ドリーム小説
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昊天夢街道 =5= 邪魔にならぬよう、利広はすぐに発ち、は各房室の客を出す作業にかかろうとした。
しかし、それは帛縷(はくる)によって止められる。
「駄目よ、私がやるわ」
「どうして?」
「分かってないの?昨日ちゃんを指名してきたお客様が何人もいるのよ?下働きみたいな事をやっているって知ったら、幻滅しちゃって二度と来ないわよ」
「あ……そうか。なんだかまだ信じられなくて。あ、でも、それを言うのなら帛縷姉さんも駄目。一緒に噂になっているらしいから」
「あら?私も?嬉しいわ。じゃあ下男に頼むしかないわね」
手配のために踵を返そうとした帛縷は、ふと立ち止まっての許へと戻る。
「……あのね、ちゃん」
そう言って、の肩に手を置く。
「私、舞子になってから、とても清らかな夜を過ごしているわ。そりゃあ、実入りは少ないけど……でもね、舞う事が最近とても楽しくて、とてもやりがいがあるの。一生舞うことで生を全うしてもいいと思うぐらいよ。だからね、ありがとう」
「そんな……帛縷姉さん」
思わず泣きそうになった。
花娘の悲しい思いが、に伝わってきたのだった。
帛縷は実入りが少なくとも、一生ここに囚われるとしても……
それでも体を売る事よりも嬉しいと言ったのだ。
舞が本当に彼女のやりたいことなら、それでもよかった。
でも、本当は違うとは知っている。
純粋に舞が好きで、舞子になった訳ではないのだから。
帛縷の両親は彼女を売ることによって生き延びた。
その時、まだ五歳だったと言う。
下働きから始まって、体が成長すればすぐに男をとった。
その選択肢のない人生の中で、僅かに生まれた細い線。
必至でそれに掴まって、ただ一心に信じようとしている。
その心が痛く、切ない。
の心情を読みとったのか、帛縷もまた泣きそうな表情をしていた。
だが、振り切るように踵を返し、下男を大声で呼んでいた。
それを見習って、もまた踵を返した。
それからさらに一ヶ月が経過した。
この一ヶ月で、いよいよこの体制が形を成そうとしていた。
の指名は、毎日のように続いた。
決して瞳を合わせぬに、なんとか近づこうとする者があとをたたなかったのだ。
新たに設置された、昊天楼独特の規律により、客は口を聞くことも許されない。
しかし、それがなお一層、焦がれる心情を煽ったのだった。
やがて昊天楼の規律を守り、上品に遊んで行くのを楽しむような風潮も生まれた。
そして、あまりに多い指名の数に、いよいよにも避けられぬ事態が訪れようとしていた。
「無理していかなくてもいいと言ったのは、ちゃんじゃない。それを昊天楼の為に……」
「帛縷姉さん。でも……これ以上じらす事は出来ない。もちろん、体を売るんじゃないわ。だけど、話しぐらいしてあげないと、じらし過ぎて離れていっては意味がないでしょう?」
「それはそうだけど」
「特に一ヶ月以上も通い続けている客に、あまり無体な事は出来ないでしょう。一人二人の客足を気にしている訳ではないの」
はそう言って、なおも言いたげにしている帛縷に言う。
「どうして通い続けるのかって……それが分からないほど莫迦じゃないわ。仮にも昊天楼の経営を担ってきたのだから。いつかきっと、そう思うから通い続けているのに、絶対に触れる事が出来ない。ましてや花娘ではないなんて知ったら……その噂が流れたらおしまいよ。そろそろ、話しぐらいはしてあげなきゃ」
強くそう言ったであったが、あしらえる自信がなく、自滅への道を踏み出した気分に陥りそうになっていた。
嫌とは言わずに、上手に逃げ道を作り、期待をもたせながら触れさせない。
そんな事が可能であろうか。
だが、身代わりになるとでも言い出しそうな帛縷に、心配ないと微笑みかけたは、自らの支度にかかるために房室へと退いた。
「姉さん、いいですか?」
房室へ退いてしばらく、外から声がかかる。
新しく来た、まだ幼い童女である。
ここへ売られてきて間もない彼女は、の付き人をしていた。
花娘達の支度をして廻っていたが、今は支度をされる側に廻っているのは、未だに不思議な気分だった。
しかも付き人がついているのは、現在、だけである。
付き人の童女はの予定管理をする。
そうでなければ、とても把握しきれなかったのだ。
ずっと帛縷と一緒に回れればいいのだが、帛縷が贔屓にしている客が来ると、彼女はしばらく房室に留まる。
だが、には指名が山ほどあったし、初めの頃こそ待ってはいたが、客と言葉を交わすわけでもなしと、一人で次の房室に行くこともあった。
「姉さん、顔色がよくないです」
幼いなりに、丁寧に言葉を選び言う付き人に、は微笑んで大丈夫だと答えた。
