ドリーム小説




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蘭陵王


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一度演奏を披露してからと言うもの、は春官達と急激に仲良くなった。

元々、この世界の住人が好むような音楽だったのかもしれない。

雅の世界を見せつけられて、魅了された者は少なくなかった。

すでに仙籍にあったは、そのまま麦州の春官になった。

それが、一番自然な流れであったかのように、何の違和感もなく時だけが流れていった。






















そして、が麦州城に来てから、三ヶ月が経過した。

「では、好きにやってくれ」

三名の女御に囲まれたは、覚悟を決めた堅い表情でそう言った。

その様子に軽く失笑を買いながら、はただされるがまま、女御達に身を任せていた。

やがて出来上がったのは、見違えるように着飾った、一人の女性だった。

襦裙の色は伊予葛。

ごく薄い黄であった。

さらにその上から若紫を着る。

髪を丁寧に結い上げ、簪で止める。

耳にも飾りが付けられ、薄く化粧を施し完成と相成った。

その出来栄えに、女御からは溜息が漏れた。

「お人形のようですわ」

「そ、そう?いや、まさか…」

「いいえ、完璧です。触れてはいけない物のようにも見えます」

自らの腕に感服しているのだろう。

だが、それでも少し嬉しい気持ちと、気恥ずかしい気持ちが生まれる。

「なんだか慣れないから、うまく歩けるかどうか」

女御達はそれにまた笑い、を房室の外へと連れ出した。

龍笛を持ったまま、落ち着きなく振り返ると背中を押される。

そしては足を進めた。

もちろん、浩瀚の許へと向かっていたのだった。

頼まれた事、それがこれだった。

つまりは、春官の正式な衣装で龍笛を吹く。

演目はもちろん蘭陵王。

その自信がついた時、浩瀚をただ一人の観客として奏でて欲しいと。

着る物の色指定はがした。

壱越調の色だったのだ。

雅楽の調子は陰陽五行と深い関わりを持っている。

ゆえに季節や色、方角、音も決められている。





あの日霞の中、蘭陵王を奏でれば、何かが掴めるかと思って吹いていた。

そこへ、引き寄せられたように現れた人物、蘭陵王その人。

少なくとも、はそのように感じていた。

蘭陵王の御前で龍笛を奏でる。

そう思っただけで緊張が走るが、同時に何か恍惚とした感情が生まれつつあった。

足を進めていると、次々と思い出される。

過去の幻影が優しくを取り巻いていたのだった。

まだ雅楽を始めたばかりの頃、笛の音を出すのに必至だった。

一音出たと思っても、次の一音が出なかった。

指を一つ空けただけだと言うのに、音が綺麗に出ないのだ。

さらに運指を進めると、音自体が出なくなるわ、息の吐きすぎで立ちくらみは起こすわ…

今の状態に達するのに、いかほどの努力がいった事だろう。

「壱越調、呂旋。蘭陵王か…」

壱越(いちこつ)調とは、古来中国の律旋名では黄鐘(こうしょう)と言う。

洋風で言うとDである。

呂旋はメジャーであるから、和風に言うとニ長調。

「雅楽を始めるまで、ニ長調は古来よりあるものだと思っていたな…」

くすりと笑ったは、懐かしむように呟く。

ニ長調やハ短調などと言った呼び方を、中学辺りで習う。

それが日本の呼び方であると習うのだから、それが古来より伝わってきたものだと思うのは当然の事だった。

だが、現在の音楽に於いての理論に基づくものであると、雅楽を始めてから知った。

古来の調子を、現在の音楽に置き換える事は難しい。

それこそ、龍笛のような楽器でないと再現出来ないのだから。

そんなことをとりとめもなく考えていると、約束した場所へと抜けていた。

浩瀚の姿を見つけて、ようやく気がついたのだ。



















この姿で謁見するのは、想像しただけで恐いと思っていた。

きっと、その場所が近づくにつれ、緊張と恐れが生まれるのだと、そのように危惧していたはずなのだが…。

過去の事を思い出していたからだろうか、それとも、蘭陵王を奏でる事に気を取られていたからだろうか。

緊張する間もなく、浩瀚の待つ場所にまで来てしまった。

視界に浩瀚が入ってようやく、緊張が体を駆け抜けた。

襦裙姿はおかしくないだろうか。

蘭陵王を上手く奏でる事は出来るのだろうか。

