ドリーム小説




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四季


〜春〜




関弓の大途に、麗かな春の陽気を受けて歩いている半獣がいた。

厳しい雁の冬が終わり、過ごしやすい季節になっている。

「気持ちいいなぁ」

ほたほたと軽やかな足音がふと止まった。

「鞦韆(しゅうせん)かぁ」

大きな桜の木から紐をぶら下げて、木の板に座りゆらゆらと揺れていたのは、花と同じ桜色の髪をした女性だった。

目を閉じてゆらゆらと揺れている。

その足は時折地を離れては戻ってきては、また離れるを繰り返す。

春らしいその景色に目を奪われていた鼠の半獣は、一瞬の間をおいて目を大きく見開いた。


どっしん!


大きな音を立てて落ちた女性は、何が起きたのかを理解できない様子で絶句している。

「大丈夫か?」

慌てて駆け寄って、手を差し伸べる。

「う、うん…」

落ちたのが恥ずかしいのか、顔を真っ赤に染めて手を取る女性。

鞦韆(しゅうせん)を見ると紐が切れていた。

地面から少し距離があったので、痛いだろうなと思ったのだが、恥ずかしいのが勝っているのか、落ちた当人は何も言わない。

「えっと…おいら、楽俊ってんだ。本当に大丈夫か?」

引き上げながらそう言うと、女性はますます頬を染めて言った。

「私……。大丈夫…」

「この鞦韆はずっと昔からあっただろうから、それで切れたんだな。重くて切れた訳じゃねえみたいだから気にするな」

「え…どうして昔からって知ってるの?」

まだうっすらと赤い顔をそのままに、は不思議そうに聞いた。

「どうしてって…紐や板の色を見れば分かるだろう?」

「そうなの?」

「ああ…知らなかったって事は、この辺りの人間じゃねえのかい?」

「え?え、ええ。もっと外れのほうに住んでいるの。買い物に来たのだけど…ちょっと乗ってみたくなっ…あ〜!」

「ど、どうしたんだ??」

叫んだは辺りを見渡し、落ちていた紙袋を見つけて駆け寄った。

「ああ、やっぱり…」

紙袋の中を覗き込んで、がっくりと肩を落としたに楽俊は歩み寄る。

「どうしたんだ?大丈夫か?」

「見て、これ…」

出された紙袋を覗き込むと、潰れた饅頭が目に入ってきた。

「こりゃあ…」

「せっかくここまで買いに来たのに…このお店、並ばないと買えないのに…」

「そっか…誰かに持って行くのか?」

「ううん。自分で食べるの…でも、楽しみにしてたのに」

半べその状態で、楽俊を見た

その瞳は髪と同じ桜色をしていた。綺麗な目だなと思いつつも、落ち込んでいるを励ますように楽俊は言う。

「ま、まあ、潰れてしまっても味はかわらねえさ。今ここで食べてしまいな」

「ここで?」

「時間がたつと油があちこちついて食べにくくなるし、味も変わっちまう。でも今すぐに食べるなら大丈夫だ。明日の分はなくなるけどな…」

かりこりと耳下を描きながらそう言う楽俊に、の表情は晴れていく。

「ありがとう。ねえ、一緒にどう?潰れた物でよかったら。一人では食べきれないし、このまま持って帰れないもの」

「じゃあ、ありがたく」

にこりと笑ったは座り込んだまま、紙袋を破いて中身をだす。

肉や野菜がはみ出ていたが、なんとかつかめる場所を探して口に入れる。

「やっぱり、おいしい」

楽俊にも差し出して、感想を待つ。

「本当だ。凄くおいしいな」

「でしょう?とっても長い行列が出来るのよ」

「長い行列…。ひょっとして、紋果楼ってとこか?」

口の中身を飲み込んでから、楽俊は言った。

「あら、知っているのね。有名だもんね」

「わりと近くに住んでいるからな」

「近くに?あの辺りはお店ばっかりよね?と言う事は…楽俊はどこかのお店の人?」

言い終わると、ぱくりと一つまみ口に運ぶ

「いや、大学の寮に住んでいるんだ」

