ドリーム小説




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三夜


〜第一夜〜



雁州国の年号で言うところの大元十五年。

建国百二十年を迎えた年であった。


その日、は春官府で大宗伯(だいそうはく)と共に、資料の整理をしていた。

大宗伯が新しくなってすでに幾年かが経過していたが、今まで放置されていた書房は幾多にも及び、ここで整理をと相成った。

元々大司寇(だしこう)だった男を横目で見ながら、は資料を紐解いていく。

「大宗伯、これは春官府で預かるべき資料ではないようですが…」

「どれですか?」

覗き込む朱衡に、巻いてあった紙面を広げて見せる。

「治水の予算提案…大化五年…。随分と昔の資料ですね」

「ええ、靖州の治水に関してですわね…首都州と言えど、この頃は酷い状態だったのでしょうね」

「そうですね。治水はおろか、民が生き延びるのがやっと、と言う有様でしたから」

「大宗伯はやはりこの頃から玄英宮に?」

「はい」

柔和な微笑を湛えて、そう答える朱衡に、は尊敬の眼差しを向ける。

王に信の篤いこの人は、体の線も細く、少し頼りないような印象を受けた。

しかし、知識は深く、目は端々にまで行き届く。

誰もが見えていなかったようなことを、最初から見抜いており、それを言わずに静観しているのをよく見かけるので、それはどうかと思うこともあるが、それでもから見れば先を見越した行動がとれることは凄い事だった。


