ドリーム小説
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赤灑灑 =1= 戴極国は瑞州にあるこの国の首都、鴻基。
今そこは眩ゆいまでの光に溢れていた。
白圭宮の正殿には大勢の人集(ひとだか)りで、賓客も多く来訪している。
即位の儀が執り行われようとしていた。
鴻基に降り注ぐ陽はどこまでも明るく、白圭宮を大きく包み込むようだった。
誰もが新しい王を心より迎え、喜びに充ちた表情をしている。
はその中にあって、新しい冬官長大司空の背後に控えていた。
新王の麾下であった大司空は、まだ若い女性である。
尤も、それは外見だけの事で、実際の年齢は知るよしもない。
「が緊張する事はない」
なにやら固い表情でいるに、琅燦(ろうさん)はそう言って声をかけた。
大司空と初めて顔を合わせてまだ数日。
は冬官の一匠師であったが、外見の年が近いせいか頻繁に声をかけられる。
友と言うと恐れ多い事だが、気安く話しかけられ、よく気に止めてもらっていた。
「はい。でも…やはり緊張いたします」
「なんで?」
「あ…いえ…その…」
口の中でもごもごと呟くを、琅燦はしばらく黙って観察していた。
その視線を追って、なるほど、と呟く。
「賓客に問題があるわけだ」
「え!あ、あの…問題では…」
「緊張している理由は、氾王でしょう?」
言い当てられたは、ようやく賓客席から目を反らして琅燦を見た。
「匠の国の王だからね。それで気になっているんだね?」
は再び貴賓席に目を向けて言った。
「はい…。貴賓席に移動される前、ちらりと拝見いたしました。見事な加工の施された玉をお持ちでしたので、それが気になって…」
「そう。やはり範のものはいいからね。自国で玉が採れるなら、あそこには座っていないだろうね」
琅燦もまた、貴賓席に目を向けて言う。
「身近で見せて頂くことが出来たら、とても嬉しいのですが」
「そうだね。ばったり出会ってみる?」
「え?」
「迂闊に道に迷い、氾王と出くわしてしまった。これくらいなら失礼にはならないだろう」
「で、ですが…」
「ま、勇気がないならやめるんだね」
琅燦がそこまで言った時、段上に王と宰輔が現れた。
口を噤んでそちらに目をやる琅燦に習い、もまた口を閉ざした。
しかし、段上を見ながらもやはり貴賓席に目がいくのを、どうしても止める事が出来ないでいる。
ちらりと見ては目を反らす、そんな事を続けていた。
即位の儀が終わる頃には、目を動かしすぎたのか、少し気分が悪くなっていた。
あるいは、人の熱気に酔ったのかもしれない。
「、顔色が悪いね」
「いえ、そんなことは」
「匠師が集中できないとなると、質が落ちるからね。今日は帰って休みなさい」
「…はい。申し訳ございません」
いいよ、と笑って琅燦は冬官府へ戻っていった。
「はあ、本当に気持ちが悪い」
足取り重く歩いていると、目までもがまわってきた。
これは危ないと、目を閉じて少し進む。
もちろん、前方に人影はない。
いや、さっきまではなかったはずだ。
は目を閉じたまま何かとぶつかって後ろに倒れた。
何かと瞳を開けると、そこには氾王が立っている。
あまりの事に声が出ない。
「申し訳ない。わたしはきちんと前を見ていなかったようだね」
氾王から声が発せられて、ようやくは動くことが出来た。
脇に飛び退いて喉頭する。
「失礼を致しました!前を見ていなかったのはわたくしの方でございます。申し訳ございません!!」
「気にする事はないよ。迂闊にしていることは誰にでもあることだからね。顔を上げてくりゃれ」
許しの言に、の顔が上げられる。
その姿を垣間見てから、再度手をつき、叩頭しながら言った。
「ほんとうに失礼を致しました」
深く礼をして顔を上げると、立つように言われる。
緊張した面持ちのまま立ち上がると、直立不動の体勢に入った。
「おや、顔色がすぐれないようだね」
「あ…人の熱気にあたってしまったようなのです」
「そうか。自国の官なら帰って休むように言うのだけれど、ここはわたしの国ではないからねえ。…おや?」
は大司空から休みをいただいたのだと弁明しようとしたが、疑問を含んだ声に開きかけた口を止めた。
「その耳墜は範のものか」
頬に反射する桃の木を彫り込んだ玉の耳墜(みみかざり)。
その見事な装飾。まちがいなく範の工芸品であった。
「戴の即位の儀に、範のものが見られると嬉しいものだねえ」
「これは…この耳墜は、わたくしにとって特別なものなのです」
「それはますます嬉しいことだね。どう特別なのか教えてくりゃれ」
その問いに、は恥ずかし気に顔を伏せ、か細い声で言った。
「私が…冬官になろうと思ったきっかけの一品…いえ、逸品なのです」
前王がまだ登極したばかりの頃、はまだ市井の中にあり、街で生活していた。
鴻基の近辺街道を渡り歩き、行商を生業としていたのだ。
仕入れの為、時には遠く港の方まで足を伸ばした。
そんな時だった。
範から渡ってきた耳墜(みみかざり)と出会ったのは。
「どのようにして作られるかなど、今まで考えもしなかったのですが、この耳墜を手に取った時、わたくしは初めて疑問を抱いたのです」
それから様々なものを調べるようになった。
石を切り出すところから、玉を加工する過程を学び始めたは、その奥の深さに嵌っていった。
自ら加工する技術を学び始めてからは、あっと言う間に頭角を現し、国府に迎えられるようになった。
「ですが…今に至るも、このように見事な加工が、如何にして行われているのか、分からないままなのです」
「範にしかない技術が施されているからねえ、その耳墜には。それでわたしを見ていたのだね」
え、と小さく呟いたは、伏せていた顔を上げて氾王を見た。
「範の国主ゆえ、耳に煩わしいようであったら許してほしいのじゃが…。頻繁に目があったように思った。距離があったため、確実にとは言えないが、冬官であろうとは思っていた。その耳に光るものが範のもので有ることは、すぐに分かったよ」
「も…申し訳ございません!」
国賓に対して、失礼な事をしでかしてしまった。
は泣きたい気持ちで、再び顔を伏せた。
どのように弁明すれば良いのだろうかと思案を始めると、軽い笑い声が降り注ぐ。
「よい。気が付いたと言うことは、わたしも見ていたと言うことなのだから」
「で、ですが…」
「良いと申しておる。それよりもそなた、範の技術を学びたいのなら範国へ来られる気はあろうか」
「範へ…わたくしが、でしょうか」
「そう、学びたいと言うのなら、わたしが歓迎しよう。見たところ出来た官吏じゃと思う。それに範の技術を向上させてくれるに違いないと踏んだ」
「きょ…恐縮にございます」
「もちろん、大司空、並びに泰王がお許しになればの話じゃが」
はまるで夢を見ているような気分であった。
今すぐにでも大声で叫び、駆けだしたい心境だった。
しかし同時に足が震えて、その場に座り込んでしまいそうでもある。
畢竟動く事など出来ず、もちろん声を発する事も出来ず、ただ呆然と立ち竦んでいた。
「まあ、これが良い話しであるかどうかは、そなたの心一つじゃ。ゆるりと考えられよ」
優雅に立ち去る姿をただ呆然と眺め、長い間その場に立ち止まっていた。
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