ドリーム小説
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四季を織る =6= 秋のある日、はいつものように機を織っていた。
そこへ何者かが訪ねてくる。
左軍の兵だと名乗ったのは、およそ軍人とは思えぬほど華奢な女性だった。
「将軍に頼まれていたものの修繕が終わりまして。こちらにお届けに上がったのですが」
そう言った女は、手に持った冬器を見せる。
太い短剣のようだった。
「あ…本日、驍宗さまは乍県へ出られております。直接頼まれたものなれば、日を改めていただいたほうがよろしいかと…」
ふっと息を吐き出した女は、軽く笑って言った。
「存じ上げております。実を申しますと、貴女を一目見たかったのです」
「私を、で…ございますか?」
「ええ、貴女を」
「それは…何故でございましょう?」
「噂になっているからです」
そう言うと、女は口角を片側だけ上げて続ける。
「大層華美な反物を織るのだとか」
値踏みするような視線がに向かっていた。
しかし当の本人は気付かぬのか、反物に対しての批評に返答をした。
「…華美かどうかは、お求め頂いた方の感じるところでございます。私はただ戴の景色を織り込んでいるだけの事。それ以上でも、それ以下でもございません」
「高値で売れると聞きましたが」
「材料費と総時間から値段を割り出します。その日の糧を得るほどには、良い値をつけて頂いておりますが、大層高価なものというほどのものでは…反物は素材の一つに過ぎません。それを仕立てるのは、私の仕事ではありませんから…」
の織ったものが、高官の身を包んでいるというのは、驍宗から聞いて知っていた。
それは単純に嬉しいことで、それに破格の値段がついていようと、には関係のないことだと思っていたのだ。
事実、反物だけではどうにもならない。
仕立ててもらわねば、飾り程度にしかならないのだから。
仕立ては、反物の良さをさらに引き出す。
しかしにその技術はなかった。
ゆえにそこから先の事については無頓着と言ってもよい。
「では、ここに留まっているのは何故?」
突き刺すような視線がに向かっている。
戸惑いだけが表情に出たが、口を開くことが出来ないでいたに、女はさらに言い寄る。
「生活の糧を得ることが出来るのなら、どうしてここに留まっている」
「それは…」
何も返すことが出来ない。
だがそれが女の怒気に触れたのか、すらりと短剣の鞘が取り払われた。
鈍色に光る刀剣がゆっくりとに近付く。
その喉元に冷たい切っ先が触れ、皮膚の上で止まった。
「加護を受けてそれを甘んじ、何時までもまとわりついて離れないのは、将軍に身分違いの想いでも抱いているからではないか」
当初、丁寧だった言葉遣いも、今や嘘のように消えていた。
ただ悋気を含んだ瞳が、痛いほどに向かっている。
「この剣と体で、あたしは将軍を守ることが出来る。貴女は将軍の為に何が出来る?ただ庇護を受けるだけと言うのは、公平ではないだろう」
見開かれたのはの漆黒。
常日頃思っていた事だけに、正面切って言われると氷の刃のように鋭い。
「私…は…」
驍宗のために何か出来るのだろうか。
その身に危険が迫った時、盾となることなど到底出来まい。
軍人ではないこの身では、その危機を感じることさえ出来ない。
仮に危機に直面したとて、恐ろしくて動くことすら躊躇われるだろう。
「おっしゃる、通りです…」
絶望にも似た声がの喉を通ったのは、女が剣を引いてしばらく経ってからだった。
女は勝ち誇ったようにそれを見て、剣を鞘に収めて踵を返す。
その影が消えるまで、はその場に立ち尽くしていた。
暗い房室の中、整経台に向かって屈む。
糸の長さを揃え、織るその人を構想しながら作業に勤しんだ。
「驍宗さま…」
この官邸のどこにもその姿はない。
確認したくとも、脳裏に焼き付いているもので、それを表現していかねばならない。
しかしそれは四季折々、風光明媚な景色を織り込む時と同じはず。
「それなのに…こんなにも難しい…」
ぱたりと落ちたのは涙。
反物に小さな染みを作って薄れていった。
「綜絖(そうこう)、筬(おさ)、綜絖、筬…」
込み上げてくる涙は、さきほど剣を向けられたからではなかった。
逢いたいと、これほどまでに強く思ったのは、これまで一度もなかったように思う。
とても逢いたい。
でも、会ってはいけない、今は…。
かたり、という音に、は驚いて顔を上げた。
驍宗が戻って来た時のような音が、遠くから聞こえている。
官邸内を誰かが歩いているのを聞けば、確信を持って驍宗だと分かった。
その足音はこちらへ向かっているようだ。
「今は…」
は慌てて立ち上がり、灯りをさらに弱めて簪を抜いた。
漆黒の髪が解け、肩を覆って表情を隠す。
扉が開いたのは、そのすぐ後だった。
機に向かって手を伸ばす。
しかし、やり場に困って糸の上に置いた。
「」
髪を解いた姿を、近頃見かけていなかった驍宗は、その流れる漆黒に目を向ける。
「お…お帰りなさいませ」
「…。どうかしたか」
「い、いえ…」
足音が背後から近付いてくるのを、半ば焦って感じていた。
「何があった」
「何も…何もございません」
「では、何故泣いている」
何故分かってしまったのだろう。
しかし驍宗に隠し事をするのなら、相当の思考を重ねなければ、いとも簡単に見抜かれてしまう。
髪を解いて振り向かねば、それぐらいは容易に想像出来ただろう。
「少し…。そう、少し、両親の事を思い出したのです」
思いついた言葉をそのまま言って顔を伏せる。
そっと涙を拭うと、跪いた驍宗が横に見えた。
驚いて隣に目を向けると、褐色の手がすぐそこにある。
それはの頬を覆い、残った僅かな涙を拭い取った。
どれほどそれが嬉しい事なのか、この人には分かるまい。
「驍宗さまは…どうして…」
優しいのかと問いかけて、続きを呑み込んだ。
差し伸べてくれる手を取って縋るのであれば、本当にあの女の言ったように公平ではない。
重荷でしかない。
「…機を…織ってしまいます。これは…驍宗さまに差し上げるためのものですから」
「今日は疲れているだろう。もう休んではどうだ」
「いえ…もう少しだけ…。もう、大丈夫ですから」
顔を背けて手を頬から離したは、静かに立ち上がる驍宗の気配だけを感じ取った。
遠ざかる足音を薄暗い房室の中で聞き、寂々とした気配の中で固まったように蹲っていた。
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