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海客と海客 〜後輩〜


=8=



徐々に体力を戻していたの許(もと)に、毎日訪ねて来る者が三名いた。

小宗伯である先輩、内史(ないし)である山岡、そして尚隆と名乗った謎の男。





そう、謎の男。





はそのように認識していた。

尚隆と言うのは恐らく名前なのだろうが、他の人物のように役職名であるかもしれない。

それすら確認したことがなかった。

内史は昼までに来る事が多かった。

小宗伯は夕方から夜にかけて。

そして尚隆は定まっていない。

朝来る事もあれば、昼過ぎに現れる事もある。

今日は夜も深まろうという頃合いに来た。

「ねえ、あなたは何者なの?他の人はここで何をしているのかはっきり言うのに、あなたからは何も聞いた事がないわ」

いつも人目を憚(はばか)るようにして来るのは、何か理由があるのだろうか。

「そうだったか?」

「そうよ。それにどこの出身かも言わないのね」

そう言ってから何かに気付いて顔を上げた

首を横に振って言った。

「ああ、いえ…。違うわね。他の人は私と同じ出身だから、聞く必要がなかっただけだったわ」

そう言うと、尚隆が笑って口を開く。

「瀬戸内を知っているか?」

「え?それが出身?あなたの?」

「そうだ。尤(もっと)も、五百年前だがな」

忘れていた、とは心中で呟いた。

そう、聞いたところで分かるまい。

地名も何もかも変わっている可能性だってある。

「瀬戸内…」

しかし今出たその海は…。

「きっと…変わってないわよ。本土から見る島影は」

不思議そうな顔がに向かう。

「田舎があるのよ、母方の。広島県にある島でね、因島市っていうところ」

「因島(いんのしま)…」

「そう。昔、村上水軍の本拠地だった島って言えば分かる?丁度五百年ほど前の話だったと思うんだけど…」

「ああ、そうだな…」

「分かるのね…本当に五百年も生きてきたみたい。村上水軍って、歴史の中のお話だけど、ひょっとしたらあなたはそれを見たかもしれないのよね。戦国時代だったから、戦っている可能性もある…?」

