ドリーム小説
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夢幻の国 =14= 翌日、豈楽(がいらく)を出てさらに西へと向かう。
汽州を抜けるのには三日を要した。
目的の垠州(ぎんしゅう)へついたが、これからどう行動すればよいだろうか。
「白茅だわ…」
遠くに見える街に向かって、はそう呟いた。
白茅(はくぼう)は比較的大きな街で、凌雲山の麓に広がっている。
凌雲山の上は州城だろうか。
「あれは郷城です。垠州の秧苗郷(おうびょうごう)白茅(はくぼう)」
秧苗郷白茅の周りには、たくさんの田畑があった。
どこまでも続くその景観。
州が変わると国までもが変わるような印象を受ける。
その日は白茅の街に泊まる事になった。
舎館の中で、更夜はに問う。
「まだ、西かな?」
「ええ、もっと、ずっと西に行きたいのです」
「もっと…」
その果てに、何が待ちかまえているのだろうか。
「更夜」
呼ばれた更夜は思考をうち切ってを見る。
「ここまで、妖魔の群れに遭遇せずに来る事ができました。今までのはやはり…」
冢宰か大司馬か…あるいは、双方。
の行く先に妖魔を呼び寄せるもの。
使令がいるのは分かっているだろう。
だからこそ、街を一つ焼いたのではないだろうか。
更夜がいることなど知らずに、の行く先と推測された、名も知らぬあの街。
人々の屍が山になっていた、あの街。
「行こう、西に。それが天啓だといいね」
「それは…違うと申しておきましょう」
「え…?天啓ではない?」
「はい。私は一度王を選んでおります。天啓がどのようなものか、すでに知っているのです。これは天啓ではない…でも、何かと問われると、やはりお答えする事はできないのですが…」
「そうか…。でも、とにかく行ってみよう。神獣が何かを感じているんだから、何かあるのだと思うよ」
「はい。良いことなら…嬉しいのですが」
拭いきれない不安が残る。
西が近づくたびに、それは膨らんで行くようでもあった。
同時に、駆るような思いも膨らんでいる。
この説明できないような心境に、戸惑うばかりであるが、更夜にどう伝えてよいのか分からない。
そのせいか、白茅(はくぼう)を出る決心がなかなかつかず、三日をこの街で過ごした。
その三日間で分かったことがある。
それは垠州が南の州の中で一番貧しいという事だった。
汽州や相州にくらべて、貧しさが目立つ。
群れこそ出ないが、妖魔を見かける頻度も高い。
「本当に、国が変わってしまったみたいだ…」
暮れゆく陽を見つめながら、更夜はぽつりと呟いた。
同じ国とは思えぬほどの変わり様だ。
中央部である彩州を雲海の上で過ごしたからだろうか。
雪の晧州から南の州へ渡ると、柳から奏へ渡ったような気にさせる。
実際、同じほどの距離があるのだろう。
一つの州を越えるのに、一国を越えるほどの時間を要するのだから。
「更夜、もし私に何かあったら…迷わず逃げて下さいね。あなたはこの国の人ではないのですから、この国のために犠牲になってはいけません」
「、何を言いだす…」
最後まで言えずに、更夜の口は止まった。
黄昏に染まるを見るのは、これで何度目だろうか。
金に染まる世界に佇む金の少女。
紺碧の瞳に映り込む夕陽。
寂寥と幽愁に染まる瞳は、暮れゆく陽を受けて眩耀(げんよう)に揺れる。
何も言えなくなるほど美しい相貌だった。
神話にすら存在しない国。
その国の麒麟は、真実存在するのだろうか。
は幻影ではなかろうか。
更夜はそっと手を伸ばしての腕を掴んだ。
しっかりとした感触がある。
夢でも幻でもなく、確かに存在する証。
しかし、それでもまだ不安だった。
不思議そうにしているを、そっと引き寄せてみると、ふわりと胸元に収まった。
しっかりと抱きしめると、柔らかな金の髪が頬に触れる。
「更夜…?」
何も言わず、更夜は顔を上げてを見た。
不思議そうに見つめる瞳は変わらず、金の陽の代わりに更夜を映していた。
そっと落とされた口付け。
「…更…夜」
王のものだと分かっているのに、靜国のものだと分かっているのに。
攫っていく事など、出来ないというのに…それでも止められぬ気持ちが存在した。
いつかは離れてしまうに、また一つ、口付けを落とした。
紺碧は静かに姿を消す。
代わりに世界が紺碧を映そうとしていた。
白茅(はくぼう)を出た二人はさらに西を目指し、遐陬(かすう)という小さな街に辿り着いていた。
随分と鄙びた所である。
店などはほとんどなく、人も疎らで少ない。
