ドリーム小説
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榴醒の珠飾り =1=
その日、大気が揺れた。
風は木々をなぎ倒し、虚海の波が押し寄せる。
慶国虚海沿岸の人々は、高台に避難し、沈む里を眺めては嘆いた。
蝕はすべてを飲み込むかと思われた。
その蝕によって、一つの卵果が流され、一人の海客が訪れた。
「ん…」
は波が頬を打つ感触で目が覚めた。
自分の身に、何が起こったのかを振り返る。
高校三年生最後の夏休みに、友人達と海に来ていた。
その日はとても快晴で、波も静かな絶好の海水浴日和だった。
しかし、急転があった。
沖合いまで遠出をしていた所に、急に突風が吹いた。
ゴムボートに乗っていたはその突風で、友人達と引き離された。
引き離されて、必死に戻ろうとして夢中だった。
手で水を掻くが、一向に戻る気配を見せない。
やがて暗雲が立ち込めていたのに気がついた時には、すでに手遅れで、穏やかだった波は荒れ狂ったようにを襲った。
ひっくり返りそうになりながら、必死にゴムボートの紐を腕に絡ませる。
風と波に煽られてゴムボートはどんどん進んでいく。
それを止める術を持たないは、死を覚悟した。
なんて短い生だったのだろう。
そう思うと無性に悲しくなった。
そして高波にまれた直後、意識は消える。 「生きてる…」
ぎゅっと自分を抱きこむように確認した。
「生きてる。生きてる!」
嬉しくて涙が出た。
顔を覆うために腕を上げると、絡まった紐と供に、くたびれたゴムボートが着いて来た。
どれほど流されたのだろうか。
腕に絡まった紐を解き、辺りを見回す。
ボートで遠くに流されたのだろう。
なにしろここは、が見知っている風景ではないのだから。
は立ち上がり、自らが流されてきた海を見やる。
そしてギクリとした。
その海は澄んだ無色透明の海だった。
それも恐ろしく澄んだ色。
それは確実に日本でない事を示している。
こんな海をは知らない。
「一体、何処の国まで来たのかしら…」
急に怖くなって後ずさる。
ボートを引き摺ったまま、水着のまま歩き出す。
とにかく人を探さねばならない。
異国に流されたとしても、人に出会えば何処の国なのか判るだろう。
言葉の心配はあったが、日本語を話せる人が一人くらいはいるだろうと思っていた。
いずれにしろ、そんなに遠くはないはずだ。 小さな林が見えていたので、その中に入っていく。
林は鬱蒼としていて暗く、の不安を掻き立てる。
早く抜けなければいけない。
そんな思いが頭をもたげ、自然足は速くなるが、素足のには辛い道だった。
木の切れ間に差し掛かった頃、鳥の鳴く声に天を仰いだ。
茶色の巨大なものが目に映り、それが何か判らないまま直視していた。
それは角のある巨大な鳥だった。
「なに…あれ…」
見たこともないその鳥に、は絶句した。
鳥は地上に何かを見つけたのか、急降下してくる。
それが自分だと気付いた時には、もう目前に鳥が迫っていた。
とっさにゴムボートを被るようにして、体を屈めた。
鳥は足でを捕らえ、空高く舞い上がった。
ゴムボートに包まれたまま、随分距離を飛んでいたが、やがては下降を始める。
巣に運んでいたのだろうか。
このままではいけない、と思いながらも、空中で何かをする勇気もなく、ただ硬直したまま運ばれていた。
しかし、巣などに連れて行かれたら最後だと考え直す。
はゴムボートをかき分け顔を出してみる。
斑の見える胸が目に飛び込んできた。
鳥と向かい合っているためか、地上との距離がつかめない。
混乱しながらも、必死に考えを巡らせる。
しかし何も良い考えは浮かんできそうになかった。
混乱したままは鳥から逃げようと身をよじった。
それに気がついたのか、鳥の足に力が入る。
「うっ…」
苦しくなって、動くのを止めざるをえなかった。
動くのを止めたのにも関わらず、鳥は力を緩めない。
窒息に近い状態にあって、は急激に意識が遠のくのを感じ、生まれてこのかた、二度目の死を覚悟した。 揺ら揺らと漂う様な感じに目が覚め、は意識を覚醒させた。
鳥はまだ飛び続けている。
一体何処まで運ばれるのだろうか。
