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三夜物語り 〜第二夜〜
帷湍が太宰に就任して、数年が経過していた。
油断をすればすぐに逃げ出してしまう、王と宰輔を懲らしめようとして、現在の春官長、夏官長と共謀し、周辺を固めた。
さらには天官の端々にまで指示を出して、天官が使う夏官までもを味方につけ、目を光らせていたと言うのに…。
あえなく脱走を成功させてしまった。
それからも幾度となく脱出劇は繰り返され、その度に激怒を繰り返しては、玄英宮が揺れるほどの咆哮をする。
しかし、一向に治る気配はなく、今日もまた朝から姿が見えないまま、夕刻にさしかかろうとしていた。
「太宰」
呼ばれて振り返ると、女官が一人立っていた。
深く礼を取った女官は、ゆっくりと顔をあげ、帷湍に巻物を差し出した。
「ああ、か。これは?」
小宰のがそこには立っていた。
「以前、呟いておりましたのを…失礼かとは思ったのですが、聞こえてしまいまして…その…個人的に調べて、一覧を…」
帷湍が受け取ったのを確認して、は逃げるようにしてその場を去って行った。
が去った事には気が付かず、何なのだと思い巻物を紐解くと、そこには関弓の店名が連ねられていた。
どれもこれも、王の行きつけの店ばかり。
そして、何やら数字が書いてある。
「小宰、この数字はなんだ?」
と、声に出してみた所で、すでにはいない。
逃げるようにして帷湍の目前から消えていたのだから。
小宰になってもう随分と経つのに、いっかな帷湍に慣れる様子はない。
嫌われている訳でもないようだが、話しをしようとするとすぐに逃げてしまい、捕まえるために王宮を闊歩することもしばしばあった。
それを悪友達は面白がって笑うのだが、そんな事を気にしてられない。
避けられる理由を知りたかったし、何よりも逃げられては小宰に選挙した意味がない。
こうやって逃げられていては、肝心の事を聞き逃す事も多い事だし…。
帷湍はそう考えながら、を探すために天官正庁へと向かった。
庁内を探し回って、を見つけ、数字の意味を聞く。
「これは…、統計ですわ。いままでどの時期に、どの店に立ち寄ったのかを表すものです。絶対的なものではありませんから、小さく記載したのですけれど…やはり、無用の物でしたか…?」
「おお、なるほど!いや。これはかなり役にたちそうだ。さっそく今から使わせてもらう」
不安げに見上げていたは、表情を明るく改めて喜んだ。
「ありがとうございます」
「ああ、これも聞きたいのだった。この店は、関弓のどこにあるんだ?」
「これは外れのほうですわ。南東の外れで、近くに装飾等を置いている店があって、その並びに出店があるのです。その出店の対面のほうに…」
「南東の外れに?」
「は、はい」
「すまんが…案内を頼んでも良いか?」
「はい!」
「では早速頼む」
「い、今からですか?」
都合が悪いのだろうか?
しかし王の居場所を突き止めるのに、時間を選んでいては逃げられてしまう。
騎獣がそのままなので、関弓に居ることは間違いないのだから。
「今からだ」
「はい…かしこまりました」
の案内で宮城を後にする。
「閉まっていても、怒らないで下さいまし…」
「なんの。店は一つではないだろう?」
「それは…そうですが…」
関弓につくと、外はもう薄暗くなっており、町には明かりが燈されていた。
まずは南東に向かい目当ての店に出向くが、の想像通り、店はすでに閉まっていた。
巻物を見ながら、帷湍は次なる店を指示する。
今度は北西だった。
そこは開いてはいたが当てが外れて、次に向かうは南南西。
何の根拠を元に動いているのか、には知る由もなかったが、次第に足が疲れを訴え始めていた。
南南西の店にも居なかったので、次に向かう場所を決めるため、頭を捻っている太宰を見ながら、は足の痛みを堪えていた。
「次は…そうだな…」
そう言うと、帷湍は巻物をしまい、を見た。
「もう少し歩けるか?」
「え…はい。もちろんです」
気を使ったのか、そう聞く帷湍に、は慌てて答えた。
「こっちだ」
そう言って歩き出した帷湍に付き添って、やってきたのは一軒の舎館だった。
迷わず中に入っていく帷湍に、遅れながらもついていく。
これだけ迷わずに入っていくのを初めて見たは、ついに見つけたのだと思い、期待を胸に後に続く。
役に立てたことが嬉しくて、顔は自然と微笑んでいた。
帷湍はずんずんと中に進み、やがては一つの房室の前で立ち止まる。
扉を開けて中へ入っていくのを追って、も中へと入る。
しかし、そこに王の姿はなく、誰の人影もなかった。
「?」
不思議に思っていると、帷湍から座るように言われる。