「ん!ぐっ…けほっ、だ、大学生なの!?」

驚いた表情に苦笑しながら、まあな、と言う。

「ごめんなさい。子童かと…よく間違われない?」

「しょっちゅうだな」

ぽいっと口に放り込み、美味しそうに頬張る楽俊を見ながら、は申し分けなさそうな顔のまま、饅頭の残骸を食べる。

半分ほど咲いた桜の木の下で完食した二人は、お腹を抱えていた。

「食べすぎたわ…」

「さすがに苦しいな…」

「うん。とっても苦しい」

「食べる前に乗っていてよかったな、鞦韆に」

「どうして?」

「食べ終わってからじゃあ、余計に落ち込んでいたんじゃないか?」

食べてからでは強い確信を持って、重くて落ちたに違いないと思っただろう。

「あら?でも、食べてから乗っていたら、潰れて悲しい思いをしなかったんじゃないの?」

「全部を食べたのか?」

「あ…そうか…なるほど」

一人感心したように頷いて、にこりと笑った。

「楽俊は頭いいね。さすが大学生」

「こんな事で頭がいいとは言わねえよ」

呆れたように言う楽俊に、はくすりと笑って言った。

「だってそう思ったんだもの。頭いいのに、堅くなくて話やすい」

「そっか?」

「うん。ずっごく楽しい」

楽しいと言われると、何やら自分まで楽しい気分になったような気がした。

「ね、一週間後にまた来るから、今度は潰れていない饅頭を一緒に食べてくれる?あ、今度は人間の姿で来てよ。見てみたい」

「一週間後?いいけど、饅頭はもういらねえな…食べすぎたから」

「わかったわ。じゃあ一週間後ね!」

手を上げて駆けて行く桜色を見送って、楽俊は寮へと戻っていった。

































「お!いたいた。文張」

鳴賢が楽俊を見つけて駆け寄って来る。

「お前大丈夫か?」

「何がだ?」

「独り言だよ」

「は?」

「だから、独り言を大きく話していたって。大丈夫か?」

「何の話をしているんだ?」

「え…お前…本当に大丈夫か?寮の奴だけどさ、見たって言ってたぜ。お前が一人で木に向かって話をしていたって。楽しそうに笑ったりして、勉強のしすぎじゃねえのかって」

「一人で?」

「ああ。壊れた鞦韆を見ながら、座り込んで話をしてたって聞いたけど」

「何言ってんだ?いたぞ、ちゃんともう一人」

「え…でも…」

「桜色の髪の女の人。あ、目も髪と同じ色だった。紋果楼の饅頭を食べていたんだよ、一緒に」

「お、お、お、お前、それって…」

怯えたような顔をする鳴賢に、不思議そうな目を向けていた楽俊だったが、驚愕したまま何も言わなくなった鳴賢に、我慢が出来なくなって問う。

「なあ、何をそんなにびっくりしてるんだ?」

「し、知らねえのか!?」

「知らねえって、何が?」

「幽鬼だよ、それ」

「幽鬼?」

「春に出るんだ。関弓に。桜色の髪をしてるって言うぜ」

「はあ?なんだそれ」

呆れきった声で問いかえす楽俊に、まだ怯えたままの鳴賢は言う。

「なんだそれってお前…」

「そんなもの信じてるのか?人妖ってなら警戒するけどさ。幽鬼なんて存在しねえもんに怖がってどうすんだよ」

「そうはいってもな。有名な話なんだぜ?」

「おいらは知らねえ。第一昼間から現れるもんかい。一緒に饅頭食べたんだぜ?」

「幻だったとか…」

「幻じゃねえさ。現にまだ腹いっぱいだもんな」

お腹をさすりながら、楽俊は鳴賢を見る。

「で、でも…」

「なんだってそんなに幽鬼にしたいんだ?」

そう言うと鳴賢は困ったように頭に手を置いて、楽俊を見る。

しばらくしてから、迷うように語りだす。

「去年ここに居た奴がさ、それに会ったって言うんだよ。で、取り付かれたように浮かれてさ…その後大学を辞めてしまった。辞める時は憔悴しきってたって。仲のいい奴が聞いたら、昔からこの辺りにある、幽鬼が原因だって話だ」

