ドリーム小説
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四季絵巻 〜冬〜
時雨が降っている。
風によって雲は震え、冷たい雨を撒き散らして過ぎていく。
急激に冷やされた雨は氷の刃と変わり、女の手に刺す様に落ちてくる。
昨日までは大雪が降り続き、一晩に二尺も積もっていた。
三日もそんな日が続き、やっと収まってこの時期らしい天候になったのを見計らって、山に登ったのだ。
時雨は歩けぬ程ではなかったが、寒さを増長させていた。
昨日よりは温かいはずだったが、大差ないように思う。
寒さで痛くなっている手を擦り合わせて、息を吐きかける。
空中に現れては消える白い息が、いかにも寒々しいのを強調していた。
雪肌(せっき)は赤く染まりつつあり、動きは徐々に鈍くなっていたが、それでも手の動きを止めようとはしなかった。
「あ…。あった」
小さな赤い実を低木に見つけた女は、それを大切そうに摘み取って紙にくるんだ。
はぁ、と吐き出した白い息を見ながら、薄い笑みを浮かべて立ち上がる。
「わ…」
ずっと屈んでいたせいで、立ち上がると同時に軽く眩暈を感じ、その場に座り込む。
回る視界を見ていられなくなり、軽く目を閉じてじっと耐える。
もう大丈夫かと薄く目を開いてみようかと思い、そろそろと目蓋を持ち上げていく。
正常に戻った視界を確認し、女はゆっくりと立ち上がった。
族里へと戻っていく足取りは悴んで重かったが、急いで帰らなければならない。
空位の今は、閉門に間に合わないとなれば、危険極まりないのだから。
それに、こんな所にまで出向いた意味がなくなる。
急な坂道を下っていた女は、不穏な気配に足を止めた。
「まさか…」
恐る恐るあたりを見渡し、そして見つけてしまった。
巨大な影はゆらりと揺れて恐怖心を煽る。
「馬腹」
巨大な虎が女を狙っている。
顔だけは人のその妖魔は、息を呑む間に飛翔し、一気に距離を縮めた。
逃げなくては。
心はそう叫んでいるのに、体は凍りついたように動かない。
女は躍り上がった馬腹を見て、ぎゅっと瞳を閉じる。
ぐきっと音が聞こえて、は目を開ける。
目前に知った男の後ろ姿を見つけ、は助かった事を知った。
馬腹は前足から出血していたが、再度男に飛び掛る。
しかし、鮮やかに仕留められて、瞬く間に地を舐めた。
「驍宗様!」
「無事か」
剣を収めながら振り返る驍宗に、女は駆け寄って行く。
「ありがとうございます」
「こんな所にまで来るのなら、教えるのではなかったな」
呆れたような声に、女は肩を竦める。
「な、何故、ここに?」
「を訪ねて行ったからな。朝から出て帰っていないと聞いて、この辺りではないかと」
「では…探しに来てくれたんですか?」
「いけなかったか?」
は慌てて首を振り、とんでもないと否定した。
「送って行こう」
そう言った驍宗は、すでに坂を下り始めていた。
急ぎ後を追ったは、ちらりと振り返って馬腹の死を確認した。
しかしそれもすぐに見えなくなり、族里に辿り着く。
ここは首都鴻基からさほど遠くない、小さな族里であった。
そしてこの族里は、二方を山に囲まれた場所に位置した。
北西と南に高くはないが、確実に山と呼べる物が存在している。
今は白い化粧を施したその山の内、北西の山には居たのだ。
驍宗は禁軍の伍長らしいと聞いている。
あまり身分は高くないと言うのだが、他の者が見せる態度からは、とても慕われているのが分かる。
こうやって各里を回っているのだろうか、頻繁に姿を見せていた。
「見つかったか?」
里に着くと同時に言われたは、袂から紙を取り出してそれを見せた。
「三つも。よく見つけたと言いたい所だが…閉門かという刻限まで山に居たのは感心出来ないな。こんな無茶をしてはいけない」
紙を包みなおして、驍宗はに手渡す。
渡す際に、氷のようになった手の温度に眉を顰める。
「ごめんなさい…」
俯いて謝るに、驍宗は軽く笑いながら、背を押して足を進めさせた。
「無事だったのだから、謝らずともよい」
「驍宗様が助けてくれたからですよ」
下から覗き込みながら、は笑って言う。
あまり反省してないようなその顔に、驍宗は苦笑をもって返す。
