ドリーム小説
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四季を織る =1= かの地は熱風に覆われ、砂塵を巻き上げて流れる。
時に荒涼たる寂寞(せきばく)は重苦しく人々の肩にのしかかるのだが、今の己にとっては晴れがましくもあった。
「…ふっ」
不思議な瞳の獣を撫でながら、驍宗は一人暮雲を眺めていた。
隣で一緒に暮雲を眺めている獣を手にいれんと、安闔日の度に駆地すること六度。
ようやく手に入れた美しい獣を従え、懐かしい故国へ想いを馳せる。
もう充分に慣れた騎獣に名を与え、この懐かしい思いのまま郷里へ戻るのは容易い。
しかし、何故か足を踏み出すに至らず、手綱をあらぬ方に向けた。
音もなく空に上がる騎獣。
赴くまま行く先には奏がある。
奏南国に入った驍宗は、すぐに舎館を探して計都を預けた。
街を歩きながら観察する。
街は小さかったが活気に溢れ、人々の表情は穏やかで、南国特有の陽が地を彩っていた。
揺るぎなき、まさに大国。
人々がそれを象徴しているではないか。
いくつか店を廻ると、驍宗は門を潜って街の外へと出た。
妖魔の気配はもちろんなく、街道に面して木々が植列されている。
しばらく北に向かって歩いてふと、視線の奥に何か瞬くものを見つけた。
何だろうかと足を踏み出してすぐ、大きな池である事が分かった。
穏やかな波が水面に浮かび、陽がそれを洗って反射を生む。
驍宗は佇んだまま、ふわりとした暖かい風を受ける。
黄海で受けた風も温かだったが、それとはまた違う性質の風だ。
しばらく瞳を閉じて、世界に身を任せていた驍宗の耳に、草を踏みしめる音が聞こえた。
背後からだ。そろそろと近付いてくるその音に、少し警戒して態勢を整えた。
耳を澄まし、腰の剣に手を当てたその瞬間。
背後から人が飛び出してくるのを察知した。
振り向きざまに剣を抜き、飛び出してきた人物の喉元を狙って薙ぎ払おうとした。
しかしその力を止める事となる。
止められた剣の切っ先は、首の表皮にその温度を伝えるだけに留まり、事なきを得た。
今、驍宗の目前には見開かれた漆黒の双眸があった。
驍宗は剣を引くと、すぐに身を翻して目を逸らす。
体を池のほうに向けると、剣を収めて口を開いた。
「すまない。草寇(おいはぎ)か獣の類かと」
「…い…いえ」
羞恥に染まっているのか、消え入りそうな声が背後から聞こえる。
驍宗が剣を突きつけた者。
剣を突きつけられていたのは大きな漆黒の瞳を持つ女だった。
ただし、その身に何も纏っていない。
水浴びでもしていたのだろう。
瞳と同じように、艶やかに濡れた髪もまた漆黒。
対照的だったのはその肌だった。
体にまとわりついている髪が漆黒であるのに対し、そこには雪肌がある。
「あの…」
背後の女は去る気配をみせず、水面を見つめる驍宗に声をかけてくる。
訝しく思ったが、もう一度振り返るわけにもいかず、そのままの体勢で次の言を待った。
「この辺りに…衣が落ちておりませんでしたか…?」
「…いや。見かけていないが…」
そう言うと、落胆したような息が聞こえた。
「そうですか…」
途方にくれたような声が聞こえ、足音は横に移動していった。
次いで、水に飛び込む音。
ようやく顔を動かす事が出来た驍宗は、水音のほうを見て、水に入った女を見つける。
「衣をどうした」
声を投げかけると、肩まで水に浸かったまま近くまで移動してくる。
「わかりません…誰かが持ち去ったのでしょうか。あるいは獣かなにかが持ち去ったのかもしれません」
「どうやって街へ戻るつもりだ」
「それは…」
「いくら南国とはいえ、この時期にずっと水中にいては体が冷えてしまうだろう」
