ドリーム小説
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四季絵巻 〜冬〜
その夜中、は地響きのような物音に目を覚ました。
「な、に…?」
かたかたと振動がしており、徐々にそれが大きくなっているようだった。
「」
同じように起き出した母の声が暗闇から聞こえ、は明かりをつける。
「地震?」
はそう言ったが、地震とは少し違うような気がする。
「蝕?」
蝕を見た事はなかったから、それも分からないが、何か良くない事が起きようとしている事だけは分かった。
は窓際に駆け寄り、窓を開けて外を見た。
明らかに大きくなった地響きの音がする。
「何?この音」
「!」
後ろからがしっと腕を掴まれて、は振り返る。
焦ったような母の顔がそこにはあった。
「すぐに服を着な」
褞袍をに放り投げて、同じものに袖を通す母をは不安げに見ていた。
「さ、早く!」
外に出ようとしている母に駆け寄る。
外にはすでに数名の人が居た。
「どっちだい!?」
「北西の山だ!南に逃げろ!」
言われるまま逃げ出して、何が起きているのかを理解した。
雪崩だ。
北西の山。
赤い実を捜していた、あの山が雪崩を起こしている。
逃げる人々は、雪崩だ、逃げろと言いながら、南に走っていく。
も声の限り叫んで、警告を発す。
真っ直ぐに南に駆け出した一団は、突然その足を止めた。
目前にが昼間見た物と、同じ妖魔が立ちふさがっている。
恐怖に歪む人々の前で馬腹は跳躍し、軽々と先頭にいた男に手をかけた。
悲鳴が上がり血は舞うが、雪崩は収まってくれない。
騒然となったその場を後に、母と手を取り合って南を目指す。
標的は多く、馬腹が他の人間に気をとられている間に、駆け出すことが出来たのは数名しかいなかった。
「!もう間に合わない!あそこに上るんだ」
民居の甍宇(やね)を指し、梯子を手繰り寄せた。
先に登らされたは、後から登る母を引き上げる。
下にはまだ逃げ惑う人々と、追いかける馬腹の姿が見えている。
すでに雪崩の音は悲鳴をも飲み込むほど迫っており、それと同時に馬腹の太い爪も迫っていた。
ふいに握っていた手が外れて、は母の姿を探す。
しかしは母ではなく、北西の山からすでに姿を現した雪崩を見つけた。
ふいに後ろから捕まえられるようにして、母はにしがみ付いてくる。
口元を母の手が塞いでいる。
声を上げられないまま、大きな振動が後ろからかかり、はそのまま甍宇の上に倒れこむ。
すぐ横に馬腹の足が見えていた。
馬腹はそのまま跳躍し、すぐに消えていく。
振り返ろうとしたの体を、大きな力が浚っていき、馬腹が目前から消えた理由を知った。
危険を察知して、逃げたのだろう。
族里に雪崩が到達してしまった。すべてを呑みこむ程の雪崩は、薄れるの視界にそれでも鮮明に惨状を映していた。
もう、何も残らないかのように思えた。
驍宗は夜中にふと目が覚めた。
何やら胸騒ぎがして、起き上がって耳を澄ます。
しかし、下界で起きている音など聞こえるはずもなく、ただ静夜が広がるばかり。
「…」
窓を開けると冷気が流れ込み、東はまだ暗い闇の中だった。
しばし固まったように闇を見つめていた驍宗は、やはり騒ぐような感じを抑えきれず、着替えを済まして出かけて行った。
計都を駆っての族里へと向かう頃には、うす白くなり始めた東の空が目に入る。
族里のある場所に辿り着いた驍宗は、一瞬迷ったのかと思った。
しかし、目印になっている山を見て、位置的に間違いはないと判断し、何がおきたのかを知る。
族里のあったその場所には、何一つない更地のようであった。
新雪の降り積もった、少し高くなった丘のように見える。
民居の一つも見えていない。
すぐにでもを探しに行きたい衝動を抑え、驍宗は急いで鴻基へと駆け戻る。
禁軍に指示を出し、救済に向かった。
総勢二千名で捜索に辺り、雪の中から一人、二人と救出していく。
凍ってしまって手遅れの者や、妖魔に襲われたのか血を流して事切れている者が殆どで、どれほどの惨状であったのかを容易に知ることが出来た。
兵士と同じように雪を掻き分け、人らしき者が出てくる度に確認していったが、の姿は一向に現れなかい。
