ドリーム小説




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赤灑灑


=7=



その翌日の事である。

王から呼び出された

夜を待って自室を訪ねる。

王のほうから呼び出される事は、この数年なかった事だ。

ましてや重大な話があると言われてしまえば、緊張をするなと言う方が無理な話だった。























王の自室に着くと、敬茶がすでに用意されている。

進められるままに飲んでいたが、緊張した面持ちを隠せず、時折こめかみが動くのを感じていた。

しばらくを見つめるようにしていた王は、静かにその口を開いた。

「今日、雁から知らせが来てね」

ことりと置かれた茶杯。

のものだった。

「道具の依頼でしょうか。それとも呪具でしょうか?」

「どちらでもない。雁と戴は国交があったのかえ?」

突然戴の話が出て、少し眼を見開いた

しかしすぐに考えて言った。

「虚海を挟んでおりますが、一番近い国ですから、皆無ではなかったはずです。先王の時代にも、延王がおこしになっていたとは聞いておりますが…?」

「そうか。では慶とはどうじゃ?」

「慶?…さあ…慶と国交があったとは聞いておりません。少なくとも、私が戴にいた頃には。即位礼でも慶からは、どなたも来られてなかったと記憶しております」

尤も、即位礼で目に付いた賓客は藍滌のみ。

延王すら記憶にないのだから怪しいものだった。

しかし藍滌はそれに頷いて言った。

「雁から要請があった。泰麒を探すのだとか」

がたりと音を立てて、は立ち上がった。

「泰…麒…?泰台輔を探すのですか!?」

王が身罷ったと言った使者来てからしばらく、台輔の行方が知れないとの噂が流れてきた。

ただの噂だからと思っていたが、その後もやはり見かけないとの事だった。

王も宰輔もいないと言われていたが、やはり鳳は何も変事を鳴かない。

これが指すものを想像出来なかった。

「どうやら、謀反があったらしい。王宮内で鳴蝕があり、泰麒はそこから行方が知れないとの事じゃ。蓬莱か崑崙か、どちらかに流されておるのであろう」

目を見開いたまま、は脱力したようにして腰を下ろした。

「そんな事が…そんな事が戴で起きていたのですか…しかも何故今になってそれが分かったのですか?」

「詳しいことは分からぬ。ただ戴の瑞州師将軍が慶に庇護を求め、満身創痍で逃げてきたらしい。そこで事情が明るみに出た」

ふっと小さな息を吐いて、藍滌はさらに続ける。

「虚海を越える事が出来る者は限られておる。よって雁から各国に知らせが飛んだ。知らせを受けた時、偶然梨雪が居合わせた。今は梨雪が向かうことになっておる」

「台輔が…」

「そこで。ここは台輔だけに任せず、わたしも動こうと思うておる。わたしは雁へ行く前に、慶へ行ってこようと思う」

そう言うと懐から布を取りだした。

が渡した時よりも、数段良い布に変わっていたが、その中身が何であるかは話の流れによって分かった。

「これを戴の将軍に渡して来ようと思う。じゃがその前に、の許しを得ておきたい」

「私の許しなど…私はすでに戴の者ではありません。戴は知古が多く住む場所でございます。心配ではありますが、それは範にいる私に許可を取るようなものではございません。戴の民にお返し下さい。それが少しでも希望の光になるのなら…」

「そうか。ならそう言ってくれると思っていたよ。戴から来たものが、の眼に止まってわたしの許へと来た。そこへ戴の将軍の話。これは泰王が結びつけた縁(えにし)かもしれないねえ」

