ドリーム小説




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四季


〜秋〜






宵闇の頃。

麦州では暗い顔をした州候が佇んでいた。

「麦候……」

呼ばれた浩瀚は、ゆっくりと振り返る。

振り返った先には、浩瀚の瞳を奪って止まない存在が立っている。

まだ新王が登極したばかりの頃、その存在に捕らえられ……恋に落ちた。

それは突然やってきた。

甘い芳香を放つ金木犀と供にやってきた女は、浩瀚の瞳を一瞬の後に奪い去っていった。

気がつけば声をかけており、さらに気がつけば手元に置いていた。

官吏としてではなく、一人の女として。

女は一切嫌がらず、これまで浩瀚の傍を離れなかったし、浩瀚も傍から離さなかった。

だが……。

。すぐにここから出ていきなさい。この国にいては……危ない」

新王登極から僅か数年。

女王はこの国に生きる女のすべてを、国外へと追放せよと命を下した。

仁道も何もありはしないが、王の命令は絶対で、残った女には死が待っている。

州城の居院でに歩み寄った浩瀚は、その愛しい手を両手で包み込み、自らの額に引き寄せた。

「雁でも巧でも良い。とにかく……どこか安全な所に……」

「麦候。私を、罪人として扱って下さいませ」

突然言い出した言に、浩瀚は驚いて瞳を上げる。

「牢獄へと押し込め、そこに閉じ込めて下さいませ。あなたさまの居ない国になど、私が行けようはずもございません。どうぞ……哀れと思し召すのなら……」

涙が頬を伝い、はらりと散る。

しかし、浩瀚はそれを拭ってやる事も出来ずに、その顔を眺めていた。

。私を……好いてくれていたのか……?」

そう言うと女は眉を顰める。

「好いていない方のもとにずっとおれるほど、殊勝な気性は持ち合わせてございません。私の心を疑っておいでだったのですか?」

「いや……だが……無理に連れて来たようなものだったからな……。初めて出会った時、浚ってでも手に入れたいと思うほど、わたしは心を奪われていた。それはわたし個人の感情であって、のものではない。断りきれずにいたのか、それとも哀れに思ってくれたのか……そのような類だと思っていた。それでも構わないと思うほど……わたしの心はに捕まっていたのだから……」

は固まったようにその双眸を見開き、ただじっと浩瀚を見つめている。

だが、ふっと表情の力を抜き、浩瀚へと歩み寄る。

白い腕を回し、浩瀚の胸元へと頬を埋めたは、小さく謝った。

「麦州候としてあなたさまを、心から敬愛しております。お傍に置いて下さって、これほどの幸せはないと思っておりました……それほど思って頂いておりながら、不安にさせてしまったのですね。それは……私のせいですわ……」

は決して名を呼ばない。

麦州候として接するのが常。

それは気持ちを明け渡していない事の、証のように思っていた。

引き寄せて口付けると、おとなしく瞳を閉じたし、首筋に唇を這わせても、嫌がる気配はない。

だが、決して求めて来ないように思っていた。

だからこそ、それ以上の事を求めてはいけないような気がしていた。

州候という立場上、逆らえないと思っての事かもしれなかったし、哀れに思って身を寄せてくれているのかもしれなかったからだ。

しかしそれは、浩瀚の思い違いだったのだろうか……。

「ですが、どうか信じて下さいませ。私は麦候が何よりも大切です。あなたさまを失う事は、天地が崩落するよりも耐え難い事……そしてお傍を離れるのは、肉体を切り刻まれるよりも辛い事なのです。ですから、どうぞ私を投獄なさって下さい。どのような辛い場所でも、この国……いいえ、麦州であれば私は耐えられるのです。どうぞ……この願いを叶えて下さいまし」

再びの頬には涙が伝っていた。

しかし、それでもは、訴える事をやめなかった。

「あなたさまを初めてこの目に映した時から、私の心は囚われてしまったのです。あなたという鎖が私の心を絡めていき、全てを捕らえてしまった。男の方がこれほど愛しい存在になろうなど、想像だに出来なかった事を、あなたは私に与えて行った。口付け一つで溶けそうになってしまうような者が、この世に居ようとは知らずにいた、あの頃には二度と戻れないのです……どうか……」

……」

浩瀚は驚いたままの表情をしていたが、の背に腕を伸ばし、強く抱きしめていた。

力を弱める事も出来ずに、ただその口から繋がれる声だけが耳から浸透し、体中を支配していった。

。名を呼んではくれないのか……」

「麦候……その御名は私などに呼ばれて良いような、軽い御名ではございません」

「軽くも重くも関係ない。愛しい者に名を呼ばれたいと思うのは、そんなに贅沢な願いなのだろうか」

「――浩瀚さま……。御名をお呼びしても、良いのですね……」

初めて呼ばれたその音は、まるで生き物でもあるかのように、浩瀚の体内でうねりを上げていた。

歓喜を伴い巻き上がって、猛烈な強風を引き起こしている。

夢中でその顔を持ち上げて、口付けを落としていった。

口付けを受けているは、いつもと変わらなかったが、浩瀚は確実に違うように感じていた。

拒絶など微塵も感じず、ただひたすら信じる事が出来て、これ以上大きくならないと思っていた感情は、いまや烈火の如し舞い上がっている。

いつもの冷静さはすっかりと影を潜め、どこを探しても出てきそうにない。

一度箍が外れてしまうと、止める事は不可能のように思った。

を抱き上げて臥室へと向かい、そのまま真っ直ぐに牀に横たわらせる。

女の髪をかき乱している己の手を頬に添え、あつく口付けていく。

軽く乱れ出した息づかいを聞きながら、襟元を広げ白い項に唇が到達した。

その瞬間、誰かが尋ねて来た様な音がした。

扉の外から浩瀚を呼ぶ声が聞こえ、焦っているような様子を見せていた。

「浩瀚さま――何か……様子が変でございます」

声は上ずったように聞こえており、変事を露に伝えていた。

起き上がった浩瀚に習い、も起き上がる。

その体に腕を伸ばし、軽く身なりを整えた。

「ここで待っております」

頷いた浩瀚は臥室を出て、尋ねて来た者と対面する。

「麦候。明日国府より秋官が参ります。州城に女が居ないかの視察かと……」

「わかった。残っている者に伝達をし、早急にここから出るように言いなさい。ひとまず港町で待機するように。足りない物は後で運ばせよう。くれぐれも早まった真似はしないようにと、強く申し渡すように」

