ドリーム小説
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夢幻の国 =16= その後二人は、一度舎館に戻る事にした。
ろくたをそのままにはしておけないし、荷物も全てそこにあった。
その道中、更夜はに確認する。
「本当にいいんだね?戦いを起こそうとしている集団に、自ら飛び込んでしまう事に、もちろん賛成出来ないんだけど?」
「ええ、大丈夫ですわ。まだ何も始まっておりませんし、心の示唆する方向は間違っておりません」
の暗示する物、その正体が見え始めていると言うことなのだろう。
それが分からなければ、更夜とて黙っていなかっただろう。
麒麟が反乱軍に荷担するなど、何処の国の史書を紐解いても出てくるはずがないのだから。
もう一度、危ない事はしないと約束させたいところだが、しつこいようで何も言えなかった。
ただ不安げに見つめるしか出来ない。
達が冢次に参加して幾日かが経過した。
その間に分かった事がいくつかある。
一つは、昧谷(まいこく)から養蚕が殆ど絶えてしまったと言うこと。
糾正郷(きゅうせいごう)の郷長が、蚕を嫌いなのだと言う。
空位になってすぐ、糾正郷(きゅうせいごう)郷長閃揄(せんゆ)によって、その命が出された。
もちろん養蚕を生業としていた民は困窮を極め、昧谷(まいこく)を出ていく者も現れた。
しかし、養蚕の道具を担いで街を出る事は難しい。
やがては民の方が諦めていったのだが、今度はそれに併せたように税が上がった。
昧谷は靜国の最西端であると同時に、糾正郷の端でもある。
ここから出ていくのは容易ではない。
もう一つは、冢次の集まるこの民居が、まだ見ぬ盟主の持ち物であると言うこと。
ここは普通の民居よりも数段大きく、大勢の収容が可能だった。
院子(なかにわ)には桑の木がたくさん植えられている。
郷長の目を盗んで続けているのだろう。
最後の一つ。
冢次の目的は、税を引き下げることにあった。
養蚕を奪われて、税を引き上げられては、治めることは難しい。
だが、治めることが出来なければ、過酷な夫役が待っていると言う。
夫役に出されてしまえば、ますます税を納めるのが難しくなる。
つまりは悪循環の繰り返しだ。
盟主の指示によって、戦う準備もなされている。
盟主は情報を集めるために、他県へ赴いているらしい。
それによって乱を起こすか、平和に解決出来るかが変わるのだと言う。
「俺はまあ、軍で言うと将軍だな。盟主は大司馬って所か」
貞幹はにそう言って説明をした。
「閃揄ってのは狡猾な奴でな、なかなか尻尾を出さねえんだ。国が罰してくれりゃあ、話は早いんだが、現状すら知らないと思うぜ」
「それは…ええ、確かにそうかもしれませんわね。国府は…遠いですから」
まったくだ、と溜息まじりの声が花庁に響いた。
糾正郷の郷城は街の東にあり、そのせいで朝が遅い。
天を貫く山が、日の出を遮るのだという。
代わりに西日が長く続く。
西日は滄瀛(そうえい)を美しく彩り、橙色に染め上げて街に反射する。
貞幹と話をした後、は街に降りてその景色を眺めていた。
ふと、背後に人の気配を感じ振り返る。
「は、いつも黄昏の中にいるね」
「更夜…」
隣に並んで夕陽に目を向けた更夜。
習うようにも陽を見つめる。
「更夜とこうして陽を見つめるのは…幾度目でしょうか」
「さあ…でも、幾度目でも構わないよ」
「ええ、そうですわね」
いつも、陽の中に包まれた二人には幽愁が漂う。
「更夜と何時までも…こうして夕陽を眺めていたいと思うのは…私の我が儘でしょうか?いつかは更夜と離れなければならない。そんな気が日増しに強くなるのです」
