ドリーム小説




Welcome to Adobe GoLive 5



三夜


〜第三夜〜





、ちょっといいか?」



「はい。どうかなさいましたか?」

対面するように並んだ机で、紙面に向かって筆を滑らせていたは、その手の動きを止めて、夏官長、大司馬成笙の元へと歩いていった。

今朝早くに太宰が小宰と共に、王を捕らえて戻ってきた。

関弓の舎館(やど)で捕まえたとの事だったが、何故居場所が判ったのかは謎だった。

太宰、小宰と揃っていた事に、何かを聞きかけた成笙だったが、王が戻って来た為、進んだ仕事のせいでそれを聞くに及ばず、自分自身も政務に追われる身となった。



先ほど成笙が呼んだは、大司馬に続く次官、小司馬を務める。

もちろん文官であったが、元々は地官の一(いち)。

帷湍の元にいた人物を、夏官に抜擢したのだった。


「これは一体どうすれば良いのだろう」


紙面を見ながら渋面(じゅうめん)を作る大司馬に、は真面目に指摘していく。

成笙は武官であったため、こういった事には疎い。

もしの存在がなければ、幾年も持もたなかっただろう。

前王の時代には禁軍に於いて左軍将軍を務め、現王に変わった後、王の身辺警護を勤め上げ、再び禁軍の将軍へと登りつめた。

決して位が欲しかった訳ではないが、悪友達と共謀して謀った計略上、大司馬になることになったのだが…。

慣れない政務に思わず溜息が漏れる。

「いつもにやってもらっているな…これではいかんとは思っているのだが…なかなか思うようにいかんな」

「元々文官ではないのですから、仕方がありませんわ。私が補佐する事でお役に立てるのなら、個人的には嬉しい事ですから、気になさらないで下さいまし」

「そう言ってもらえるとありがたい」

「いいえ。将軍でいらした成笙様も素敵でしたが、英詩颯爽(えいしさっそう)としていて、少し近寄り難かったのです。でも今、こうやって紙面を見ながら、頭を抱えられているお姿を拝見しておりますと、何やら微笑ましく感じますわ」

