ドリーム小説
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四季を織る =2= 経途に出た二人は、夜間遅くまで開いている舎館の飯堂に入った。
二人分を注文し、入口に背を向けて座った驍宗に習い、も対面に腰を下ろす。
舎館が物珍しいのか、は辺りを見回していた。
しかしすぐに顔を俯け、反省したように動かなくなった。
「気を遣わずとも、わたしは主ではない」
「ですが…」
そう言って少し顔を上げた。
葵色の襦裙は灯火の中で不思議な色合いに染まっていた。
月夜の中に佇むを見たとき、漆黒の髪が肩を覆い、闇夜に溶けてしまいそうに見えた。
逆に白い肌が浮かび上がり、それが目を惹きつけて誘う。
するりと背後に立ってようやく、どのような衣を身につけているのか知った。
南国とはいえ、可哀想な程短い袖と裾。
よほど吝嗇家(りんしょくか)の主を持ったのかと思った。
しかし、すぐにその考えを改めた。
つぎはぎだらけで、痛々しいようにも見えたが、露出した肢体がなんとも艶めかしい。
ひょっとしたら、の主はそれを分かっていて、わざと布を与えていないのではないだろうか。
『…家公さまに見られてはいけないものです』
そう言った心情の裏には、主に対する不安もあったのではなかろうか。
肌で危険を察知しているのでは?
考えこんでいた驍宗は、急激に思考から浮上し、ふっと笑った。
遠からずとも、同じ事を考えていた自分に気が付いたからだ。
心惹かれるとは、このような状況だろうか。
料理が運ばれて来るまで、そのような考えに身を置いていた驍宗。
しかしのほうも、何やらぼんやり考え事をしているようだった。
「あの…驍宗さま。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
は少し食べると、すぐに満足したのか、箸を置いて驍宗に問いかける。
それに頷いて答えると、ははにかんだように笑って問う。
「戴へ…行った事はございますか?」
驍宗の髪が、遠い憧れを…銀の雪嶺を彷彿させた。
見渡す限りの銀嶺。
皎皎(きょうきょう)たる大地。
「戴?何故だ」
驍宗もまた箸を置き、満たした酒杯を持ち上げて言う。
「行きたいのです」
「戴へ?これほどまでに気候に恵まれた国にいるのに?」
「ええ、そうですね。確かに戴のように、寒さが命に関わることはありません。それに奏は六百年も続いた大王朝…国も人も豊かです。この国の人に限りますが」
最後の一言に、心情の全てが詰まっているように思った。
「そうか。家生とは辛いものだな」
「はい。しかしながら、逃げることすらままなりません。どこの国で生まれたのかも知りませんし、気付いた時には各国を放浪しておりました。たまたま良い人物に拾われ、飢えに苦しむことはなくなりました。しかしその家公さまも、今はすでに他界しております。今の家公さまは、前の家公さまの…たった一人のご子息になります。家を出ていたようなのですが、数年前突然戻って来られて…その家公さまに、真冬でもない限り、湯を使わずとも大丈夫だと言われるのです」
しかし真冬であっても、湯を使わせてなどくれない。
「閉門までの間に水浴びをしなければ…汗や垢を落とすことが出来ません」
昼間の風景が蘇る。
辺りを木々で囲まれた池。
だが女が一人で水浴びをしていて、安全であるほど隠れた場所ではなかった。
現に自分が現れたではないか、あの場所にと、驍宗は心中で呟く。
「前の家公さまが生きている頃は、今の家公さまも大人しかったのですが…ある日を境に…まるで豹変したように人が変わってしまったのです。おそらく、前の家公さまを失い…心に受けた傷が…大きかったのでしょう…」
心に大きな傷を負ったのは、のほうではないだろうか。
驍宗は話を聞いてそう思った。
「前の家公さまが亡くなった翌日の事でございました。湯を使いたければ、この場で入れと言われたのは…。もちろん家公さまは移動なさいません。それからは真冬であろうと、あの畔が私の垢を落とす場所になったのです。父や母が死んでしまってからは、幾度か逃げてしまおうと考えたのですが…」
所詮は浮民。
家生であっても、流れていっても大差ない。
むしろ、流離う方がどれほどましか。
矜持を捨てて生きていかずとも良いのだから。
重々しい空気を変えようと、は微笑して言う。
「ご存じですか?寒い国の春を。凍て解けを待って、花が一斉に開花する。冬の間は、小さな墨のように燻っていた蕾が、一斉に花開くのです。それは美しい光景でしょう」
その笑顔が、今は儚く見えてならなかった。
「そう…そうだな。まるで見てきたようだ」
「私の…憧れなのです。その為に、長く辛い冬を越すのなら、喜んで堪えましょう。春は…必ずやってくるのですから」
春は必ず訪れる。
それは呪文のようにを覆う。
この身に春は来るのだろうか。
遠く流離ってでも辿り着きたいかの国。
「これは思い過ごしかもしれませんが、私は戴で生まれたのではないかと言う気がしているのです。両親はともに同じ祖国を持ちます。しかしそれを私に打ち明けた事はありませんでした。優しく、賢い人達でしたが、よほどの事があったのか、浮民となり、国から国へと流れ、最後に奏で力つきました」
父や母の言動からか、あるいは薄く記憶に残っているのか、それはにも分からない。
ただ戴へと抱く思いは強い。
「家生は割旌しますが…私には割るべき旌券すらないのです。どこの生まれなのかは分かりません。北国ならば、芳でも柳でも良いはずなのですが、何故か戴への思いが強いのです」
