ドリーム小説
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夢幻の国 =17= 次に更夜が目覚めた時には、幾人かの男が周りを囲んで見守っていた。
目を覚ました事が分かると、一様に安堵の息を漏らした。
「ここ…は」
「まだ喋っちゃいけねえぜ。瓦礫に押しつぶされそうになってたし、足に太い木が刺さってたんだからな」
貞幹がそう言って大きく笑う。
「足に…そうか」
「腹が無事だったのが不思議なくらいだぜ。いい皮甲をつけてたな」
「…は」
「は…あの混乱でどっかいっちまって…逃げてくれてるといいんだが」
では、貞幹達は衛士に連れられるを見ていないのだろう。
「とにかく、目が覚めて良かったぜ。盟主にも知らせとかないとな。実はあんたが寝ている間に、戻ってきてたんだ。ま、すぐにまたどっかいっちまったけどな」
そう言う貞幹を見ながら、更夜は徐々に瞳が重くなって来たのを感じていた。
貞幹が何かを言っていたが、すでに何を返す余裕もない。
を取り戻すための方法を考えねばと思いながら、再びまどろみの中に埋没していった。
次に目が覚めたのは、ぼそぼそと囁く声であった。
ふと目を開けると、先ほどのように囲まれていた。
ただし男達ではなく、の使令にだ。
「…。…。…!」
思わず起き上がり、それによって激痛に見舞われた。
「う…」
「どうぞそのまま横になって下さいまし。お体に障ります」
そう言って、白い手を添えてくれたのは、の女怪、嫖姚(ひょうよう)であった。
信じられない思いで、辺りをぐるりと見回す。
よく見れば、蛻黯(せいあん)も翹猗(きょうい)もいる。
もちろん晤繞(ごじょう)や瞶掾(きえん)に飆翩(ひょうへん)もおり、を追って行った聚撈(じゅろう)までがいる。
「は…聚撈、はどうなった!?」
「それが…」
聚撈がそう言うと、使令の誰もが、更夜から目を背けるようなそぶりをみせる。
「何が…」
「台輔の気配が、どこにもないのです」
「どこにも?それはまさか…」
最悪の事態が脳裏を過ぎていく。
しかし、それには否定が入った。
「生きておられるのは分かるのです。漠然と存在は感じておりますから。ただ、明確な場所は分からないのです」
「だけど、あの時すぐになら…すぐそこに見えていた」
「見えて…おりましたか?」
自信なさげに言う聚撈に、更夜は驚いて問う。
「どういう事…?すぐそこにいたのに。使令なら、通常の人よりも麒麟の気配には敏感なのだと思っていたけど…?」
それには女怪の嫖姚(ひょうよう)が答える。
「台輔の気配は、常に光のように感じているものなのです。見失う事など…これまで一度もございませんでした…それが、どこかに気配は感じるのですが、それが何処からなのか、使令一同、分かる者がいないのです」
「そんな…そんな事が可能なのか?…麒麟が病めば使令も病むと聞いている。その関係上、使令が封じられた状態になるのは知っているけど…封じられてもおらず、使令が麒麟の場所を特定出来ない?」
「我々にも分かりません。ご無事でいる…少なくとも命はございます。ですが…どのような状態で、どこにおられるのか…」
女怪の嫖姚(ひょうよう)に続き、晤繞(ごじょう)の苦渋に満ちた声がする。
「台輔のお側に…はせ参じることが出来ないのです」
「は衛士に連れ去られた。
誰か、郷城に向かってもらえないかな?もしかすると、呪の施された所に幽閉されているのかもしれない。可能性としては、郷城が高いと思うから」
「かしこまりました」
そう言って姿を消したのは、晤繞(ごじょう)と嫖姚(ひょうよう)だった。
「お辛いところを、申し訳ございません」
飆翩(ひょうへん)がそう言って、軽く翼を動かした。
微かな風が起こり、それが心地よいと感じてようやく、汗をかいている事に気が付いた。
