ドリーム小説
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四季を織る =4= 「」
がちゃん、といった音を最後に、筬(おさ)を止めて顔を上げた。
横に見える入口に立つ驍宗が、視界の端に見えた。
織るときに邪魔だった髪は、簪でひとつに纏めてあげられている。
乱れぬ漆黒が横を向くと、旅装の驍宗が目に入った。
「少しここを空けるが、問題ないか」
「はい。長期間でしょうか」
そう問うと、頷いた驍宗。
そのまま口を開いて言った。
「首都へ向かう。戴へ戻っているのに、いつまでも放置と言うわけには行かぬ」
「驍宗さまは…もしや国官であらせられますか?」
乍県を治めているのは驍宗だと、街に降りて知ることが出来た。
首都へもと言った話の時に、それなら国官であるのだろうと思っていたのだが、確認したことはなかった。
「今は違う。だが復職するつもりだ」
「そうですか…」
「復職すれば、を鴻基に招こう」
「…」
何も答えないに、驍宗は変わらぬ表情で見つめる。
じっと見据えてしばし、がようやく口を開いた。
「あの…。そのことなのですが…私はしばらくこちらでお世話になっていてもよろしゅうございますか?この地の四季を見てみたいのです。私の勝手な想像なのですが、驍宗さまは恐らく高官であらせられます。ゆえに鴻基山の官邸は雲の上でございましょう?」
それを受けた驍宗は小さく笑う。
まるで言うことが分かっていたように頷いて、の意見を受け容れた。
「では、わたしがこちらに通おう。作品を見てみたい」
「では…私はそれを待ちましょう。驍宗さまのお目に叶う物を作れるように心がけます。この地の春を、夏を、秋を見て、それを織りましょう。戴の希望を、光輝を、一枚の布に籠めて」
「楽しみだな」
微笑んだ顔がに向かい、それを見てしまった瞳は行き場を失った。
瞳を逸らすことが出来ずに、ただ見つめ返すばかり。
それは驍宗がその場を去るまで続いた。
幾日か経つと驍宗は完全に鴻基へ移動してしまった。
はそのまま乍県に留まっていたが、毎日忙しく過ごして驍宗を待つ。
それが続いて二年が経過した。
「驍宗さま、分かりました」
鴻基は白圭宮の宮道で、驍宗は背後からかかった声に立ち止まった。
振り返ると師帥の英章が歩み寄ってくる。
英章は纏めた書面を驍宗に渡し、深刻な顔でそれが開かれるのを見ている。
「これは酷いな…しかもまだ現職であると?」
「そのようでございますね。如何なさいますか?」
「主上に申し上げよう。多少噂は聞いていたが、今まで上手く隠れていたようだな」
鋭い眼差しが宙を射抜いている。
英章はそれに頷いて深く頭を下げてから退出した。
その後、驍宗は再び書面を捲って目を通した。
単純な模様から織り始めた。
薄い物から厚い物までを極めると、模様を少しずつ複雑にしていった。
売れるような作品を作り上げるのに三ヶ月を要す。
さらに三ヶ月で作品は売れ行きも順調になり、安定した収入が手元に入ってくるようになっていた。
驍宗は時折戻ってきたが、訪ねてくるような感覚でと会う。
もまた、驍宗の官邸だと分かっていたが、訪ねてくるのを心待ちにしていた。
それが互いに自覚のないまま、いつしか春を迎えていた。
春とはいえ、奏と比べればまだ寒い。
しかし冬を体験してしまえば、ようやく暖かくなったかと思える自分が不思議だった。
「今日は少し休んで遠出してみないか」
訪ねてきた驍宗がそう言ったのは、よく晴れた日の朝だった。
朝餉を運んできたは、香茶を入れながらちらりと目を向けて問う。
「どこへ行くのですか?」
「連れて行きたい所がある」
「はい。では朝餉を片付けてしまいましょう」
「そうだな」
笑った顔がやはり優しいのだと、この時妙に実感した。
驍宗の強い視線を見たのは、後にも先にも奏でを助けたあの瞬間のみ。
しかし武人であるのなら…ましてや将軍であるのなら、の知らぬ所で厳しい視線を周囲に向ける事もあるのだろう。
それを向けてほしい訳ではないが、あの時見た表情が忘れられないのも事実だった。
どうした事だろうかと考えながら、食べ終わった物を厨房へ運び、片づけを終えた。
急いで用意をし、驍宗が待つ厩に向かう。
「お待たせ致しました」
「薄いな。大丈夫か?」
「薄く見えましても、実際は着込んでおりますから風を通しません」
「そうか」
はいつの間にかこの地の気候に慣れたようだ。
少し驚いたように目を見開いた驍宗。
だがすぐに騎獣の手綱を引き寄せてを促した。
驍宗に抱えられるように乗った騎獣は、音もなく宙へと浮かぶ。
空へ舞うと眩しい光が世界に広がっている。
凍て解けを迎えた世界。
蒼天が広がっていた。
「この国の春は…想像通り美しいものでした。民は長い冬の間、春を思ってじっと堪えているのですね」
「そうだな。炭がもう少し安くなれば、少しは救われるのだが…」
「ええ…。そういった点から言えば、奏は恵まれておりますね。いえ、治世も長く全てに於いて恵まれておりましょう。ですが、私は戴が好きです。この国に来ることが出来て、とても嬉しく思っております。改めて感謝致します、驍宗さま」
頷いたのを頭上に見た。
そのまま驍宗に目を向けると、陽に青銀の髪が瞬いた。
ふと、乍県の冬の一場を思い出す。
あれは少し街の外れに位置する、何でもない閑地。
だがそこに驍宗を思わせる風景があった。
白い雪に覆われた地。
そこにぽつりとあった、名も知らぬ低木。
赤い実をつけた低木に、降り積もった雪。
晴れた上天に顔を向けて、しっかり根を張ったその低木が、驍宗を思い出させた。
その時ふいに会いたくなったのを覚えている。
それが通じたのか、驍宗は翌日に乍県へとやってきた。
それがどれほど嬉しいと思ったのか、素直に言うことは躊躇われたが、感情だけは今なお胸中に留まっていたのだ。
「そろそろ着く」
「え…もう、ですか?」
離れるのが少し惜しい気がする。
だが地に向かう騎獣を止めることなど出来るはずもなく、ただしがみつくように驍宗に掴まっていた。
どれほど駆けたのだろうか。
大きな街が下に広がっている。
四方を松が覆う街だった。
「ここは何と言う所でしょうか」
「馬州蚤莫郷(そうぼごう)の松籟(しょうらい)という街で、ここには郷城がある」
「蚤莫(そうぼ)…松籟(しょうらい)…郷城…?」
難しい顔でそう反復した。
そう呟いたところで地に降り立った。
街に入る直前、驍宗はの手を握って引いた。
戸惑いながらも引かれるまま足を進める。
戸惑うのは、何も手を握られているからだけではない。
得体の知れぬ何かが心の奥底で蠢いているのを感じていたからだ。
蠢く物の正体を掴めぬまま、街に入った。
どこか見知った街並みに思えた。
「ここは…少し奏と似ておりませんか…?」
「奏の街並みを詳しく知るわけではない。だががそう言うのなら、似ているのかもしれぬ」
「…」
一際強い風が吹き抜ける。
それは松の音を運んでやってきた。
「この音…」
立ち止まったに合わせ、驍宗も足を止めた。
「あ…申し訳ございません」
「構わない」
そう言ったが、が足を出したので再び歩き出した。
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