やがて夜は明け、朝日がさし出す。
前日とは比較にならない程の陽気に、雪は少しずつ解けていく。
異常な天候ではあったが、今の驍宗にとってはありがたい事だった。
昼にさしかかろうとした頃、すでに雪の中から出てきた者は、百名を超えようとしていた。
しかし、生きている者は、わずか五名しかいない。
焦る気持ちだけが救済する人々の心に広がり、その手を早めていた。
一刻も早く雪の中から出さなければ、それだけ命は奪われていく。
雪を掻き分け、倒壊した民居の梁を押しやっていた驍宗は、細い腕を発見する。
急いで雪を退けて、中の人物を確認する。
「う…」
若い女性だった。
なんとか生きている。
しかし、ではなかった。
それでも驍宗は女を拾い上げて、瘍医の許へと連れて行く。
「将軍!」
瘍医に後を任せ、再び雪の中へと戻っていた驍宗は、かけられた声のほうに進んだ。
何度かこの族里に来たことのある、左軍の伍長だった。
「この方はひょっとして…」
伍長の足元にいる人物は、すでに事切れていた。
うつ伏せであったが、首を後ろに捻って、必死の形相のまま凍りついている。
体の半分はまだ埋没したままで、赤くなった背と、振り向いた顔だけが無残な姿を見せていた。
それはの母であった。
この伍長は知っていたのだ。
驍宗がと言う娘の所に、出入りしていたのを何度か見ていた。
珍しい事もあるもんだと、自然目に付いたのだった。
ゆえに馴染みである事を知っていた。
何度か来ているので、その母も何度か顔を見ている。
「太い爪跡が残っております。この方はもう…」
背に深い傷がある。
血はすでに凍っていて、流れてはいなかった。
に一番近くいた人物が、妖魔に襲われて死んでいる。
これは、の存命の可能性を残酷なまでに否定していた。
「はっ…将軍。この人…」
伍長はそう言って雪を掻き分け始めた。
母の体を雪の中から出そうとしていた。
その先…腕の先に何かが見える。
埋もれていた初老の女は、腕に何かを抱いていた。
まるで守るようにして。
息を飲み込んで、驍宗は伍長と一緒になって雪を掻き分ける。
やがて肩らしき部分が見え始め、徐々に人である事が分かる。
紛れもなく、の体である事はすぐに分かった。
雪の中からを救い上げると、凍っていたはずの母の手がするりと抜ける。
驍宗は自らの手中にを抱きしめて軽く揺する。
「、!」
しかしなされるがままの状態でしかなく、その唇は動かない。
目も堅く閉じられたままだった。
驍宗はその首元に手を当てる。
微弱ながらに動いているような気がした。
すぐさま瘍医の許へと運んで、診てもらうと、生きていると返事があった。
瘍医に任せて探索に戻ろうとした驍宗を、さきほどの伍長が止める。
「恐れ多くも将軍。もう、殆どの者が発見されております。どうか、その方のお傍に居てあげてください。―――きっと怖い思いをしたでしょうから、目を覚ました時に一人では心細いですよ」
そう言って伍長は戻って行く。
驍宗は瘍医の許へと戻り、の様子を聞く。
「まだ何とも…」
「そうか…」
「先ほど連れて来られた方は、大丈夫そうですよ」
何とか安心させようとしたのだろうか、瘍医はそう言って新たに運び込まれた男に向かって行った。
氷のように冷たい、辛うじて生きているその手を握って驍宗は座った。
黄昏が降りようとした頃、ようやくすべての救済が終った。
その結果、殆どの者が命を落としていた。
生き残った者はを含めて、僅か二十三名。
その二十三名ですら、殆どが重傷を負って衰弱している。
意識のある者は、僅かに一名―――驍宗が拾い上げた女だけだった。
全員を鴻基に運び、そこで治療をする事となった。
七台の荷馬車が用意され、そこに衾褥を敷き詰めて、瘍医をつけて運ぶ。
ただ、だけは驍宗が自ら運んだ。
腕に抱き、真っ直ぐに官邸へと連れて行く。
瘍医に助言を得て、官邸に戻るとすぐに房室を用意させ、出来る限り温かくする。
牀の横に腰を下ろし、を見ていた。
顔は相変わらず真っ青で、前日に笑って話しをしていた面影は、どこにもなかった。
夜中になってもは目を覚まさず、不安ばかりが胸中を過ぎていく。