もちろん舎館などなく、里家で世話になった。
「お二人は何処から来たのじゃな?」
遐陬の閭胥(ちょうろう)は齢(よわい)八十が近いと言う。
曲がった腰で、白髪の老婆だった。
目は開いているのか、閉じているのか分からない。
「昭州…からですわ」
昭州(しょうしゅう)は北西の州で、更夜は一度もそこへ足を踏み入れていない。
警戒心がそう言わせたのだろうと察し合わせて頷いた。
「ほうほう、随分寒い所からきたのじゃな。逃げて来たのかえ?」
「逃げて…?」
「近頃はどこも大変じゃから。ここ垠州ではまだ良い方だろうね。寒さに震えて死んでしまうことはないしの」
北の州で妖魔が出たことを、この閭胥は知っているのだろうか。
「空位の時代に旅をするものは、どこから逃げて来る者が多い。ま、一概には言えんがの。しかし近頃不穏な事が多い。糾正郷でも何やら若者が徒党を組んで、国に刃向かおうとしておるようじゃ。昧谷に集まっているようじゃが…いつまで続くかの。近頃の若者は辛抱がないから」
「糾正郷…昧谷…昧谷」
どこかで聞いた名だと思ったが、どこで聞いたのかよく覚えていない。
深く考え込もうとしているに、老婆は知らないと判断したのか、教えるように言う。
「垠州の一番西じゃな。靜嘸国で最後に陽の沈む場所じゃ」
「最西端…昧谷。そこに何が?」
「さて、詳しいことは知らん。良い集団なのか、悪い集団なのかも分からん。何故なら、ここが良い国なのか悪い国なのかも分からんからの」
そう言って笑う老婆をよそに、は俯いて考える。
糾正郷(きゅうせいごう)昧谷(まいこく)と、は繰り返して言う。
「先の王に縁のあった土地じゃというに」
少しだけ首を傾げながら、更夜は老婆に問う。
「先王縁の地?先の王は北の州の出身では…」
「確かに。じゃが、商売人じゃったと聞く。昧谷は養蚕(ようさん)が盛んでな。春蚕(はるご)、夏蚕(なつご)、秋蚕(あきご)。どの季節に行っても繭を手に入れる事が出来るのじゃ。北の州からも騎獣に乗って、多くの織物問屋が買い付けにくる。先の王も昔は良く来たものじゃと聞いておるがの」
それで聞き覚えがあったのかと、は頷いた。
「今はどうなっておるのやら。西へ飛んでいく騎獣もとんと見なくなったよ。空位になって危ないから、旅をする者が減ったのか…それとも、繭が手に入らなくなっているのか」
黙って話を聞いていた更夜。
その視線の先に、決意の籠もった紺碧があった。
「…」
更夜はすぐにを庭院へ連れ出した。
問いつめるようにに寄る。
「まさか、昧谷へ向かうと言うんじゃないだろうね?」
「参ります」
「危険な所から逃れて来たのに、危険かもしれない所に行くの?」
「現在靜嘸国は空位なのです。ならば更夜、真実安全な場所などありましょうか?それに私は宰輔として見ておかなければ。何が昧谷(まいこく)にあるのか」
「しかし…」
「何を危惧しているのです?」
「あの街だよ…」
「街…?」
「燃えていたあの街…名も知らぬ晧州の街。逃げられなかった多くの人。晧州では少なくとも二つの街が滅んでいるよね?」
「幣帛…」
「そう。王に縁のある街。だから、昧谷が安全であるとはとても思えない」
「では、何かあればすぐに離れましょう。私も無理をしないと約束致します。だから更夜、このまま西に向かわせてくださいませんか」
しばらく逡巡した更夜。
しかしの真摯な瞳に負けて頷くことになる。
「が行きたいと言うのなら…」
不安は残るが、確たる目的がある訳ではない。
目的を挙げよと言われれば、の気が向いた方へ進んでいるとしか言えない。
この先、西の地で待ち受けているものが、何なのか知るよしもないが、不安が膨らんでいくのをどうにも止められない。
更夜はを引き寄せると、その頭部に顔を埋めて囁く。
「、絶対に無理をしないと誓ってほしい」
「はい」
はそう言うと顔を上げて更夜を見つめる。
紺碧に映り込んだ相貌に微笑み、の腕は更夜の首に廻された。
「ありがとうございます、更夜」
ぱきん、と耳元で枝の折れる音。
何処から聞こえるのか、未だに謎である。
更夜にしか聞こえていないその音は、残響も残さず消えていた。
金の髪を覆う、山瑠璃色の布を撫でながら、更夜は空を見上げた。
風が凪いで時を止める。
このままを抱きしめ、永遠に留まっていたいと思う。
しかし残酷にも時は流れ、の体は更夜から離れる。
里家に戻ろうとするについて更夜もまた、足を踏み出した。
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