ドリーム小説




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赤灑灑


=6=



王が政務を執る場所に通された

そこには数名の官がいたが、すぐに人払いされて誰もいなくなった。

「主上、お見せしたいものが…」

そう言うとは王に近寄って、手に持っていた布を開く。

中からは切れた帯が出てきたが、王はそれに見覚えがあったのか、軽く眼を見開いて手を伸ばした。

「これは…」

「文州は琳宇の荷から出て来たものです」

「これは驍宗に送った物だよ、

「はい。さきほどそのように伺いました。文州琳宇なら函養山しかありません。琳宇で今、玉を産出しているのは、函養山だけなのです」

「この汚れているのは?」

「血…だと思います。背後から斬りつけられたのでしょう。他の冬官の意見もそのように一致いたしました」

「背後からとは…よほどのことがあったのか」

卓子の上に腕を組んだ藍滌は、しばらく沈黙を持ってから口を開く。

「分かった、凰で確認してみよう」

「あ…ありがとうございます!」



























その翌日のことだった。

は王に呼ばれて内殿へと向かう。

すでに陽は落ちており、他の冬官達は帰っていくような刻限である。

昨日の解答が出たのだと、緊張した面持ちで王の自室へと向かった。

中に入ると主の他は誰もおらず、は言われるまま椅子に腰を下ろす。

対面に座った主は、緊張を露わにしているに結果を告げた。

「凰への返事がない。王からも、国府からも」

「では…戴は…」

「分からぬ。まったく状況が見えぬ」

「そうですか…」

「じゃが鳳は未だ鳴いておらぬ。泰王に変事があったのは確かじゃが、身罷ったわけではない」

「はい」

は簡素な返事の後、黙りこくってしまった。

藍滌もまた、何も言わずにいる。

しばらくして、は悲しい笑みを浮かべて口を開く。

「私はすでに範の民になったつもりでおりました。いえ、今でもそう思っております。ですが生まれ育った国のこと、やはり気がかりなものですね…そう思うと主上に申し訳なく思います」

