ドリーム小説
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四季を織る =5= 歩みを再開させてしばらく、郷城の方に向かっているのだと分かった。
心の奥底に沈着している何かは、さらに大きくなりつつあった。
しかし一向に正体の見えぬそれに、不安までもが大きくなっている。
郷城に着く直前、とある館第(やしき)の前で立ち止まった驍宗。
しんと静かな佇まいの館第に、人の気配はなさそうだった。
横を見れば郷城はすぐそこである。
その風景を、どこかで見たように感じた。
「驍宗…さま…」
「恐いか?」
「…。…。…。いえ、中に入るのでしょうか」
「そうだ。嫌ならこのまま引き返そう」
「…いいえ。大丈夫です」
握られた手に、少し力がこもり、次いで体は引き寄せられた。
握られた手はそのままに、もう片方の手はの肩に置かれる。
それに力づけられるように、は前に進んだ。
荒廃の色が濃いその館第は、前院に藜(あかざ)が生息している。
整えられていないため、まばらに種子をまき散らしたかの如く生えていた。
比較的高い木は杏だろう。
梅によく似た花が満開を迎えている。
は驍宗から離れ、杏に近寄って木に手を置いた。
「淡紅色の小さな花…春を待って開花し、夏には実をつける…」
ふと隣を見ると公孫樹(いちょう)が佇んでいる。
公孫樹は窓際に植えられていた。
「冬が近付くと…房室内が黄色に染まる。陽を受けたこの、公孫樹の色に…」
はそう言うと振り返って驍宗を見た。
そして微かに震える声を発す。
「驍宗さま…私は…私はこの景色を知っております。ここを…この中を知っているような気が…」
頷いた驍宗はに歩み寄る。
目前まで来ると、懐に手を入れて木片を取りだした。
「これは…旌券…?」
「のものだ。心ある官吏が保管していた」
「では…やはり私は…」
「戴で生まれた、戴の民だ」
馬州、蚤莫郷(そうぼごう)に仕えていたのがの両親だと、驍宗は説明した。
両親は冤罪によって国を追われた。
それを示唆したのは蚤莫郷の郷長。
王の目を盗んで軍を集め、富を蓄えていたのだと言う。
それが発覚しそうになった事が一度だけあり、その時、の両親に罪を着せた。
失意のもとに国を追われ、各国を放浪せねばならなかった両親の事情が、ここへ来てようやく明らかになったのだ。
松籟(しょうらい)はが幼き頃にいた場所。
はっきりとした記憶はなくとも、松の音、公孫樹の色、杏の花がそれを裏付けるようだった。
「よく戻ってきた。愛しい祖国へ」
「私も…戴を祖国と呼ぶ資格があるのですね…」
大きく頷いた驍宗の目前で、漆黒の瞳が大きく揺れた。
淡紅色の頬を伝う涙を、驍宗は指をあてて拭う。
そのまま引き寄せると、の震えが一際大きくなる。
腕の中に閉じこめ、その震えがおさまるのを、ただじっと待った。
「蚤莫郷(そうぼごう)の郷長は先日罷免された。今は次の郷長を選出しているところだが、二度とこのような事がないよう、慎重に選んでいる」
再び空を駆けならが、驍宗は静かに言う。
「罷免されたのは…何故でございますか」
「過去に犯した罪と、現在も犯し続けている罪によってだ」
「では、両親と同じような境遇の者が他にもまだいるのでしょうか」
「さすがに二度目はない。だがそれ以来、慎重かつ狡猾に物事を運んでいたようだ。目立つ事は徹底的に避けていたが、よく調べてみればすぐに分かった」
「そうですか…。これで両親の疑いも晴れたのですね。供に喜ぶことは叶いませんが、これで少しは救われた気が致します」
遠い南国で、心ない者に命を蹂躙された両親。
無実の罪で国を追われ、失意のまま儚くなってしまった。
それを思うと、瞬く間に視界は滲み出す。
慌てて俯き、涙を抑えてしばし。
落ち着きを取り戻すと、すぐ側にある驍宗の相貌に目を向けてしばらく見つめていた。
「驍宗さま…本当に色々と…ありがとうございます」
微笑だけがそれに答えた。