「ええ…きっと、…きっとそうですわ」

「しばらく宮城を空ける。必ず泰麒を見つけて戻ってこよう」

「主上…ありがとうございます」

翌日、旅立つ主従を見送りに出た

遠ざかっていく影を、いつまでも見送っていた。







































範の主従は長い間宮城を空けていた。

慶から雁に行くと言った藍滌を思い出しては、まだ戻らないのかと考える。

今はどちらにいるのだろうか。

大司空や他の六官長なら行方を知っているのだろうが、ただの一匠師であるが、その動向を知らされるわけもない。

戴の事も気がかりだったが、藍滌が無事でいるのだろうかと気になって仕方なかった。

泰麒は見つかったのだろうか。

藍滌は無事でいるのだろうか。

毎日同じ事を考えては深い溜息をつく。

そんな日々が続いていた。



冬官府を退出し、自宅へ戻ろうと歩いていたは、大司空に呼び止められて振り返った。

何事かと首を傾げながらも、大司空へ近寄っていく。

「主上がお戻りになったらしい。聞いたか?」

が近付くのを待たずして、大司空は大きめの声でそう言った。

「え?主上が?」

「そうだ。先程禁門に降り立ったと言うことだ」

「左様でございますか」

「作品が一つ出来上がっているだろう。主上にお見せしなければ、我々も見ることができないのだから、早く見せにいってほしいものだな」

恨めしげにそう言った、軽い大司空の口調に、微笑んで答える

「随分な長旅でございましたね。さぞお疲れでしょう。明日にでもお見せ致しとうございます」

今すぐに駆け出したい衝動を堪えながら、はそう言ってその場を後にした。

しかし自宅へ戻ってしばらく、落ち着きなくうろうろと歩き回るはめとなった。

ふと、自宅に持ち帰っていた作品の木箱が目に付く。

作品にはその時の思いを込めることが多い。

人物を思い描く事もあれば、ただの感情であることもある。

今回の作品は感情に由来する。

その秘められた想い。

が自らの殻を脱出するための物だった。

もう一度見ようと木箱に手をかけたその時。

自宅を訪ねてきた者によって、その動作は止まった。

何事かと入口に向かう

そこには女官が一人立っていた。

しかし見慣れぬ者である。

首を傾げたに、女官は用件を告げる。

「わたしは内殿に詰める天官でございます。主上の申しつけにより、こちらに参りました。もしお疲れでないのなら、慶での報告をしたいと主上が」

「え…」

「お疲れのようでしたら、明日でも構わないとのことです」

「い…いえ!すぐに伺います!」

慌てて中へ戻り、木箱を手にとって戻る。

女官の案内で内宮へと向かった。























「夜遅くにすまないね、

「いえ。それよりも主上、お疲れではないのですか?」

大丈夫だと言って微笑む藍滌に、は少し安堵して息を吐いた。

「おや、その木箱は…」

窓辺に立っていた藍滌は、そのまま卓子へ向かってに眼を向ける。

「あ…はい。新しい物が出来上がりましたから、見て頂こうと思いまして」

「そうか、では話が先か木箱が先か迷ってしまうのう」

「…どちらでも。…主上の思うようになさって下さいませ」

「どちらにしても、先に座りゃ」

「はい。では遠慮なく」

席に着くと、緊張が沸き上がってくるのを感じていた。

作品を見せる時に出てくる種類のものではない。

ここ数年でが呼び出される時、それは何らかの形で戴が関わっている。

特に今回は、泰麒捜索に出向いていたのだ。

瑞州師の将軍に帯飾りを渡しに、まずは慶へと向かった。

その後雁へと渡って泰麒の捜索が行われると聞いていたのだ。

範を出た時よりも、ずっと戴の事情が分かっている事だろう。

「では、報告からが良いか」

「は、はい!」

さらに緊張の走ったに、藍滌は微笑んで言う。

「結果から言えば、泰麒は見つかった。蓬莱に流されておったよ。胎果である延王が迎えに行き、病んではいたが戻ってきた」

「病んで…?」

頷いた藍滌は、慶でのあらましをに語る。

戴の現状を聞き、雁には渡らず慶で捜索が行われた事を知った。

七国が戴の為に動いたと聞き、それらの采配は景王が望んで延王に頼んだのだと知った。

泰麒の使令が病んで暴走し、その暴走によって泰麒は病んでいる。

だが、蓬山で汚れは取り払われ、それを見届けて帰ってきたと言って、藍滌は話を終えた。

「では劉将軍は…泰台輔と供に慶におられるのですね」

頷いて答えた藍滌は、そのままに問う。

「劉将軍とは?」

「面識はございません。元々承州師の将軍であらせられたとか。昇山の時に泰王と面識を持たれたとは聞きましたが…現在は王師の中将軍でありましょう?」

「現在は逆賊と汚名を被せられているとか」

「そうですか…劉将軍は、戴の大司空と違って、元から泰王の麾下と言うわけではなかったはずです。それが汚名を…気の毒な事です。それでは、私が範へ来てすぐにあの朝は崩壊してしまったのでございますね」

「やはり心残りかえ?」

「まったくそうではない、とは言い切れません」

「そうか…」

「ですが主上、私は…」

そう言っては木箱へ眼を移す。

それに気付いた王は木箱を引き寄せて紐に手をかけた。

しゅる、と音を立てて解かれる紫紐(しちゅう)。

中は白い綿が敷き詰められていた。

その中に真紅の玉が埋もれるようにして入っていた。

玉には装飾らしいものは何もなく、綿に紛れてしまいそうな純白の紐と繋がっているだけのものだった。

「赤灑灑(せきしゃしゃ)と名付けました」

「赤灑灑…なるほど」

その名の通り、ありのままの姿。

玉本来の美しさが、そのまま表現されている。

しかし純白の世界に紛れ込んだ真紅は、美しくもあり、同時に禍々しくもあった。

白い世界で流された多くの血。

戴の現状を表したものだろうか。

「赤灑灑(せきしゃしゃ)は私の心です。ありのままであるからこそ、その時の感情により、いかようにも見えましょう。雪の中に落とされたもの。それは悲しい血痕なのか、あるいは暖かい灯火なのか」