素直にしたがって座ると、足を出すように言われ、は首を傾げつつも言われた通りにする。
「ああ、やはり豆が潰れているな。すまん」
そう言って帷湍は舎館の者を呼び、簡単に治療出来る物を運ばせた。
「た、太宰…手が汚れてしまいますわ。処置なら自分で出来ますから…」
「いいから。足の裏だぞ?自分ではやりにくいだろう」
「で、でも…気が咎めます…」
「まあ、気にするな。無理を言って付き合わせたのだし」
消毒液を綿に含ませ、足の傷に押し当てながら帷湍は言う。
「ですが…!い、痛い!」
「口を閉ざして我慢するんだな」
潰れた豆を、ぐりっと抉られたような痛みが走る。
「そんなわけに…うぅっ!」
半分涙目になりながら、何とか止めさせようとしたが、容赦なく治療は行われた。
終わる頃には、肩で息をするほどだったが、最後に柔らかく巻かれた布から手が離れると、痛みはすっと引いていくように感じる。
「まだ痛いか?」
「いえ…もう…ありがとうございます」
「なんのこれしき。しかし、あの莫迦者のおかげで、こんな目にあわせてしまったな。すまない」
「とんでもないことです…太宰のお役に立ちたかったのですが…結局お役に立てそうにありませんね…」
「いや、そんな事はないぞ。もう追い詰めたも同然だ」
そう言って笑う帷湍をは見ながら、気を使わせているなと感じる。
「あのような巻物がなければ…太宰が御自ら関弓に降りて来る事もなかったのです…私は、誰かに渡して活用して下さるものとばかり思っておりましたから…本当に…申し訳ございません」
「何故謝る?これは役に立っておるぞ。を引っ張りまわしたのは俺だからな。気にしなくていい。それよりも、豆が出来て足が痛いのを気がついてやれなくて、すまなかった」
頭を下げる帷湍に、は慌てて手を振った。
「頭など、お下げくださいますな…」
「では、も謝るな」
「いえ、それは…」
「ん?」
「分かりました…」
「よし。では、今日はここで休んで行くと良い。明日は休みにしておくから、歩けるようになったら、ゆっくりと帰ってくればいい」
「太宰は…もうお戻りですか?」
「…さて」
の問いに、何か考えるような仕草を見せた帷湍は、しばらく黙っていた。
「もしがよければ、一緒に夕餉でもとるか?」
「そんな…恐れ多い事です」
そう言えば、帷湍は大きくため息を付いて言う。
「しばらく仕事を忘れてみんか?帰って欲しくばすぐにでも帰る。許してくれるのなら、ここにいる」
そう言われて、答えられるはずがなかった。
しかし、迷ったあげくに、は思い切って声を出す。
「しょ、相伴は恐れ多いですが…も、もう少しだけ、お話させて頂いてもよろしゅうございますか…?その…お嫌でなければ…」
そう言うと、帷湍はにこりと笑って戻ってくる。そのまま夕餉を取る羽目になったが、一緒にと強く言われ、恐縮なしながらの夕餉と相成った。
「今の仕事は慣れたか?」
夕餉を取りながら帷湍から質問が飛ぶ。
仕事を忘れろと言っておいて、やはり仕事の話となってしまうのには、どちらも気がつかなかったが。
は元々王の寝所(せいしん)付近に配属されていた女御だった。
帷湍が天官長太宰の任についてから、宰輔の寝所へと移動をし、一年程仁重殿に詰めていたが、その後文官へと移動が決まる。
移動させたのはもちろん帷湍だった。
は終始何かに怯えているように見え、その為か、あの王と宰輔の周りを、がっちり固める事など出来そうになかった。
おとなしく、慎み深いと言えば聞こえは良いが、臆病ともとれる。
そんなを見かね、本人にとっても、心苦しい場所であろうと、実務から離れさせたのだった。
しかし事務的な職務に就いてはその才覚を見せ、気にとめていただけに、その延び具合は感嘆せざるを得ない。
幾多の行程を経て、現在は小宰にまで昇格。
その仕事ぶりは正確で見事だと聞いている。
そう、聞いているだけだった。
帷湍が見る限り、は相変わらず何かに怯えているし、はっきりとした発言もしない。
「はい。皆様に協力を頂いておりますので、それなりになんとか…」
「そうか。なら大丈夫だと思っていたが。よく頑張ったな」
「いえ…太宰のお力添えがあったからですわ…」
そう言って箸を置くを、帷湍は目を細めて見ていた。
まったくもって判らない。
小宰の任が嫌そうではないし、よくやっている。
しかし、は決して帷湍を見ない。
いつも顔は伏せがちで、声は途切れがちである。
何に怯えているのだと問えば、何にも、と返ってくる。
しかし、悪友の言を借りれば…
『それはきっと、帷湍が怖いんだろう』
『そうですね。いつも怒鳴っておりますから。萎縮されているのでしょう』
との事だった。
俺はそんなにも厳つい顔で怒っているのだろうか…?