それを聞いた楽俊は怖がる所か、声を上げて笑っていた。

「お、お前…」

「まあ、よくある話だな」

そう言って楽俊はその話しを終らせ、まだ釈然としないような鳴賢を残し、一人自室へと戻って行った。





















約束の一週間後。

楽俊は再び約束した場所へと向かっていた。

もちろん人間の姿になって。

自分が分かるだろうかと、約束の場所へ到着した楽俊は、壊れたままの鞦韆に目が止まった。

満開になっている桜の木へと進み、顎の下に手を当てて、何かを考え込むような体制になる。

「放置されたままなんだな」

そう一人呟いて、紐を調べ始めた。

「腐ってたんだな。こりゃあ切れるはずだ」

あたりを見回し、何かを探していた楽俊は、目的の物を見つけてそれを拾った。

丁度いい太さのつるをひっぱって、引き抜いた楽俊は、思い余ってしりもちをついた。

するとそこに笑い声が降ってくる。

くすくすと小さく笑う声に、楽俊は振り返った。

桜色の髪の女性が立っている。



「楽俊?」

驚いたような表情に変わり、桜色の瞳が軽く見開かれた。

「ああ。ご注文通り」

立ち上がりながら、両手を広げて見せる。

「驚いたわ」

「そうかい?」

「うん。想像よりもずっと親しみやすい」

「…。どんなのを想像していたんだ?」

「えっと…怒らないで聞いてくれる?」

伺うような表情で、桜色の瞳は楽俊を見上げた。

それに軽く頷くと、少し言いにくいと言った様子をそのままに、は告白する。

「もっとひょろひょろで、もっと背が低くて、それにもう少し、おじさんなのだと思っていたの。だ、だって大学生でしょう?若いと思わなかったの」

呆れた眼が桜色を見つめ、やがてその口はふっと解けた。

「なんだいそりゃあ」

「だ、だって私よりもずっと背が低かったから。子童じゃないって言うし…それに大学生でそんなに若い人を見た事がないし、頭のいい人って、なんか、その…痩せている印象があって。だから、そんな人を想像してて…ご、ごめんなさい!」

「痩せてってのは間違ってねえなあ。でも、そんなにひょろひょろかな…」

困ったような笑みを漏らし、自分の体を見下ろしながら言う楽俊に、はほっと安堵し、手に持っていた紙袋を差し出す。

「これで許して?」

「なんだ?また饅頭買ってきたのか?」

「ええ。だって、ここまで来て買わない手はないでしょう?それに、潰れていないのを一緒に食べたかったの」

「そっか…ありがとな」

「ううん。はい、これ」

は紙袋の中身を取り出しながら、そう言って楽俊に渡す。

人間になった手で持っても、その饅頭は大きい。

「これ…前の紙袋には何個入ってたんだ?」

「――つ…」

「え?」

「五つ…」

それだけあれば、お腹が痛いくらいに膨らんだのにも納得出来る。

よくも食べきったものだと、感心せずにはおれなかった。

木の根元に座り込んで、二人で饅頭を口に入れる。

噛むと肉の甘みが口中に広がり、皮と溶け合って蕩けていくようだった。

やはり潰れた物とは、格段に旨みが違うのだなと思いながら、口に運んでいた。

それに以前食べた物より、甘く感じる。潰れると甘みも逃げてしまうらしい。

「大学には楽俊と同じくらいの年齢の人って、いるの?」

饅頭を頬張りながら、はそう聞いてきた。

ふいに幽鬼だと言った学友を思い出す。

「ああ。おいらよりは年上だけど、比較的若い友達がいるな。今は二十六だけど、入学したのは十九だって話だぞ」

「十九!?へえ、十九で入学するって凄いんじゃない?」

「ああ。凄い事だな」

「でも楽俊も入学したんだよね」

「おいらは去年入ったばっかりだ。鳴賢のほうが凄いさ」

「それでも去年なのね。やっぱり頭がいいねえ。私なんかが話しかけちゃいけなかったのかも」

「何言ってんだ??」

驚いた顔の楽俊が桜色の瞳を見ていた。

「だって、大学を出たらすぐに国府へ登用されるでしょう?未来の国官様なんだから、私のような何の取り得もない人間が話しかけては、いけなかったのかも」「話しかけたのは、おいらからだぞ?それに、おいらはそんな大層な身分じゃねえさ。ただの半獣の学生だ」

