ドリーム小説
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四季を織る =3= 「父や母は…家公さまに…殺されていたのですね…」
震える声が驍宗の足を止める。
騎獣を置いた舎館へ向かう途中だった。
青い月がの頬を照らし、色の抜けた顔は今にも崩れそうだった。
青い顔に反して、漆黒の瞳は月明を取り込んで瞬いている。
月が、その瞳からこぼれ落ちた。
薄暗い途で、全身を震わせている。
気丈にも意識を保っているが、限界が近いのではないかと思われた。
それを支えるように腕を廻し、労るように肩を抱く。
「わたしが連れて行こう、戴へ」
「戴…へ…?」
「そう、戴へ。機を織りながら生活するといい。この国で起きた事は全て忘れて、春を想って生きればいい」
雪に閉ざされた国で。
暮雪の美しい景色を見ながら、春に息吹く命を夢見て。
「もう、水浴びなど出来ない。厳しい寒さに辛い時もあるだろう。だが暖かい気持ちを取り戻す事が出来よう」
「連れて行って下さいますか…戴へ」
ただ頷いた驍宗の顔を、その胸元から見上げた。
また涙が溢れるのを感じた。
虚海を越え、戴へとついた。
これから届けを出して、仮の戸籍を取得せねばならない。
住む場所も何も分からないが、それでもこの国に来ることができた僥倖を天に感謝した。
もう、矜持を捨てて生きなくとも良いのだ。
「機を織った事はあるか」
「はい」
「では織る物があればなんとかなるか」
「はい。基本は分かっておりますから、後は実践で覚えてゆくしかないでしょう。始めは上手くいかなくとも諦めません。夢が叶ったのですから」
「そうか…ではしばらく、わたしのところにいるといい。もちろん、好きな時に出ていってかまわないし、家生のように振る舞わなくとも良い」
「そんなわけには…」
「だがこの国の気候に馴染んでもおらぬし、地理に関しても皆無であろう。どこに住みたいのかも分からぬ状態で、どうするつもりだ」
「それは…でも、これ以上驍宗さまに迷惑をかけたくないのです」
「迷惑ではない。がどのような物を作るのか興味があるから、時折織ったものを見せてくれればそれで良い。わたしも見てみたい。戴の春を」
「驍宗さま…ありがとうございます」
笑っただけで何も言わない驍宗に、は深く頭を下げた。
「これが戴の秋…」
緑の山々に吹き抜ける風は、奏より確実に冷たい。
しかしそれが清廉な空気であるように感じ、は深呼吸をして景色を眺めた。
空から眺める大地は、どこか閑散としている。
奏に比べれば豊かとは言えないが、それでも戴へ来たのだと思うと笑みが増す。
「ここは、何と言うところですか?」
「首都州…瑞州の乍県だな。もうじき地に降りることが出来る」
「戴の首都は…鴻基と言いましたか?」
「そうだ。鴻基へも連れて行こう。しばらくは乍県で我慢してもらうが」
「どこへなりとも。戴にいるのですから、不満などございません」
風を受けて流れる漆黒が、冷えて驍宗の頬に触れる。
「寒くないか」
「少し…でも、今は大丈夫です。身が引き締まるようでございますね」
「もうしばらくの辛抱だ」
はい、と答えた小さな声が耳に届く。
この地にある居院は、すぐそこだった。
驍宗の居院についてすぐ、待つようにと言われた。
驍宗はすぐに居院を出て、随分長い間帰って来なかった。
身の置き所がなく、うろうろしていたが、埃が目について灑掃(さいそう)を始めた。
一通り灑掃が終わったところに、ようやく居院の主が戻ってくる。
を捜して、驍宗が花庁の扉を開けたとき、しゅる、とたすきを解く音がした。
ふわりと解ける襦裙が、艶やかに映る。
「見違えるほどすっきりしているな」
中を見回しながら入ってきた驍宗に、はおずおずと申し出る。
「差し出がましいとは思ったのですが…」
「いや、礼を言う。客人を迎えるには準備が足りなかったと反省していたところだ」
「そんな、客人などと…そんな立派なものではありません」
「もう家生ではないのだから、そのように自分を卑下する事はない」
そう言うと、は気付いたように目を開く。