辺りを見渡せば、夜明けが近い事がわかった。
どれほど気を失っていたのか判らないが、まだ死んでいない事に安堵の息を漏らしたが、途方にくれたは、またしても混乱してくる自分を感じた。
この鳥から逃げなければ。
その思いだけが頭を支配した頃、鳥の威嚇するような鳴き声を聞いた。
首を捩って前方を見ると、同じ鳥が近付いてきた。
前方からきた鳥は、迷いもせずにを捕まえている鳥に体当たりをした。
衝撃を感じた次の瞬間、の体は宙に投げ出された。
悲鳴を上げる間もなく、落下が始まる。
両手に強い衝撃を感じ、手を見るとゴムボートが広がっていた。
上手く両腕にからみついたそれを見て、はとっさに足上げた。
両足になんとか紐を絡みつけ、空気の抵抗が少し減ったのを感じたが、もちろん落下は続いている。
ゴムボートから目を離し、下を見たの目前に木が出現し、ぶつかると思った時にはすでにぶつかっていた。
木の枝がクッションになり、は段階を踏んで地面に落ちた。
体中が痛んだが、奇跡的にも生きている。
動けるだろうかと、体を動かしてみるが、重くて思うように動かなかった。
しばらくじっとして回復を待ってみる事にした。
「どうしてこんな事に…」
涙が頬を伝い、泣き出しただったが、何かの動く気配に思わず声を潜めた。
林は危険だ。
頭になった警告に従い、体に鞭打って起こす。
その辺りに落ちている枝を拾い、それを杖に歩き出す。
巨大な鳥から助けてくれたゴムボートを腕に巻きつけ、そろそろと足を進める。
時間は掛かったが、なんとか林の終わりを見つけ、は急いでそこから出た。
林を抜けると小さな集落に突き当たった。
その風景には泣きたいくらい嬉しくなる。
やっと助かる。
そう思い、集落の方へと歩いていく。
土壁に瓦の家が立ち並んだその風景は、日本の田舎の風景そのものだった。
田圃には収穫を控えているだろう穂が青々と伸び、その中にいる人は着物のような物を来ている。
水着のまま声を掛けるのは忍びなかったが、他に着るものがなくては致し方ない。
「あ、あの…」
声に振り返った中年の男は、を見て小さく悲鳴を上げた。
水着に驚いたのだろうか。
傷だらけの体を見て驚いたのだろうか。
「あの、助けて下さい。そこで鳥に襲われて…」
は男に近付こうと田圃を入っていった。
すると男は大きな悲鳴をあげ、何やら理解できない言葉で逃げて行った。
「な、何…なんで逃げるのよ…」
男の悲鳴で数人の人間が集まってきた。
その人々を見て、はまたもやギクリとする。
髪や目の色が、あまりに色彩にとんでいたからだった。
農夫らしき格好に、緑や赤の髪が入り混じっていた。
それはひどく滑稽に見えたが、は笑えなかった。
その滑稽な人々は、手に農具を持ち構え、今にも攻撃するかのような態勢であったからだ。
表情も険しい。
それに何かを言っているのだが、さっぱり理解出来ない。
は肌で危険を感じ取り、とっさにゴムボートを前に出した。
盾のつもりで出したのだが、それが鉄の農具に敵うはずがない。
そう思ってボートを下ろしたが、人々の顔が恐怖に歪んでいるのを見た。
今しかない、と直感的に思い、訳もわからずその場を逃げ出した。
さっきとは違う林に飛び込み、必死に逃げる。
足の裏に痛みを感じたが、は止まらなかった。
ようやく痛みに立ち止まり、足の裏を見るとあちこちが切れて、血が噴出していた。
裸足で走ったため、小石で切ったのだろう。
「もう…最低」 は泣き出したい気持ちでそれを眺めていた。
足の疲れが限界に来たのか、木の根に躓き、坂道を転がり落ちた。
軽い衝撃があって、はそのまま意識を失う。 目が覚めると陥没した幹の中だった。
何かが巣にしていたのだろうか。
枯葉がしかれ、それが布団のようになっていた。
どれほど眠っていたのだろうか。
半日や一日ではないような気がしたが、それを図る術を持っていない。
体中の傷が瘡蓋になっているので、随分時間が経ったのだと思った。
幹から這い出て、辺りを見回す。
すでに方向感覚までも失われていた。
どうしていいのか判らず、その場にしゃがみ込むと、ガサガサと音がした。
音のする方に目を向けると、なにやら獣のような物が動いている。
