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昊天夢街道 番外編 =後編= 「叡聞君」
後日、房室の外からかかる声に答えたは、少し興奮した様子の帛縷(はくる)を迎えた。
「帛縷、どうしたのです?」
「先日のお客さまを覚えていますか?」
「どのお客さまでしょうか」
「あの、お帰りいただいた国官の方で……」
「ああ、嗽咳とか言う……」
「ええ、それが実は、国官を辞められたそうで……いえ、罷免されたと」
さすがに少し驚いた様子を見せたに、帛縷(はくる)は説明を加える。
その説明によると、帛縷は贔屓にされている客から、上司が突然居なくなったと言う話しを聞いたそうだった。
居なくなったと言う表現を疑問に思い、どういう意味かと尋ねると罷免されたと返ってきた。
耳馴染みのない、罷免という言葉に質問を重ねた帛縷(はくる)は、その客が国官であることを聞き出した。
春官に所属する者で、内史府に詰めているという。
「内史府で上司と言うと、内史だそうです。中大夫か下大夫の位だったように思うのですが……」
「中大夫ではないかしら。私も浅学ですから、確かとは言えないのですが……しかし、そうですか。大夫の位にあって、あのように振る舞われたとは」
「ええ、国官にあのような者がいたと言うのも驚きましたが、罷免されていたとはもっと驚きでした。やはりあのような人格の者を、王はお認めにならなかったのですね」
ふとの脳裏に、利広との会話が思い起こされた。
「誰かが……ここでの一件を話した……」
はそこまで言うと、ふっと笑って帛縷に向かう。
「そのようなこと、ございませんわね。ですが、これで良かったのでしょう。あのような態度の者を、お客さまとして迎えるわけには参りませんもの。国が官であることを認めなかったように」
「ええ、改めて思いました。叡聞君のご判断は正しかったのだと。助けを求めて正解でした」
帛縷はそう言い残して、房室を後にした。
はそれを見送った体勢のまま、先日心にひっかかっていたものを思い出そうとしている。
それは、利広のことだった。
舎館の息子だと言った利広。
確かに舎館の経営に関して詳しい。
舎館は妓楼と質が違う。
しかし共通点も多い。
舎館業を営む者しか知らないような、専門用語のようなものを普通に知っている。
だから舎館の息子だと言うのに疑問はあまり感じないのだが、現在舎館を営んでいるような様子を見たことがない。
見てきた他国の話しを聞くことは多いが、家族の経営する舎館の話しなど、聞いたことがないように思う。
利広が舜へ行ったのも、本人の言うように道楽ではないような気がしていた。
そして先日の会話である。
それとなく、昊天楼に訪れた客が誰なのかを聞き出したのではないだろうか。
もしかすると、利広こそが国官なのではないだろうか。
政にも、他国の法にも詳しい。
そこまで考えが及ぶと、むしろ国官ではないと考える方が難しいような気がする。
「次に逢うときには……聞いてみようかしら」
一人呟いた所で、を……いや、叡聞君を呼ぶ者があった。
いつものように、演奏の仕事が待っている。
はすぐに返事をし、房室を後にした。
その日の夜中。
は一日の仕事を終え、房室に戻ってきていた。
「利広……」
卓子に置いた瓶を手に取り、その蓋を開けてゆっくり息を吸う。
白檀の香りが広がり、鮮明に利広を思い出す事ができた。
今日は一日利広の事ばかり考えていたように思う。
そのせいか、逢いたい想いが募っていた。
大きく溜息をついたは、蓋を閉めて瓶を置いた。
窓に歩み寄り、そっと開け放つ。
「利広……。逢いたい……」
「わたしもそう思っていたところだよ」
「え?……?」
暗闇が利広の代わりに答える。
は辺りを見回し、やがて誰もいない事を確認するとまた大きく息を吐き出した。
「疲れているのかしら……幻聴が聞こえるなんて」
「それは酷いなあ」
また闇から声がする。
再度辺りを見回す。
すると頭上から腕が伸びてきての頬に触れる。
驚いて見上げると、騎乗した利広が宙に浮かんでいた。
「どうしても逢いたくなってしまってね。気が付いたらここにいたよ」
「り……利広!」
軽く叫んだの目前で騎獣から降りた利広。
の房室に入ると騎獣に下で待つように言い聞かせる。