その心情は複雑なものではあったが、ここで不安な顔をしてしまうと、この童女までもが不安になるだろうし、将来を危惧して悲しくなるかもしれない。
しかしぬぐいきれない不安は、やはり表情に出ているようだった。
今日は演奏が中心ではない。
客は人払いのために金をまくのだろうし、面と向かって対話をしなければいけない。
何もされない保証は、どこにもなかった。
いざとなれば下男を呼んで回避も出来ようが、それを何処かで言いふらされては困ることになる。
上手に断らなければならないのだ。
そのように考えながら、支度を勧めていると、房室に帛縷が駆け込んできた。
「帛縷姉さん!いったいどうし……」
「今日は休んで!私がその分頑張るから!」
「……姉さん、それは出来ません」
「いいえ。休んでもらいます。その代わり、私の房室でしっかりと勉強して来て下さいな」
「勉強?」
「さあ、いいから。とにかく、私の房室へ行って」
有無を言わせぬその様子に、は疑問に感じながらも従った。
何も言い返せなかったと言う方が良いだろうか。
だが勉強が何であれ、帛縷相手に何も言い返せないようで、客を相手に上手く立ち回るなど、とても考えられない事だと思い直し、帛縷の房室に向かった。
扉の前に立ち、中に声をかける。
「帛縷に言われて参りました」
「?」
聞き覚えのある声に、は急いで扉を開ける。
「利広!勉強してこいって帛縷が……ううん、それより、いつ来たの?」
「さっきだよ。来たと言うより、帛縷と言う女性に約束させられていてね」
利広が言うには前回来たときに、一ヶ月を空けず、様子を見に来ることを約束させられていたらしい。
「よほど、が心配なんだろうね」
「帛縷姉さん……本当にいい人」
花娘には癖のある者が多い。
その環境からか、客に見せる美しい顔とは違い、酷く醜い心根の者が多いのが現状である。
だが、昊天楼には比較的優しい人物が揃っていると言えよう。
ゆえに駆け引き下手であり、手練手管には程遠いと言ったところもあった。
「で、わたしに教えてあげられることがあるかな?」
「……男のあしらいかたを教えてほしいの。客の前に行って尚かつ、この身を守る術(すべ)を教えてほしいのよ」
そう言うと、利広は少し考えてにこりと微笑む。
「ただ思いつくだけの事例を教える事は可能だけど、それを応用、展開させることが出来なければ難しいよ」
「……そう、ね……でも、何もしないよりはましよ」
必至の形相でそう言うに、利広はしばし沈黙を守った。
やがて口を開いた利広はに問う。
「どうしてそこまでして、身を守りたいと思うんだい?」
その顔は笑ったままであったが、口調はいたって冷静であった。
は目を見開いてその変わらぬ表情を見つめていた。
何かとんでもなく冷たい言を浴びせられた気分であった。
「どうしてって……」
「もちろん元から花娘だった訳ではない。だからこそ、あえて聞いておかなければ。経営する者としての矜持がそうさせているのか、それとも一人の女としてそれを拒むのか……。後者の場合、それが何なのかを知りたい」
「!……」
「花娘の行為そのものに、嫌悪を抱いているから?」
「……」
「他の娘達はみんなそれを余儀なくされていると言うのに?」
「……っ」
無言のままのの瞳から、涙が現れるのに時間はかからなかった。
利広の言い様を聞いていると、自分が偽善者のように思えてならなかった。
同情するふりをして今の体制を考案し、それによって感謝される事に喜びを感じていた。
だが、主役であるはずの彼女達を差し置いて、今やが一番指名される。
今まで経験した事のない喜びがあったことも、否定する事は出来ない。
恐いと思いつつも、誰もが容姿を褒めてくれる事に、怡楽(いらく)を感じていたのではないだろうか。
「私……は……」
は涙を落としながらも、何かを言おうと頑張っていた。
だけど何一つ言葉にならず、嗚咽のようなものが房室に響くだけだった。
だが、それでも利広は、追い打ちをかけるように言った。
「変な同情ならよすんだね。逆に失礼だと思わないかい?男を知らない、ましてや体を売る必要もない女に同情されても、誰も喜びはしないよ」
利広が言ったそれは、の胸に深く突きささる。
「だから、身を守ると言いつつも、どこかで同じ境遇に陥りたいと願ってきた。もし、客が気味悪いと言わないのなら、昊天楼のためと言って客をとっても良いとさえ思っていた。そうすれば、姉と慕っている多くの人達と、共有出来るものが増えるからね」
「……え?」
今利広が言った事は、恐らくの本心だ。
心の奥底に見え隠れしていた、自分でも気がつかずにいた本心。
「それはね、少し勘のいい人物なら見抜いてしまうよ。駆け引きするような人は、ここにはあまりいないだろうけど……人と多く接しているぶん、分かる者も出てくるだろうからね」
