ドリーム小説
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海客と海客 〜後輩〜
=9=
「女同士で抱き合う姿と言うのもなかなかいいが…少々勿体ないな」
のんきな声が入口から響く。
尚隆と端正な顔立ちの男が房室に入って来た。
「主上…」
小宗伯はから離れてそう呟いた。
「え?」
その呟きに、は驚いて尚隆を見た。
次いで小宗伯に目を向ける。
「こんな時に、卑猥(ひわい)な冗談はお止め下さい」
「卑猥とは心外な。ただ勿体ないと言っただけで…」
「勿体ないの裏に、卑猥さが隠されておりましたでしょう!」
軽く興奮した小宗伯の体がぐらりと揺れて、は慌ててそれを支えた。
肩に力を入れた為に、激痛に見舞われたが、何とか声を出さずに堪える。
「ごめんなさい、レギーナ。貴女も怪我をしているのに」
「い、いえ…頭を割っている訳じゃないので」
「主上のせいですよ。レギーナの傷が開いたらお恨み申し上げますからね」
「そ、そうだ…主上…って?せ…先輩…」
王を睨もうとしていた小宗伯は、顔を向ける直前にそれをやめた。
変わりに自分を呼んだ人物に目を向ける。
「主上って確か…」
「レックス?そうよ」
「ど、どちらがレックス?」
身成(みなり)だけを見れば、背後に控えた人物のほうが立派である。
しかし小宗伯が主上と言ったのは、明らかに手前の尚隆であった。
「厚顔無恥そうに笑っているあちらの方が、雁州国の国主です。後ろは春官長大宗伯であらせられます」
「え!」
想像通りであったが、そのまま絶句した。
小宗伯はその様子を見て首を傾げた。
そして何かを言いかけたが、尚隆の方がそれよりも早く口を開いた。
「かわいい後輩が心配なのはわかるが、自分の傷の心配もしたらどうだ?」
「私なら大丈夫です。主上がきちんとご政務をこなしてくれるのであれば、興奮して傷口が開くような事もありませんし、すぐにでも治りましょう」
「お前な…」
憮然とした王の表情が、小さな笑いを誘う。
重苦しい空気は、尚隆の軽口によって幾分か緩和されているとは感じた。
「ではこの場は主上のお言葉に甘えて、私は退出する事に致しましょう」
そう言った小宗伯に、王の背後に控えていた大宗伯が視線を送っている。
ふと隣を見ると、笑った表情とは裏腹に、蒼白になった小宗伯がいた。
「先輩…本当に大丈夫なんですか?帰れますか?」
「大丈夫…」
「朱衡」
尚隆が短く言って、朱衡と呼ばれた男が前へ出た。
小宗伯の手を取り、肩を支えて歩き出す。
二人はそのまま退出していった。
「ああ、そうか」
消えた二人を見送った。
ややして思い出したように頷いて言った。
「朱衡さんて、先輩に色々教えたって人よね?あ、いえ…人、ですよね?」
「気負う必要はないぞ」
「でも王様なんでしょう?」
「一応な」
「…随分、先輩に迷惑をかけているみたい」
「それが生き甲斐でな」
さも楽しそうに言ったその顔が、の笑いを誘った。
吹き出してしまえば、本当に気負う事などないのだと思うような空気が流れる。
翌日、遠くに物悲しい鐘の音が響いていた。
「葬送の鐘だわ…」
山岡の葬儀があると言っていた。
しかしは出席しないで客殿に留まっている。
官吏達が集まって内々にするのだろうから、そこへ見知らぬ者が入って行くことは躊躇(ためら)われた。
それにどうやら山岡は、客殿へ通っていた事を誰にも言ってないようだった。
ゆえに面識がないと判断されていたし、それを押し切ってまで参列すると言うのは、なぜか彼の意思に反すると思ったからだ。
鐘の音は陰鬱(いんうつ)な影を落としてゆくようである。
その日、小宗伯はの許を訪れなかった。
内史ももちろん、姿を現す事なく夜になった。
誰も来訪者がないと妙に寂しい気がしたが、それを察したのか、夜半前、尚隆が訪ねてきた。
「調子はどうだ」
「尚隆…さん」
気安い雰囲気が敬称を忘れさせている事に気が付いた。
「別に構わんぞ、どう呼んでも変わらぬ」
「王様って呼んだ方がいい?だって、他の人がいい顔しないでしょう?」
「同郷の誼だ。それぐらいは咎めぬだろう」
「先輩はきちんと呼んでいたわ。ああ、でも名前じゃなかったけど…王様でもなかったような…?」
「逆に名前で呼べと言ったら激怒するだろうな。その手の冗談は通じん」
くすりと笑っては頷く。
「そうかもしれないわ。じゃあ尚隆って呼ばせてもらってもいいかしら?」
頷いた尚隆はの近くに座る。
それを待っては問う。
「葬儀は…どうでした?」
問いかけてすぐ、首を横に振った。
いえ、と言い置いて口を開いた。
「葬儀そのものではなく、出席していた先輩はどうでした?」
さぞや沈み込んでいるだろうと思い、尚隆の言葉を待った。
「葬儀の始まった頃は、固まっていたな。何処を見るでもなく、一点に集中していた。じっと棺を見つめていたが、途中から決別の表情をしていたな」