は頻繁に成笙を字で呼ぶ。

元々夏官ではないのだが、帷湍を介して話しをしていた頃には将軍であった。

初めの頃こそ、将軍と呼んでは走り寄っていたが、将軍も一人ではない。

付き合いが長いと言うのもあり、成笙も咎めるような事はしない。

ゆえに、大司馬と呼ばれるよりも、字を呼ばれる事が多かった。

それは成笙にとっては嬉しい事だったが、今言われた物言いはさして喜ばしくもない。

「それは…莫迦にされているのだろうか?」

「いいえ。おかわいらしいと褒めているのですわ」

「かわいい…と?。かわいいと言われて喜ぶ男が何処にいるんだ?」

「あら?嬉しくございませんか?」

「嬉しいはずないだろう!」

それはそれは、と笑っては一歩引いた。

引かずとも手を出すわけではないが、いつもこうやってやり込められるようで、成笙としては些か不満が残る。

「いつか…汚名を挽回してやるからな」

憮然として言う成笙を、はくすくす笑いながら返す。

「汚名は返上するものであって、挽回するものではございませんわ」

「あ…?」

少しだけ赤くなった成笙に、は笑いながら続ける。

「名誉挽回せずとも、何も落ちておりませぬ。大司馬は今も昔も、英詩颯爽としておいでですから」

優雅に微笑んだは、言葉を失った成笙をそのままに、自分の受け持つ紙面に目を通し始めた。

しかし、和んだ空気も束の間、目前に控える書面を片付けつつ、二人は無言のまま政務に勤しんだ。

時折、成笙はの手を止めさせたが、教えに来るに嫌がる様子はなく、確実にその量を減らしていった。
































やっと最後の一枚を終えた頃には、黄昏が降りていた。



「意外と早く終わりましたわね」

にこりと微笑みながら言うに、成笙は頷いて対岸を見る為に顔を上げる。

「ぷっ、…。せ、成笙様」

突然笑い出したに、成笙は首を傾げている。

何がそんなに可笑しいのかと目で訴えていたが、一通り笑い終えるまで待つ破目となった。

「お顔に…墨が」

は自分の右目の下を押さえ、それを横に引く。

思い当たった成笙は右手を裏返して見る。

すると、薄黒く墨が付着しており、それが顔についたのだと気がついた。

慌てて袖で拭っていると、笑い終えたがそれを制す。

「ご自分では取れませんわ。じっとして下さいまし」

そう言って成笙に近寄り、自分の袖を口に踏んだ後、成笙の顔に当てる。

軽く擦られるままに、成笙はじっと動かずに目を閉じていた。

すると、なにやら馨(かぐわ)しい芳香がする。







「天香国色(てんこうこくしょく)…」







成笙が呟いたので、の手が止まる。

手が止まったので薄く目を開けると、間近にの顔が映って再び成笙は固まった。

「と、取れたのか?」

「あ…い、いえ…も、もう少し…」

珍しくどもったは、袖を当てて作業を開始した。

しばらくすると、布の感触がなくなり、成笙は目をこじ開けた。

こじ開けなければ、溶けてしまいそうだったのだ。の香りに。

はすでに離れており、後ろを向いている為、その表情は伺えない。

自分の卓子に戻り、俯きながら片付けを始めるを見ながら、成笙は知らず声を出していた。

「早く終わった事だし、たまには飲みに行くか?」

「どちらにですか?」

俯いていた顔が上げられ、成笙を見る。

その表情に、別段変わった様子はなく、心中で胸を撫で下ろした。

「関弓…はもう遅いか。嫌でなければ俺の家でも。気を使うならここでもいいが」

「ここは…逆に何か気になって、仕事をしてしまいそうですから、お邪魔してもよろしゅうございますか?」

「もちろん。では、僭越ながらご招待いたす」

丁寧にそう言われ、はにこりと微笑んだ。





































成笙宅に場所を移し、酒杯が用意された庭院に通される。

すでに陽は落ち、明るい月が昇っていた。

「今宵の月は、いつもと違いますわね」

酒杯に酒を注ぎながら、はそう言った。

「違う?」

「ええ。先日までは何か、冴え冴えとしていたのですが、今宵の月は柔らかく感じますわ。満月だからでしょうか?」

「満月…」

そう言われて、成笙は後ろの空を仰ぐ。

満月のように見えるその月を、食い入るように眺め、欠けた部分を探す。

しかし何処にも欠けた所はなく、つるりと滑る様な月面があるだけだった。

ふと、二人の官吏が頭に浮かぶ。

「明日か…ふっ」

独り言のつもりで言った声に、答える者がいた。

「明日、何かございますか?」

「あ…いや。明日は悪友達と飲む約束があってな」

「くすっ、悪友だなんて。帷湍様と朱衡様でしょう?」

「まあ…そうとも言うな」

「また花を咲かせるのでしょう?主上と台輔の悪口に」

「悪口を言われる様な行いしかしない、あいつらが悪いんだ」

そう言って成笙は杯を煽る。

しかし、煽った先に月が顔を覗かせて、成笙は杯を置いた。

「いや…明日はその話にはならんだろうな」

「珍しいこと。では、どのようなお話をなさるのですか?」

「そうだな…月について、かな」

「月について、でございますか?」

は成笙の背後に見える、月に視線を移動する。

「風流でようございますね」

「風流ではないと思うが…」

「月について話すのでございましょう?風流ではないと申されますか?」

「まあ、そうだな。月といっても…いや、なんでもない」

「?」

首を傾げたに苦笑した顔を向け、成笙は空いた杯に酒を注ぐ。

「そもそも、風流など俺に合わんだろう」

「それは…多少意外な気は致しますが…でも…」

「でも?」

「いえ…何でもございませんわ」

「なんだ?最後まで言え」

「では成笙様も、先ほど呑み込まれた事を仰って下さいますか?」

そう言われた成笙は、真剣に考え込んでしまった。

正直に言ってしまうと、それはそれは恥ずかしい事となってしまう。

月に願をかけた、などと…言えようはずもなかった。

恐らく明日は、月の願が成就したのか、と言う話になるのではないか。