そう言って楽俊は最後の一欠けらを口に放り込む。

飲み込むと立ち上がって、先ほど抜いたつるを引き寄せた。

それを木に放り投げて輪を作り、壊れたままの鞦韆に歩いて行く。

「直してくれるの?」

「…。そうだな…。が普通に口をきいてくれるなら直してもいい」

「き、きく!」

慌てて言ったに微笑みかけて、楽俊はつるを結んだ。

「もう一つ必要だよなぁ」

そう言った楽俊を見て、も同じようなつるを探し始めた。

「これ、大丈夫かしら?」

そう呟きながら、つるに手をかけ、引っ張ってみる。

「う…ん。あれ?う〜〜〜〜〜〜ん」

「どうした?」

「ぬ、抜けない、の!」

の掴んだつるに手をかけた楽俊は、一緒に引っ張り始めた。

ずる、っと音がしたかと思うと、すっぽ抜けるようにしてつるは引き抜かれた。

二人でどしん、と尻餅をついて、後ろに倒れる。

「ぷっ…」

思わず顔を見合わせた二人は、互いの間抜けな顔を見て笑いあった。

笑いながらつるを引き寄せて行くと、ごとん、と鈍い音がして、二人は笑いを引いて再び顔を見合わせる。

「何の音だ?」

楽俊は首を傾げながら、音のするほうに歩いて行った。

そして、その動きを止める。

「塚だ…なんだってこんなとこ…」

小さな梓に掘られた字を読んだ楽俊は、口を閉ざしてを振り返る。

「見られちゃったね…」

悲しげに微笑んだ顔は、楽俊を見つめて梓に近づく。

楽俊は信じられないといった様子をそのままに、鳴賢の話を思い出していた。

「まさか…幽鬼…」

知らず呟いていた言を、は訝しげに見る。

「幽鬼?」

「この辺りに出るって言う…おいら…先週ここで、一人で話していたって…一人で木に向かって話しを…ちゃんと人が居たって、その時は笑って返してやったんだけど、まさか…本当に?」

楽俊がそう言うと、桜色の瞳が瞬き、その口は薄く開かれた。

「それって、私が幽鬼って事?」

「…ち、違うのか?」

おずおずと聞くと、噴出したようにお腹をかかえて笑うの姿が、唖然とした楽俊の双眸を捕らえていた。

一通り笑い終わったは、笑いすぎでうっすらと浮かんだ涙を拭いながら塚に目を向ける。

「それ、私のお母さん」

「かあちゃん?」

「うん。私のお母さん、雁の人間じゃないの。荒民ってやつね。お父さんは雁国民なんだけどね。お父さんはね、前のお母さんと離婚したばっかりだったらしいの。私はまだ卵果で、生まれてもなかった。私を抱えて途方にくれたお父さんと、祖国から逃げてきて途方にくれたお母さん。出会ってすぐに恋に落ちたんだって」

はそう言ってちらりと楽俊を見た。

真面目に聞いている様子の楽俊は、すでに驚愕した様子も、怯える様子もなく、ただ静かにそれを聞いているように見える。

それを確認してか、は再び口を開いた。

「私がまだ小さい頃、お母さんの祖国に新王がたったの。お母さんは即位式を見に行きたいって言って、一度国に向かったらしいのね。それで、帰ってきた時には…酷い怪我をしていた」

「妖魔…か?」

楽俊の問いかけに頷いてからは立ち上がり、鞦韆に歩みよる。

「この鞦韆はね、私がまだ小さい時…お母さんとお父さんが二人で作ってくれたんだって。この木…お母さんが凄く好きだったこの木の下で、背を押してくれた手の感触だけを覚えているわ…。お母さんが死んでから、お母さんの字を貰ったの。お母さんもね、私と同じ目の色をしていたのよ」

ちぎれた鞦韆の紐を握って、は木を見上げた。

「ずっと乗っていなかったの。あのね、本当の塚は家の院子にあるの。でも、遺灰の一部を貰ってここに埋めたの。春にはここに来てね、報告をしていたのよ。私もお父さんも元気だよ〜って」

「そうか…すまねえ…早とちりしちまって」

「ううん。去年もそう言った人が居たわ。全然知らない人だったけれど、その人なんて、ずっと遠巻きに見ていたのよ。気味悪いと思っていたら、ある日突然指差して逃げて行っちゃった。幽鬼だぁ〜って言って。失礼だと思わない?」