一軒の小さな民居に辿り着いた二人は、躊躇うことなく中に入って行く。
「」
初老の母が心配そうに駆け寄り、驍宗の姿を確認して、頭を下げる。
「お母さん、あったわよ。ほら」
紙に包んだ物を袂から取り出したは、母にそれを渡して炭の近くに寄る。
ここ一年程、ひっきりなしに天災が続いている。
厳寒の中、炭を焚きっぱなしと言う訳にもいかないはずだが、母はが戻ってくるのを見計らって炭を焚き、帰りを待っていた。
「届けてくるよ」
母はそう言って出て行き、中には二人だけが取り残された。
「誰が高熱を?」
炭で暖を取りながら、驍宗はに問う。
「近所の子童。まだ小さな男の子で…あ、そうだ。ずっと前に驍宗様のように強くなって、禁軍に入るんだって言っていた子。覚えてます?」
驍宗はこの町に居る時には、子童の相手をして剣を教えている事がある。
「ああ、緑の髪の少年」
「そうです。あの子…流行り病になってしまって…」
「そうか…」
この辺り一帯に猛威を振るっている流行病。
王さえ居ればこんな事はなかったのに、とは思っていた。
高熱が十日程続き、体力が負ければそれで死んでしまう。
老人や小さな子童は体力もなく、瞬く間に数を減らしていた。
「早く…次の王がたてばいいのに…」
「後数年の我慢だ」
前王が倒れて早くも七年が経っている。
は炭から視線を移動して驍宗を見た。
「後…数年も」
小さく言ったは、再び目を元の位置に戻した。
空位にしては、戴の荒廃はさほど酷くない。
王宮では良き指導者に恵まれているのだろう。
妖魔の対策はしっかりとしていたし、天災の際にはすぐさま軍が救助に来てくれる。
だが、起きてしまう災害や流行病などは、いかに法に長けていても止める事は出来ない。
国庫も余裕がないだろうし、戴は他国から遠く離れて位置する。
は赤々と燻り続ける炭を見ながら、そんな事を考えていた。
「弱い者から、命を落としていく。でも…それを仕方がないってただ傍観しているのは嫌なの。だってこんなにも近くに居て、事情を知っているのに…解熱作用のある実を、探すための健康な体もあるのに、危ないからってそれをしないなんて、出来なかったの」
何故山に入って行ったのか、は驍宗に訴えるように言っていた。
「そうだな」
前回この里に来たとき、驍宗はに赤い実の話をしていた。
解熱作用のあるその実は、時雨の頃にしか生らず、しかも稀少であるため見つける事は難しい。
だが、それが大量に手に入れば、今年の流行り病も回避出来るのにと、そのような話をしていたのだった。
は近くの山で、その実がなる低木があるのを知っていた。
探しに行ってみようかと思っている時に、近所の少年が流行り病に倒れたと聞く。
探しに行く事は当然のように思えた。
「貧しい所の子なの。炭を満足に買えなかったって…」
体を冷やして、体力が衰えた所を病に魅入られた。
だが、どの人にも炭を分け与えるほどの蓄えはない。
新王が登極するまでに、この族里に残るのは、幾人だろうかと…そう思う事も多い。
「だけど…しばらくは山に登れそうもないわね…」
ふう、と大きく息を吐いたは、驍宗を見てにこりと微笑む。
もう危険な事はしないと暗に含ませて言ったのだった。
「いつも張り付いていないと、何を仕出かすか…」
「あら、信用されてないんですね、私」
「そうではないが…」
「では、私の事が心配ですか?」
「当たり前だろう。何のためにここに来ているのか、分かっているのか?」
冗談のつもりで聞いた事に対し、真面目な答えが帰ってきて、は慌てて顔を逸らした。
ここを守る目的で来ているのだから、住人を心配するのは当たり前なのだが、正面きってそう言われると、自分個人に言われているような気がした。
が頬を染めていると、母が戻ってきた。
頭に雪を積らせて、寒そうに駆け込んでくる。
「お母さん。どうだった?」
「飲ませたよ。まだ高熱が続いているようだけどね、熱が下がれば大丈夫だろう」
「よかった」
は安堵の息を漏らし、驍宗はそれを聞いて帰ると告げた。
の母は雪が酷いと言って引き止めたが、仕事があるからと断り外へ出た。
見送るために、も外に出る。
すでに時雨であったものはなく、辺りを白く染める雪に変わっていた。
「今年は何時になく雪が多い…」