「…」
「時には、王が見つからなければいいとさえ…思うほどなのです」
「それは…麒麟らしくないね」
「私も、そう思います。だからでしょうか…天が主上を攫っていったのは」
「それは違う。先の王に天命は関係なかった。麒麟が病むことなく殺されたんだから」
「でも更夜、真実天命があれば、果たして殺されることなどありましょうか?」
「あるよ…。偶然ってね、良いことが続くこともあれば、悪いことが重なる時もあるんだよ。悪い偶然が重なってしまった事まで、天は考えることなど出来ない」
「そう、ですわね…」
はそう言うと、くすりと笑って更夜に目を向ける。
「更夜は天を知っているみたいね」
笑った声色に、更夜もまたに目を向けた。
しかしの紺碧からは、幾筋もの涙が溢れていた。
「私は…更夜を愛してしまったのでしょうか…。更夜と離れることを思うと、心が張り裂けそうになるのです。更夜、どうか…何処にも行かないで下さい。私が生きている限り、更夜が必要なのです」
「…」
更夜は紺碧の瞳に頷いて、の側に寄った。
そっと肩を抱いて、引き寄せると、空気の様に軽いの体が胸元に治まった。
黄昏に染まる影は一つに重なる。
何処よりも長い昧谷(まいこく)の夕暮れは、与えられた最後の逢瀬であったが、その事を二人はまだ知らない。
盟主の民居に戻ろうと、二人が街を歩いていた時。
遠く東の方角から、悲鳴が上がる。
目を合わせた直後、二人は弾かれたように駆けだしていた。
悲鳴の上がった方角に進んでしばらく、貞幹(ていかん)と合流した。
「お!お前達無事だったか。妖魔が出たらしい!郷府の者が戦っているらしいんだが、怪我人が出てたら救済するぞ!」
そう言って駆け出す貞幹を案内人に、再び駆け出す二人。
しかし、ふと更夜が気付いた。
「怪我人…、すぐに戻って」
「戻りません!大丈夫です」
「なんだ?血を見るのが苦手か?」
「は駄目だ。無理をしないと約束したのを忘れた?」
「忘れておりません。無理はしてないのです。まだ妖魔がいるのなら…」
残りは更夜にしか聞こえないように、小さく言った。
「私の使令でなんとかしなければ…」
「…。じゃあ、妖魔が消えたらすぐに避難するね?」
「はい」
「分かった」
覚悟を決めた表情を見てしまえば、止めようがない。
何より、貞幹が訝しげな目で、ちらちらと振り返っている。
房室の中でも、決して頭髪を覆っている布を外さない。
そこに不審がる者も中にはいた。
昭州の出身で、の里には変わった風習があると、そのように言い聞かせていたのだが…どこまで信じているのか怪しい。
ゆえにの一挙一動が注目を集める事もしばしばだった。
貞幹達からしてみれば、得体のしれない者を中に入れるのは、あまり賢い方法ではない。
郷や県の間諜かもしれないからだ。
もしもの時には逆手に取って、人質とするか、情報を聞き出そうとしているのかもしれない。
更夜がそのような事を考えていると、現場は目前に迫っていた。
赤いものが町中で暴れている。
怪我人も幾人かいた。
郷府の衛士だろうか。
必至の攻防戦であった。
「琴中だわ」
更夜は初め、褐狙(かっそ)だと思った。
琴中(きんちゅう)とが言った妖魔は、赤い毛並みで狼のような面である。
しかしその妖魔に四肢はなかった。
堅そうな鱗に覆われた体は、曲がりくねって蜷局(とぐろ)を巻いている。
肢体が蛇の妖魔だ。
いや、むしろ面だけが狼と言った方がよいか。
小さくが呟くのが分かった。
「晤繞、瞶掾、飆翩、すぐに救済に向かいなさい」
獲如(かくじょ)の晤繞(ごじょう)、讙(かん)の瞶掾(きえん)、囂(ごう)の飆翩(ひょうへん)が何処からともなく現れる。