驍宗はそのままの体制で眠り、朝を迎えていた。
しかし、それでもまだ目覚めた様子がない。
一度房室から出た驍宗は、そのまま鴻基へと降りて行き、昨日運び込まれた人々を訪問した。
意識が回復した者は五名に増えていたが、意識が戻らないまま死んでしまった者も同じく五名いた。
いたたまれないような表情の瘍医を労い、驍宗は官邸へと戻る。
何も食べる気が起きず、が眠る横に座り、ただじっとその顔を見つめていた。
夜半前、麾下の者が再び驍宗を尋ねてきた。
を発見した伍長だった。
「先ほど意識が戻った者から、話しを聞いたのですが、族里は雪崩の直前、馬腹に襲われていた模様です。民居の上に母子がいたのも見ていたようです。その者を入れて、現在全員の意識が戻り、死者は五名に留まりました」
「そうか。ご苦労だった」
「あの…将軍」
伍長は気遣うような目を驍宗に向けて、おずおずと聞いた。
「一十七名は意識が戻りました…その…」
「まだ、目を覚まさぬ。生きてはいるが…」
「そうですか…でも、きっと大丈夫ですよね。将軍が付いておられるのですから」
何の根拠もない事だと分かってはいたが、何かを言わずにはおれない心境だった。
それを分かったのか、驍宗はただ頷いていた。
伍長が帰って、再びの許へと移動する。
「――――――い」
微かに聞こえた声に、驍宗は房室の入り口から駆け寄っていた。
「」
耳の近くで名を呼ぶと、再び小さな声がする。
「――さむ…い」
寒いと僅かに動いた唇を見ながら、驍宗は安堵の息を漏らしていた。
頬に手を当てると、たしかに冷たい。
そっと手を離し、房室内を暖める。
「…寒い…」
それでも寒いと言う。
その頬に再び手を当てる。
さきほどよりは温かくなっているが、まだ冷たい。
もう少し暖めようかと頬から手を離した瞬間、再び寒いと呟く声がする。
暖められたものが離れ、冷気に触れるからだろうか。
驍宗はその頬から手を離す事が出来ずに、の顔を見つめていた。
意識が戻っている訳ではなかったが、なんとか持ち直しそうな気配を感じていると、の腕が衾褥の中から出てきて、驍宗の手に触れる。
「温かい…」
人肌を求めるように、の手は動いていく。
今や両腕が驍宗の手を掴み、しっかりと握っている。
握るその手に力はなかったが、生きている事の証左に他ならない。
「寒い」
再び紡がれた言に、驍宗は立ちあがる。
手は容易に解かれ、の眉間には、僅かに波が作られている。
驍宗は衾褥の中に滑り込み、体ごとを温めていく。
しっかりと抱きしめて腕に抱くと、の眉間から波は消え、安らいだ表情に変わる。
の口からそれ以上の言葉が紡がれる事はなく、ただ安らかな寝息が聞こえていた。
驍宗はを抱きしめたまま朝を向かえ、いつの間にか眠っていた事に気が付く。
首元に手を当てて、静かに打ち続ける鼓動を確認した。
動いているのに安堵して、頬に手を持っていく。
もう冷たくはなく、ほわりと温かい。
手を離すと僅かに体は身動ぎし、瞳が徐々に開かれていく。
「驍宗さ…ま…?」
はっきりと意識が戻った事の象徴として、その口は驍宗の名を呼んでいた。
「寒くはないか?」
「温かい」
胸元に顔を寄せて、その温もりを感じる。
「瘍医を…」
そう言って起き上がろうとした驍宗に、の止める声が届く。
「もう少しだけ…こうしてもらっていてもいいですか…」
驍宗は無言のまま元の体制に戻り、の肩を寄せる。
腕の中に抱きとめて、ゆっくりと伝わる肌の温もりを感じていた。
しばらくして、がぽつりと問う。
「族里は…」
それを受けて、驍宗はを腕に抱いたまま、状況を説明した。
自分が見たもの、死者の数、生存者の数、そして、の母の姿。
寒さからではない震えがその体を襲い、声を立てずに泣いているのが分かった。
が落ち着いて眠りにつくまで、驍宗はずっと背を撫で続ける。
それからは少しずつ回復し、族里の生き残りとも再会を果たした。
族里の者は鴻基に居院を与えられ、それぞれに新しい生活へと踏み出し始めていた。
は驍宗の好意で官邸に留まっていた。
よく族里に足を運んでいた伍長も見舞ってくれ、はその伍長から驍宗が将軍である事を聞いた。
驚いたと同時に妙な納得を得て、は伍長に礼を言った。
