ドリーム小説




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蘭陵王


=4=



それから三日が経過した。

その日、の許には着替えが届けられた。

浅葱色の袍が一つ。

そして、抜けるような青色の襦裙がひとつ。

色合いだけを言うのなら、襦裙に惹かれたのだが、袖を通したこともないそれを着る勇気は、まだなかった。

浅葱色を手にとって袖を通す。

袍とはいえ、蓬莱で着ていたものから比べれば、男のものであろうと、女のものであろうと、差違は感じられない。





浅葱に身を包んでしばらく、ぼんやりと房室で佇んでいると、女が礼をしながら入ってくる。

「麦州侯がお呼びです」

「麦州侯?…ああ、浩瀚か」

頷いた女の後について、は州城の中を移動する。

手にはもちろん、龍笛が持たれていた。

磨き上げられた床に、先行く女と己の姿が映し出されていた。

しゅっと擦れる襦裙は優雅で、髪を纏めるために射された簪が色香を感じさせる。

先ほど、差違はないと思ったのにもかかわらず、今はあまりにも違うと、そう感じる。

やはり襦裙を着るべきだったかと思い始めた頃、女官は立ち止まってを振り返る。

「こちらでございます」

重そうな扉が開かれる。

中には浩瀚だけではなく、大勢がを待ち受けていた。

両側に並んだ人々は座している。

浩瀚は堂室の中心にいて、数名を後に従えていた。

浩瀚の背後に控えている者達。

その手には、様々な楽器。

「これは…」

「龍の咆吼を聞いた者は、どうやらわたしだけではなかったようだ。ここにいる者達に迫られて、この場に来てもらったが…まだ体力が完全でないのなら、断ってくれても構わない」