は掌に落ちてくる雪を弄び、空を見上げた。
冬はまだ始まったばかりだというのに、里を上げて雪の対策に追われたのは、すでに何度もあった。
「驍宗様、本当に大丈夫ですか?視界もあまり良くないですよ」
「大丈夫だ。見送りはいいから中に入ってなさい」
「嫌です。ちゃんと見送らせてください」
「ではすぐにでも退散するとしよう」
軽く笑った驍宗は騎乗しながら答える。
「計都、またね」
計都の首に手を当てたは、そのまま驍宗を見上げる。
「驍宗様。今度は何時来られるのですか?」
考えるように宙に視線を送り、驍宗はそれに答える。
「…明日にでも」
「じゃあ、今日拾った木の実を食べさせてあげますよ」
「解熱剤を?」
「違います!他にも拾っていたんです。すり潰して焼くと美味しいんですよ。驚かないで下さいね」
「では楽しみにしている」
驍宗はそう言って手綱を取る。
小さな風が雪を舞い上げ、そのまま暗くなりだした空の彼方へと消えていった。
驍宗が消えるまで見送っていたは、手に息をかけながら中に入った。
「本当に良い方だねえ。お前にはもったいない」
中に入った途端に、母から声が投げかけられる。
「もったいないって、何を言っているのよ」
「気にかけてもらっているだろう?」
卓上の袋を持ち上げて、木の実を出しながらは言った。
「ここを守るのがあの人のお役目だからよ」
明日の為に下ごしらえを始めたのだ。
「え?お前そう言われているのかい?」
母は驚いたように目を見開く。
「え?違うの?」
「違わないだろうけどさ…。特にそう言ったお役目ではないと思うよ」
ではどう言った役目と言うのだろうか。
手を動かしながら母を見る。
「実際の所は分からない。視察に来なすっているのは分かるんだけどねえ。の所にばかり居るだろう?」
言われて考えてみると、その様にも見える。
「どうして私の所にばかり来るの?」
そりゃお前…」
母は少し寂しそうにを見つめている。
「お前の事が気にいっているのさ」
「あの驍宗様が?まさか」
声をたてて笑う娘を、呆れたように母は見ていた。
「でもさ、いい話じゃないか。あの人は禁軍の伍長なんだろう?腕も立つようだし、一緒になれば仙籍に入れるじゃないか」
「仙になったらお母さんと住めないじゃない」
木の実をすべて剥いて水につけ、下ごしらえを終えた。
「子童は大きくなったら、親元から離れて行くもんさね」
「寂しくないの?」
「手を焼くのが居なくなれば少しは楽になるね」
母はそう言ってを抱きしめる。
「だからさ、私の事なんて気にしないで、お前はお前の気持ちに正直に生きな。このご時世に、好きな男と一緒になれるなんて、これ以上の幸せがあるかい?お前だって好きなんだろう?」
「それは…でも…無理よ」
「無理な事があるかい。大切なのはお互いの気持ちだけなんだよ」
母はそう言ってを放す。
「さ、もう火を消すよ。夜はさっさと寝てしまうのに限る」
動き出した母を見ながら、も寝るために動き出した。
冷たい衾褥の中に滑り込んだは、目を閉じて驍宗の事を考えていた。
が初めて驍宗を見たのは、里の東のほうだった。
子童に剣を教えている軍人を見かけ、気が付いたらずっとそれを眺めていた。
やがて子童は驍宗の周りに集められ、その後一斉に散って行った。
帰れと言われたのだろうか。
散りだす子童を見ていた瞳は、ふとに向けられた。
軽く会釈をされ、も同じように繰り返す。
じっと見続けていた事に、その時やっと気が付いた。
は消え行く子童達を見ながら、驍宗に歩み寄る。
「子童達、とても楽しそう」
「太刀筋のいい子が多いな、ここは」
「そうなの?」
「ああ。将来が楽しみだ」
「ありがとう。子童は希望よ。これから、この国を支えて行くのだから」
「あの子達が大きくなる頃までには、落ち着いているといいのだが」
「ええ…」
ふと沈黙が降りて、しばし見つめあった。
新雪のような白銀の髪が輝き、の言葉を奪って行ったのだ。
その後、誤魔化すようにして問いかけた。
ここにいる理由や、何処から来た人なのか。
「驍宗様…」
小さく呟いて、は深い眠りに落ちた。
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