ドリーム小説
Welcome to Adobe GoLive 5
金の太陽 銀の月 〜太陽編〜 =13= そして三ヶ月後。
は小学を卒業していた。
言葉にも随分なれ、舎館に於いて分からぬ事柄は、もはや存在しない。
「うん。我ながら偉い」
小学の学頭の取り計らいで、少塾を紹介され、特殊な授業を受けた。
官吏になるために必要な事を、集中的に教授されたのだった。
働きながらも真面目に通って来るは、老師達からすれば学生の鏡のような存在だった。
海客だと言うことがさらに勤勉さを感心させ、教えるほうにも熱が入る。
自身も答えようとするものだから、加速度的に学ぶ事は増えて行った。
どれほど頭の中に入っているのかは分からなかったが、気がつけば少学への推薦を貰っていた。
その異例の速さに驚く者は多い。
なによりも舎館の女将が喜び、来る客すべてに自慢するほどだった。
恥ずかしいので止めて欲しいと懇願して、ようやくおさまったぐらいだ。
その間利達は数回、舎館を訪れていたが、はあえて現段階の事は伏せていた。
また、利達がどの府第にいるのかも、聞こうとはしなかった。
突然目の前に現れて、驚かせてやろうと思っていたのだった。
数日後、は少学へと通い始めた。
さすがに少学ともなると授業内容は難しく、より実践的になっていた。
ついていけるだろうかと、弱気な自分を叱咤しながら、は夜遅くまで勉強した。
寝不足がちで時折ふらりとした足取りを見せるに、会いに来た利達などは心配していた。
だが覚えねばならぬ事は多く、舎館の仕事を投げる訳にも行かないにとって、睡眠時間しか削る所がなかったのだった。
そして二年の月日が流れた。
流されてきた時よりも、ずっと大人びた雰囲気の備わったは、めでたく少学を卒業し、官吏への登用試験を受ける事になっていた。
やはり利達には何も告げないままであったが、後々驚かせるため、言いたいのをぐっと堪えるのであった。
そして、いよいよ試験かという前日、利達はいつものように舎館を尋ね、と街を歩いていた。
「近頃はきちんと寝ているのか?まだ顔色が良くないと思うのだが。頑張りすぎて病気にでもなってしまったら、元も子もないからな」
「うん…大丈夫よ…」
いつもと違い、うわの空で返事をするに、利達は質問をぶつける。
「本当に大丈夫か?熱があるのでは…」
すっと伸びてきた手がの額に当てられたが、動揺する気配もなくただ大人しく終わるのを待っていた。
「少し熱いような気もするが…大丈夫なのか?」
「熱い…?なにが?」
今のの頭を覗くと、複雑に絡み合った文字や数式が見える事だろう。
利達と会えるのは嬉しいはずなのに、明日の試験の事で余裕のない状態だった。
さすがに舎館からも三日の暇を出され、試験に集中するようにと激を飛ばされていたが、それが余計に緊張と混乱を招いていた。
しかし、事情を知らない人物から見れば、酷くそっけない。
楽しそうでもなければ、嬉しそうでもない。
煩わしいのだろうかと、思わずにはおれないような態度だった。
「ひょっとして、わたしは邪魔なのだろうか?」
「邪魔…?」
「そうか…」
静かに離れていく手にも気がつかず、はぶつぶつと呟いていた。
いつの間にか定位置になってしまった、民居の間に生える木に寄りかかりながら、難しい顔で何度もそれを繰り返していた。
「は、わたしの力がなくとも大丈夫になったんだな。少し寂しい気もするが、成長の証か…それとも、好きな男でも出来たか…」
「証…。好きな男…?うん、いるよ…」
「‥‥‥そうか」
そこまでは薄く覚えていた。
気がつけば利達の姿はなく、は一人で木に寄りかかっていた。
深く考えるあまり、帰った事にすら気がつかなかったのだ。
思い返してみてようやく、は血の気が引くのを感じた。
「私、邪魔って言った?利達を邪魔だって言ったの?ううん。邪魔なわけないじゃない!好きな男がいるって?いるけど…だってそれは…」
泣かないと決めたの意思が、二年目にして崩れそうになっていた。
それだけの時間が経てば、自分が何故利達と肩を並べたかったのかなど、気がつくには充分だった。
対等になりたかったのは、同情や哀れみではなく、一人の女として利達に見てもらいたかったからだ。
海客だからではなく、として、一個人として対等に見て欲しかったのだと、ある日唐突に気がついた。
それがさす感情といえば、他に何も考えられない。
は利達が好きだった。
いつからかは分からない。
遡れば最初の出会いからだとも言えようし、度々会う過程でだとも言えよう。
とにかく、好きだと気がついてしまってから、ますます勉強に励んだ。
舎館と国府とでは、近いようで遥かに遠い。
立場に隔たりがあるのを、ひしひしと感じていた。
例え利達が国府に於いて下官であっても、にとっては…いや、一般の人間からすれば天上の人なのだ。
それでも会ってくれている利達に、淡い期待を抱いた事もあったが、気持ちを伝えるのは、自分も国府に入ってからだと決めていた。
「なんて…なんて莫迦な事を…」
なんと間抜けな失態なのだろうと、は木を見つめながら思った。
涙が出そうになったが、それをぐっと堪えて耐える。
ここで泣いてしまっては、二年前の誓いが無意味になると思ったのだ。
「…」
じっと木を見つめ、は考える。
やがて大きく息を吐き出して、は木に向って言った。
「いいわ。国府に上がって、利達を見つける。ちゃんと向き直って、誤解を解いてみせるわ!」
挑戦状を叩きつけるかのような口調で木に言ったは、踵を返して舎館に戻っていった。
すべてを見ていたその木だけが、いつもと変わらず穏やかに葉を鳴らしていた。
数日後、は自室で荷造りをしていた。
「、国府に上がっても、たまには顔を覗かせとくれよ。この舎館はあんたの家だからねえ」
女将が自室に餞別を持って現れ、涙ながらに別れを告げていた。
「女将さん…本当にありがとうございます。私はここで、本当にたくさんの事を学びました。言葉や風習…なによりも、人の温かさを教えて頂きました。みなさまのご多幸を、国府よりお祈りしております。揺ぎ無い豊かさを守っていけるよう、国の一員として頑張って参りますわ」
「なんだよ改まちゃってさ。本当に立派になったよ、あんた。こっちこそ、人間の努力がどれほど素晴らしいのか、しっかりと見させてもらったよ。看板娘がいなくなるのは痛いけど、今度は国官が出た舎館として、客に売り込んでいくさ」
「それは…客寄せになりますか?」
「…微妙だねえ」
「ですね」
笑いあった二人を、厨房の者が外で見守っていた。
本当の母子のようだと囁く声が聞こえ、は女将に抱きついて別れを終えた。
厨房の者も集まってきており、一人一人と挨拶を交わし、は国府へと向った。
は見事試験に合格し、春官に配属される事になっていた。
別れは辛いが、新たな出会いが待っている。
なにより、利達の傍に行く事が出来るのだ。
これでようやく一歩近付いた気がした。
問題は誤解されたまま、舎館を出る事だった。
気がついてくれるだろうか、それとも、もう尋ねて来ないのか、どちらだろうか。
そんな事を考えながら、は国府に入って行った。
|