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煌羽の誓い


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慶に初勅が出された一週後、は金波宮へと来ていた。

改めて冢宰府に足を踏み入れたは、どこにも見覚えがない事に気がつく。

暗闇の中でしか知らないし、ずっと一カ所に閉じこめられていたから、当然とも言えようが、閉じこめられていた不快な感情は舞い戻って来ず、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。

一通り中を巡って、は冢宰の官邸へと赴く。

浩瀚自身もこちらに来て間もないせいか、中は閑散としていた。

「さて…」

はすべての窓を開け放ち、新鮮な空気を中に送り込む。

軽く灑掃(さいそう)していると、いつの間にか陽は暮れようとしていた。

薄暗くなったのを感じると窓を閉め、灯りを点して夕餉の用意にかかる。

戻ってくる時間は分からなかったが、丁度夕餉ができあがった頃、浩瀚は戻ってきた。

「埃や塵が無くなっているので、戻ってくる場所を間違えたのかと…それにともて良い匂いがする」

「今、丁度夕餉の用意が調ったところですわ。お疲れでしょう?ゆっくり召し上がって」

「ありがとう」

向かい合って座った二人は、温かい食事を食べ始める。

浩瀚は現在の実状をに言い、対処の方法をあれこれ並べていた。

思った以上に問題は山積しており、今日のように戻って来ることが出来るのは、難しいのではないかと思わせる。

「慶を立て直すのに、どれほどの歳月が必要なのかしら…」

「幾年かは必要だな。それまで、少し寂しい思いをさせてしまうかもしれないが、それでもはここに留まってくれるだろうか」

「寂しいと感じるほど、あなたが忙しいのなら、手伝いに行きますわ。そうすれば、ずっと一緒でしょう?」

「なるほど」

にこりと笑った浩瀚は、止めていた手を動かして目の前の物を食べる。

もまた、習うように手を動かして食事を勧めた。







































そして数週間後、は陽子に呼ばれて正殿に居た。

陽子は忙しいようで、バタバタとその場を退出する。

「朝議はここで行われているのですか?」

物静かに問うの前には、一人の官吏がいた。

「わたしは以前から宮城におりました。話に聞いただけですが、当時の大宗伯が斬られたのは…」

官吏は目でを促し、玉座からほど近い所まで進んだ。

「こちらだったかと思います」

は指された床をじっと見つめる。

父の果てたその場所には、一点の曇りもなかった。

だが、はそこに手を当て、父に想いを馳せる。

「父さま…ありがとうございます。私達を守ってくれたのよね。慶の夜は…ようやく空けました」

床に当てられた手には、冷たさだけが伝わる。

この磨き上げられた床に、父が座っていたのだろう。

国を良き方向へと導くために、尽力していたのだ。

盟羽との為に。

静かな鼓動を感じながら、しばし瞳を閉じてじっとしていたは、すっと立ち上がって官吏に言う。

「ありがとうございました」

はそう言うと、正殿を退出していった。

そのまま冢宰の官邸に戻る。





















夜になって戻ってきた浩瀚に、は正殿での事を告げた。

「仰いで天に恥じず。老師の…いえ、太師の言った事が、とてもよく分かった気がしたの。父は自らの心に問うたのね。その結果、民を見捨てて保身に走らず、より良い時代を求めて諫言に踏み切った」

そう理解する事は、当然のように思われた。

何故なら自身、そうして来たのだから。





「雲海を、見に行きませんか?」

唐突に言ったに、浩瀚は何も問わずに頷いた。

二人は雲海の見える、張り出した露台へと移動し、欄干に寄りかかって静かなさざ波を聞く。

すっとの腕が上がり、西を指して止まった。

「この方角を真っ直ぐ行くと…麦州城があるのね」

二人が再会を果たした場所が、の指さす先にはある。

それを目で追う浩瀚。

「今日という日が、果てしなく遠かったように感じる。麦州に於いて、が留まった期間は短い」

「ええ、でも浩瀚。私の心の中には、ずっと消えない情景があるの。今はもうなくなってしまって、二度と見ることは出来ないけれど…」

そう言うと浩瀚は頷いて言った。

「松塾の院子と石案…よく語り合った、あの場所」

浩瀚の言に、は微笑んで頷く。

「岩の話しを覚えているだろうか?」

ふと思い出したような声に、は浩瀚に目を向ける。

「…岩が、水を打つ話し?」

問うに頷く浩瀚は、雲海に目を向けて言う。

「岩に落ちる一滴の水音。それをようやく聞く事が出来た。

の言った通り、響くような音色をしていた」

「そう…綺麗な音でしょう?」

も浩瀚と同じように雲海を見る。

するりと通り抜けた風が、淅瀝(せきれき)としていた。

まるでの心情を表すかのように。



浩瀚はその名を呼んで、頬に手を添える。

それを合図に向けられたの瞳には、寂寥の念が籠もっていた。

「わたしは岩ではない。削られるまでの存在に、気がつかないはずがない。だが、もしがわたしを打つ水であるのなら、わたしは受け入れよう。例え身を削る事になっても」

「それは私の望むことではございませんわ…」

「水は岩を削り続ける。果てしない時間をかけて、ゆっくりと削っていく。だが、削り続けている間は、少なくとも岩と供にある。岩の中に入り込もうと、落ち続けるのではないだろうか」

「岩の…中に?」

軽く目を見開いたに、浩瀚は微笑みかけて言う。

「偶然、わたしが見た岩がそうだっただけなのだが…岩の中心に向かって水は落ちていた。僅かに窪んだ岩に水滴が溜まっていた。もう少し削れると、桶のようになるのではないかと。そうすれば、溜まった水が衝撃を吸収し、岩は削られる事がなくなる。水は溢れて岩を覆う。岩は中に水を招き…包み込む」

浩瀚の腕がそっと背後に廻され、を優しく包む。

に削られても良いと思うが、はそれをしたくないと言う。ならば、岩の中に入ってしまえばいい。そうすれば互いを包むことが出来るのだから」

「浩瀚…」

静かに煌めきが現れる。

星の宿った瞳には、歪んだ景色が映っていた。

少しだけ体を離した浩瀚は、頬を伝う煌めきに唇を当てる。





























『いかな境遇に於いても、必ず生きて戻られん。例え竄匿し恥辱を舐めようとも、浩嘆の地に貶められようとも、それを盟誓されんとす』





もう使われることはないだろうその盟約は、人々の心に生き続ける。

慶に再び暗闇が訪れるその時まで、じっと潜んでいる事だろう。

出来ることなら、二度と使われる事がなければいいと強く願うのは、それを言った本人であった。









は雲海に目を向ける。

静かなさざ波は穏やかに、煌めく夜空は二人を包む。

は浩瀚に寄り添って、深く息を吸い込んだ。

「もう、お側を離れません。私はあなたと供に、新しい時代に生きる事を誇りに思います」

まだ煌めきの残る瞳の上に、優しい口付けを受ける。

星は夜空を彩り、煌めく羽に降り注ぐ。

長かった夜が、ようやく明けようとしていた。








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さて、ようやく終わりました。

ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございました。

次の作品でもお逢いできたら幸いです。

                       美耶子

    

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