ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜 =31= 宮城につくと、朱衡と小宗伯は自宅へ戻って行った。
小宗伯の様子を見ると気がかりではあったが、朱衡がついているから大丈夫だと言った尚隆の言葉を信じるしかない。
「危ない目に遭わせたな」
「ううん……尚隆が来てくれるって……信じてたから」
「そうか」
「本当はね……少し不安だったけど。だってなかなか来てくれないから」
房室に戻り、暖かい茶器を手に包みながら言う。
客殿ではなく、王の自室で話をするのは初めてだったが、それを喜ぶような心情ではなかった。
「ねえ、自分を信じることが出来るのかって言われた時、私がいった言葉を覚えてる?」
「胸を張って生きると言っていたかな」
「そうね。でも……今ちょっとだけ自信がなくなっちゃった……正しいことをしたのか……それとも間違った事をしたのか……自分の判断が正しかったのか……今は……」
分からないと言いかけて、は首を横に振る。
「ううん、本当はいつだって不安だわ。自分の判断が正しいのか、間違ってはいまいか、いつもいつも考えてる。だって、人生を左右するかもしれない言葉を紡いでいるのよ。私の助言によって何かを諦めたり、間違った行動をとったりする可能性だってあるんだもの……レギーナでいる自信が大きく揺らいでいるの」
茶器を手の中で転がしながら、ぼんやりと言う。
「ありのままでいれば、それで良い」
その短い言葉は瞬く間にの全身に染みこんだ。
正しかったのか間違っていたのか、それを推(お)し量ることは出来ない。
だがありのままで良いと言ってくれる人がいるのなら、それだけで満たされるものなのかもしれない。
「私……尚隆に出会えてよかった……。蓬莱の同僚や友達、家族や環境を越えて……側にいたいと思える人と出会えたから。本当に人を愛するってこういう事だったんだって……知ることが出来たから」
はそう言うと茶器を置いて立ち上がる。
尚隆の背後に廻ると、首筋に腕を絡めて言った。
「だから、しばらく一緒にいさせてね」
ここに来て様々な記憶が蘇る。
流れ着いた島や妖魔。
この国で出会った人々。
「先輩……同じ春官の中に被害者と加害者と共犯者が混在していた。しかも身近な人達ばかり……。心がぼろぼろだわ……」
自分自身も……山岡が冬器に貫かれた時の振動を、忘れる事は出来ないだろう。
そして同じように庇(かば)われた小宗伯もまた、繰り返し思い出すだろう。
自分に向けられた想いの強さと、里謡や山岡の最後を。
「いつも人の心配をしているが……」
首に絡めていたの腕を解きながら言う尚隆。
軽く振り向きながら続きを言った。
「自分の心配をしたほうがいいことを気が付かねばな。また攫われてしまうぞ、こんな風に……」
引き寄せられて気が付けば、暖かい腕の中にいた。
「私はだって……」
「そのだってが、小宗伯の逆鱗に触れねばいいが」
抱きかかえられるような体勢のまま、は少し考えてから言った。
「だって、攫われたら尚隆が助けてくれるんでしょう?だから里謡を私のところへ送ってきたんじゃないの?」
「ほう……気が付いていたか」
「なんとなくね。でも本当のところはどうなの?」
「里謡を教育係に選んだのは、偃松の両親を救出するためだ。岡亮が死んだ事になってから、偃松はずっと監視されていたからな。その両親は関弓の店に、内史府から消えた数名の監視下で存命だったのが救いか」
「私が色々教えてもらってたあの日、探しに行っていたのね。それで見つかった?」
「いや、目星はついていたが確信がなかった。確信を持ったのは遠出した時だな」
「あ……ひょっとして……帰ってこなかったあの時……」
「そうだ。寂しかったか」
言い当てられると恥ずかしいものだと自覚する。
向かい合った顔を逸らしても逃げ場は少ない。
否定したいがそれも変だ。
「……うん」
消え入りそうな声で答えた。
さすがに目を合わせる事は出来なかった。
すると小さく笑う声が聞こえ、その直後顎ごとさらわれて口付けられた。
「いつかは……誘うだけ誘っておいて逃げられたからな」
しっかりとを抱きしめてそう言う尚隆。
真っ赤な顔がそれに反論しようとした。
「誘ってなんか……」
ないと言う前に思い出した。
信じると言って口付け、すぐに逃げた時の事を。