は再び身を強張らせた。
恐怖で体が動かない。
硬直したの視界に、大きな赤い狼のような、巨大な獣が姿を現す。
その獰猛な目を直視して、知らず悲鳴を上げていた。
悲鳴と同時に体の硬直が解け、は再び走った。
後ろを振り返る事もせずに、ただひたすら走った。
新しい傷が足に出来るのを感じたが、気にしているような余裕はない。
獣が木にぶつかり、どんっ、どんっ、という音がする。
それがさらに恐怖を刺激する。
それでも必死に逃げていたの足は、ついには縺れて、体が宙を舞う。
体が転がりだし、嫌な衝撃音と供に止まった。
その衝撃で一瞬、呼吸が困難になった。
しばらく呻いてやっと呼吸が戻った。
呼吸が戻った所で、あたりを見回すと、先程の狼が頭上でを睨みつけていた。
恐怖で気が狂いそうだと思ったが、衝撃で体がいう事を聞かない。
どんなに鞭打ってみても、本当にこれが限界のようだった。
体中が痛くて、何処に怪我をしているのか、もう判らない程だった。
声を上げることも諦め、ただその時が来るのを待つしかない。
狼はに飛びかかろうと屈伸した。
獰猛な叫びと供に跳躍する狼を、は確認し、ぎゅっと目を閉じて衝撃を待つ。 しかし、いくら待っても衝撃は来ない。
恐る恐る目を開ければ、人の背中が見えた。
助かった…そう思ったは大きく息を吐いた。
振り返ったその人物は二十代半ばの男性で、手には血のついた剣を携えていた。
その男性はを確認すると、顔を赤らめ、はっとして剣を向けた。
その切っ先をの喉にあて、男はに問う。
「お前が人妖か?」
日本語だ、と喜びたかったが、剣を向けられては喜んでいる訳にはいかない。
「ち、違います!」
必死に答えるが、男は剣を引こうとしない。
「人を惑わすような格好をしているが、それでも違うと言うか」
「こ、これはただの水着です!海で泳いでいたんです。嵐のような物に巻き込まれて、ここに流れついたの!」
男性は剣を引き、血糊を祓って鞘に収める。
それを見て、はほっと息をつく。
「ミズギ?お前、海客か?何故こんな所に海客がいる」
「カイキャク?な、に、それ…」
「どこから来た」
「どこって…日本から。ねえ、ここは日本じゃないの?さっき会った人達は何を言っているのか判らなかった。でも、あなたは…日本語を喋れるのね」
「やはり海客か。日本ではそんな服があるんだな。男を惑わす人妖だと思った。すまなかった」
人妖とは何だろうか。
は次第に不安になっていく心を抑え、男を見上げた。
「とにかく、このままではいけない」
男はそう言って、に手を指し出した。
は男性の手をとり、立ち上がろうとした。
しかし、足の痛みでそれは出来なかった。
小さく悲鳴をあげ、体が倒れる。
それを支える手があった。
「あ、ありがとう」
見上げると男は顔を赤くして、決り悪そうな表情をしていた。
「い、いや。大丈夫か?」
男はそう言って、を丁寧に座らせた。
「足を切っているみたい」
そう言って、赤面している男に足の裏を見せる。
男は足を覗き込もうとしたが、それを躊躇し止めた。
「と、とにかく、これを」
そう言って、自分が着ている物を一枚脱ぎ、に差出した。
着物のようで、着物ではないそれに袖を通し、は水着の上から羽織った。
男は改めて足を見、布を千切って応急処置をした。
も始めてまじまじと傷を見た。
足の裏はズタズタで、いつ切ったのか、太ももにも大きな傷があった。
細かい傷が体中に出来ていたが、大きい傷だけを布であてた。
足は熱を持ったように熱く、靴もないは歩く事ができなかった。
「これではとても歩けないだろう」
そう言って背中を差し出す男に、は遠慮がちに負ぶさった。
「俺は桓タイと言う」
唐突に言われたは、かんたい、と連呼し、自らも名乗った。
負ぶさりながら、これまでの経緯を語る。
「なるほど…大変だったな。生きているのが、不思議な程だ」
そう言われて、収まっていた涙が再び溢れる。
温かい背中に安堵し、は急激に眩暈を感じた。
緊張の糸が切れた音を、聞いたような気がした。
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