「いや…わたしの不覚でもあった…守ると言ったのに…これでは口だけだね」
「どうか、それ以上は。傷に障ります」
うん、と頷くと、更夜は再び目を閉じた。
夢の中に進んで行く更夜の耳には、枝を折るような音が響いていた。
堅く、白く、葉のない木の枝だった。
夢に広がる景色は靜ではない。
本来、十三番目の国とされる、黄海である。恋しいのだろうか…。
妖魔の跋扈する不毛の地。
神の領域ではないその地に、人は踏み込んでいく。
王になるために、あるいは生活の糧を得るために。
誰かが泣いている。
何処から聞こえて来るのだろうか…。
更夜には分からない。
何故なら、ここは夢の中であるのだから。
分かることなど、何一つない世界だから…。
「台輔、何か召し上がりませんと、お体に障りますよ」
そう言って声をかけてきた男を、はしばらく睨んで視線を逸らした。
混乱した街の中、の目前に立ちはだかった者。
まさに偶然であった。
衣服が脱げる前に転変を解いた。
山瑠璃の布だけが、間に合わずに落ちてしまった。
三人の衛士は驚いた表情をしていたが、すぐに一人が言った。
「おい、麒麟じゃねえか」
そう言ったのは、舛互(せんご)と言う名の、狡猾そうな男だった。
年の頃なら四十ほどか。
「こりゃあ、驚いた。本物を見たのは初めてだな」
啓明(けいめい)と言う、端正な顔立ちの男。
二十半ばだろう。
「おい、捕らえていけば郷長から褒美が貰えるぜ。何しろ…」
その後は口に出さず、卑下た笑いをに向けたのは、秕糠(ひこう)と言う男。
先ほど、に食を勧めていたのも、この秕糠だった。
は驚きでその場に留まり、その後、大人しく捕らえられた。
「ではこれを使おう」
そう言って、黄色い縄のような物を出したのは啓明だった。
縄には同じく黄色い石がついている。
それをするりとの首に巻き付けたのだ。軽く目が回ったが、それはすぐに治まった。
だが、使令が誰も戻ってこないところを見ると、どうやら呪の施された物だったらしい。
郷城に来てからは、縄と同じ気に満ちた房室に閉じこめられている。
鉄の格子はないが、扉には鍵がかけられている。
そして、獣の姿になる事が出来なくなっていた。
力をも封印されているのだろうか。
実は更夜の想像していた事は、かなり正しい。
たった一つ違う所があるとすれば、が自らの意思でついてきたと言うことだろう。
この三名は麒麟を捕らえた褒美として、近い未来に出世を約束された。
そして今は、の見張り役と言うわけだ。
三人が交代で、常に見張っている。
捕らえられたはまず、郷長の許へ連れて行かれた。
貞幹から聞いていた、件(くだん)の閃揄(せんゆ)である。
「わたしは糾正郷の郷長で、閃揄と申します。台輔にはしばらく不自由な生活をしていただきますぞ」
「何故私を捕らえるのです」
「国府のお偉い方が王位に就くため…でしたが、わたしが王と成ることも可能やもしれぬ。何しろ神獣が手の内にあるのだから」
「あなたは王ではありません。天啓がないのですから」
「台輔、天啓のあるないは関係ないのですよ」
「…」
「おやおや、仁の獣が恐い顔をしてはいけませんよ。そうだ、麒麟は頭の良い獣と聞いておりますが」
「…」
「その頭の良い所を発揮していただいて、諦めると言うことを覚えていただきたいものですな」
そう言うと、閃揄(せんゆ)は不快な笑い声とともに退出していった。
そして現在、三人の男に囲まれていると言う訳だった。
「あなたがたは、とても罪深い事をしているのです。分かっているのですか?」
舛互(せんご)がにやにやしながら言う。
「俺達はただ、上の指示に従っているだけさ。それ以上のことも、それ以下の事も出来ねえんだよ」
気丈にも、それを睨み付ける。
その内情を言えば、泣き出したい気分であった。
それに街で起きていた妖魔騒ぎから、ずっと体が気怠い。
