ドリーム小説
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昊天夢街道 =8= そして一年が経過していった。
三月十七日、昊天夢街道が執り行われる事が、国中にふれ渡った。
宗王がそれを見に行くと言う噂が立ったからだ。
昊天楼の花娘を見に行こうとする者はもちろん、王を一目見ようと動く者も後をたたなかった。
近隣の国からも大勢が奏へとおしよせ、港町は早い時期から人で溢れかえっていた。
の狙い通り、昊天楼を初めとする妓楼や、宿泊を主とする舎館など、この港町で商売に携わる者にとって、忙しさで悲鳴をあげる日々が続いていた。
ついには港町から溢れ出し、近隣の里にも波紋は広がっていた。
早い者は一ヶ月も前、つまりは昊天夢街道があると言う発表を聞いてすぐに動いた者までいた。
何処に行っても人の山、噂でもちきりだったのだ。
人々の夢を乗せて、その日がついに訪れようとしていた。
三月十七日、昼。
大経緯の両側は奏の禁軍によって固められた。
王が来訪するにはあまりに人が多く、危険が伴うと判断されたのだった。
大経緯を固めてほしいと言うのは、元々県の官府に出されたものであった。
五つの妓楼から、この日のため、許可の申請と供に、警護を依頼するものだった。
しかし急遽、行列の終着点には王が待機する事になった。
それによって禁軍が動いた。
外は穏やかな気候に包まれ、藤棚が咲きそろう。
曙躑躅(あけぼのつつじ)の淡紅色を愛でながら、人々は今か今かと待ちわびていた。
手に絵を持つ者も多く、そわそわする男もいた。
もちろん他国からの者も多い。
噂の人物をひと目見ようと集まった群衆の数を、数えることは不可能だった。
港町の官府入り口には、禁軍の多い一山があった。
その中心にいるのは、この国の王。
宗王櫨先新である。
両脇に王后と太子が控える。
太子はもちろん、次男坊である。
王の耳にまで届いたその名。
昊天楼の叡聞君(えいぶんくん)、。
決して利広の口からではない。
噂が風に乗るように飛び、首都にまで届いたのだった。
もちろん、今回の視察を言い出したのは利広であったのだが……それだけの力が噂にあったのだ。
王の一団が見守る中、遠く鈴の音が聞こえてきた。
しゃん、しゃん、と鳴り響く音。
それに答えるように、藤が舞う。
大行列、叡聞君を筆頭に昊天楼の面々が続く。
それが終わると他の妓楼の叡聞君、希覯、婉娩、散酒と続く。
花の舞い散る街道の中、先頭の華が利広の瞳に映った。
昊天楼の叡聞君が先頭である。
両側に鈴を鳴らす男。
あれは賄夫だったか。
傘を持つ童女に、襦裙の上にかけられた薄い絹を持つ童女。
華を巻く童女も居る。
は両側の民衆に微笑みながら、静かに進んでいる。
淡紅色の絹。
下の襦裙は薄紫に藤の絵柄が織り込まれている。
花鈿が風に揺れて頬を擽っていた。
漆黒の髪に挿された簪はどの花娘よりも多く、歩行と供に反射を繰り返していた。
手に持たれた扇子にも鈴が付けられ、ちりちりという音が終着点にまで届きそうに思う。
舞う藤の優雅さにも負けぬその立ち姿は、通り過ぎていった街道の各所で溜息を誘っている。
感嘆の溜息。
これが噂に聞く、昊天楼の叡聞君なのかと、小さく囁かれる声。
恍惚として見ている者。
今にも飛び出しそうな者。
男だけではない。
女達もを見て囁きを交わしていた。
あの花鈿はどこの物だろう、あんな襦裙を着てみたい等、様々な人間模様を見ることが出来た。
総勢三百余名の大行列の先頭が、王の御前に到着したのは、出発してから随分と時が経過していた。
その御前に跪く直前、正装した利広を目の当たりにして、は表情を崩さぬようにするのに必至だった。
あまりにも凛々しいその姿に、思わず駆け寄ってしまいそうになる衝動があったのだ。
「見て、あれが宗王さまでしょう?太子も素敵な方ね」
「ええ、あ、叡聞君が跪いたわ……なんて素敵な絵なんでしょう」
街の女がそのように囁きあっていた。
藤の舞い散る中、跪いた花娘。
声をかけている、宗王。
春の日射しは温かく、風は人々を優しく包み込んでいた。
誰もが夢を見ているような、そんな場面であった。
薄紫の風に煽られ、はためく衣の色鮮やかさは、まるで絵の中の出来事のように、人々の瞳を魅了した。
王と並んでも引けを取らぬ豪奢な衣装、立ち振る舞い。
作られた世界を見ているかのような、そんな錯覚さえする。
この港町に集まったすべての人々の夢を乗せて、薄紫の花を風が運んで遠くへ連れ去って行く。
昊天夢街道が成功に終わったその日の晩。
どこの妓楼も通常の営業に戻っていた。
なにしろ、これ以上ない程の上客が流れ込んで来るのだから。
ここ昊天楼でもそれは例外ではなかった。
しかしその中心にいるべく叡聞君の姿を見る事は出来なかった。
「初めて来たくせに、叡聞君を垣間見ようとは……そんな失礼なお客はしばらく見なかったわ」
そう言われた男は、本日七人目であった。
もちろん常連も、こぞって来訪していた。
何ヶ月も通って、ようやく話しを出来るようになった者も、中にはいたのだった。
しかし……。
「叡聞君なら、もういませんよ」
「いない、とは?」
「雲の上に参りましたので」
「そ、それは……」
