ドリーム小説
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夢幻の国 =22= 白い世界だった。
何もない、ただ白い世界。
透明な鳥の鳴き声が聞こえている。
ここはどこだろう…。
そう思った直後、何も見えないことに気が付いた。
「ああ、そうか…目を閉じているからだ…」
呟いて、瞼に力を入れる。
白い世界の中から、意識が浮上してくるようだった。
徐々に明けられる瞳。
寛容に射し込む光が、その目を刺激した。
少し閉じかけて手をかざす。
手の影で瞳は完全に開かれた。
そのまま、更夜の顔は辺りを観察するよう、左右にふられた。
穏やかな風に草花が揺れ、遠くせせらぎが聞こえている。
先程とは違った小鳥の高い声が耳に優しく、背には柔らかな草の感触があった。
むくりと起きあがり、再度辺りを見回す。
緑豊かな野原のちょうど真ん中に横たわっていたようだ。
ろくたはおらず、一人だった。
辺りには人の気配らしきものは何もない。
しかしこの場を取り巻く雰囲気から、ここが更夜の望む地ではない事が分かった。
「靜…は?は?」
一人呟くと立ち上がる。
少し進むと川が現れた。
透明な水は陽の光を受けて五色に反射している。
不思議な色の川だと思いながらも、足を進める更夜。
やがて滝の音が聞こえ始めた。
無意識のまま滝を探し出すと、その前に立ってぼんやりとしていた。
まだ己の状況が分かっていない。
それもそのはず、離れぬようにと、を抱きしめて寝ていたはずなのだ。
や啓明(けいめい)と、蓬山に向かった記憶はない。
目が覚めても、隣には変わらずがいるはずだった。
緑野で眠った記憶も、もちろんない。
「似たような事があった…?」
黄朱の里から靜国に渡った時も、これと似た状況であった。
「ここは黄朱の里か、それとも靜国か…新たな土地なのか」
ここにある景色の一切を見たことがない。
目前の滝は留まることを知らず、絶えず落ち続けている。
滝から発生する白い靄は、更夜の足元にまで広がろうとしていた。
しかし、その美しい景観でさえ、更夜の興味を引くには至らない。
がこの場にいない事が、今までに感じた事のない喪失感を招いていた。
雁から出て来た時よりも、その痛みは大きい。
体の一部が抜け落ちてしまったような感じとは、きっとこのような状態なのだろうと思う。
「わたしは何かを強く渇望していた」
それが何だったのか思い出せない。
「望んだものは……?」
判然としない。
「助けたいと思った」
何故そう思ったのか。
「そう…だ…試練だ」
思い出すと同時に、滝が左右に割れて白い道が現れた。
続く道は上へと延びている。
更夜は滝の造る池の中に入り、道に辿り着いた。
滝の中に入り込むと、自然と背後は水の幕によって閉ざされる。
振り返ると、すでに通常の滝を形成していた。
閉ざされると同時に、暗闇が待っているのだと思ったが、白い道は自ら発光している。
その為、踏み外すこともなく登る事が出来た。
王宮と同じような呪がかけられているのだろうか、階段は見た目より長くない。
少し登るだけで頂上に辿り着いた。
頂上に立つのは、更夜ただ一人。
「十二だ」
言われた声の主を確認するまでもなく、更夜は跪いていた。
「ろくた…待たせたね」
すり寄る天犬を軽く叩き、更夜は手に持っている物を落とさないように気を付けながら、その背に騎乗する。
そして真っ直ぐ、黄朱の里を目指した。
「誰だ」
里に着くと、見知らぬ老爺が警戒するように駆け寄ってきた。
「すまない…」
戻ってきて早々に、謝った更夜。
訝しげな視線が返ってくる。
「頑張ってみたけども…枝が十二。これ以上は無理だった。根付くといいけど」
更夜の腕に抱えられているのは、白い枝。