それは、嫌なら吹かなくてもいいという事なのだろう。

しかし、笛の音を聞きたいと言われて、断る術を持っていない。

むしろ、楽器を持っている人々と、合奏をして見たいとさえ思ったのだ。

その紡ぐ音が違っても、伝える曲が違っても。

音の世界の中でなら、この世界にとけ込めるような気がした。

「では合奏を」

の視線の先で、浩瀚の首は横に振られた。

訝しげに視線を送ると、それに対しての説明がなされる。

「龍笛の音を聞きたい。その上で、合奏が可能なのかを楽士達が判断する」

「ああ…それもそうだ」

どのような音色が出されるのか、どのような旋律なのか、それが分からぬまま音を合わせる事は出来ない。

それはこちらの世界でも同じようだと思いながら、は深く腰を折ってから言った。

「では、平調 林歌、早八拍子、拍子十一。一人ですがお聞き下さい」

上げられた顔は毅然としており、笛を構える姿は清雅の極みだった。

奏でられる音は龍の鳴き声。



その、咆吼。



ほうっと溜息が洩れ聞こえる。

だが、その中に違う音が混じっている。

それを捉えたのは、だけだったのだが…。



瞳を閉じて笛を奏でるは、きりきりと弦を巻く音を聞いていた。

龍笛に合うように調律をしているのだろう。

調律が行われるということは、演奏する意思の表れだった。

もう随分としていない合奏。

音を合わせることの喜びを、再び感じる事などないと思っていた。

だが、もしこのまま音を重ねることが出来たのなら…。

はやる心は、拍子を早める。徐々に早くなる曲を、どうにも止めることが出来なかった。

やがて林歌が終わり、は浩瀚と楽士に目を向けた。

「大丈夫なようだ」

楽士の様子を見ていた浩瀚が、それに答える。

ぱっと明るんだ顔が、それに頷いた。

「では、適当に吹きますから」

そう言って笛を構える。

「双調、武徳楽。早四拍子で拍子十二。さきほどの曲から短三度上…一音半上の曲です。わかりますか?」

楽士は頷いて微笑む。

「では僭越ながら」

再び堂室を音が駆ける。

独奏から始まったその音に、弦の響きが添えられた。

弦の次には太鼓の音。

その次には鐘の音。

そして、最後に龍笛とは異なる、縦の笛が添えられ、壮大な和音の世界が広がっていた。

互いに顔色を読みとりながら、次の音を探しながらの演奏だったが、それでも聞き手を魅了するには充分だった。

本来の武徳楽とは大きく違ってしまったが、それでも合奏はの心を満たしていく。

この世界に存在すると言う事実。

生きていると言う証。

それらが音に現れては消える。

やがて終わった演奏の後、大きく割れるような拍手と、喝采とが堂室を包み込んだ。

拍手はいつまでも止まず、喝采も途切れることなく続けられた。

そしてはその様子に、初めてこの世界に受け入れられたような気がしていた。

世界が拒絶しているなど、どうして思ったのだろうかと、そう思えることが出来た。



























その日の夜、は浩瀚を訪ねていた。

「こんな時間にごめんなさい。だけど、どうしてもお礼が言いたくて」

「お礼など…わたしは何もしていない。ただ龍の音を聞いた皆にせがまれて動いただけのこと。本当に素晴らしい演奏だった。こちらこそ、お礼が言いたいところだった」

浩瀚はそう言って、に椅子を勧めた。

嬉しそうに椅子に腰を下ろすに、浩瀚は茶を出しながら言う。

「海客が阻害されないのなら、国府へ上がっても充分にやっていけるだろうに」

「そんなこと、ないよ…。でも、この州にいてもいいのなら、浩瀚のために演奏する事は出来る。…駄目、かな?」

「もちろん、駄目ではないし、喜ばしいと思う。だが…」

「だが?」

「何かを求めて慶に来たのでは?海ではなく、何か他の大切な者を…」

「…よく、分からないんだけど?はっきり言ってくれないと」

「いや…何でもない」

「じゃあ変わりに、俺の方から聞いてもいいかな?」

浩瀚の頷きを待って、は質問をぶつける。

「やはり女は美しくあるべきか?」

問われた浩瀚は振り返って、ちらりと笑みを見せる。

「いくら着飾っても、心が醜ければ意味のない事。美しさや品性は、もちろん着るものによって変わる事もあり、飾り付けるものなどで推し量る事も可能だが、一概にそうとは言えない。上手く着飾る事によって、己の醜い部分を隠す者もいよう」

「醜い部分…?」

「人は誰でも、他人には決して見せたくない心の領域がある。だが、そこにある醜さや暗闇と葛藤するのも、人の良いところだとわたしは思っている。しかし葛藤を取り違え、悩むことを放棄してしまった者の心根は酷く醜い。悩み続け、葛藤をくりかえしてこそ、人は成長していく。そしてそのように生きている人物ならば、わたしは充分に美しいと思う」

「…やっぱり…よく、分からない…。つまり簡単に言うと?」

は今のままでも充分美しい。その紡ぎ出す音色がそれを語っているのだから」

はしばし口を閉じる事が出来なかった。

驚いたままの表情で、言われた事を反復する。

美しいと言われたか…?

俺が?

「むしろ、女の格好をして、他の男に目をつけられぬ分、そちらの方が好ましい」

言われた事に、の瞳があがる。

冗談を言っているのだと思った浩瀚の顔は、真剣な眼差しをに向けていた。

だが、すぐに気がついたように視線を逸らし、軽く体を反転させて言った。

「すまない。蘭陵王に怒られてしまうな」

「蘭陵王…に?」

「わたしを見た時、確かにそのように呟いた。似ていたのだろうか?」

「蘭陵王を?あ…ああ、そうか」

一人そう言ったは、浩瀚の顔を見ながら笑い始める。

「そうか…そうだよな」

訝しげにそれを見ていた浩瀚は、それでもの笑いが収まるのをじっと待っていた。

やがて笑いの収まったは、浩瀚に瞳を向ける。

「蘭陵王は左舞だ。中国北斉の王で蘭陵王長恭。戦の終わったとき、平和を寿いだと言われる舞が現在にまで伝わった。蘭陵王はとても綺麗な顔をしていたんだって。優しい顔だったとも聞いたかな。武将として、それではいけないだろう?だから恐ろしい面をつけ軍を指揮したそうだよ」

「蘭陵王とは…演目の一?」

「うん。舞楽の一だね。金色(こんじき)の面をつけて舞う。竜頭を頭上にして、緋房のついた金色の桴(ばち)を持ち、朱の袍に雲竜を表わした裲襠(りょうとう)装束をつけて舞う。壱越調 呂旋 蘭陵王。蝕に遇う前、俺が奏でていたものだ」

はそう言って、笑いを収めて言う。

「小乱声(こらんじょう)…龍笛の独奏から始まるんだ。その独奏中に舞人が登場する。この小乱声、拍子は龍笛の奏者に一任される」

舞人が登場、つまりは蘭陵王が登場する。

その重要な導入部分を、龍笛一人で作り上げねばならない。

面をつけた蘭陵王。

牟子(むし)に裲襠、袍に大口袴(おおぐちばかま)、指貫(さしぬき)と絲鞋(しかい)…

「だけど、その拍子から…どうしていいのか分からなかった。一番いい拍子を掴むことが出来ない。だから…苦手だったんだ。蘭陵王を吹くのが」

少し俯いて言う顔は、僅か朱に染む。

「その蘭陵王が面を取ったら、浩瀚のようなのだろうと…そう思った。どのように吹いていいのか分からずにいた。だけど…その…。浩瀚を見て、吹けると思った。蘭陵王の素顔に触れたような気がしたから」

「大きな勘違いをしていたようだ…それなら…」

浩瀚は自らに言い聞かせるように呟いて、に向き直り言った。

「一つ、頼まれてくれないか」

「頼み?俺に出来ることなら、何でも」

「では…」

ひそひそと小さく囁かれた頼みに、はしばし固まっていた。

だが、恩人の言うこともあり、その意図を理解せぬまま頷いた。



続く






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※補足です(←本編で説明しろよ!)

裲襠(りょうとう)は首からかける、前掛けのようなものです。いっちゃんゴージャス。

袍は後がびろ〜んと長い。闕腋なので、袴が見えるようになっております。

牟子(むし)は頭にかけるものです。

大口袴(おおぐちばかま)は用は袴ですね。紅地の唐織物で作るのだそうです。

一番下(裾)に紐を通して、ぎゅっと絞ったものが指貫(さしぬき)です。

絲鞋(しかい)は履き物ですね。底に羊の柔革を張った、絹糸で編まれた履き物です。

あぁ、長くてすみません☆

                                              美耶子