そもそも移動が決まった時、次官は女を任命しようと言い出しのは成笙だった。

次官を女にする事によって、見落としを避ける為だった。

だが、その影にの存在があった事は否めない。

もちろん、実務的にも協力が必要だったし、何よりも傍に居る事ができるのであれば、一石二鳥だった。

では若い官吏から、育てて伸ばすのがいいだろうと言ったのは、朱衡であった。

帷湍もそれに納得して、それぞれに時期は違ったものの、育てた人材を次官に据えている。

成笙の場合は育てられているような気がするが…











「その…」

成笙はの顔色を伺うように言い始める。

「なんだ…月に、願をかけてな…」

「願、ですか?お三人でですか?」

「そうだ」





ふと浮かぶ三人の顔。





は、月に向かって願をかける三人を想像すると、思わず噴出しそうになったが、言い辛くしていた成笙を思い出して、なんとかそれを堪えた。

…」

「え…は、はい」

「顔がにやけているぞ!」

「えぇ!そんな事は…」

「だから言うのが嫌だったんだ!」

「も、申し訳ございません」

慌てて謝るが、顔がにやけているのが自分でも判る。

「さ、の番だぞ」

むすっとした顔のまま言う成笙に、はぴたりと笑いを納めた。

「俺は恥ずかしいの押して言ったのだからな。だけ言わないというのは、許さないからな」

鋭く睨まれて、は小さく返事をした。

「はい…私は、さほど意外でもないと言いたかったのですわ」

「何がだ?」

「ですから、成笙様が風流な事を言うのが…政務終わりに仰った事を思えば、なるほどと…」

「何か言ったか?」

覚えていないのか、惚けているのか、どちらだろうと思いながらは顔色を伺った。

「仰いましたわ…誰を思ってか存じませんが…」

「誰を思って?何を言ったのだ?」

真に判らないと言った表情の成笙を、はまじまじと見つめ、ゆっくりと何を言ったのかを教える。

「天香国色と…」

「天香国色?あ、あぁ…声に出ていたのか…」

うっすらと赤くなった成笙の顔は、月明かりに助けられて変わらぬように見える。

「羨ましい限りですわ…」

少し寂しそうに言うに、成笙は訝しげな顔を向ける。

「羨ましいとは、誰の事を言っておるのだ?」

「それは私などには知る由もない事ですわ…ですが、お慕いしているのでしょう?それほどまでに…」

「お、お前なぁ…なんであの状況で、そう思うんだ?」

「何故と仰られましても…天下一の香りを持って、国中で一番鮮やかな色をお持ちの誰か…それでは、月も私も…敵いませんもの」

そう言った女の顔を、成笙は怒りの篭った目で見つめ返した。





















天下一の香り。

もちろん、そう思うのは成笙だけなのだろうが。

それが羨ましいと、は思う。

成笙だけがそう言ってくれたのなら、何も要らないと言うのに。

あんなにも間近に迫っていたと言うのに、当の本人は誰かを思い出している様子。

あれで心が傷つかぬ訳はなかったが、誘われてしまえば付いてきてしまう。

少しでも長く一緒に居たいと願った、哀れな恋心がそうさせたのだった。

しかし、それもすぐに終わりそうだ。

踏み込んではいけない所まで、は侵入してしまった。

成笙の心の中に、ずけずけと入っていってしまった。

睨まれ、その視線に耐え切れなくなったは、ついに目を逸らしてしまう。

「その…本当に…申し訳ございません…」

椅子から立ち上がる音がしたが、は動けずにいた。

「何に対して謝っているのだ?」

「不遠慮にも成笙様の心に進入し…あまつさえ、傷をつけてしまいました。どうぞ、ご容赦を…」



名を呼ばれたが、もう顔を上げる勇気がない。

いっそしおらしく泣いてしまえれば、許してもらえるだろうかと、が考えていると、後ろから成笙の腕が回ってくる。

「天香は…の香りだ。色はを彩る物のすべて。俺だけの物になればいいと、あの時思った」

驚いて顔を上げると、目前からいなくなった成笙の代わりに、正面の月が目に映り込む。

「月ではなく、俺を見てほしいんだが?」

そう言われて、は恐る恐る振り返る。

それによって成笙の腕は解かれたが、もはやそれどころではない。

見つめる先に成笙が居る。

こんなにも近くに存在する。

褐色の肌は闇に溶けて輪郭がぼやけている。

こぼれる歯と、見つめる瞳だけがただ白く、輝くようにを見つめていた。

「願をかけた。この月がまだ一筋も光っていないあの晩。俺の願いが満ちるようにと、への想いが、満ちていくようにと…」

「成笙…様…」

驚きと喜びで、の声は震える。

「地官の頃から、ずっと好きだった。その…風流かどうかは判らないが…こうしていても、香ってくる。の香りは俺にとって、天にも地にも、唯一つしかない尊い物だ。拙(つたな)い言葉で申し訳ないが…」

「拙いなど…これ以上に嬉しい言葉を聴いたのは、生まれて初めてでございます。私も、お慕い申しておりました。地官の頃より、ずっと…禁軍将軍と肩を並べる事など出来はしないと、何度も諦めたものです…それが夏官に移動を命ぜられ、お傍に仕える事になった時…どれほどの喜びであった事でしょう。ですが、それを超えるほどの喜びがあったなんて…私は…」

そこまで言って、は口を閉ざした。

今までにないほど間近に迫った成笙を見て、口と瞳を閉ざしたのだった。

もう何の言葉もいらないと、二人ともが思っていた。

肩に置かれた手に力が入り、引き寄せられ、口付けを受ける。

優しい光を放ち続ける月は、そっと二人を包み込んだ。





100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!





激しくイメージを壊された方がおられましたら、伏してお詫び申し上げます。

でも、なんとか三夜目を迎える事が出来てほっと安心です。

もう、夜も眠れずに書きましたよ〜(嘘)

                                   美耶子