突然教えられた自らの心に、の涙は止まった。
「だけど、それはあまりにも悲しい。自らを追い込んでしまってはいけない。他の選択肢がなかったと言うのならまだしも、考える頭があって、選択できるだけの環境があるのだから」
「……確かに」
そう言って、は涙を拭う。
すでに山場は過ぎ去り、ただ惰性で残った涙を落とすのみであった。
「そう考えていたのかもしれない。客が逃げないのなら、私でもいいと言ってくれるなら、姉さん達のようになりたいと……幾度か思った事があったわ。だって、姉さん達の悲しみは伝わってくるのに、それに触れることが出来ないんだもの。でも……それと同時に思うの。そうなるのが恐いと……。それは利広の言った事と同じかも知れないし、他にも何かあったのかもしれない……でも、今は……」
「今は?」
「利広が……好きみたい。だから、他の人には触れられたくない。まだ二、三回しか会ってない、しかもこんな酷い事を考えていた女に言われても、嬉しくないだろうけど……でも、ごめんね。気がついてしまったの」
「嬉しいよ」
「……まさか」
「本当に癖だね。それ」
にこりと笑う利広の顔に、は何も言い返せずにいた。
この目前にいる男は、いつもに信じられないような言葉を運んでくる。
だが利広と話しをした後は、世界が変わってしまったのかと思わせるほど、その色を変えていった。
好奇の目が好意の視線へと代わり、くすんだものは色合いを鮮やかに、世界が受け入れてくれるかのような錯覚に陥っていた。
「わたしはね、に触れたいと思っていたよ。始めてその瞳を見たときから」
「それは……どっちの目?」
「どちらも同時に見たからね。どちらの瞳もわたしは好きだし、優しい心に触れてますます好きになった。いますぐ攫って行きたいところだけど……昊天楼を思うの気持ちに答えて、ぐっと我慢している。だから酷い事を聞いてしまった事を、許してくれるかな?きちんと理解して欲しかった。自分の心の弱さと、優しさを」
「心の弱さは、嫌と言うほど分かったわ……でも優しさなんて……」
「優しいからこそ、同情心が芽生えるんだよ。花娘達を人として扱っていない者も多い」
利広はそう言うと笑みをおさえ、真剣な表情になって続きを言う。
「昊天楼から、街全体の妓楼は様変わりを果たすだろうね。徐々に波紋は広がって、やがては何よりも有名になる。その中心には立っているだろうと思う。すでにそのように動き始めているのだから、それを奪うことは出来ない」
言われていることの、半分も理解出来ていない。
だが、何か大きな渦の中に居るのだと言うことは分かった。
「ますます私への指名が増えるってこと?」
「増えるだろうね。そして心の弱さを知らないままのなら、いつか権力を持った客に、その身を明け渡してしまうかもしれない。この瞳が捉えた女性を、気がつかぬままそうさせることは嫌だったからね」
「じゃあ……断る自信を持つにはどうすればいいの?」
「男を知ることだね。その本性を」
「……男を……私は知らないわ。姉さん達に話しを聞くだけで、知識だけで何も知らない。だって、恋すらした事がなかったから……」
「それはいけない」
は再び泣きそうな顔を利広に向け、必至に声を振り絞った。
「こんな私だけど……利広に恋をしてもいい?」
「噂の芸子に恋してもらえるなんて、これ以上の光栄はないね。もちろん、それ以前のも好きだけどね」
「利広……あなたって……本当に不思議。私の心を解かして行くみたい」
はそう言うと、立ち上がって利広に近寄った。
「もし、嫌でないのなら……私を……抱いて……。全てを解かして欲しいの。心の醜さも、弱さも全て。強さや希望に変えて行けるように」
それだけを言うと、恥ずかしくなったのか、の顔は朱に染まって下を向いてしまった。
その瞳は堅く閉ざされ、手は床で堅く握られていた。
じっと利広の言葉を待つに、何も返答はない。
時間が長く感じ、次にどうやって顔を見ればいいのだろうかと考え始めた頃、しゅっ、と衣擦れの音が耳を掠めた。
それでもなお固まっていると、頬に温かい手が触れる。
瞳を薄く空けた瞬間、引き上げられた顔。
驚くの目前に、利広の大きくなった相貌があった。
「そうしよう。わたし自身が後悔してしまわないように」
利広は真珠の瞳の上に口付け、そのまま唇にも口付ける。
牀も衾褥もない房室の中で、二人は抱き合って長い間口付けていた。
やがてその身に何も纏わなくなっても、床が僅かに冷たいと感じても、あまり気になることはなかった。
利広の流れる髪がにかかり、の髪を利広の手が絡ませ、夢のような一夜を過ごしたのだった。
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