「同じ海を見たから……かな。尚隆の事、いつから好きなんだろ、私」
「分からないのか」
「そうね……よく、分からないかも」
「では最初からと言うことにしておけば良い」
再び口付けられる。
そのまま頷いた。
まだ話したいことはあったが、今はこの福音に浸っていたい。
そう思った。
翌日、は小宗伯とはしばらく会えないと、尚隆から聞かされた。
「先輩に何かあったの?」
「大宗伯、並びに小宗伯は今回の混乱を止められなかった責任を取るべく、一ヶ月の謹慎を命じた。明後日からだ」
「責任をとって謹慎だなんて……」
「ただし王の管理下に置くことを理由に禁苑でな」
「……あぁ、なるほど」
尚隆の計らいだと分かった。
小宗伯の心は本当に疲れきっているのだと思う。
それでなくとも衝撃の映像が頭から離れなくて、仕事どころではないだろう。
だが支えになる人とともに少し休むことが出来れば、短い期間でまた戻って来ることが出来るのではないだろうか。
「でも先輩や朱衡さんがいないと大変なんじゃない?」
「……そうだな」
自分で決定した事だろうに、嫌そうな顔で軽く溜息を吐いた尚隆。
「ここで尚隆がしっかりやってくれないと、先輩の療養が進まないわ。お願いね」
「では癒してもらおうか、毎日」
「ま、毎日!?」
「嫌か?」
「そっ……それは……。嫌じゃ……ない、けど……」
その言葉を待っていたのか、にやりと笑った尚隆。
引き寄せられて口付けが落ちる。
「ねえ、どうして明後日なの?」
口付けた影響で赤い頬のが問う。
「今日は事後処理で追われている。内史府の人材補充や今後の指示などだな」
「じゃあ明日は?」
「関係者だけを集めて……密葬を行う」
「……山岡さんと、里謡の?」
「そうだ。内史は失踪のまま除籍してある。里謡も同様に処す。偃松は史官教育のため新しい内史につける。今まで以上に頑張るだろう。対外的にはそうしておこうと決まった」
「私も……その密葬に参加してもいい?」
「もちろんだ。当事者にのみ通達してあるが強制はしないが」
「山岡さんも里謡も……好きだったわ。蓬莱で出会ってたら、きっと友達になってた」
はそう言うと遠くを見た。
届かなかった多くの想いが、その辺りに漂っている気がした。
翌日、この件を知る数名に囲まれて山岡と里謡は荼毘(だび)に付された。
大宗伯、小宗伯、偃松は身近な人々の最後を、いつまでも見つめていた。
炎が消えるその瞬間まで、微動だにせず見つめている。
「先輩……」
肩に手を置くと、魂の抜けたような顔が微笑む。
「レギーナ……輪廻転生って、あなたは信じる?」
「生まれ変わりをですか?そうですね、信じていますよ」
「あちらの魂と、こちらの魂でも、それは可能なのかしら」
「それは……どうでしょうか」
今はもう白い煙だけになった二人。
小宗伯はそうよね、と呟いて煙に向かった。
「せ、先輩、何をするつもりですか?」
の言葉が聞こえていないのか、小宗伯は灰になった二人に手をかける。
山岡から灰を取ると小瓶に移し、里謡も同様に小瓶に灰を移した。
「それ……もしかして」
がそう言うと、小宗伯はゆっくりと頷いた。
「彼の最後の願いよ。そして里謡の願いでもあった。これを蓬莱へ届けてもらいたいの、台輔に。これぐらいなら……帰れると思うから」
「そうですね。二人一緒の場所で、また出会えるように。きっと叶いますよ」
「ええ……」
小さな小瓶が対になって、小宗伯の掌で光っていた。
「生き残った私達は精一杯生きていかなきゃいけないんだわ」
「ええ、先輩」
互いに頷きあった二人の海客。
小宗伯は想いを馳せるように空を見上げた。
もまた空を見上げる。
冷たい風が空に舞う。
届かなかった想いを乗せて、どこまでも流れていくように。
風ならば……世界を越えていけるのではないかと、はぼんやりと考えていた。
すべての事が元通りになるまで、数ヶ月の時を要した。
その間、は大学府で自分の居場所を確立し、今では毎日相談者の予約が入っている。
や小宗伯が思っていた以上に、人に言えぬ悩みを持つ者が多い。
一人一人の相談者と向き合っていると、この国が抱える問題点も自ずと見えてくる。
はそれを一ヶ月毎に報告書として、小宗伯へ提出していた。
大学府で勤務を始めた頃、春官の一人として動くに小宗伯は心得を語っていた。
「ここは国府なの。よって私達は国政を担う。それをいつも心に置いてほしいの」