「それは、ま、まさか里木の…」
うん、と頷くと里の中心に移動する。
老爺に頼んで、里の住人全てを招集した。
集まった者をぐるりと見渡したが、そこに知った顔を見つける事は出来なかった。
しかしここに来る直前、随分時が流れていると聞いていたので驚かなかった。
「どこの国の物でもないこの白い枝が、根付く事を祈ってこの地に埋める。この里木は黄朱だけのものだ。だけど約束して欲しい。ここに里木が有ること、これを決して口外してはいけない。黄朱以外の者が触れると、刹那も待たない内に枯れてしまうだろう。そういう…呪いがかけられている」
「神々が…反対なさったのですね」
「そう。黄朱以外が知るような事があっては、いけない」
堅い決意に染まった民の表情を見れば、大丈夫だろうと安堵する。
枝を埋めてしまえば、もうこの地に留まっている理由はない。
更夜は里を出ようと踵を返す。
「待って下さい!」
呼び止めたのは若い男女。
夫婦だろうか。
「お名前を…あなた様は一体…」
今は天に所属する身。
試練を終え、天帝御自ら号を下された。
「…真君。犬狼真君」
黄海の地に夜が訪れようとしていた。
「…」
すべての記憶を取り戻した更夜は、さらに深い喪失感を味わっていた。
靜嘸国とは仮構の地。
その名の如し、静かに存在するが、はっきりとしない。
試練の為に用意された架空の国。
十二国と雲海の間に天帝が作りたもうた幻の地。
更夜の願いが特殊であったため、靜嘸国での試練を要求された。
本来なら、すべての記憶を封じられ、役割を与えられる。
それが出来なかったのは、すでに仙籍にあったからだと言う。
黄朱の里から、声に導かれるまま、辿り着いたのは玉京であった。
そこで試練を言い渡され、記憶を封じる呪を受けた。
鍵となったのは、。
その口から謝辞が出る度に、黄朱の里に与えられる里木の枝が折れていった。
織られた枝の数が十二。
それでも呪いをかけられたところを見ると、相当反対が大きいのだろう。
天帝が許しても、諸神が反対すればどうにもならないのだから。
仮構の地、靜嘸国。
そこに生きた人々。
鍵となったのは、麒麟。
紺碧が揺れて、更夜を見つめる。
金の髪よりも、遙かに印象的だったその瞳。
更夜を見つめる、愛しい瞳。
もう、二度と触れる事が出来ない。
木々によって隠された空を見つめながら、更夜は瞳を閉じる。
久しぶりに迎える、のいない夜だった。
靜嘸国から戻って早くも三ヶ月が経った。
天に仕える事を許された更夜は、未だ黄海を放浪している。
五山には黄海で生きてゆくのに便利な、様々な物があった。
そのため、玉京よりも五山に立ち寄ることの方が多い。
時には蓬山に仕える女仙を見かけることもあったが、それ以外に人らしきものに出会わない。
靜嘸国ではあんなにも大勢の人間がいたと言うのに…。
だが、人に会わぬのが辛い訳ではない。
ただ、がいないことが辛い。
靜嘸国からそのまま身につけている皮甲。
これだけが幻ではなかった。
ゆえに、外すことが出来ないでいた。
その日、更夜は崇高にいた。
流れる川に手を浸し、水を汲むと、鳥の鳴き声が耳に入る。
その透明な鳥の声は、どこかで聞いたように感じた。
瞳を閉じて記憶を辿ってゆくと、靜嘸国から戻ってすぐの時だと気が付く。
「夢ではなかったか…」
崇高は五山の中心にあり、一番高い山だった。
その頂上にあるものを、更夜は未だに知らない。
何の気なしに歩き出した更夜。
一路、頂上を目指した。
すると、空が翳った。
何か大きな物が通り過ぎたような、そんな影だった。
仰いだ空は、見渡す限りの蒼穹。
何処にも翳りはなく、眩しい陽が世界を照らしている。
確かに今、影があったのだが、小鳥すらも見つける事は出来なかった。
