ドリーム小説
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昊天夢街道 =7= その日、港町の妓楼の一つに、昊天楼の花娘、噂の叡聞君(えいぶんくん)が白檀の香りと供に訪れた。
護衛の男を二人背後に付け、傘を持つ童女、荷物を持つ童女がそれぞれ脇に控えていた。
中心にいる女は圧倒的な存在感を放ち、優雅に微笑んでいる。
褐色と真珠の瞳は、転げるように出て来た女将に向けられた。
「あ……あんた……。うちにけちを付けに来たのかい?言っとくけど、うちは真似した訳じゃないよ!」
この妓楼を守る女将は、そう言いながらも青い顔をしていた。
昊天楼、近隣の妓楼は早かれ遅かれ、その手法を真似し始めていた。
今やこの街で、昔のような手法を取っている妓楼を探す方が難しい。
「いいえ、難癖をつけにきたのではございません。本日は一つ提案がございまして」
は落ち着き払って、狼狽える女将を見つめていた。
「て、提案?」
とにかくと、奥へと通される。
噂の叡聞君を一目見ようと、妓楼の各所から顔を出す人々。
それらに微笑んで答え、奥へと進んで行った。
かたりと茶を差し出すこの妓楼の下男は、微かに震えているようであった。
緊張しているのだろうか。
それに礼を言って微笑むと、下男は瞬く間に赤面し、ぼんやりとした足取りで退がっていった。
「実は呼び名を統一してほしいのです」
香りのついた茶の煙を見ながら、はそう切り出した。
「呼び名を?」
「はい。一番人気のある花娘には叡聞君と。次いで希覯、婉娩、最後に散酒と言うように。この街にある妓楼の内、それが可能な所には提案するつもりです」
「でも、叡聞君はあんたの称号のようなもので……」
それには微笑んで、小首を傾げながら言う。
「奏に王は一人ですが、国が変われば他にも王はおります。冢宰も六官長も。国は違っても、地位は同じでございましょう?」
「た、確かに……。では、可能な妓楼とは?」
「少なくとも花娘の数が三十を越えておりませんと、割り振りが困難になりますので」
「割り振り?」
「はい。叡聞君が一名、希覯が八名、婉娩十五名、残りが散酒ですわ」
「そ、それは……?」
「昊天楼もそのように人員を整理いたします」
「せ、整理ったって……人員を整理して、統一を持たせてどうしようってんだい?」
「昊天夢街道を」
「昊天……夢街道?」
「今の体制を整える事の出来る妓楼は、この港町に全部で五つ。その妓楼に勤める叡聞君、希覯、婉娩、散酒、童女の付き人や諸々を入れて、総勢三百名がこの港町の大経緯を歩きます」
「三百名が……大経緯を??歩いてどうするのさ」
訝しげな女将には優雅に微笑むと、扇子をはらりと広げて口元を隠した。
まるで華のほころぶその動作は、女将を始め覗いていたすべての人物を魅了してしまった。
思わずぼんやりとしたその表情に気がつかないのか、はそのまま続けて言った。
「奏国のために」
「く、国……の?」
何とか絞り出す女将の声は上擦っていたが、それでもは通常の口調で語る。
「今やこの港町の妓楼は、他国にまでその名を轟かすほどにまで成長いたしました。ですが、まだ貧しいこの国の民が、その夢の世界を垣間見る事は難しいのです。絵や木彫りや講談などで想像し、楽しむことでしかない。それが街を練り歩くとなると、どうなると思いますか?」
ようやく女将の表情が変わった。
「大変なことになるよ……見ようと各所から大勢が駆け寄ってくるだろうね」
「舎館、飯堂、小物屋、茶屋に至るまで、すべての商売者にとって、これを逃す機はございません。この港町だけでは補えないかもしれません。それほどの大きな催し物になることでしょう。この国にとって、これが悪いはずございません」
「そ、それは……そうだろうね。凄い事になるよ。他国から大勢が見物に押し寄せるとなると、近隣の街も潤っていくだろうし」
「ええ。復興の良い足しになりますでしょう。それを妓楼が演出するのです。世の影に潜んできた、花娘が中心となって。大きな顔で、太陽を仰いで毅然と街を歩くのです」