神妙な面持ちで頷いたのを昨日のように覚えている。
「ふう……」
本日最後の相談者が帰った。
は大きく伸びをすると、身支度を始める。
大学府から内殿に帰る者は、きっとだけだろう。
斜陽を映して金に輝く坂道をゆっくりと登っていく。
今は見慣れたこの風景は、何度見ても美しいと思った。
「終わったか」
「……!尚隆!!ちょっと、こんなところで何してるのよ。先輩だってまだ終わってない時間なのに」
「飲みに行こうと思ってな。一人より二人の方がいい」
「そんなの仕事が終わってから……」
「では一人で行くかな」
一人で飲みに行く時は、一体どのようなところに行くのだろうか。
しかしもう何も知らない海客ではない。
「……私も行くわ」
すべてを見透かしたような顔が笑うと、は頬を膨らませた。
「せっかく飲みに誘ったと言うに。楽しんだ方が徳だと思うがな」
の背を押しながら言う尚隆。
しばし逡巡したは、尚隆の言う通りだと判断し、気持ちを切り替えることにした。
ふう、と大きく息を吐き出すと、大きく頷いて前を見た。
「明日、今日の分も頑張ってね」
小さく頷いた尚隆を確認した。
斜陽を頬に受けながら山を下っていった。
関弓に降りた二人は適当な飲み屋に入って行った。
自分の持っている酒杯を尚隆の酒杯にかちりと当て、一人で乾杯と小さく言って飲む。
がやがやと騒がしい飲み屋だったが、にとっては居心地が良かった。
それに内装は少し倭の香りが漂っている。
「いい感じのお店ね。何回か来たことあるの?」
そう問うた直後、どこかで見た事があるような気が、ふとした。
「いや、ここは初めてだな」
ふうん、と言いながら内装に目を向ける。
ふと、布の壁掛けが目に入る。
白い靄に見え隠れする記憶。
「あ……あれって……」
「おや、あの壁掛けが気になるかね」
料理を卓子(つくえ)に置きながら言ったのは、亭主らしき男だった。
「秋の星座達……」
「ほう、そう言ったのはお前さんで二人目だよ。何か海客の流行りの絵でもあったのかね」
「海客の?」
「ああ、いやね。あの壁掛けは元々海客のものらしいんだが、絵や模様として流行でもあったのかと思ってな。二人も聞いてくるなんて珍しいだろう?」
「私で二人目……以前はどんな方が?」
「若い女で男とよく来ていたよ。男の方がもう少し若かったかな。同僚だとか幼なじみだとか言っていたか。昔からの馴染みだったんだが……。近頃はどうしているのかねえ……」
「そうですか……きっと、元気にやっていますよ」
男は愛想笑いだけを残して下がった。
こくりと酒を飲んだ。
再び壁に目を向ける。
壁掛けと言うよりはタペストリーである。
「どうした?」
「うん。さっきの話、たぶん……先輩と山岡さんだわ……」
「ほう……」
「秋の星座は私と先輩の……蓬莱最後の思い出。だから一人は先輩で間違いない。もう一人は朱衡さんではなさそうだし、山岡さんで間違いないわ。きっと……ここでよく飲んでいたのね……」
「知らず、蓬莱の雰囲気を望んでいたのだろうな。どちらか、か……あるいはどちらもが」
「そうね……。懐かしいと思うことは悪くないわ。でも過去に囚われて未来から目を反らしてはいけないの」
「……そうだな」
「私は幸運だったわ。だって私の未来には尚隆がいるから……」
ふっと笑った尚隆の手が、の頭に置かれる。
「今日は関弓に泊まっていくか」
少し頬を染めた。
すました顔をわざと作って言った。
「……どちらでもかまわないわよ。でも、朝はきっちり帰りますからね。暁鐘の前に」
「起きれたらな」
にやっと笑った顔を直視出来ず、酒を煽った。
今日はいい酔いになりそうだった。
「ねえ尚隆。またここに連れてきてね」
頷きながら酒を飲む尚隆。
こんな表情は宮城ではあまり見ることが出来ないような気がした。
はくすりと笑って言う。
「大好きよ、私のレックス」
かちり、と酒杯の触れる音。
互いに酒杯を持ち、その場で飲み干した。
飲み屋の外はすでに暗闇。
関弓に消える二人を追う者はいない。
は空を見上げて星を瞳に映す。
見知らぬ配置の星々が、明るい関弓の空にちらほら見えている。
アルゴルに似た星。
今はその姿を隠しているようだった。
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