敵であったにしろ、味方であったにしろ、可能性はあるはずだ。

しかし尚隆の瞳の中を覗いてしまったは、味方であった可能性を自ら消去した。

「ごめんなさい。忘れて、今の話」

「何故だ」

「ん、なんとなく」

がそう言ったのを最後に、沈黙が訪れた。

気まずい雰囲気ではあったが、どうすることも出来ずにいる。

それをうち破ったのは尚隆だった。

「瀬戸内は…やはり穏やかなままか」

「…ええ。大きく荒れているのを、私は見た事がないわ。尤も、住んでいる訳ではないから、いつもかどうかは知らない。だけど私は好きよ、あの海」

穏やかで、優しい波。

波は決して大きくなく、サーフィンなどには適さない。

だが静かで小さな波が好きだった。

遠くにいくつかの島影が見える。

沈む夕陽は島影を生み、煌めく世界を作り出しながら優しい時をに与えてくれた。

「なんだか…海が見たくなってきたわ」

「見に行くか?雲海になるが」

「雲海?」

「そうだ、雲の上だからな」

「ああ…先輩が言ってたわね。初めはびっくりしたって。私が最初に見たのはとても透明な海だったけど、それとは違うのよね?」

の問いかけに尚隆は答える。

「沛乎島(はいことう)なら虚海だな。外海と言う。内海はそれぞれ名が違って、黒海、青海、赤海、白海となる。空の上に広がる海は雲海と言うな」

「不思議…本当に海なの?」

「見に行ってみれば分かる。外に出るだけの体力があればの話だが」

「大丈夫だと思うわ」

そう言うとは上着を羽織り、身を整えた。

外は寒そうな気配がしたからだ。

それを見ていた尚隆は、衣桁(いこう)から大判の布を取って差し出す。

「頭髪を隠していたほうが良い。誰にも会わぬような道を選んで行くが、万が一誰かと遭遇しても大丈夫なように」

「ああ…ええ。そうね」

好んで染めた金の髪。

正確には色素を抜いた上に、黄色を乗せている。

それが今は不便に思った。



























歩いてすぐの所に造園が広がっており、さらにその奥に海は広がっていた。

「本当に海だわ…でも、なんて穏やかな…」

見上げると月が出ている。

沛乎島(はいことう)で方角を確かめるのに見上げていた月。

今は充分に充ちている。

月に彩(いろど)られるのは静かな海。

その光は金波となって、幾重にも煌めきを増していた。

欄干(らんかん)に手をかけて景色を眺めていた

ややしてぽつりと呟いた。

「綺麗…」

ぐるりと周辺を見渡してみるが、どこにも島影を見つける事が出来なかった。

しかし遮るものが何処にもないその景色は、煌めきを一層強調している。

遮るものがないのは、何も海だけではなかった。

空にも、遮るものは微塵もない。

雲の上なのだから、雲がなくて当然なのだろうが、それが特殊な事に思えてならなかった。

「こんな綺麗な世界…初めて見たわ」

はするりと布を外し、そう言って微笑む。

しかしふと表情を曇らせて言う。

「でも…沛乎島のような惨状も…初めて見たんだけど」

「そうか…」

「恐かったでしょうね…あの中にいたのなら…」

「そうだな」

「でもね…私ってとても酷いの。たった一人あの島にいて、あの惨状を見て、自分が生きていた事に感謝したの…私じゃなくて良かったって…そう、思ったの」

欄干を持った手が震えている。

大きな地震、瓦礫の下に埋もれた自分。

ひときわ強い風が通り抜け、の髪と一緒に、零れそうだった涙を攫っていった。

それを押さえようと、ぎゅっと瞳を閉じた。

ふいに、肩が暖かくなる。

驚いて隣を見ると、尚隆が海を眺めて欄干に寄りかかっている。

ただその腕はの背後に回って、手は肩に置かれていた。

そのまま引き寄せられる力に抗う事も出来ず、尚隆に寄りかかった

大きな手の感触が、不思議と安堵感を引き寄せた。

「あの蝕(しょく)で、百近い命が失われた。いくら王が健在で、国が傾いてなくとも、蝕だけは避けられぬ。だが、こうして助かった命もあったのだと思うだけで、何かが救われたような気もするな」

隣の尚隆を見上げた

金波がその濡れた頬にあたり、乱反射を繰り返していた。

静かな波音が心を落ち着けてくれるのを、ただ待つかの如く瞳を閉じる。

吹き出した夜風が冷たいのはの心情か、この波音は尚隆の優しさか。

「瞳を見据えて問う姿勢は強かったように思うが、今はかように孱弱な存在としてここにある。不思議なものだな」

「それは…私の事?」

小さく笑った声だけがそれに答えた。

は瞳を開けて再び尚隆を見た。

「元の世界に戻してやる力はないが、何か困った事があったらいつでも言え。力になろう」

「ありがとう…」

ただその心根が嬉しくて頷いた

これが王の言質(げんち)を取ったとは、まだ知らないままだった。









































「体力は随分戻ったか?」

朝から訪ねてきた内史は、そう言ってにこりと笑う。

「おかげさまで」

も微笑んでそれに答えた。

随分尚隆の存在に励まされているような気がするが、それはこの場で言うような事ではない。

「ところで今日は、一ついい情報を持ってきた」

何かと首を傾げるに山岡が近付き、耳にそっと口を寄せて何事か囁いた。

「え…」

驚いて絶句したに、大きく頷いた山岡。

しばらく沈黙が訪れた。





















二日後の夜。

は驚いて来訪者を迎えた。

「先輩…!どうしたんですか、その怪我は」

訪ねて来た小宗伯を見て、悲鳴のような声をあげながら近寄る。

心情としては駆け寄りたかったが、それほどの体力はまだなかった。

「これは…うん、たいしたことないのよ。それより、昨日は来れなくてごめんね」

何故来ないのかとは思ったが、これほどの大怪我をしていたのなら当然の事だ。

むしろ、今ここにいても大丈夫なのかと思いながら、は首を横に振って言った。

「そんな…いいんです。先輩、本当に大丈夫なんですか?顔色が悪いですけど」

「大丈夫。だって、私は生きているもの」

その言い方に、訝しげなの表情が問う。

「生きてって…誰か死んだんですか?」

「…内史って官吏がね。その内、貴女にも会わせようと思っていたの。彼は…海客だから…」

「え…」

はすでに山岡を知っている。

内史であること、岡亮(こうりょう)と呼ばれていること、そして先日嬉しそうにここへ訪ねてきた人物。

それが死んだと聞けば言葉を失うのは必至だった。

「山岡くんと言うの。彼がね、消えたのよ。大量に出血したまま、雲海に消えてしまったの…死んでいないと…思いたいんだけど」

「まさか…」

「それでね、さっき…彼の袍が…血まみれの彼の袍が流れ着いたの」

「じゃ…じゃあ…山岡さんは…」

「生きていないでしょうね…ちょっと政務のことでごたごたがあったようなの。犯人も消えてしまったけど」

「先輩のその傷は…まさか巻き込まれたんですか?」

「そうみたい。犯人が隠れているところに行ってしまったのね」

「犯人はもう分かっているんですよね?もしかしてまだ捕まってないとか?先輩は大丈夫なんですか?また狙われたりとか…」

「いいえ。犯人が死んで詫びると言って消えたんだもの。もう何もないと思うわ…犯人の遺体が見つかる以外はね」

「そんな…先輩…」

複雑な表情をした小宗伯。

同郷の者が死んだと聞けば胸が痛いが、面識のあった人物ならそれ以上だ。

ましてや長年顔をつきあわせていたのなら、どれほど心の痛みが大きいだろう。

は小宗伯に手を伸ばした。

その手が小刻みに震えているのを感じ取り、いたたまれなくなって抱きしめた。

憧れだったその人は、より幼い外見のまま成長を止めている。

それでも優しく見守ってくれる先輩であることに違いはなかったが、こうして傷ついて小さくなっていると、本当に追い越してしまったのだと、自覚せずにはおれなかった。

「先輩、こんな時には泣いてしまってもいいんですよ。我慢なんてしないで、泣いてしまったほうが少しはましなんですから」

「…ええ、そうね。でも…何故かしら…涙が出ないのよ」

衝撃が大きすぎて、受けきれていないのだろう。

それがさらに痛々しく見えた

だが今は、何を言っても意味がない。

ただ抱きしめてやることしか出来ない自分が、不甲斐なく感じていた。



続く






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