秋分を過ぎたばかりだが、この国は驚くほど暖かい。
しかし水浴びを出来るというほどの気候ではない。
「ですが…このまま上がることは出来ません」
「それでは困るだろう」
驍宗は身を翻し、その場で待つように言った。
素早く街へと戻り、葵色の襦裙を買うと再び池へと戻る。
衣を渡すと後ろを向き、着替えるように言ってその場で座った。
女は小さく息を呑んだが、そのまま衣を身に纏ったようだ。
「簡素なもので申し訳ないが」
「いえ…こんな立派なものに初めて袖を通しました」
と言うことは着替え終わったのか。
驍宗はゆっくり振り返って、葵色の襦裙姿の女を見た。
葵色は彼女の黒い髪と、漆黒の瞳によく似合っている。
肌の白さがより強調されたように思った。
ふと思えば、己とは正反対の色素を持つ人物である。
髪は黒く、肌は白く、どちらも艶やかで美しい。
それに内面もまた、正反対であるように見受けられる。
どこか怯えたような表情をしているのは、衣を失ったからだろうか。
「奏では水浴びが普通なのか」
「いいえ…。通常は自宅で湯を使います」
「では何故池で水浴びを?」
「私が湯を使えるような身分ではないからです」
「湯を…」
湯を使えない身分で奏に定住している者であるのなら、家生か浮民以外には考えられなかった。
その考えを見透かしたように、女は口を開く。
「父も母も家生でしたから…。すでにこの世にはおりませんが。…あの、こちらはお返し致します。こんな立派なものを頂くわけには参りません。家公さまもよい顔をなさいませんし、それに…」
女は続きを飲み込むようにして首を振った。
驍宗に向き直って再度口を開く。
「すぐに探して参ります。少々お待ち願えますか」
「いや、一緒に探そう」
「…。ありがとうございます」
頭を下げた女に、驍宗は名を問いかける。
「私はと申します」
「か。良い名だ。わたしは驍宗と言う。見つかったら呼ぶから、はここで待っているといい」
「いえ、そんなわけには」
はそう言うと、身を翻して遠くの茂みに向かっていった。
特にそれを止める事はせず、驍宗もまた反対の茂みのほうを探す。
空の色が濃い茜に染まった。
しかし、の着ていたものは見つかっていない。
そろそろ閉門の刻限であろうと目算をつけ、と合流した。
「申し訳ございません。こんな時間まで足止めをしてしまって。それに…」
「衣の事なら気にしなくてもいい。街まで送って行こう。着ているものの説明をせねばならないだろうから」
「そ、それでは驍宗さまに迷惑がかかります。こっそり裏口から戻れば、気付かれずに着替える事が出来ましょう」
そう言っては歩き出す。
振り返りながら、驍宗に問いかけた。
「驍宗さまは、街に逗留しておられますか?」
について歩き出した驍宗は、それに頷いて答えた。
は少し考えるように首を傾げる。
「夜…深夜ごろにお会いする事は出来ますか」
それにも頷いて答える。
「ではお手数なのですが、お館第の近くまで来て頂けませんか?この素敵な襦裙を返すには、それしか方法がないのです」
「返さなくとも構わないが」
しかしそれが問題になってしまうのなら、処分してしまったほうがいい。
「…家公さまに見られてはいけないものです」
そう言ったの横顔は、何か憂いを含んでいる。
これは家生の持つ独特なものだろうか、それとも、だけが持つ問題でもあるのだろうか。
街に着いた二人は、すぐ館第に向かった。
大門(いりぐち)の手前でそれぞれ別れる。
は急いで院子(なかにわ)を迂回し、堂屋(むね)から孤立した廂房(はなれ)へ入って行った。
自らの房間(へや)に駆け込むようにして入ると、粗末な衣に着替えて外へ出る。
元々二着しかなかったものを、一着なくしてしまった。