「?」
不思議に思ったが、そのまま歩みを再会させた更夜。
登り坂であるがゆえ、足元を見ていなければ危ない。
すると、また翳りがある。
長い影だ。
今度こそはと仰いだ空。
そこに見たものは…。
「まさか…」
巨大な鳥だった。
伝説にしか住まない鳥。
世界でただ一羽だと言われている大鳥。
「鵬…だ…」
霊鳥の長とも言うべき存在、大鵬(たいほう)。
その羽ばたきは太陽ですら遮ると言われている。
空を埋めつくさんとするその鳥。
威厳に満ち、雄大に天を仰いで飛翔している。
「更夜…」
ふいに、懐かしい声が響いた。
信じられない思いが駆け上がるように更夜を襲った。
瞬時に振り返った更夜の視線の先。
そこには白髪の少女がいた。
その瞳は、紺碧。
「まさか……?」
「更夜!」
駆けてくるのは、間違いなくだった。
紺碧の瞳は涙を湛え、更夜に抱きつく腕の感触が現実を物語る。
しかし、本当にこれは現実なのだろうか。
「ここは…崇高…それとも、靜嘸国に戻ってきたのか…」
「私は麒麟ではありません。更夜、あなたと同じく、天に仕える身でございます。鵬が導いてくれました。あなたの許へと…」
「それじゃあ…」
「はい。私もまた、試練の為に靜嘸国へ…。私の試練は麒麟となり、王を探し出すことでした。天勅を受ける前日…更夜と一緒に眠った次の日、すべての夢から覚めました。更夜、あなたは幻影の国に存在した者だとばかり…」
「わたしも、そう思っていた」
「更夜…」
は更夜の胸元に顔を埋めて泣いた。
嬉しくて涙が止まらない。
「私は…」
落ち着きを取り戻したは、静かに語り始めた。
「私はただ人でした。元々は範に生を受けて地に生きていたのです。ただ人なれば、暗示はいとも容易く、そして根強い。先の王を失った事が架空の記憶であった事にすら、気が付かずにいたのです。本来、麒麟にあるべき能力を使う事が出来ましたし、疑う余地もないほど完璧な世界でした」
「髪の色は変わり、妖力をも使える。それが現実だと思わせるだけの世界だったんだ…さすがは天帝だね。もはやり天帝に仕えている?」
「私は鵬を世話するお役目を賜りました。天にとっては重大な役目。蓬山の飛仙であれば、あのような試練はありますまい。更夜は…?」
「わたしは…黄朱の民に与える…希望を願った。結果的には天に仕える事になったけど、これからも黄海に行くだろうね」
「では、黄海の守護者となられるのですね」
「そんな大層なものじゃない」
「では、希望は…頂けたのでしょうか?」
頷いた更夜に、紺碧が微笑む。
そしてすぐ、何かに気が付いたように言った。
「黄海…滄瀛は黄海が映っていたのでしょうか?」
「位置関係を考えると、違うんだろうけど…」
天帝が創造した物だから、あれこれと判じる事など出来ないだろう。
それよりも、が創造されたものではなかった事の方が、今の更夜にとっては重要だった。
「本当に、更夜は実在したのですね…」
ふと横を見ると、紺碧は再び涙を含み揺れていた。
「…」
そっと頬に触れると同時に、溢れ出す涙。
が戻ってきたと言うのは、更夜の中に大きな歓喜を呼んでいた。
満たされぬ心を持て余す事は、もうないのだと叫んでいる。
「」
その名を呼ぶと、深い紺碧が答える。
「更夜…」
空にはすでに、何の影もない。
蒼穹は抜けるような色合いを深めていた。
崇高は天を貫き、透明な鳴き声がどこからともなく響いている。
幾多の想いを重ねるが如し、二人の唇が合わさった。
なくした者が戻ってくる奇跡、それを手にした喜びは、いつまでも二人を包む。
靜嘸国での出会いは、まさに奇跡だったのだから。
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