「そう…大丈夫かしら」
「しばらくは辛いだろうが、時間が癒してくれるのを待つより他に手はない。しかし朱衡がついている。一人、堪えねばならぬ状況ではないのが救いか…」
「ああ…あの人?えっと、大宗伯って言ったかしら」
「そうだな。同じ官府の者だからな」
「名を…えっと…?」
「朱衡だな。春官の長官と次官の関係にある」
「じゃあ亡くなった内史は?」
「岡亮(こうりょう)も同じ春官だな。同府の者が死ねば辛いだろう。しかもそれを殺したのも同じ春官だ」
「え…そうだったの。…じゃあ、二人とも複雑な心境ね」
「だろうな」
それを聞いてしまえば、訪ねて来てくれないことが寂しい等と考えていた自分が、恥ずかしくさえあった。窓側に歩み寄った。
ふと思い出して顔を上げる。
「ねえ、巧って国はここから遠いの?」
「慶と言う国を挟んださらに南だ。近いとは言えんだろうな」
「へえ…虚海って巧にもあるのよね?海に道があるの?」
「虚海にか?内海ではなく?」
「え?ええ…」
「知らんな…どこからそんな話を聞いた?」
「いえ…なんでもないの。そろそろ寝るわ…」
そうか、とだけ言って出ていく尚隆を、は黙って見送った。
『先輩、ほら。あそこのM字がカシオペヤですよ』
『あ、本当にあった!ええっと、Mの山から線を延ばして、五倍下に引っ張ると北極星なのよね?って事は…あの小さく光ってるやつかしら?』
『そう!そうです。他にもたくさん星座があるんですよ。しかも秋の星座は一つの物語の中に殆どが出てきますからね』
『物語?』
『そうです。ギリシャ神話の物語の一つ。勇者と王女と化け物と…』
『へえ。どんな話?』
『ではカシオペヤに寄り添う星にご注目下さい。舞台は古代エチオピア王国。寄り添う星はその国の王、ケフェウス。妻にカシオペヤを持つ王です』
浮上する意識。
静かに開かれた瞳。
しかし夢をはっきりと覚えていた。
「あの次の日、先輩は消えたんだわ…。ここへ…この国へ来てしまった…。山岡さんと再会したのは…こっちへ来てどれぐらい経ってたのかな…」
大きな溜息がつかれた。
は起き上がると窓に向かう。
窓を開けると、昼下がりの眩しい光が射し込んできた。
鬱々と考え込んでいても、山岡が戻ってくるはずがない。
気晴らしに雲海でも見に行こうかと、頭髪を隠して庭院へ足を踏み入れた。
一度尚隆に連れられて歩いた宮道を思い出しながら、足を進める。
庭院(なかにわ)を伝って歩いていると、くすんだ色の何かがちらちらと視界に入ってくる。
海に近いそこに、何かが風にはためいている。
何かと思って近付いてゆくと、欄干にかかった布の一部だと知った。
訝しげに思ってさらに近付くと、それが袍と呼ばれるものであることが分かった。
間近で見ると黄緑にも見えるが、灰色の強い青にも見える。
不思議な色だと顔を近づけてみると、黄糸と、青糸で織り込まれたものだと分かった。
へえ、と呟きながらさらに近付いた。
それの呟きが小さな悲鳴に変わった。
一歩下がって口元を手で覆う。
袍の先から足が見え、それが不自然に曲がっていたからだ。
脱力してその場に座り込んでしまった。
あの惨状の島ですら見なかったものが、今は目前にあった。
震えが全身を襲う。
「おい、お前。そんなところで何をしている」
ふいに背後からかけられた声。
はっと振り返ると、武装した見知らぬ男が立っていた。
男は訝しげな表情で近寄ってくる。
「見慣れない顔だな。それよりも、そんな所で座っていると…」
近寄りながらそう言った男は、の背後にあるものを認めて声を失った。
またも、再び声を出すには至らない。
「これは…麹塵(きくじん)の袍!」
先に声を取り戻したのは、男のほうが先だった。
亡骸を確認するよりも早く、その手はを捉えた。
肩の傷が痛み、声にならない悲鳴が上がる。
「お前、一体何をしたんだ!!」
痛みと衝撃で声が出ないは、それに対して何も言う事が出来なかった。
「おいっ!誰かいないか!おーい!!」
の手を後ろに回し、きつく掴んで叫ぶ男。
しばらくすると、似たような格好をした男が駆けてきた。
「伍長、どうかされましたか」
「おい、こいつを頼む。逃がすなよ」
を顎で指した伍長と呼ばれた男。
「は、はい。何かあったんですか」
部下だろうか、もう一人の男は伍長に代わってを捕まえる。
伍長は海寄りに歩いていって、それを確認した。
「だ…大卜!」
悲鳴のような声があたりに響いた。
突き刺すような視線を感じた。
しかしそれでも何も言うことが出来なかった。
何故自分はこれを見つけてしまったのだろう。
恐怖と混乱で何も言えないを、二人の男は引きずるようにして移動させた。
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