伝達をその者に任せた浩瀚は、すぐに政務の場に赴き、主な官吏を集めてそれを伝える。

夏官から数名を護衛につけさせ、まだ残っていた僅かな女達を、送りだすための用意をする。

取り急ぎ手配をして、居院へと戻る。

浩瀚を待っていたは、その顔を認めてすぐに駆け寄ってきたが、険しいままの浩瀚に不安げな顔を向けた。

「浩瀚さま……?」

「明日、国府から視察が入る。今日中にここを出なさい」

「……嫌です」



咎めるような声に、は肩を竦める。

だが、きつく唇を噛んだまま、顔を背けて言った。

「どうぞ……投獄なさって下さい。元から掴まっている罪人を、再度捕らえるような事はないでしょうから……どうぞお傍に置いて下さいまし」

「もし万が一処刑を断行されれば、わたしには止める力がない。国府に連行されてしまってはなおの事。これからこの国は大きく揺れるだろう。落ち着いたら必ず迎えに行くから、どうかその時まで生き延びていて欲しい。身を切られるように辛いのは、わたしも同じなのだから……どうか信じて欲しい」

港町にて待機せよと言った浩瀚の顔を見ながら、は涙を流した。

それでも強く言われて、これ以上渋る事も出来ずに、城を出る一団と一緒に港を目指す事になった。










の消えた臥室に、浩瀚は一人立ちすくみ孤愁に身を置いていた。

そのまま眠れぬ夜を過ごしていた浩瀚の元に報が入る。

港に向かった一団が妖魔に襲われたという内容だった。

数名が死亡し、数名は怪我を負った。

大多数が助かって無事着いたと聞き、その中にが居るかどうかの確認を急がす。

しかし、祈るような浩瀚の心境に反し、生き残った中からの名があがる事はなかった。























そのまま数ヶ月が経過し、王は禅譲した。

まだ見ぬ次王に国の命運は預けられ、空位の時代へと突入する。

の生死を確認出来ぬままに、忙しい日々を送っていた浩瀚は、再び秋が訪れたのを知った。

ふいに香る金木犀がを呼び起こし、焦げる様な思いに苛まれた瞬間であった。

生きている可能性は低く、投獄していればこんな事もなかったのだろうかと、後悔ばかりが業火のように取り巻いていく。

やがて流れる時間と供に希望は影を薄め、絶望だけに支配されていった。

諦めるよりないと自らに言い聞かせながらも、諦め切れない思いを抱いている。

忘れるかのように政務に従事し、眠る事もせずに動き回っていた。





月日が流れていくと偽王が起ち、州同士での競り合いが生まれ、慶は混乱の中へと埋没していく。

さらに月日が流れると偽王を新王が打ち破り、ようやく落ち着こうとしていたのにも関わらず、今度は謀反の疑いをかけられ、州城を追われる事になった。

特に信を置いている要職らに指示を出し、和州で乱を起こすために画策し、それが成功に終ったある日、唐突に冢宰に任じられた。

















慌しく動き出した国の中枢で、浩瀚はふと立ち止まる。

駆け抜けるようにして来た数年を思い返し、ようやく心に余裕が出来たのを感じていた。

今までの死を、嘆く事さえ出来なかったのだ。

忙しさからではなく、あまりに大きかったその存在感ゆえ、涙を流して忘れる事すら出来なかったのだ。

二、三日詰めて政務をこなし、主に請うて朝議後に宮城を出た。

早く駆ける騎獣を借りて麦州に向かった浩瀚は、二人が一緒にいた州城には行かず、青海の方角に向かっていた。

小さな丘で降り立った浩瀚は、咲き揃っている金木犀の木の前で止まる。

そこは、と出合った場所であった。

辺りを見渡すと変わらぬ景色が広がっている。

仄かな甘い香りと供に現れた女。

小さな橙色の花のような笑顔だった。

抱きしめると広がる芳香がし、甘美な匂いに酔ってしまいそうになる。

いつでも傍にいて、微笑みを絶やさなかった愛しい顔を、まだ鮮明に覚えている。

わずか数年では消し去る事など出来なかっただろう。

もうこの手に抱けない喪失感が、急激に浩瀚を襲い打ちのめしていく。

辺りに香る金木犀の香りがそれを一層引き立てて、せつない思いは降り積もっていった。

……。慶は、落ち着いた。何処に迎えにいけばいいのか、教えてはくれないだろうか……」

金木犀の木に手をつきながら、そう呟いた浩瀚は熱いものが込み上げてくるのを感じた。

「くっ……」

木についた手は拳に変わり、きつく握りしめられている。

「どうか……したの?」

ふいにかけられた声に、浩瀚は顔を上げる。

聞き間違うはずのない声が、背後から聞こえていた。





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リクエスト春夏秋冬「秋」です

後編もよろしくです。

                                    美耶子