やがて歩けるようになったは、官邸の庭院を好んで、よくそこに行っては一人物思いに耽っていた。
官邸に居ると嫌でも分かる事が多数ある。
天災の続く空の下。
飢餓と妖魔に怯える人々の暮らし。
何もの族里だけが、災害に見舞われた訳ではないその現実に、空位の寒い風が吹き荒れているのを感じていた。
「」
澄みきった空気を吸い込んでいたは、背後からかけられた声に振り返る。
「体を冷やしてしまうぞ」
そう言って歩み寄ってきたのはこの官邸の主、禁軍左軍将軍だとつい最近知った、伍長だと聞かされていた男だった。
「驍宗様」
「まだ寝ていなくては」
「もう大丈夫です。それよりも驍宗様。私を、族里へと連れて行ってもらえませんか」
「…構わないが…大丈夫なのか?」
「はい…」
翌日、計都に乗せてもらって族里を目指す。
やがて見えてきたそこには、かつて族里があったなどとは判らないほどだった。
まるで里全体が巨大な墓地のようだ。
静寂意外何も無い。
「あの子は…高熱でうなされたまま、雪の中に埋もれてしまったのね…」
生存者の中に子童は一人もいなかった。
比較的健康であった若い男女が、奇跡的にも助かったのだ。
まだこの国は、冬が始まったばかり。
ここと同じような事が起こらないと、誰に言えようか。
は瞑目す。
思い出せる限りの顔を甦らせ、一人一人を弔う。
長い間そうしていた。
驍宗は何も言わず、もまた口を閉ざしていた。
やがては振り返って驍宗を見た。
その気配に気が付いたのか、驍宗は閉じていた瞳を開ける。
「驍宗様。ひとつお願いがあるのですけど…」
驍宗はに目を向けて先を促す。
するとはその場に跪いて、地に両手を当てる。
頭を下げて、静かに言った。
「黄旗が揚がったら、昇山して下さい。この国を救えるのは、驍宗様しかいません。私のような身分の卑しい者が言う事でないのは、充分承知しておりますが…どうか、お聞き届け下さい」
蓬山への旅が危険である事は承知していた。
だが、それでも言ってしまったのは、が色々と知ったからだ。
族里救済の指示を出し、迅速に解決して行った経緯を他者から聞いていた。
禁軍の到着がもう半日でも遅れていたら、誰一人として生きてはいなかっただろう。
教えてくれた人物達は、驍宗の麾下だけではなかった。
他ならぬ、驍宗その人に雪の中から救出され、唯一あの場で意識のあった族里の女性からも聞いていた。
人徳も才知も兼ね備えた人物である。
そのような人物を差し置いて、他に誰が王になると言うのだろうか。
地に伏せるのすぐ前に、驍宗の足音が近づいていた。
それを少し怖いと思ったは、固まったように動けなかった。
身勝手な願いと笑われるだろうか、それとも呆れ果てて絶句しているのだろうか。
「」
肩に驍宗の手が触れ、を引き上げる。
雪で湿った袖を掃いながら、驍宗は穏やかに言った。
「わたしの願いを聞き届けてくれるのなら、必ず昇山すると約束しよう」
「本当に?」
驍宗の願いとは何だろう。
自分に不可能な事を言われてしまえば、それまでなのだから。
は胸元に手を当てて、不安げな視線を送りながら続きを促す。
「驍宗様の願いとは…?」
驍宗は掃っていた手を止めて、の背に腕を回す。
そして軽く引き寄せて呟いた。
「傍にいてほしいのだ。に。それがわたしの願いだ」
「私…に?」
「嫌か?」
「傍に居て…いいんですか?」
「もちろんだ」
「本当に?」
「ああ」
今、母の言葉が蘇る。
自分の気持ちに正直に生きろと言った母。
大切な事は互いの気持ちだけ。
最後に過ごした温かい空間。
はゆっくりと頷き、驍宗を見上げた。
微笑んでいる顔が見え、温かい口付けが落とされる。
「必ず、天意をもぎとってくる」
褐色の肌は炭の様に見え、その中心には炭火が燃えている。
それは周りを覆う銀雪にも負けず、輝くように燃え、を温めるようだった。
「驍宗様…」
呟いた声は雪に浚われ、痛みを覚えた心をも奪っていく。
ただ白い景色の中で、そっと約束を交わした二人の姿を、天は黙って見つめていた。
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