二つの緊張に挟まれて、思わず足を止めてしまった。

その様子に、浩瀚が動く。

静かにに歩み寄って、その手を取った。

「お待ち申し上げておりました」

丁寧な言葉に、思わず驚いた顔がそれに答えた。

「何で…そんなに丁寧に?」

「あまりにも美しいので、思わず」

そう言う浩瀚の表情は、僅か苦笑したようにも見える。

「本当に、見違えるようだ。…この色が、蘭陵王に相応しいものだろうか?」

は赤くなった顔で、なんとか絞り出すよう声を出す。

「そう…伊予葛に若紫…」

淡い色が瞳に優しく、色香を引き立てるようだと思ったが、あえて口には出さずに、そのままを引いて歩く。

ここは庭院だった。

草木が列植された庭院の丁度中央部分に、土が円形に顔を覗かせている。

は浩瀚の手から離れて、その中心へと向かった。

「ここで、蘭陵王を…」







龍笛が桜色の唇に当てられる。

そして現れる、龍の咆吼。

だが、今日の音は少し違った。



「…!」



目を見開いたままの浩瀚を、は知らなかった。

瞳を閉じて吹いていたからだ。

音に身を任せ、蘭陵王を思う。







早い、鼓動が早い。

勇ましく猛り狂う将。

己の国を守るため、前線で指揮を取るその姿。

他国に轟く武勇。

それを龍笛が再現する。

(そうだ…何故気がつかなかったんだろう。走舞だったのに…こんなに簡単な事だったのに)

通常、舞は四人で緩やかに、雅やかに舞う。

しかしこの蘭陵王は、一人だけ。

厳めしい面を付けて、走り回る。

ゆえに走舞(わしりまい)と呼ばれる。

何故走り廻るのか、それが何を表しているのか。

理由を聞いた所で、想像する事が出来なかった。

だが、今なら容易く分かる。

の中に蘭陵王が生まれたからだ。

慶の荒廃と戦う蘭陵王。

多くの命を救った、その人。

政の行き届かない国に於いて、この州だけは違うと、誰もが口に出す。

麦州に仕えることを、誇りに思っている官吏は多い。

だが、国のためにと囁くものは、極めて少ない。

文官も武官も、この州に仕えていると言っても過言ではないだろう。

この、目前で龍の咆吼を聞いている、蘭陵王に仕えているのだ。

決して武断の人ではないけれど、蘭陵王の面を取れば、浩瀚の顔が中から出てくるのだ。

そのように想像すれば、いとも容易く生まれる音色。

これほどまで、心を支配するその人。

















壮大な世界観の中、は全てを吹ききった。

どこで息継ぎをしたのか、思い出せないほど夢中で吹いた。

曲の進行も、抑揚も、何も考えずに、ただ心の指し示すまま、音を紡ぎ出していた。

その為か、吹き終わると足が震え始め、頭の中は真っ白に近い状態であった。

汗が額に浮き上がり、思わず地に足を折る。

その様子に、浩瀚はようやく我に戻ったのか、を支えに足を出した。

手を差し伸べて石案のある場所まで引き、椅子に座られて様子を見ていた。

「あ、ありがとう。ちょっと、夢中になりすぎたようだ」

「素晴らしい演奏だった。いや、驚いたと言うべきか」

「驚いた…?」

そう問うと、浩瀚は頷いて答えた。

「幻影が見えるようだった。大気がを取り巻いて、形を成す。激しく舞う男、天を駆ける龍。地を踏みしめる足。これほど素晴らしい演奏を、わたしはかつて見たことがない」

「それは…褒めすぎだよ」

「褒めたりないくらいなのだが」

「そん…いや、ありがとう。でも、これが吹けたのは浩瀚のおかげだ。だって、浩瀚は蘭陵王だから。私にとっては、だけどね」

「私…と?」

俺だと言っていたはずのは、今、確かに『私』と言った。

「あ…本当だ。これ…この襦裙のせいかな?演奏は終わったし、すぐに脱ぐよ」

「脱がなくてもいい」

「いや、でも…」

「一日くらいは、そのままで」

「…やっぱり、こうゆう姿の方が好きなのか?」

「…」

言の返ってこないことで、はたと気がついたは、慌てて手を振って付け加えた。

「あ、いや!男はみんなそうなのかなって…何も、浩瀚の好みを聞こうって訳じゃ…」

「その姿を望んでいたのは、わたしではない」

静かに言われた事に、は動きを止めて浩瀚を見た。

「それ、どうゆう事?」

「襦裙姿…女性の本来あるべき姿に戻りたいと、の心が叫んでいた。妖魔に襲われるだけではなく、女の身であるがゆえに降りかかる災厄。それらを回避すべく、女の姿を捨てた。だが…もう自分を解放してやりなさい。女であることを捨てなくとも、わたしが守っていくから」