大宗伯に朱衡が就任した当初、はまだ下級官だった。

位で言うと下士。

それが何の間違いか、一年後には昇格し、下大夫にまで引き上げられた。

なんとか仕事を覚え込み、悲鳴を上げる頭を押さえ込んでいたある日、更なる昇格を言い渡され、眩暈(めまい)を起こしたのを、まだ昨日の事の様に覚えている。

現在、は卿の位。

大宗伯に次ぐ、小宗伯であった。









春官の長と次官が、資料の整理を始めて数刻。

一向に減らない紙の山を眺めて、は大きなため息を吐く。

「大宗伯、これは今日中には終わりませんわ。明日からは私が一人でやりますから、大宗伯はお戻りになってくださいまし」

「そうはいきませんよ」

「でも、お仕事がおありでしょう?」

「それはお互い様でしょう」

呆れたように言われ、は黙ってしまう。

「それとも、わたしと居るのは苦痛ですか?」

「とんでもない!そう言う意味では…」

「では、構いませんね」

再度、微笑んで作業に戻る。

極上の笑顔を向けられて、赤面したもまた、それを誤魔化す為に作業に戻って行った。

気を取り直し、左のほうに見えている、山のように詰まれた紙面に向かい、どうしようかと首を傾げる。

どこから取っても、崩れそうなその紙山を、ぐるりと回って場所を探していると、朱衡が真横に移動してきた。

「どうされたのですか?」

「あ…いえ。これをどこから取ればいいのかと思いまして…崩れそうな大丈夫そうな…」

「そうですね…まあ崩しても同じことですが…」

そう言いながら手を伸ばす朱衡は、突起のように出ていた一巻きの紙を引く。

「きゃあぁ!」

ものの見事に雪崩が起きて、瞬く間に二人は紙の中に呑まれていった。

いや、紙だけではない。

薄く削った木に書かれた巻物も多数あり、それらの紐が弾けて飛ぶような音も混じっている。

ガラガラと大きな音を立てて雪崩がおき、頭や手足にぶつかりながら崩れていくのが判ったが、紙とはいえ目を開けていられるほど穏やかでもなかった。

からん、と何かが落ちる音を最後に、雪崩は止まり、こんなにも重い山だったのかと実感しながら、は薄く目を開けた。

しかし、薄く開かれた目前には、朱衡の顔が大きく映し出されており、身動きの取れないは、その顔から目を逸らす事が出来なかった。

少しでも動けば、唇が触れてしまいそうな程至近距離になった朱衡を、目を見開いてただ見つめるばかりだった。

見つめるの目前で、堅く閉ざされていた朱衡の瞳が、ゆっくりと開かれる。

…」

少し苦しそうに言う朱衡を、は驚いて見る。

「だ、大丈夫ですか…?」

「わたしは大丈夫ですが…は大丈夫ですか?」

「私も大丈夫です。どこか打たれたのですか…?お顔が苦しそうですが…」

「いえ…それよりも、先にここから出なさい」

「そ、そう申されましても…」

足が紙の重みで動かない。目だけを動かしてみると、朱衡の両腕はの顔の横にある。

どうやら、紙の重みから守ってくれたようだった。

しかし、胴体が朱衡とぴったり張り付いて、動きが取れない。

密着していることを急に自覚して、頬を染めるだったが、何とかしなければならないと思い、必死に考える。

だが、冷静に何かを考えられる状況でもなく、時々頬にかかる朱衡の息がさらにそれを妨害する。

なんとか手足を動かしてみるが、少し力をかけたぐらいではビクともしない。

「だ、駄目です…動けません…」

動けばさらに崩れるだろう。これ以上密着すれば、心臓が破裂してしまう。

「それは、困りましたね」

そう言って笑う朱衡を、少し恨めしく思う。

自分だけが動揺している様が、何故か悔しい。

「でも…」

朱衡はそう言っての目を見る。

「あまりこのままでいると、責任もてませんよ」

「責任…ですか?」

「はい」

そう言って笑みを湛えた顔は、近すぎて眩しい。

「こんなにも朱唇皓歯(しゅしこうし)が間近にあるのですから…奪われてしまいそうですね」

は驚いて目を見開き、慌てて動き出す。

その動きにあわせて山が崩れ、新たにぶつかるような刺激を皮膚に感じたが、は気に留める余裕もなく、山から這うようにして出る。

その動きによって、二人はやっと紙に包まれていない空気を吸う事ができた。

しかし、新鮮なはずの空気は、塵(ちり)と埃(ほこり)が舞っていた。

赤面したまま、は窓を開けて、外の空気を入れる。

開放された手足を見ながら、は一人納得したように頷いた。

「あぁ、…それで…なるほど」

窓際から振り返ると、朱衡は官服についた埃を払っている。

「いくら外に出るためとは言え、少し酷いですわ」

「何がですか?」

さらりと返されて、は朱衡をねめつける。

「あ、あのような事を仰るから、心臓が破裂してしまうかと思いました…」

まだ軽く跳ねている胸元を押さえながらは言った。

「思ったことを素直に言っただけなのですが…お気に召しませんでしたか?」

「す…素直にって…」

朱衡はにこりと微笑んで言を繋ぐ。

「告白しますが、貴女にはいつだって目を奪われているのですよ」

微笑んだまま言う朱衡に、はしばし固まる。

「おや…やはりお気に召しませんか」

「う、う、奪われって…あ…の…目の事…だったんですね…」

てっきり唇の事を言っているのだと思っていた自分が、この上なく恥ずかしい。

容姿を褒めてくれただけだと言うのに、動揺してしまったのだ。

「だ、大宗伯は…お人が悪い…」

「それは異な事を。小心翼翼が心情ですのに」

小心翼翼(しょうしんよくよく)が聞いて呆れる、気が小さいとは一体どの辺りだろう、と思ったのは呑み込んで、胸の内にしまった。

何も言わず、そのまま作業へと戻り、散らばった山を紐解いて行く。

百年も二百年も放置されていた資料は、年代もまばらに散らばっている。

年代順に分けていくのも大変だというのに、その数は膨大に過ぎる。

ようやく年代順に並べ終わった頃には、すでに夜になっていた。

。少し休憩をいれましょう。まだまだかかりそうですから」

「ええ。終わりが見えないと言うのは、堪えるものですわね」

「そうでしょうか。わたしは楽しいですけどね。と作業が出来て」

またもやさらりと言われて、は動揺を隠すために慌ててその場を離れた。

「お茶でも…いれて参ります」

それを黙って見送りながら、朱衡は一人笑う。

一度は散乱し、今は再び積まれた資料を前に、ぽつりと呟いた。