それによって、その場は騒然となった。
新たな妖魔が現れたのだ。
混乱の渦になるのはどうしても避けられなかった。
衛士も、戦うことを断念して、自らの保身に徹している。
「貞幹、怪我人がいればすぐに運びましょう!妖魔同士が争っている間は、大丈夫です」
「し、しかし…いや、分かった!」
更夜はすでに心得ていたのか、怪我人を一人運び始めていた。
貞幹もそれ同様に動き出す。
は少し気分が悪くなり始めた事に気がついた。
そろそろこの場を離れようと、一歩後退したその時。
「快哉の群れだ!」
その声が、衛士のものであったのか、住民のものであったのか分からないが、確かに快哉(かいさい)が群れを成して、北の空を覆い尽くしていた。
「そんな!嫖姚、蛻黯、翹猗、快哉を頼みましたよ!」
の女怪である嫖姚(ひょうよう)、岐尾蛇(きびだ)の蛻黯(せいあん)、畢方(ひっぽう)の翹猗(きょうい)がの召喚に応じて影から飛び出す。
空も地も、赤い妖魔で埋め尽くされそうだった。
「、早く逃げて!」
更夜の声が何処からともなく響いていた。
はすぐに踵を返して駆けだした。駆け出しながらも、更夜を探す。
そしてが見たもの。
「こ…更夜!!」
琴中(きんちゅう)の一匹が、更夜の背後を狙っている。
同時に、の横に快哉がいることも感じ取った。
しかし…
「聚撈、更夜を!私は転変して逃げますから」
何羅(から)の聚撈(じゅろう)が更夜の元へと駆けて行く。
更夜がその言葉を聞いた瞬間、十の体を持つ妖魔が琴中の突進を受けた。
しかし衝撃は更夜にも及び、後ろに跳ね飛ばされるのを避けることは出来なかった。
飛ばされる視界の端で、金の光が見える。
が転変したのだろうか。
そう思っていると、急激に金の光は消えた。
それと同時に、民居の壁に背中を強く打ち付けた更夜。
がらがらと音を立てて雪崩れ込んでくる瓦礫を体で受け止め、小さく呻いた。
「う…」
呻きながらも、の方に目を向ける更夜の視界の先には、立ち尽くすの姿があった。
衛士が三人立っており、を取り囲むようにしている。
山瑠璃の布はすでになく、ただ驚いた様子の衛士の表情が見えた。
の表情は見えない。
更夜が逃げるように叫ぼうとするよりも早く、は衛士の一人に腕を掴まれた。
そのまま囚われるようにして、更夜の目前から消えてしまった。
あまりにも素早いその動きに、更夜は動くことが出来なかった。
いや、動けなかったのは、何も驚きだけではない。
民居に激突した際に落ちてきた瓦礫に、下半身が埋まっている。
体を動かすと激痛が走る。
の使令はそろそろ戦いを終えようとしていた。
妖魔は大方片づいている。
「じゅ…聚撈」
声を出すだけで痛みが走った。
だが、それでも更夜はの使令を呼んだ。
「すぐに瓦礫をどけましょう」
ぼそりと呟いた声は低い。
初めて聞く声だったが、今はそれどころではない。
「わたしはいい、から…を…」
「台輔を?」
「見えなかったのか?衛士に連れ去られたのを」
「まさか!台輔!」
聚撈(じゅろう)はそう叫ぶと、するりと姿を消した。
更夜はようやく痛みのする半身に目を向けた。
瓦礫が大量に乗っており、折れた木が足に刺さっているようだった。
よく見れば、地に赤い海が出来ようとしていた。
皮甲のおかげで、胸や腹は無事だったが…。
「これじゃあ…に会えないな」
自嘲的な笑みが漏れると、ぐらりと視界が廻った。
まだ妖魔の声が残る中、気を失うには危なすぎるその状況下で、更夜は自らの流した血の中へ落ちてしまった。
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