そう思うと、すぐに口をついて出る言葉がある。
「。俺が怖いか?」
そう言われて、は弾かれた様に顔を上げ、帷湍を正面から見た。
驚いたことに、これだけ正面から顔を合わせるのは、今宵が初めてだったように思う。
「いつも、怒鳴っとるしな」
怒りに任せて卓子を叩く事もある。
以前、の控えるすぐ横でそれをやって、肩を竦ませるのを見てからは、極力控えているのだが…。
「いいえ…怖くなど…太宰は進取果敢であらせられますゆえ…ご気性でございましょう?天官とは…それぐらいでなければ、勤まらないものかもしれません」
「進取果敢とは…嬉しいことを言ってくれる。では、俺を怖がっているのではないのだな?政務に何か不安でもあるのか?」
「え…い、いえ…」
「慎み深いのは良い事だが、あまり内に溜めていると、体に良くないぞ」
「はい…」
そう言ったきり、口を閉ざしてしまったを、帷湍は黙って見ていた。
軽く溜息が口から漏れ、それを誤魔化す様にして窓際に移動をする。
窓を開ければ月が笑っている。
「俺は…小宰の気持ち一つ判ってやれないのだな…」
王を探して関弓まで降りてきた。
これは事実。
だが、こうやってを伴ってきたのは、話しをする機会を伺っていたのだ。
もう、ずっと以前から、こうゆう機会が欲しかった。
彼女の考えを知りたくて、何を考えているのかを聞きたくて、ずっともやもやとしていた。
いつしか小宰として以上の感情を抱いている事に気が付きはしたが、それをどうして良いのやら検討がつかぬ。
一人頭を抱えると言うのは性分ではないので、の好意を利用して、こうやって行動に移したのだが…
「はあ…」
またしても大きな息が口から漏れる。
これのどこが進取果敢なのだと、自嘲的な笑いさえ漏れそうだった。
真実、勇気があれば、新月に願などかけてはいまい。
帷湍のその様子を見て、は心を痛めた。
いつも自分のせいで気を使わせている。
自分が何も言えないばっかりに…しかし、簡単に言えようはずがなかった。
だが、これでは何も進展しない。
悪循環を繰り返すばかりだ。
「た…太宰」
思い切って、は帷湍を呼ぶ。
振り向いた帷湍の頭上に、励ますような月が見えていた。
「た、太宰が私の気持ちが判らないのは…私が…隠しているからです」
何故隠すのだ、と問いかけて、帷湍は慌てて声を呑む。
ここでそう言えば、きっとまた萎縮してしまうからと思ったのだった。
萎縮して、その口を閉ざしてしまう。
そこで、黙っての言葉を待つ事にした。
幸いにも、ここには逃げ場がないのだから。
「私は…太宰に嫌われたり、見捨てられたりするのが、怖いのでございます」
「見捨てる?俺が何故を見捨てるんだ?」
思わず声が口を突いて出た。
しまった、と思った時にはすでに遅し。
見る間に潤いを帯びてくる瞳があった。
「それは…その…私はいつも…はっきりと物事を言えませんし…その…」
大きな瞳に、涙を溜めながら言を繋ぐに、帷湍は驚いて近寄った。
「泣くな…その…怒ったりはしないから…見捨てもしないし、嫌ったりもしない」
泣かれると、どうしていいのか判らなくなり、戸惑ってしまうのを隠し切れない。
怒鳴るのは得意だが、女性に泣かれたとあっては対処のしようがない。
「は…い。申し訳…ございません」
すでに涙は溢れかえって、頬を伝いだしている。
しかし帷湍はそれをどうしていいのやら、まったく見当がつかず、ただ見ているだけに留まっていた。
「その…なんだ…。嫌われていると思ったのは、俺のほうだったんだが…」
は顔を上げて帷湍を見た。
その目は大きく開かれていて、目の端には月が映り込むほどだった。
「太宰を嫌うなど…とんでもないことです。逆ですわ…私は…私は、太宰をお慕いしております。失礼な事を言って、申し訳ございません…ですが…」
言い訳のように続けようとするを、帷湍の腕が浚う。
引き寄せられて、驚いたは言葉と涙を止めた。
「言いたいことを言えと、俺が言ったのだから、は何も謝る必要はない。それから、俺の言いたい事も聞いてもらえるか?」
腕の中に納まった、小さな頭がこくりと頷く。
「俺も同じ気持ちでいた。だから…気になってしょうがなかった」
「太宰…」
「気がついてやれなくて、すまん。だから、もう泣くな」
「はい」
寄り添う体をきつく抱きしめて、帷湍は窓に目を向ける。
失礼にも覗こうとしている月を見て、窓を閉めに立ち上がる。
まだ不安げな様子の小宰の許へと戻り、再び腕の中に閉じ込めた。
いい報告が出来そうだと、一人呟いた声は闇に呑まれる。
その夜、締め出された月は、不満げな光を放っていた。
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