今後水浴びをする時は、何か考えねばならないと思いながら堂屋に向かう。
「!こんな時間まで水浴びしていたのか!」
堂屋に入った途端飛んできた罵声。
肩を竦めたに歩み寄ってくるは、この家の主だった。
肩を竦めて怯えるの頭を掴み、無理に上げさせて顔を覗き込む。
は絞り出すような声で謝る。
「も、もうし訳ございません」
「水辺で男と逢い引きでもしてるんじゃないだろうな」
ここの主は恰幅の良い男だった。
「…人が付近にいたので、中からあがれなかったのです」
見上げるようにして言う漆黒の瞳を、男はまじまじと見つめていた。
「ふん、そうか。さっさとその濡れた髪を乾かしてこい」
掴んでいた手を乱暴に放し、を追いだすような仕草をする。
男が見ていないと知っていながら、は深く礼をとってから退出した。
「ふん。惑わせおって」
が退出したのを見計らって、男はそう呟いた。
乱れた髪が頬をうねり、ぞくりとするほど妖艶に見えたのだ。
日に日に美しさが増してゆく。
冴え冴えとした月のような肌に、闇夜を思わす漆黒の髪と瞳。
どこか浮き世離れした雰囲気を漂わす、不思議な女だった。
これで衣が粗末でなければ、家生のようには見えない。
家生に手を出すとなると、見下げ果てた行動のようだが、いつまで自制していられるか怪しいものだ。
は夜が好きだった。
一人になれる貴重な時間、遠い憧れに思いを馳せることが出来る唯一の時だったからだ。
しかし今日は違った心境で、待ち遠しい夜を迎えた。
物音を立てぬよう廂房(はなれ)から出たは、院子(なかにわ)を横切って裏の方へと抜けていった。
そこに門はなかったが、壁が崩れている場所がある。
生け垣で中からは目立たず、抜けたそこは串風路(ろじ)になっていた為、誰もその穴を知らなかったのだ。
丁寧に畳んだ葵色の襦裙を抱え、汚さないように気を付けながら穴から外へと出た。
月明かりの方へ歩いてゆくと、誰もいない夜中の途に出る。
月明(げつめい)の中、途には誰一人いなかった。
大きな途ではないから、当たり前かも知れないが、辺りは寝静まって音もない。
抜け出すのが遅すぎただろうか。
そもそも明確に場所を特定していない。
この辺りと言った漠然としたものだった。
それがいけなかったのだろうか。
「大丈夫だったか」
ふいに声をかけられて、肩を竦める。
人の気配などどこにもなかったはずだと思いながら、聞き覚えのある声に振り返った。
「驍宗さま」
ほうっと長い息を吐き出した。
すぐに顔を上げて驍宗を見た。
月華の中に佇むその人は、の遠い憧れと似ていた。
白いと思っていた髪は、月のせいか銀を含み、紅い瞳は色を和らげてを見ている。
「闇夜に溶けそうだ」
「え…」
「いや」
そう言って笑った驍宗の横顔。
大きく打ち付ける鼓動を聞いた。
それを誤魔化すように、腕に抱えていた襦裙を差し出した。
「こちらを。ありがとうございました」
驍宗はそれを受け取らずに口を開く。
「家の者は今?」
「家公さまでございますか?すでにお休みになられております」
「そうか。では、ひとまずそれを着て」
漆黒の瞳が驚きを含んで開かれる。
すぐに正常に戻ったのは、有無を言わさず驍宗が歩き出したからだ。
「ど、どちらに向かわれているのですか?」
「夕餉を一人で食べるのも味気ない。少し遅くなってしまったが、付き合ってはくれないだろうか」
歩きながら言われてしまえば、襦裙を返しにきたは従うしかない。
何しろまだ受け取ってもらってすらいない。
一度袖を通した葵色の襦裙を羽織りながら、驍宗の後に付いていった。
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