復興のためもさることながら、花娘を一覧する事が出来るのなら、そこから客がつく可能性もある。
これ以上ない宣伝方法だろう。
「その準備の一環なのです。この体制が浸透しなければ、意味のないことですから」
広げられた扇子がするすると閉じられ、最後にぱちりと小気味よい音を残す。
「王宮と同じく、位があって、規律がある。この港町にある、全ての妓楼がそれを守り貫けば、夢街道は大きな意味を持つことでしょう」
しゅっと鳴った衣擦れの音に、女将は顔を上げた。
「返事は後日にでも聞きに参りましょう」
立ち上がったは再び扇子を広げ、優雅に微笑むと軽く頭を下げて妓楼を出た。
その姿が消えてもなお、白檀の香りは残り、叡聞君の残像が辺りを取り巻いていた。
誰もが言葉を発することなく、しばらく時が止まったのだという。
「ただ今戻りました」
「お帰り。どうだったね?」
昊天楼に戻った叡聞君、を出迎える女将。
すっかり色香の伴った我が娘を見ながら、労いの言葉をかけていた。
「ええ、全て色好い返事を頂けると信じておりますわ」
「そうかい。これで夢に一歩近づいたんだねえ。ああ、そう言えば、あの方がお越しだよ」
「利広が?」
「ああ、もうお通ししてあるから、早く行っておやり」
「はい」
は微笑むと軽い足音を残してその場を去った。
「利広」
「やあ、今日も綺麗だね。珍しく外出かい?」
「ええ、妓楼を廻っておりました」
「とすると……また一歩夢に近づいたというわけだね。早く叶うといいね」
「ありがとう」
はにこりと笑うと、利広のすぐ横に座る。
「わたしのためだから、礼を言うには及ばない」
「利広のため?」
「の夢が叶わなければ、わたしはを攫って行くことが出来ないからね」
「親切な人攫いさんだこと」
すべてが変わってしまったその容貌に、利広は瞳を細めて見る。
立ち振る舞いは優雅に、微笑みは華の如く、一挙一動に妖艶さが感じられる。
これでは利広でなくとも、惚れ込んでしまうだろう。
しかし、それが昔とさほどの差違のないことを、この華のような娘は知らない。
まだ昊天楼がうだつの上がらない妓楼であった頃、が街で注目を浴びていた事を、その本人は知らないのだ。
真珠と褐色の瞳を持つは特徴的で、それだけでも人目を惹いた。
歩くだけで人々を魅了していたのだ。
本人は好奇の目だと思っていたようだが。
そのためかの足は速く、声をかけようにも、近づくと逃げるようにして駆け出すのだから、誰も声をかけることが出来なかった。
利広はその噂を聞いて、昊天楼に来たのだった。
偶然にも房室に料理を運んで来た。
話しをしてみると、以外にも劣等感の塊だった。
ゆえに同情心が人一倍強い。
これで妓楼を経営していれば、苦しいだろうにと思った。
そこに惹かれていったのだろうか。
気がつけば気になっていた。
「後、一年だけ待ってほしいの。そうしたら、夢が叶うの。昊天夢街道、きっと成功させてみせる」
「具体的な日が決まったら、教えて欲しい。わたしも見に行くよ」
「それは……太子として?」
「そう」
利広が太子だと気がついたのは半年前。
その口から聞いたのは、三ヶ月前だった。
「を汚したのはわたしだからね。責任を取らないと」
笑いながら言う利広に、はすっと真顔で言う。
「汚されたなど、今まで一度も思った事はありません。夢のような一夜を、私に与えてくれた……その瞳が私を見つめるだけで、どれほど胸が高鳴る事でしょう」
言われた利広はふと笑みを漏らし、そっと口付けを落とした。
「早く、夢が叶うといい。そうでなければ、ずっとこの腕に留まらせる事が出来ないからね」
「利広……嬉しいわ」
僅かな動きで白檀の香りが広がる。
さらに香りを広げるように、利広の手が動いていた。
閉ざされた窓、房室に明かりはない。
ただ、白檀の芳香が漂っていた。
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