乍県に戻ったのは、すでに陽が落ちてからの事だった。
は官邸に着くとすぐ、見せたいものがあると告げて自室へと下がる。
外装を解いてくつろいでいると、は反物を抱えて戻ってきた。
「こちらを…」
「四点の青い反物…少しずつ色が違うのは?」
「四天を織り込んだのです。右から春夏秋冬のつもりで織ったのですが…」
「蒼天、昊天(かんてん)、旻天(びんてん)、上天か。確かに、それらを彷彿させる色合いだな。これは見事」
「ありがとうございます。戴だからこそ、この色が出てきたのです。色合いを変えてゆく季節。特に冬は、恐ろしいほど澄んでおります」
「確かに、上天の澄んだ色をよく表している。模様は秋の旻天に比べて単純だが、この色合いは今まで見た事がない」
「染めるのに一番苦労したのが上天です。なかなか思い通りの色が出なくて…」
春は蒼天。春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)とした薄い青。
夏は昊天(かんてん)。翠雨を含んだ明るい青。
秋は旻天(びんてん)。錦を彩った細かい模様が目を引く。暮れゆく空に舞う、黄葉と紅葉。
そして冬の上天。抜けるような青から深い藍へ変貌してゆく。
澄みきった空、朝から夜を表現しているのだろうか。
藍には星と雪が煌めいている。
「これは良い値がつこう。これほどまでのものを僅か1年足らずでとは…才能があったのだろう」
上天の反物を手に取って、未だそこから目を離さずにいる驍宗。
そのまま反物を見つめて言った。
「どうだ。そろそろ鴻基に場所を移してみては」
「…ええ。そうですね。では、鴻基で住まう所を探さねばなりませんね。鴻基へ行っても…驍宗さまはこうして作品を批評して下さいますか?」
ようやく驍宗の目が反物を離れ、を捉えて止まった。
「わたしのもとに居れば良い。そうすればいつでも見る事が出来る」
「これ以上のご迷惑は…」
「構わない」
そう言われてしまえば、やはり何も言うことは出来なかった。
しかし、これ以上はと思うのも事実だ。
の逡巡を見透かしたのか、驍宗はすぐに次の言葉を繋いだ。
「実を言うと、すでに用意している。織り機を」
「え…」
「二年待った。この地の四季をその目に映したのなら、次は鴻基だろうと勝手に揃えさせてもらった」
「驍宗さま…でも…」
「では罪滅ぼしだと思えばいい」
「罪…もしや両親のですか?」
「そう。戴から戴の民への罪滅ぼしだと。わたしは戴の国主ではないが、戴の民を護るべく存在する夏官の一人だからな」
いかに禁軍が王の私物とて、それぐらいは許されるだろうと、驍宗は笑みを持ってして語るようだった。
「あの…本当に私が鴻基へ行ってもよろしいのですか?」
頷くのが分かっていても、問わずにはおれない。
不安気な漆黒が驍宗の双眸を捉える。
真紅の瞳は優しく頷き、は胸元に手を組んで頭を下げた。
が鴻基に移り住んで一年が経過した。
驍宗の官邸の中は、静かな機の音が響く。
静かな音は夢の世界を紡ぎ出す。
短い春の花畑、涼しい満天の星、紅葉に染まる山々、風花舞う里。
あるいは万尋(ばんじん)の谷であったり、比翼の鳥であったり。
叢蘭(そうらん)を描き、穹窿(きゅうりゅう)壟断(ろうだん)を駆ける。
今や驍宗のもとにおらずとも生活していけるだけの価値が、の反物にはあった。
それでもは驍宗宅から離れていない。
それは離れたくなかったからだが、驍宗もそれを咎めることはなかった。
それでもやはり心の何処かで、いつかは出て行かねばならないのだと言う声が聞こえる。
そこから目を逸らし続けるのが出来るのは、後どれほどであろうか。
は過去、疑問に思った事の解答をすでに得ていた。
厳しい表情を忘れられぬのは、その瞬間、恋をしたからだ。
気付いたのはいつだったろうか。
ゆえに側を離れるのが恐ろしくさえあった。
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