「神の領域の事は、下卑のわたくしなどに分かろうはずもないこと。そんなことよりも、希覯のお一人がおもてなしさせて頂きますよ」
「な、なに?希覯がと?」
「はい。傷心のみなさまを励まそうと」
そう言われてしまえば、もう何も言葉を発することは出来なかった。
希覯でさえ、長時間留まる事は難しい。
それがもてなしてくれるのだとなると……。
「では、案内を頼む」
嬉しいような、少し寂しいような背中を、遠くから見送る女将の表情もまた、その客と同じような思いを浮かべていた。
翌日、昼を過ぎた頃、昊天楼に一人の女が訪れた。
「姉さん!」
「叡聞君!お一人ですか!?」
次々と言われたは特に着飾ってもおらず、知らぬ者が見れば叡聞君だと気がつかぬほど簡素な出で立ちであった。
にこりと微笑んで、は首を横に振った。
「卓郎君が外で待っております。母はおりますか?」
言い終わると同時にかけられる声。
「」
「母さん……いえ、女将さん」
「どうしたんだい?別れなら済ませただろう?」
「ええ。でも大切な事を忘れていたの」
はそう言うと、女将と二人で奥へと消えて行った。
しばらくすると、昊天楼に勤めるすべての者が花庁に集められた。
何事かとざわつく中、女将と叡聞君が現れる。
「すでにここの者ではない私が、戻ってきた理由を今からお見せいたしましょう」
はそう言うと、懐から布を取りだした。
「希覯帛縷、前へ」
帛縷(はくる)は驚いたように目を見開いていたが、言われるままに前へ出た。
「今、昊天楼には希覯、婉娩、散酒しかおりません。これでは次の夢街道に繋ぐことが出来ません」
布をはらりと開くと、中からは数え切れぬ程の簪が現れた。
「それは、叡聞君が昊天夢街道でさしていた……」
「ええ。これを貴女に」
「え?」
「この意味が、分かりますか?」
何も言えなくなった帛縷に、は微笑みそれを渡した。
「今から叡聞君は貴女です。叡聞君帛縷。次の昊天夢街道を頼みましたよ」
帛縷を身請けしようという者も現れていた。
しかし、彼女は誰からの話も断っていると言う。
まだ、その時期ではないと自らに言い聞かせているようだった。
それなら次の叡聞君は帛縷しかいない。
彼女には、夢を持って生きてもらいたかったのだ。
「これで希覯に一人欠員が出ますね。婉娩から補充を。しかしながら今は身請けしようと、幾人かの御仁が動いているようです。どこから欠員が出てもおかしくありません。人員の決まっている希覯、婉娩のため、散酒から引き上げが行われる事になりました。もちろん、それぞれの水準を下げる事は致しません。散酒の皆様、どうか努力で勝ち取ってください」
元叡聞君はそう言って微笑むと、女将としっかり抱き合って花庁から退出した。
出てきた花庁からは、騒動のような声が続いていたが、はいっさい振り返ることなく、外へと向かった。
昊天楼の外に出ると、の言った通り、利広が待っていた。
「やっと肩の荷がおりたね」
「ええ……私の夢だったのだから、重荷ではなかったはずなのだけど……。叡聞君という立場から解放されて、とても肩が軽くなったような気がするわ」
叡聞君で居続けていた間の口調は、すっかりと抜け落ちていた。
利広はそれを聞いていると、昔のが戻ってきたように思った。
「叡聞君はこの港町の顔だったからね。ひとつの街を背負っていたんだ、重荷でないはずがない。それに、の夢は叡聞君であり続ける事ではなく、昊天夢街道の実現。花娘が国に多大な貢献をし、毅然と頭を上げていられる街を作りたかったのだから」
「……利広。あなたって本当に」
そこで口を閉ざしてしまったに、利広の瞳は続きを促していた。
「本当に、私の心の奥底を見抜いてしまうのね。私自身、それを言葉になおす事が出来ないと言うのに」
「愛する女性の事だからね」
さらりと言われたは、頬を染めて利広に近寄る。
騎乗して空を駆けだしてから、ようやくその口を開いた。
「怖がっていた最初の頃を抜けてしまうとね、どんなに褒められても、どんな言葉を言われても、動揺することなんてなかったわ。好きだ、愛している、一緒になってくれって……でもね」
ちらりと振り返ったに、利広は微笑みながら言う。
「好きだよ」
前に向けられる顔が赤い事は、確認するまでもなかった。
「どうして利広に言われると、こんなにも恥ずかしいのかしら……それに、とても嬉しくて、隠すことが出来ないの。いつものようにつんとすまして、さらりと返す事が出来ない」
「その理由はもちろん、分かっているよね?」
「ええ。私が利広を好きだから。とても愛しているから……利広は私に夢と希望を与えてくれたわ。だから、この終わりのない人生の中で、いつか私が利広の夢になり、希望になりたい」
「……、愛しているよ。褐色の瞳も、真珠の瞳も、漆黒に輝く髪も。その体のすべてを」
返答の代わりに、寄りかかる体を胸に、利広は宮城を目指す。
どのような境遇であれ、誰もが幸せになる権利がある。
切望し、手を伸ばす勇気があれば、叶うのではないのかと、そう思える事が出来た。
昊天の下、輝く太陽を仰ぎながら、は願う。
すべての人々の瞳に、輝かしい太陽が映る事を。
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