ドリーム小説
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四季を織る =7= それから二週間で、織っていたものは完成した。
「驍宗さま…」
夜も深い刻限。
あれ以来、髪を留める事が出来なくなった。
どの瞬間に涙が溢れようとするのか、自分自身掴めないでいたからだ。
驍宗の房室を訪ねたは、反物を抱えて中へ進んだ。
被衫だからか、着崩した様子の驍宗。
褐色の胸板が見えていた。
着崩したのを見るのは初めてだったが、緊張のためかそれとは気付かず、驍宗の目前まで辿り着くと黙って反物を差し出した。
「これは…」
「驍宗さまにと、織ったものでございます。どうか受け取って下さいませ」
はらりと広げられた反物。
いつものようにしばらく見入った驍宗は、ややしてぽつりと言った。
「これは戴の冬…」
銀嶺は赫然(かくぜん)たりて秀美を極める。
南天燭(なんてんしょく)の赤い実が所々散りばめられ、雪の下に見えるのは褐色の大地。
「いや…春か」
凍て解けの大地。
息吹く命を思わせる、その景色。
「これは驍宗さまです。私の中の、驍宗さまを反物に織り込んだのです。そして私の中で驍宗さまは、戴、そのものなのです」
小さく声が震えた。
それには気付かれなかっただろうかと、驍宗に顔を向ける。
まだ反物に見入っている。
言うのなら今しかないと、の中の何かが叫んだ。
「驍宗さま…。今まで、本当にありがとうございました。私はもう、地に降りても生きてゆくことが出来ます。いいえ、本当はもっと早くにそうするべきでした。いつまでもずるずると甘えて、こちらでお世話になっておりましたが…」
ようやく驍宗の視線がに向かった。
「出ていこうと思ったのはどうしてか、聞いても問題ないか」
「それは…やはり、ご迷惑をかけて…それに、私は…」
上手く言葉が出てこない。
何か言わねばならないと、懸命に考えていると、先に驍宗のほうが口を開いた。
「何故、出ていこうと?」
「ですから、ご迷惑を…」
「迷惑ではないと、言わなかったか」
「でも…駄目なのです。私は…驍宗さまの優しさに呼応出来るだけの器量を持ち合わせておりません。厳しい眼差しで、禁軍を率いておられるのでしょう。優しさばかりを持ち合わせていれば、禁軍の将になどなれません。ですが私は厳しさと無縁の人間です。供に戦線に立つこともなければ、驍宗さまを守ることも出来ません。ただ、庇護されるばかりなのです」
はっきりと喋ってはいたが、すでに視界は涙で歪んで何も判然としない。
落ちるものを止める術もなく、ただ必死に口を動かすのみである。
反物を卓子に置いた驍宗は、立ち上がってを引き寄せた。
その地肌の温もりが伝わる胸元に漆黒を引き寄せ、優しく包んで言った。
「軍人は民に守られるために在るのではない。民を守る為に在るのだ」
はっと呑み込まれた息づかいを聞きながら、驍宗はさらに続ける。
「が地に降りて暮らしたいと言うのなら、それを止めはしまい。わたしに会いたくないと言うのなら、訪ねて行くこともないだろう。だが本心をまだ聞いていない。心の赴くまま、その織る物のように、素直な気持ちを聞かせてもらいたい」
驍宗の胸元にの手があてられ、身を離すための力が入れられた。
は驍宗から離れ、一歩下がって顔を伏せている。
その場で立ち尽くし、震え続ける肩。
まるで怯えた小さな獣のようだ。
「わたしは…これほどまでに冴え冴えとしているのだろうか」
「え…」
何に対してそう言っているのか分からず、は顔を上げて驍宗を見た。
その手には再び反物が乗っている。
「戦線に立つ時にはそれでも構わないのだが…の前でも、やはりこのように冷たいのだろうか」
は涙を拭って首を振った。
落ち着くために呼吸を数回して、驍宗の瞳を見つめて言った。
「いいえ…冴え冴えとしてもなく、冷たくもないのです。…私の中で、戴の春は希望そのものです。長く厳しい冬を堪え、絶望が希望に転じるその瞬間。それが春なのです。優しく、穏やかな時を運んでくる。それが…この景色なのです」
だからこそ、離れがたかった。
出来ることなら、再びその胸元に戻りたい。
「そうか。少し安堵した」
驍宗はそう言うと、ああ、と言い置いてからに問う。
「先日、伍長がここへ来たようだが」
「伍長…?」
もしや、と二週間前の風景が蘇る。
「細身の女だ」
間違いないと思ったが、返答する事は躊躇われた。
ただ顔を伏せることしか出来ない自分が愚かしくもあった。
