っていたが、もう、それのどこにも興味がない。
の思いは二声宮にいた。
崩御と鳴いた、その声が脳裏に繰り返し蘇る。
紛糾を極めた朝議が終わり、はとぼとぼと宮道を歩いていた。
目前に西宮が迫っていたが気付かぬのか、一点を見つめてひたすら進んだ。
無意識の内に、足は先に進んでいる。
ようやく立ち止まった時には、白雉が羽に頭を埋めて眠っている図が瞳に映し出されていた。
「二代の王に仕えた麒麟…」
ふと、そんな言葉が過ぎった。
それは皆無ではない。
しかし非常に少ないとされる。
だが、の思惑はそこではなかった。
「三代は…いたのかしら」
才の麒麟は二人目の王に仕え、その治世は現在も続いている。
芳も二代目だったのではなかろうか。
しかし州侯の反逆によって、その命を散らせた。
三人の王に仕えた麒麟は、はたして史上にいたのだろうか。
独自の観念で、それはあり得ないような気がしていた。
二人の王に仕え、その治世が途切れるとき。
それは麒麟の命運をも攫っていくのではないだろうか。
あまりにも短い治世であった前王。
即位したばかりの現王。
もしここでその命が…白雉が末声鳴くのだとしたら、それでも景麒は生きているだろうか。
なによりも、天は許すのだろうか。
在位のあまりに短い王を選んだ麒麟を。
ぼんやりと歩いていたせいか、は気が付くと見覚えのない場所を歩いていた。
ここはどこだろうかと辺りを見渡す。
すると前方から来る人影が見えた。
咄嗟にとった行動は自分でも不可解だったが、は慌てて柱の影に隠れる。
しかしその人物は途中で立ち止まり、誰かと何やら話し込んでいる。
素直に見つかって道を聞いたほうが良いかと考え始めた頃、なにやら聞き覚えのある声がした。
「禁軍――――すぐに――拓峰――――――――――沈め―――――」
何を話しているのだろうか。
内容までは聞き取れなかったが、拓峰と言う地名がはっきりと耳に入ってきた。
拓峰と言えば、王がいるのではと予測した場所だ。
もちろん、今は乱の渦中にある。
「しかし―――――――では?禁軍を出した―――逃れる事は出来ま――」
は物音を立てぬように気を付けながら、声の方へと近寄っていった。
少しは聞こえやすくなったが、声の主がどこにいるのか分からない。
「呀峰は狡知にこそ長けてい――英知には乏しい。万が一王がこれを聞きつけ――――――国が動くことになった――――――昇紘も道連れにするだろう。そうなれば――――――で――――――禁軍を出した咎めを受ける事など、すべてが明るみに出る事を――――――ない」
聞き取れない箇所は多かったが、声の主が誰なのかは分かった。
さきほどまで聞いていた太宰の声である。
禁軍を出す話をしていると言うことは、相手は大司馬だろうか。
呀峰と言う官吏は知らないが、昇紘は和州侯の事ではないのか。
だとすれば、拓峰に禁軍を向けると言う事ではなかろうか。
「それは…ありえない事だわ」
思わず声が口をついて出てしまった。
「誰だ!」
夏官長の声が響き、は逃げる事も出来ずにその場で硬直したように立ち尽くす。
物陰であったのはではなく、太宰と大司馬のようであった。
柱の影から現れる二人の官吏。
こうなってしまっては、止めるより他に策はないとは考えた。
「大宗伯。夏官府で何をしておいでです?」
険しい顔で問う大司馬に、は震える唇をぎゅっと噛み、覚悟を決めて口を開いた。
「鸞は…」
何を言い出すのかと、二人の官吏は目を見合わせた。
「鸞は王の私物です。王の命なしに梧桐宮から出すことはありません。それと同じように、禁軍もまた王の物です。その命なく、動くことは許されません」
「それは少し違うな」
太宰靖共が皮肉げに口を開く。
「鸞は王でなければ使うことが出来ない。水禺刀や碧双珠と言った宝重と同じように。しかし禁軍は違う」
「違いません」
言い切ったに、乾いた笑い声が返ってきた。
見下すような目をに向け、次いで大司馬に向かって口を開く。
「夏官府に見慣れぬ者が入り込んだようだ。これはいけない。早く捕らえねば」
しかし大司馬はすぐには動くことが出来なかった。
いくら靖共が元冢宰と言っても、現在の立場は一緒だった。
同じ六官長である。
夏官長が春官長を捕らえたなど、夏官府に侵入したからと言う理由だけでは無理がある。
しかし靖共はそれを見透かしたように言う。
「わたしは長年冢宰を勤めてきた。大司馬もまたしかり。しかし大宗伯は近頃お代わりになられ、まだ新しい大宗伯の顔を認識していない。見たところ位袍も卿伯ではないし、他官府の者としても何処の位袍か分からぬが…大司馬、お心当たりはありますかな?」
は未だ麹塵の袍を身につけている。
それは三公に移動した大宗伯に、いつでも位を返すつもりでいたからだ。
大卜としての債務も忘れてはいない。
畢竟、は大宗伯の器ではない。
それを自分で嫌と言うほど感じていた。
あるいは大卜としての位置を好んでいるのかもしれない。
いずれにしろ、梧桐宮に仕える官吏としての矜持がこの上もなく大きいのだ。
それが裏目に出ようとは、この瞬間まで思ってもいなかったが。
大司馬の心得たような笑顔が、太宰の言に答えた。
「いいえ。まったく見覚えがございませんね」
そう言うとすぐに捕らえるための手が伸ばされた。
にしてみればそれは刹那で、逃げる隙など微塵も存在しなかった。
声を出すことも叶わず、強い衝撃に意識が遠のいていった。
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