漆黒の大きな瞳が、微かに潤いを帯びたのを見た。
無言で頭を下げたに、驍宗は何も返さず頷いた。
翌日、驍宗に呼ばれて入った房室に、驚くべきものを見つけた。
「これは…」
使い古したような感じは否めないものの、紛れもなく織り機がそこにはあった。
「いらぬものを調達してきた。ただ、わたしはこういったものには疎いのだが、これは使えるようなものだろうか」
「充分でございます。これは私が使わせて頂いても、よろしゅうございますか?」
「もちろん。わたしは使う事が出来ない」
「ありがとうございます」
さらりと漆黒の髪が肩を伝って下へ落ちた。
深く下げられた頭を見つめている驍宗の瞳には笑みが籠もっていたが、がそれを見ることはなかった。
その日は遅くまで機織りの調整をし、織るものを考案しつつ眠りに就いた。
翌日は早朝から起きだし、朝餉を作って驍宗を待つ。
「良い匂いがするな」
そう言って起きてきた驍宗に微笑んで、は給仕の為に踵を返す。
朝粥を盛ってさしだし、街に行ってもいいかと問う。
もちろん構わないと言った驍宗は、その後すぐに一緒に行くと付け足した。
朝餉が終わってすぐ街へ降りた二人。
幾人かが驍宗に気付いて挨拶を交わしている。
その様子を見ていたは、驍宗がどう言った立場の人物であるのかを伺えた。
恐縮しつつ後ろを歩いていると、振り返った驍宗が街へ出た目的を聞いてくる。
「戴の方が普段着ているものを観察するのと、糸を売っている場所を把握しておこうかと思いまして」
一般的に着ているものがどれほど厚手であるのか、奏で暮らしていたのなら分かりにくいだろう。
「そうか、材料は考えが及ばなかった」
「いえ、灑掃(さいそう)の際、糸をいくつか見つけましたのでそれを使わせて頂こうかと。それで織ったものが売れれば、新しい糸を買おうと思っていたのです」
あそこにあったもので織れるのかと言いたげな紅の瞳に、漆黒が微笑んだ。
「薄手になってしまいますから、被衫(ねまき)用だと言って売ろうと考えておりました」
「なるほど」
「でも随分勉強になりました。当たり前のようですが、戴と奏は正反対なのですね」
「正反対とは?」
「保温が重要なのではないでしょうか。奏で着るものであれば、逆に熱を逃がしてやらねばなりません。風をよく通す薄手のものと、風を通さない厚手のもの。面白いものですね」
そう言ったに頷いて、驍宗は街の一角を指さした。
「では…あそこに入ってよく見たほうが良いだろう」
近寄って見ると袍や襦裙が陳列されている。
驍宗は何の迷いもなく中へ入って行ったが、は躊躇して立ち止まった。
入ることの出来ないような、高級な印象が先だったからだ。
しかし詳しく見たいという思いがそれを退けた。
中へ入って進められるままに襦裙を手に取り、好まれる模様や生地を聞く。
あまりにも熱心に見ていたため、しばらく驍宗の存在を忘れていたほどだった。
「あの、驍宗さま…」
店を出てしばらく、は小さな声を出して言った。
「申し訳ございません、長時間付き合わせてしまったのに、こんな素晴らしい物を頂いてしまって」
振り返った驍宗の表情は笑っていた。
着るものが一つでは困るだろうと、数点買い揃えてくれたのだった。
おまけに簪まで貰ってしまった。
まずはこれに合うようなものから織り始めますとは言い、驍宗は微笑んでそれに答える。
その他、機織りに必要な材料等もついでだと言って買ってくれたのだが、あまりにもたくさんの物を買って貰うと、少々肩身が狭いような気もした。
「今日のお礼っと言っては何ですが…いつか、驍宗さまが冷えぬような物を織れれば、それを差し上げたいと思います。受け取って…頂けますか?」
僅かに頬を染めながら言うに、驍宗はもちろんと笑って頷いた。
翌日から、驍宗の官邸は機織りの音が響くようになった。
朝から晩まで殆ど絶えない。
驍宗の目前にがいない時は、音の絶えている時が殆どない。
絶えている時と言うのは、調整しているか、図を考案しているかだった。
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