「計算を誤りましたね…あれでは重くて何も出来ない。やはり紙だけにしておくべきでしたか…。しかしそれでは重さが足りないでしょうし…」

ふう、とため息を落とし、資料をひと睨みした頃、が戻って来る。

















「甘いものをおつけしました。お疲れでしょう?」

「ありがとうございます。気が利きますね」

そう言えば、は気恥ずかしそうに笑う。

「私も甘いものが欲しくなったのです」

「そうですか。はもう疲れましたか?」

「…少し。ですが、これを途中で止めてしまうと、次の日にまた一からになりかねませんし、ここは詰めてやってしまうのが良いでしょう」

「頼もしい。責任感があって大変良い心がけですね」

「いえ…そんな…大宗伯こそ、お疲れでしょう?」

少し褒めれば、すぐに照れるがかわいらしい。

ついつい苛めたくなるのは、仕方がないと言うもの。

が居てくれれば、それだけでわたしは疲れが吹き飛ぶようですよ」


朱衡がまだ言い終わらない内に、は真っ赤になって反論する。

「またそのような事を。もう、いい加減にして下さいませ!」

「何か気に障りましたか?」

「ご冗談を言って、私を惑わすのはお止めになって下さい」

「冗談ではないのですが」

「冗談でないのなら、何だと言うのですか」

「本気です」

朱衡の顔は相変わらず微笑を湛えていたが、は唖然としていた。

開いた口が塞がらない、というのをものの見事に表現していた。

「ほ…本気?…??」

「はい。夕刻に告白したではありませんか。貴女にはいつだって、目を奪われてしまうんです。離したくとも、目のほうが離れてくれないのだから始末が悪い」

「し…始末が悪いって…私が、悪いみたいではないですか…」

少し戸惑った様子のに、朱衡はくすりと笑い、傍まで近寄って来る。

「ようやく気がつきましたか?」

の顔をのぞきながら言う。

ただでさえ赤い顔が、さらに朱に染まる。

ついに耐えられなくなって後ろに引いて行くを、朱衡はじわじわと追い詰めて行く。

さらに後退するが、ついには肩が壁にあたり、は動きを止めた。

少し怯えた風の小宗伯に、相変わらず微笑したままの大宗伯。

この場の空気を、どうしたら良いのだろうかと、が考え始めた頃、朱衡の腕が伸びてきて、思わず目を閉じ、肩を竦める。















かたん、と音がして、一度閉ざしていた窓が開放され、はうっすらと目を開けた。

月の光に照らされて、明るくなった堂内が見え、まだ微笑んだままの朱衡が、目前に迫っている。

その腕は窓にかけられたまま、その瞳はを見下ろさず、空を仰いでいた。

「もうすぐ、満月ですね」

言われても空を仰ぐ。

ぽかりと浮かんだ月は、まだ少しだけ欠けていた。

ほどなく完全に満ちるのだろう。

後、二日もすれば。

「願をかけるのに、一番いい時期をご存知ですか?」

「願?いいえ」

「新月の頃にかけるのです」

「何故、新月なのですか?」

「新月は満月に向かって、徐々に満ちていくでしょう?願いが満ちて行くのだと言う事ですね」

へえ、と素直に感心して、は朱衡の両腕に挟まれたまま、月を眺めていた。

「空想的で素敵ですわね。大宗伯は何か願をかけた事がありますか?」

「ございますよ。男ばかりとでしたが」

「男の方ばかりで、ですか?」

「そうですね。男ばかり三人で。もちろん他のかたの願は存知あげませんし、私の願も申しておりません。まあ、大方の見当はつきますがね」
なおも月を眺めたまま、はくすくすと笑う。

「やはり大宗伯はお人が悪い。他のかたの願を判っていて、ご自分の願は隠されていたのですから」

「いえいえ。これに関してだけは、きっと判っていると思われますね」

それから、と朱衡は続ける。

「満月の翌日に、願をかけた三人で集まる事になっておりますし」

「集まって…と言うことは、願をかけられたのはつい最近でしょうか?集まるのは、願が成就したのかを聞くのですか?」

「ええ。そうなるでしょうね。元々は単純に飲む約束をしただけなのですが…御酒の力と言いましょうか…まあ、わたしはともかく、残り二名はそうでもしなければ、動けない様子でしたので」

「それで新月の願を?お二人の願が成就なさるといいですわね。あ、もちろん大宗伯の願もですわ」

月は蒼く、煌々としていた。

柔らかい月光を受けて、は自然とそう言っていた。

それがそのように持っていかれた流れとは気がつかずに。

「新月の願が成就するかは、次第なのですが」

「私、次第?」

月から朱衡に瞳を移したは、その表情が変わっていることに気がついた。

いつも柔和な笑みを湛えている朱衡ではなく、真剣な顔つきの朱衡。

その瞳は鋭利なまでにを貫いていた。

「だ…大宗伯?」

。わたしは貴女が好きですよ。新月に願をかけるほど」

「大宗伯の…願とは…私の事だったのですか?」


「もちろん。人の気持ちだけは、努力さえすれば答えてくれる、と言う物ではございませんからね。言ったでしょう?目のほうが離れてくれないのです。朱い唇に、いつでも引き寄せられそうなのを、どれほど我慢していると思っているのですか?」


「そ、そう申されましても…」

再び破裂してしまいそうな心音を聞きながら、は動揺した顔を朱衡に向けていた。

後ろから月が笑いかけているのを感じながら。

「ここまで言わせるのは、貴女のせいですよ。だから…これも貴女のせいですね」


そう言って朱衡はに唇を寄せる。


初めて触れる柔らかい唇を、朱衡はゆっくりと味わうように口付ける。


窓に置かれていた腕も、今は愛しい女の背に降りていた。


やがて顔が離れたのを感じたは、薄く目を開ける。


「甘いものをご馳走様でした。では、張り切ってお仕事に戻りましょうか」


そう言った朱衡に、は何も言わずに従う。


ただ月だけがもの言いたげに、窓からその風景を眺めていた。





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私は朱衡さんが好きなのでしょうか?

この方をリクエストで書いた事がまだないのですが…

でも、結構出てきやすいし、書いてて何やら楽しいような、楽しくないような?

何だそりゃ☆

                                        美耶子