「わたしに遠慮することはない。こんな時に、範の民だと言ってくれるの心根が嬉しい」

「戴を心配する私が、範の民だと言ってもよろしいのでしょうか…」

「もちろん、それはわたしが望んだ事だからね」

「それは…」

「今回のことで、戴に戻りたいと思うのではないかと、少し心配しておった」

「…」

何も答えないに藍滌は立ち上がり、前まで来ると顔を覗き込んで問う。

「やはり、戻りたいかえ?」

「いいえ。あそこに私の居場所はありません。すでに戴の民ではないのですから。王が亡くなられたのでなければ、何も…心配することはないでしょう」

そう言って微笑むの顔は痛々しい。

藍滌はそれでも頷き、の頭を撫でる。

留めていた涙が、溢れ出すには充分だった。













































そして月日は流れ、いくつもの季節を数えた。

変わらず冬官に所属していたは、いくつもの作品を生みだし、作品が完成する度に、いつかの解答をと思うのだが、互いが思いを通わせる事はなかった。

時折入ってくる戴の噂が、それを邪魔していたのだ。

すでに戴からは石が届かなくなっていた。

国政がどうなっているのか、諸説はあるが、どれもはっきりしない。

加えて範は戴から遠い。

噂だと笑うには了知(りょうち)に足りず、真実だと捕らえるにはあまりにも文無(あやな)し。

戴の国府にあまりしつこく問う事は、干渉にあたるのではないかと言った事もあり、動向を気にかけつつも、静観するしかないと言った状況が続いた。

今にして思えば、紅杜鵑(こうとけん)、翠翹(すいぎょう)、紫綺(しき)を王に差し出したあの瞬間が、これまでで一番良い時だったのではないかとは感じている。

あの直後、何かが音を立てて割れてしまったのだ。

大きな音を立てて崩壊した何か、それに気付かぬようただ毎日を日課のように過ごしている。





























そして帯が届いて実に、五年が経過していた。

その日は作品を一つ完成させていた。

全体を眺めて確認し、出来栄えを眺めてしばし。

「うん、良い出来だわ」

かたりと取りだした木箱をそっと開け、こうして作品を入れるのは何度目だろうか。

王のために手がけたもの、賓客用に手がけたもの、数えればすでに五十近い作品を送り出している。

そして作品が出来あがるたびに、今と同じような心境になる。

この簡単には表現しきれない心。

先に進みたい気持ちと、その場に留まっていたい気持ち。

何故か自分でも分からない。

ただそれがある以上、断固として先に進むことは許されない気がしていた。

それが分かっているのか、王は以前と変わらぬ態度でに接していた。

時折慰めるように頭を撫でては、そっと肩を叩いてくれる。

そんな中でも小さな変化はある。

は内宮に入ることを許されていたし、取り次ぎをしなくとも王の自室を訪ねていける。

よって作品が仕上がるたび、王に見せに行くのが当たり前になっていた。


























出来上がった作品を携え、夜を待って王の自室を訪ねる。

日中の内は政務の妨げになってはいけないと、夜を選んでいたのだ。

王も嫌な顔一つしない。

それどころか、の作品を楽しみにしている様だった。

ゆえに王に見せない内は、決して他の者に作品を見せる事はない。

誰よりも一番に作品を見ることが出来るのは、呉藍滌ただ一人と言うことになる。

















王の自室につくと、外から声をかける。

中に入ると、くつろいだ様子の王が榻(ながいす)に腰掛けていた。

、良いものが出来たかえ」

「それを見て頂きたく思い、参じた次第でございます」

箱を差し出すと、一歩引いて控える。

箱を手に持った藍滌はそれに気が付き、榻に座るように言って紫紐(しちゅう)を解いた。

「これにも名前はあるのかえ?」

移動をしながらは答える。

「はい。青翰(せいかん)と名付けました」

「なるほど」

手にとって作品を見る藍滌。

それは装飾品ではなく、置物の一種のようだった。

青翰は船に乗った水鳥を、青い硝子で表現したものである。

玉は使われていないが、その光の屈折率は玉に見劣りしないほど素晴らしいものだった。

「先日良い玉が入ったのですが、一人の不注意で割れてしまいました。戴から玉が止まって久しい今となっては、貴重なものだったのですが…。しかしそれが私の創作意欲に触れたのです。玉や金銀に頼らずとも、範の技巧は素晴らしいものなのだと証明したかったのです。良いものを扱えば、良いものを作ることは容易です。ですが何もない所から、良いものを作り上げることが出来る。それが冬官と言うものではないでしょうか」

「その通りだよ、。現在はそなたが範の冬官を率いていると言っても過言ではなかろう」

「いいえ、それは力不足と言うもの。私にはまだ、学ばねばならない事が山積しております。それに器が足りません」

「そうは思わないがのう」

残念そうに言った藍滌に、は寂寥に染まった瞳を向けて言う。

「私は…」

「よい、それ以上は何も言わずとも分かっておる」

それ以上は、申してみよと言った所で、何も言うことは出来まい。

その心境を、が口に出せない事を藍滌は知っている。

出しようがないのだ。

自らの感情がどこにあるのか、は気が付いていない。

作品を作ることで没頭し、気を紛らわせているのかもしれない。

もちろんそれによって作品の質が落ちるわけではない。

技術は日々磨かれ、感性も研ぎ澄まされていく。

藍滌はに向き直ってその瞳を見つめる。

複雑な感情が見え隠れする瞳の中に、困ったような藍滌が映っていた。

が先に進めないのは、留まっていたいから。

本人は気付いていないが、先に進むのが恐いのだ。

未だ戴が心の中にある。

それは特殊な形として留まっている。

即位礼の時に戻って、その後何があったのか見届けたかった。

だが範に来たくなかったのかと問われれば、たちまち困り果ててしまうだろう。

は今、この国で地位を確立しようとしている。

仲間もいるし、やりたい事もある。

ゆえに、それ以上の幸せを望んではならないと感じているのだ。

戴の行方が掴めぬ限り、の心はそこから動くことが出来ない。

それなのに流れてくる戴の噂で良いものはまったくなかった。

たまらず手を伸ばす藍滌。

「申し訳ございません、主上…」

泣きそうになった頬に当てられた藍滌の手が、心地よく温もりを伝えている。

「割れた玉は元には戻らぬ。じゃが人の心は違う。の心なら、癒す事が出来よう」

そう言って藍滌はの頭を引き寄せる。

「主…上…」

小さく言われたの声に、藍滌の力が強まる。

ただなされるがまま、その胸元に顔を埋めていると、瞳を閉じて酔いそうになる。

しかし瞳を閉じると、荒廃した故国が脳裏に現れては消える。

そうなると、腕に力が入ってしまうのだ。

「主上…」

「…」

静かに涙を流す

これ以上は、まだ進めそうにないと悟り、そっと体を離した。

変わりに肩を叩いて、いつものように頭を撫でる。

夜の静けさは物悲しく、甘くなるはずの時はいつも消え去っていくのだった。



続く






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