「では、いつか戴へ渡ろうと?それは何時になる」
「そうですね…路銀を少しでも貯める事が出来れば可能でしょうが…家生となればそれもままなりません。機会を見て逃げ出すより他、道はないのですが…それではとても戴まで辿りつけませんでしょう。旅など一度もしたことがありませんし、家公さまの許を離れて生きてゆく術がありません」
「そうか…」
「早急に、とは思うのですが…」
の横顔に、昼間と同じ憂いが見える。
「そう思うのは何か理由あっての事か」
「…いえ」
否定の表情ではないが、本人が言いたくないのなら、無理に聞き出す事など出来ないだろう。
いや、理由など問わずともすでに分かっている。
「戴は気候に恵まれていない。雪は時として大地の偉大さを思い知らすようだ。雪によって凍え、命を落とす者もいる。だが、暮雪の山は格段に美しく、不思議な色に世界を染め上げる。恐ろしいものを運んでくると同時に、瞳を奪うのも確かだ」
「…驍宗さまは…戴へ行かれた事があるのですね?」
「わたしは戴の者だ」
驍宗がそう告げると、は目を丸めて見返してくる。
まじまじと見てしばし、それでと呟いた。
「それで、とは?」
「あ…いえ…。ごめんなさい。その…髪の色が…。月に染まる雪山のようでしたので…。青い山に登る銀月、薄氷が反射する星々」
青く冴え冴えとした夜。
山は薄藍に染まり、透き通るような景色を見せる。
近く、松の木が雪化粧を施し、そこから見上げた山の上には明るい月。
月明がどれほど神々しいのか、目に浮かぶようである。
「本当に見てきたように言うのだな」
「…そうですね。夢の中で、何度も見たような気が致します。私は…機を織りたい…。戴の景色を、人々の待ち望む、春を織ってみたいのです」
「…そうか。では…」
一緒に来るか、と驍宗が言いかけたその時。
入口付近から大きな破壊音が響いた。
何事かと首を伸ばしたは、小さく悲鳴を上げて口元を覆う。
僅かに浮いた腰を、振り返らぬ驍宗が止める。
驍宗は大股に近付いてくる気配を背後に感じていたが、落ち着いた様子で酒を飲んでいた。
「お前か、うちの家生を無断で連れ廻していたのは」
「家公さま…」
怯えたの声が小さく響いた。
「お前、いきなり入って来て物を壊すとは、一体どうゆうつもりだ!おまけに関係ない客に絡むんじゃない!喧嘩なら外でやってくれ!」
舎館の者が暴れた男に詰め寄りそう言っている。
「うるせえ!関係ねえ奴は黙ってろ!!」
男はそう言うと、近寄ってきた舎館の者を跳ね飛ばした。
卓子や椅子がなぎ倒され、舎館の者は壁に強く打ち付けられて気を失う。
酒を飲んでいた他の客から悲鳴が上がったが、それでも驍宗は落ち着いた様子で酒を飲んでいた。
酒杯を持っていない驍宗の左腕は、卓子に置かれている。
見かねたは、置かれた腕に取りすがるようにして言った。
「驍宗さま、お逃げ下さい」
「それはできぬ」
たん、と酒杯が卓子に置かれた。
強い声と強い視線。
だが口調は優しく、左腕に置かれたの手を、そっと包んだ右手までもが優しい。
「おい!なんとか言えよ!」
すぐ背後に近付いた男が、驍宗に手をかけようとしていた。
それを避けた驍宗は、を庇いながら横へ移動する。
背後に隠すようにすると、ようやく男と顔をつきあわせた。
「昼間少し世話になったので、その礼を言っていただけだが」
興奮で赤くなった顔には、青筋が浮かんでいる。
「それは俺のもんなんだよ。勝手に許可なく連れ廻してもらっちゃあ、困るんだがね」
「人は誰のものでもないだろう。己は己だけのものであって、他人に分け与える事など出来まい」
「へっ、偉そうな事言ってんじゃねえ!そいつはな、俺の奴隷なんだよ!!」
「太綱に奴隷を禁ずる条文があったように思うが、わたしの間違いだろうか」
不快感を露わにした男。
しかし何も言い返せないでただ睨むだけに留まっている。
「驍宗さま…お願いですから…お逃げ下さい。家公さまは…危険な方です。興奮すると…手がつけられなくなるのです…以前にも一度暴れられて…」
「黙れ!!」
一際大きくなった男の声。
焦ったその様子に、驍宗は何かを感じ取った。
「自らの親を手にかけたか」
驍宗がそう言うと、男は怒気を消した。
ややして鼻で笑い、腰の剣を抜く。
「それがどうした」
ぎらりと灯火を反射した刃が、禍々しい光を放つ。
「家公孝行の家生と一緒に葬ってやったんだ、今頃感謝しているだろうぜ」
驍宗の背後で、息を詰めるの気配があった。
両親の最後を、どのように聞いていたのだろうか。
「外道な…」
その呟きが気にくわなかったのか、これ以上会話を続けていられなかったのか、男はそれを皮切りに剣を振りかぶる。
驍宗はの体を横に押してそれを避けた。
剣は壁に突き刺さる。
男が剣を引き抜くまでに間合いに入り、拳で顎を叩きつけた。
鈍い音がして男が倒れる。
舎館の中から、一斉に歓声が起こった。
「すげえ!」
「おい、見たか今の?一瞬だったな!」
そう騒ぐ声を余所に、驍宗はを助け起こす。
「大丈夫か」
そのまま背を押して出口へ向かう。
舎館を出る直前に振り返り、中の者に言った。
「誰かその男を役府へ。それと舎館の者が起きたら、わたしが代わりに弁償すると言っておいてもらえるか」
幾人かが頷いて動き出したので、を促して外へ進んだ。
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