それはひょっとして、鳴賢の言っていた学生の事ではなかろうか。

楽俊は宙を見ながら考えていたが、ふいにその視線を遮るものがあった。

ひらひらと舞い落ちる桜の花びらだ。

舞い落ちて来たのは丁度楽俊の顔の上で、片目を閉じてそれをやり過ごす。

方目を閉じたまま木のほうへと視線を流し、桜とを見ながら考えていた。

何故その学生が幽鬼だと思ったのかは分からないが、はちゃんと実在する。

春になると母に報告をしに、この懐かしい思い出の場所を尋ねて来るのだ。

それが幽鬼であろうはずがないと楽俊は思って、木からへと視線を移す。

しかし、楽俊の目にの姿はなく、きょろきょろを辺りを見回す。

「どうしたの?」

前方からかけられた声に、楽俊はさっきまでのいた場所へと視線を移す。

そこには先ほどと変わらず立っている、の姿があった。

おや?と思いながら、良く目を凝らして、ようやく楽俊は気がついた。

「何で幽鬼だと言われたのか、分かった」

は驚いて楽俊を見つめ、その答えを待っていた。

「多分、目の錯覚だ。おいら今、が見えなかった」

「私が?」

「うん。ふっと消えちまった」

「私、動いてないよ?」

「うん。おいらの目がおかしくなったんだ」

は楽俊に近づいて、漆黒の瞳を見上げた。

「おかしく…ないよ?」

「うん」

苦笑しながら、楽俊はきょろきょろと辺りを見回し、の右目に手を当てて言った。

空いた方の手で前方を指差し、に言う。

「左目だけであの実を見つめてみな」

空いた方の目を楽俊の指す方向に向けると、薄い緑の低木に成った、小さな赤い実が見える。

その横左には深い緑色の実があった。

まだ赤く染まる前なのだろう。

「ねえ、どっちを見ればいいの?」

「右側の赤い実」

「見たわ」

「そのままじっと見て…じっと…」

言われるままにじいっと見つめていると、ふいに視界の端から緑の実が消えた。

「え!えぇ!!消えたわ!」

「じゃあ、今度は逆」

楽俊の手がの右目から離れ、左に移動する。

今度は逆と言われて、は右目で緑の色を見た。

深い緑の横には、明るく赤が見えていて、今度は消える事などなさそうだった。

だが…。

「また消えたわ!!どうしよう、私、目がおかしくなっちゃった」

慌てて楽俊を振り返ったは、少し怯えて泣きそうな表情になっていた。

「おかしいことなんてねえさ。おいらがを見失ったのと同じ事さ」

そう言って楽俊は、桜の瞳を覆っていた、宙に浮いた手をひっこめる。

「ただの目の錯覚なんだ。一点に集中すると、そんな錯覚が起こる事がある。ひょっとしたら、と桜の花の色がそれを引き起こしたのかも。木の幹に紛れて、の髪の色と、花びらが混同したのかもしれねえけどな。たぶん遠くから見て、が分からなかったのも、色が同化して分からなかったんじゃねえかな」