「比較的新参ではあったが、もうすでにいない。己の立場を利用して、わたしの大切な者へ悋気をぶつけるような者は、左軍にはいらないからな」
漆黒の双眸が、真紅の瞳に向かって見開かれている。
「悋気…」
「勝手な憶測でわたしの感情を計った」
の様子がおかしかったのは、それからだった。
どのようなやりとりがあったのかは聞かなかったが、それは容易に想像出来た。
「大切だと思っているからこそ、ここへ招いた。それはのためではなく、わたしの我が儘だったのだが」
見開かれたままの漆黒。
だが、珊瑚の唇が声を発した。
「私は…驍宗さまの優しさが…不思議でなりませんでした。私のような者に、なぜ優しくして下さるのか…。庇護され、縋るだけでは…子童と変わりないと、そう思っていたのです。伍長、でしたか。あの女性が訪ねて来られて、公平ではないと言いました。その通りだと思ったのです」
いいえ、とは首を小さく振る。
「私は…奏でのあの夜以来、驍宗さまをお慕い申し上げておりました。いえ…今にして思うと、あの剣を向けられた瞬間からなのかもしれません」
南国の水辺。
すらりと延びた切っ先もまた、喉の表皮であった。
「では…」
驍宗はそう言うと、手に持った反物を卓子に置く。
さきほどそうしたように立ち上がり、に近寄って腕の中に閉じこめる。
少し顔を下げて耳元で囁く。
「このまま留まるととって、間違いないか」
艶やかな髪が動き、淡紅に染まった雪肌が現れた。
漆黒の瞳は煌めきを帯び、小さく頷く。
それを待ってか、口づけが幾度も降り注いだ。
それから一週間後。
二人は松籟(しょうらい)にいた。
「お暇な時で構わないのですが、松籟へ連れて行って下さいませんか」
そうが言ったのは昨夜の事。
ふたつ返事で了承し、今朝鴻基を経った。
松の葉擦れが聞こえる中、の生家に辿り着いた二人。
以前この地を訪れたのは春。
今は冬も近付こうかと言う晩秋だった。
公孫樹が黄色に染まり、時折風に乗って舞う。
傾き始めた陽を見ながらは思いを馳せた。
館第の中は今もこの色に染まっているのだろうかと。
「綺麗…」
はそう言うと公孫樹(いちょう)に近寄る。
袂から何かを取りだし、かがみ込んで土を掘った。
公孫樹の根本に、小さな端切れを埋める。
「それは?」
「両親の埋葬を。形見と言える物は、何も残っておりません。ですから、最後に身につけていた布の切れ端を…私の着ていたものに縫い止めてあったのです」
そのまま戴へと帰ってきた。
「あの端切れは、父と母…双方の布を交互に織り込んで作ったものです」
「そうか」
埋めた土の上に、はらりと散る黄葉。
「両親の口振りから、失意は痛いほど伝わっておりました。だからこそ、私はどこの国にいたのか、問うことが出来なかったように思います。ですが、そこには祖国を思う気持ちがあったのです。どれほど帰りたいと願っていた事でしょう」
がそう言う間にも、公孫樹は地を隠さんと降り積もる。
漆黒の髪を滑り、手の甲に舞い降る。
まるで雪のように…。
「はわたしを戴そのものだと言う。だが…こそ、戴のようだと思っていた」
地から瞳を逸らしたは、立ち上がって驍宗を見た。
白銀の髪が斜陽に煌めき、公孫樹の色を映している。
「厳しいばかりのわたしの心を、解かしてくれる春日のようだと」
「驍宗さま…それは…とても嬉しい言葉です」
は微笑んで公孫樹に目を向ける。
長い冬はすぐに到来する。
今度は秋を織り込んで春を待とうか。
「春を思うのは、寒さの厳しい国に暮らすのなら、誰しも願う事。ですが、私はしばらく春を待ち焦がれる事はないでしょう」
だから、冬の最中にも秋を織ろうと思う。
は驍宗に歩み寄って、その胸元に手を伸ばした。
掴んだ褐色が体を引き寄せる。
「私の春は…ここにあったのですから。今はその事実が、暑すぎるほどなのです。これが少し冷めるまで、春を織ることが出来ないように思います」
「では、二度と春は織れぬ」
そう言って、驍宗は顔を近づける。
口づけを受けたは、少し頬を染めて言った。
「それでは困ります。春の反物を望む声は多いのですから」
「真にそれを望むのなら、待たせておいても問題ない」
小さく笑う声が松籟の一角に響く。
陽はますます公孫樹の色を深め、地に落ちようとしている。
紅の世界に染まる二人に、暖かい冬が訪れようとしていた。
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