「守って…?私を?守るって言うのか?男みたいな、こんな奴を?」

「どのような姿をしていても、は美しいと知っているから…」

だから、と浩瀚は続ける。

「泣くのを止めなさい」

「泣いて…?泣いてなんか…」

すっと浩瀚の手が持ち上がる。

いつかのように、目元から頬を伝う浩瀚の指。

「心が泣き叫んでいる。それは絶えずわたしに届いて、この胸に留まっている。蘭陵王という人物がいるのなら、その御仁に託すしかないと思っていたが、演目の一ならば、わたしがそれを取り除かねば、誰が癒してくれるというのか。美しく悲しいその魂が、絶えず救いを求めている」

そこまで続けて言われてしまえば、もうその手を拒む事は出来ないように思った。

だが、それでもは驚愕した表情のまま、浩瀚の瞳を覗き込んでいた。

そこに映る、見知らぬ女に問いかけるように口を開いた。

「何故…そこまでしてくれるんだ?この海客に。男のような…ただの海客に」

の言に、浩瀚はふと笑う。

そっとの手を持ち上げて、伊予葛と若紫の袖口を見せた。

襦裙がひらりと揺れて、の視界に映し出さる。

「このように美しい女性を前にして、男などとは夢にも思わない」

「じょ、女装した男かも」

着替えさせられていた事を忘れた訳ではなかったが、思わずついて出たその言。

「では、それでも構わない。の心を救いたい。わたしのこの手で」

「…構わないって。それこそ、何故?おかしいよ…」

浩瀚の紡ぐ言が、何を意味しているのか、理解出来ないでいる

それでも浩瀚は口を閉ざさず、瞳をも反らさずにいた。

「もう一度、その理由を口に出してしまってもいいだろうか」

一度口に出してしまった、その言葉を。

「聞きたい…」

浩瀚の右手が、の頬に触れる。

「囚われたからだ。美しくて、悲しい…その魂の宿った瞳に囚われてしまった。あの日、霞の中で」

「…」

伝わる手の温もりに、夢ではない事を知る。

「霞の中で龍の咆吼に耳を囚われ、それを奏でる瞳に囚われた。悲しくて、悲しくて…壊れてしまいそうな魂は、龍のようにうねりを上げ、音となってわたしを支配する」

「そんな…だって、それは…違う」

左手もの頬に添えられる。

「違わない。嘘でも偽りでもなく、この目に囚われてしまった」

「だって…違う。それは…それは」

両頬に添えられた手は、の顔を上向かせ、浩瀚を瞳いっぱいに映しだしていた。

だが、広がる視界は翳りを見せ、歪んだものへと変化していく。

添えられた手が、伝おうとする涙を拭う。

「でも、違う…違う。囚われたのは、浩瀚じゃない。その瞳に囚われたのは…私のほうだ。蘭陵王に囚われてしまった。あの霞の中で」

滲んだ視界の色合いが変わった。

そして唇に触れるもの。

せつないほど甘い口付けを受け、の涙は止まった。

ただ歓喜が沸き上がり、うねりを上げて天へと向かう。

まるで、龍のように…。

「浩…瀚…」

頬にあった手は、の背中に回っていた。

逃がさぬよう、離さぬようにと、しっかり添えられたその手に、包み込むような胸元に、生まれてきた事を感謝する気持ちさえ芽生える。

「ずっと、側にいてくれるだろうか。この手から離れず、天に昇っていかずに」

は浩瀚の胸元で静かに頷いた。

再度、落とされる口付けに瞳を閉じる。

そして、静かに言った。

「蘭陵王に仕えることが出来るとは…雅楽士として、これ以上の誉れはない。そして海客としても、これ以上の幸せはない」

だけの蘭陵王は微笑みを向けて、まだ涙に光る目元に口付ける。

霞の運んで来た龍の化身。

愛しいその瞳を、手放す事は出来ないと…。











予青二年 春。

まだ数年は幸せの続く、二人の物語。

蘭陵王と龍の化身。

ひとまずは、ここで幕引きを…








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ニ長調はDメジャーで、レ、ミ、ファ#、ソ、ラ、シ、ド#です。

五線譜で#の二つついた調子(Kye)ですね。

とにもかくにも、蘭陵王は終わりましたが、最後の最後に含ませてしまいました☆

ちなみに現代音楽の理論は、まだ歴史が浅いのです。

バッハ(約300年前の人)の頃にはまだ確率されていなかったので。

雅楽って奥が深い…

                                            美耶子