それで幽鬼だと思ったのだろう。

変な伝説は本当にあったのかもしれないが、たまたま桜色の髪を持つが、偶然にも桜の咲く頃やってくる。

薄く笑った楽俊は、つるを放り投げて木に通す。

「何にしろそいつは、穴の開くほどを見つめていたんだろうさ」

勘違いされたほうはいい迷惑だろうが。

そう思いながら、鞦韆の修理をしていた。

それを見ながらは首を傾げる。

「最初から幽鬼だと思って見ていたのかしら…」

つるを結んでいた手が止まり、を振り返った。

「いや…たぶん違うと思うな…」

「じゃあ、どうして?誰かに似ていたのかしら?」

再び修理に戻った楽俊は、手を動かしながら後ろのに言った。

「それも違うと思うけどなぁ」

「じゃあ…?」

「出来た!」

立ち上がった楽俊はを振り返り、鞦韆をつるごと持ち上げた。

「これで乗っても大丈夫だ」

「本当?」

嬉しそうだが、同時に不安そうな色を覗かせたは、鞦韆の台座に目を向けていた。

「乗ってみな」

「う、うん…」

は恐る恐る腰を下ろしが、足を上げて体重を預けるのを躊躇っていた。

それを見ていた楽俊は、の背を軽く押す。

「わ、わわ!」

鞦韆が軽く揺れて、滑らかな動きで戻ってくる。

「わぁ…凄い!」

完全に体重を預けたは、しばらく揺れて足をついた。

「ありがとう」

満面の笑みを浮かべて、楽俊に礼を言う。

その笑顔が視界に飛び込んできた楽俊は、薄く頬を染めていた。

「きっと…だから見ていたんだ」

「え?何?」

問う返されて、やや戸惑っていた楽俊は小さく言う。

「前に幽鬼って言われたって、去年の話だろ?」

「うん。どうして分かったの?」

「ちょっとな。きっと、が綺麗だったんで、じっと遠くから見ていたんだと思う。きっと見ている間に恋をして、目の錯覚で幽鬼だと思って、一人で失恋したんじゃねえかな」

「そんな…何も言ってくれないのに、失恋も何もないじゃない。そんなの…」

「まあ、いい迷惑だろうけどな」

「迷惑って思うほども知らないから、何とも言えないけど…でも、楽俊は声をかけてくれたよね?鞦韆から落ちたから?」

「う〜ん…まあ、それもあるけどな…春らしいなぁと思って。木漏れ日の中で揺れる鞦韆と、鞦韆に乗って遊ぶ桜を見ていた」

は見上げた楽俊から視線を逸らし、俯いて聞いた。

「楽俊も…その…綺麗だと思った」

少し間があってから、返答がある。

「思った」

思ったと返ってきて、は俯いたまま笑った。

恥ずかしくて顔を上げる事はできなかったが、再び足に力を入れて鞦韆を揺らす。

「楽俊にそう言って貰うと、嬉しい」

木漏れ日がの桜色の髪を撫でて、はらりと散る花びらはに到達すると、溶けてなくなるようだった。

「ねえ、楽俊」

はそう言って鞦韆を止めた。

「大学のお友達に会わせてくれない?私は幽鬼なんかじゃないって、言ってやらなきゃ」

丁度がそう言い終わった所に、楽俊を呼ぶ声がする。

「お〜い、文張〜!新しい事が分かったぜ!」

走りよってきた鳴賢は、鞦韆に座っていたを見て、ぎょっとしていた。

「噂のご学友殿」

困ったように頭を掻いた楽俊は、を見ながらそう言った。

「まあ」

と言って鳴賢の顔を眺めていたは、鞦韆から立ち上がった。

「私が幽鬼ですって?だったら戸籍のある幽鬼だわ」

固まった鳴賢は視線だけを楽俊に向け、助けを求めていた。

「実在しただろう?」

そう言う楽俊に、鳴賢は無言で頷いた。

だが、しばらくして口を開く。

「実は、幽鬼の特徴を聞いたんだ。幽鬼は桜色の髪で、妙齢なんだってさ」

気まずそうに言う名賢を、二人は呆れたような顔で見ていた。

「私が妙齢に見える?」

「い、いや…」

困って後ずさる鳴賢に、楽俊は問いかける。

「その幽鬼の話って、いつからあるんだ?」

「わりと近年の話みたいだぜ。春に出てくるって。黄昏がおりる頃、この鞦韆の下に現れるって…で、でも、気のせいだよな」

そうだと重なる二人の声に、少し小さくなった鳴賢は謝るようにして頭を下げる。

「お詫びに夕飯でもおごるよ…」

脱力したような声に笑って、鳴賢の行きつけの店に向かうため、三人はその場を離れて行く。

時刻は丁度黄昏。

鳴賢の言った、妙齢の幽鬼が出現する時間だった。

誰も居なくなった桜の木の下で、風もないのに鞦韆が揺れる。

楽俊との立っていた場所に、霞がかった桜色の幻が現れ、笑みを湛えていた。

娘の始まったばかりの恋を確認したのか、その幻は音もなく消え、後には舞い落ちる桜だけが残った。








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※参照して下さい。

鞦韆(しゅうせん)=ぶらんこです

前後編に分かれていたものを、一つに纏めてみました〜!

                                   美耶子