大人しくそれに従う騎獣を見ながら、は利広に近寄っていった。
利広が窓から房室に向きを変えた瞬間、の腕が伸びる。
の腕が利広の背に廻りきらない内に、利広の腕がの背を支えた。
引き寄せられるように胸元に収まる。
広がるのはもちろん、白檀香。
「利広……逢いたかった」
「言うまでもないだろうけど、わたしもだよ」
くすりと笑ったは顔を上げる。
と、落とされる口付け。
聞きたいことがたくさんあったはずなのだが、愛しさの感情が勝(まさ)ってしまい、何も言葉が出てこない。
白檀の香りは二人を包む。
いつかの夜のように。
は疑惑を抱えたまま日々を過ごした。
いつも利広に聞こうと思うのだが、いざ目の前にすると問いたいことを忘れてしまう。
時間が過ぎると妙な緊張が走り、問えなくなっていく。
どうしたものかと思っている内に時間だけが過ぎて三ヶ月が経った。
聞きたいとは思っていたが、聞けない日々が続くと、最初に考えた思念に囚われてしまうものだ。
利広は国官であるという思いが頭から離れない。
そう思って見るからか、些細な言葉もそれらしく聞こえてくる。
間違っているかもしれないという思いと、やはりそうなのだという思いが交差し、何が本当か見えなくなりそうだった。
ついに、は意を決して利広に向かった。
これ以上は耐えられないと判断したのだ。
「利広、教えて欲しいことがあるの」
固い決意に身を包んだを、不思議そうに見る利広。
「利広は……国官?」
「違うよ」
どれほどの決意がいったことだろう。
それがいとも簡単に違うと言われてしまった。
それが真実かどうかは分からない。
舎館の息子だと聞いているのだから、それが本当なのかもしれなかった。
「あの……ごめんね……」
そう言うと妙に気抜けしてしまって、その場に座りこんでしまった。
笑いながらも、泣きそうな表情で言う。
「そうよね。国官なんて……まさかね……聞いていたのにね……疑ってしまって……ごめんなさい……」
ぽろぽろ零れ始める涙を、拭ってくれたのは利広だった。
「謝るのはわたしのほうだ。不安にさせてしまったね」
「不安だなんて……そんな……いつも、たくさんの気持ちを貰っているわ」
「いや、確かにわたしはに隠していたよ。舎館の息子だと言っていたね。元、舎館の息子だと言い直そう」
「え……」
涙が止まるのが分かった。
「でも、放蕩息子には違いないらしい」
困ったように笑った利広は、の顔を覗き込んで言う。
「父は港町で舎館を営んでいた。二十年程前まではね。昭彰が迎えに来てしまったから、続けることが出来なかったんだ」
「昭彰?」
「うん。号で言うと宗麟だね」
「宗……麟?昭彰……宗麟!?」
「そう。父が王になってしまったから、わたしも一応太子ということになるかな」
「太子……利広が……太子……?」
困ったような顔は変わらず、それでもを見つめていた。
「そんな……まさか。太子だなんて……私……とても失礼を……」
「は」
利広はそう言って真剣な面持ちに変わる。
「わたしが太子だからと言って、態度を変えたりはしないよね?」
「それは……」
「のわたしを見る目が変わらないのなら、わたしは何も変わったりはしない」
「……」
「?」
「それで……他国へ行っていたのね」
「え?」
「国官だと思った私の考えは近かったのね?」
「まあ……近いと言えば近いかな」
利広がそう答えると、にこりと微笑みが漏れる。
「では、やはり夢に向かって前進しなくては。今の私では、利広にそぐわないもの。誰もが認める地位を、きっと掴んでみせるわ。この昊天楼で」
叡聞、希覯、婉娩、散酒と続く呼び名は、偶然とはいえ、の夢に大きく一役かいそうだった。
何故なら、格が生まれる事によって、より洗練された印象が強くなるからだ。
この街では、たかが花娘風情と、ののしることはもはや出来ない。
国官であろうとも、花娘の機嫌をとり、気に入られなければならないのだ。
そうでなければ、夢を見ることも叶わない。
「だけど利広、私が夢を見せるのは生涯あなただけよ……」
「それが知れたら、いくら太子といえども首が危ないね」
くすりと笑うに、静かな口付けが落とされる。
叡聞君の夢が叶うのは、まだ少し後の事。
今はただ甘い白檀の見せる、邯鄲の夢に酔って眠る。
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