血の臭いにあたったのだろうが、これ以上の弱みを見せる訳にはいかなかった。
「ま、ともかく最初の見張りは啓明だろ。後は頼むぜ。では台輔、ごゆるりと」
秕糠(ひこう)がそう言って房室を出ると、舛互(せんご)も続く。
飲みに行こうなどと気楽な会話を聞きながら、は残った男に目を向ける。
啓明(けいめい)はその視線に気が付き、にこりと笑ってに言う。
「本当に食べておかないと、逃げ出した時に困りますよ」
その言葉に、少し希望を見いだした。
縋るような思いで問う。
「逃がしてくれるのですか?」
「いや、悪いが、もう少し役に立ってもらう」
心を抉られたような痛さがあった。
啓明(けいめい)に目を向けた。
その表情の中に何かを感じ取ったのか、啓明はに歩み寄って顔を覗き込んだ。
「かなりご気分が悪いようですが、大丈夫ですか?」
「力を封じられては、気分も悪くなるというもの」
「それだけですか?」
「え?」
すっと伸びてくる手。
その手はの額に当てられ、自らの額にも当てられている。
「やっぱり熱がある。ああ、そうか。妖魔騒ぎの時に、血にあたったんだな」
「何故…」
何故と言ったきり、の言葉は絶えた。
口を閉ざしたのは、涙が頬を伝い、嗚咽が込み上げてきたからだった。
啓明(けいめい)は困ったようにそれを見ていたが、ふわりとを抱え上げる。
「麒麟ってのは、思った以上に軽いな」
驚いているを無視して、牀榻へと連れていく。
は強張っていた体の力が抜けるのを感じた。
「冷たい物でも持ってきましょう。いずれにせよ、体力だけは戻しておかないと」
牀にそっとを置くと、啓明(けいめい)は房室から出ていった。
「何故…何故なの。天は…何故…」
再び涙が溢れくる。
が大人しく掴まった訳。
それは啓明(けいめい)であった。
天啓はないと信じて昧谷(まいこく)まで来たはずなのだが、啓明(けいめい)が現れてすぐに分かってしまった。
啓明(けいめい)が空位を埋めるべく存在する、靜の次王であった。
漠然とした期待と不安の意味が、ようやく分かった。
どこから見ても、良い人物とは思えない郷長。
使われている衛士とはいえ、率先してを捕らえた啓明。
これではいくら天啓があっても、契約に進む事が出来ない。
啓明(けいめい)を次王に据えては、靜が滅んでしまう。
そう思ったはずなのに、ついて来てしまった。
先ほど抱えられた時にも、この上ない安堵感があった。
王の側に居ることから、逃げ出す事が出来ない。
王を失う痛みは、酷く辛い物だった。
しかし、王を見つけて尚、契約出来ぬ辛さと言うのは、それ以上だ。
とても信じることが出来ない。
王に据える事など到底出来ぬ。
それでも天啓を信じるべきなのだろうか。
牀に横たわったまま、は声を殺して泣いていた。
それを拭う温かい手。
「それほどまでに悲しいのなら、何故大人しく掴まった?いくら使令が妖魔と戦っていたとは言え、呼べばすぐにでも助けが来よう」
頬に当てられた手は、を幸福感の中へと導いて行く。
張り裂けそうな心情は、もはや存在しなかった。
「あなたは…何故郷城に仕えるのですか…?」
ぽつりと言われた声に、啓明(けいめい)は答える。
「何故って言われてもな…こんな僻地じゃ、これぐらいしか出世の道はないだろう」
「では、麒麟を捕まえたその腕で、あなたが玉座に就けばいいのです」
「…」
「この上ない出世でしょう。国の頂点に立つのですから」
が吐き捨てるように言うと、啓明は立ち上がって房室を離れようとしていた。
そして振り向きざまにに言う。
「ま、それも悪くないな」
ぽたん、と閉まった扉が物悲しい。
「ああ…更夜…更夜…」
もう、縋る者はいない。
王を見つけて、呪の中に閉じこめられてしまった。
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