藍滌はじっとを見つめる。

しかしは自らの差し出した作品を眺めていた。

そのまま降りる沈黙。

やがてすっと立ち上がったのは王だった。

窓に近寄り戸を開け放つ。

秋の涼気が流れ込んで、の足元を通り過ぎていった。

「白秋となるか、錦秋となるか。そうゆう事だね。はどちらを過ごしたい」

「それはもちろん、寂しい秋など過ごしたくありません。彩りを望むものです。しかし…」

「祖国を思うと、それは許されぬと?」

窓に手をついて振り返った藍滌は、先程よりも遠くなったを見つめていた。

「それは…確かにそうなのかもしれません。しかしながら、私はもはや戴の民ではありません。戴のために、私が出来ることなど何一つないのです。そんな私が、戴を祖国と呼んでも良いものでしょうか」

は窓に立つ藍滌に眼を向けて言う。

「未だ戴を思うのは、戴が混迷の中にあるからです。何もなければ、範での暮らしが私の全てになっておりましょう。戴は私の生まれた国。思い出の多くが眠る国。ですがどれほど戴を思おうと、私が戴の事で動けることは、何一つございません。逆賊を打つことも、冬器を送る事も出来ないのです」

の戸籍は範にある。

冬器を送ってしまえば、それこそ干渉にあたるのではないか。

王ですら出来ない事を、が出来ようはずもない。

ましてや自らの行動によって、範の国主を危険にさらすことは出来ない。

いや、それだけは絶対にしたくなかった。

戴が良くなったと聞けば、嬉しいだろう。

逆に今のように荒れていると聞けば辛い。

だがが喜んだり、悲しんだりしたところで、戴に何かが起こるわけではない。

戴のために何か行動するのでなければ、何も変わりはしない。

だが何も出来ないのだ。

自らの願いのために。

「そう…私はとても身勝手なのです。何も出来ないのではなく、何もしないのです」

それは何故なのか。

は見え始めた自らの心に焦点を合わせる。

窓から離れた藍滌が近寄って来ている事も気が付かず、瞳を閉じて考えていた。

「私は…まだ範で学びたい事があるのです。それに何より…」

そこまで言ってしまってから、藍滌がすぐ側まで来ている事を知った。

思わず顔を伏せそうになったが、それをなんとか留まって藍滌を見上げる。

そのまま真摯な眼差しを向けて言った。

「主上のお側に…仕えていたいのです。主上を飾る物を、ずっと作っていたいのです。何故ならそれは…私が…私が主上をお慕いしているからです」

「知っていたよ、

驚いたは、それ以上眼を合わせていることが出来ず、思わず下を向くことによってやり過ごそうとした。

すでに悲壮感はなく、僅かに生まれた熱気がの頬を熱していく。



名を呼ばれても、赤くなっている顔を上げる事が出来ない。

俯いたまま小さく返事をすると、小さく笑った声が聞こえ、その直後顔は持ち上げられていた。

「かわいいことを言っておくれだね、。これでは帰りたいと泣かれても、を手放せなくなる」

すでに赤かった顔が、ますます朱色に染まっていく。

「それは…」

「わたしのほうこそ、側にいて欲しいと願っているのだよ。もう随分と前から。は一向に気付かないから、呆れたものだよ」

「それでは…私は少しでも、主上を飾る事が出来ましょうか…」

は飾りではない。これからも続くであろう、長い治世を彩るものの一つ。わたしのかけがえのない、大切な者の一人なのだよ」

「それは…?」

「わたしが望んだのだよ、

ふと、随分と前に同じ事を聞いた事を思い出した。

「これまでの過程は関係ない。ただ愛しいと思っておる。こんな時に言うべき事ではないのだろうが…」

「いいえ、主上…とても…嬉しく思います」

ふっと笑った藍滌の双眸は、瞬く間にの視界から消えた。

優しい口づけによって、が瞳を閉じたからだ。

優しく包む腕が、これ以上ないと言うほどの安堵感を運んでくる。

そのまま身を任せるように、胸元へ頭を預けると、頭を撫でる感触があった。

「主上…」

「辛い時にはわたしがついている。いつでもここに戻ってくるがよい」

そう言うと、藍滌はふっと笑って続ける。

「これだけのことを言うのに、七年も費やしてしまった」

は藍滌を見上げる。

優しい笑みが再び近付き、甘い時を二人に運ぶ。

秋の涼風も気にならないほどの温もりがを包み込んだ。








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